平成18年11月10日神田雑学大学定例講座NO335


演題 江戸下町伝統工芸


講師 田中義弘 

★はじめに

講師の田中義弘さん 「ギャラリー匠」は台東区浅草のひさご通りにあるのですが、最初にこれが出来たいきさつをいいますと、 ほとんど職人なんてのは役所が相手にしてくれませんでした。 たまたま商店街がさびれて休業する店がでてきて、そのなかの佃煮屋さんが廃業したので台東区が買ったのです。

最初は区民館のようなものを作ろうかとしたら少し狭いので、職人のための館みたいものができないかと、はじめたのが発端です。 偶々、近くの酒屋さんが火事になって、買い上げたのが大きさも手ごろということでそこに移りました。
http://www.taitocity.com/sangyou/dento/denkou/denko.htm

バブルのはじける前でしたが、6階建てにし、上は若い職人の住宅にして、下のほうでいろんな職人が作業したり、 展示できるようにしいようということでやったのです。 作業がひとくぎりついたとこで、バブルがはじけて予算がなくなってしまい、単年度予算1億円で、二階建てにしようということで建てました。 建てたものの会計年度の区切りで完全にできず、翌年度の工事費の支出で7月に開館にこぎつけました。

そこで我々が委託されて中の展示物を展示したり、土日には職人が皆さんの前で仕事をしながら質問に答えるような様式にしました。 そこに、いまここにいる望月さんが番人として勤めているわけです。そこで雑学大学の吉田さんに紹介されて、今日ここに出てくることになりました。 もともと職人なので何をしゃべっていいかわからないのですが、とりあえず職人から見たいろんな世界というものをお話したいとおもいます。

1.職人からみた職人の世界

まず伝統工芸とはどんなものかといいますと、一応定義がありまして、「いまから遡って百年以前にやっていたやり方、技術、技法をそのままやっているということ。 また百年以前に使っていたと思われる天然の原材料を使っている」ということになります。

役所が介入すると、そのへんがどんどん薄まってしまいます。つまり、伝統でなく伝統的になってしまうということです。
具体的には、漆の漆器で本物は非常に高価です。 それで代用品の柿渋など塗って、最後の工程で漆を少し塗ってごまかしても、伝統的になってしまいます。

藍染も、本物の藍はすごく高いので、他の顔料や染料で染めて、最後に藍で仕上げをしても、一見藍染にみえますが、これも伝統的工芸になってしまいます。 もっとひどいのは、国内でやらなくて、伊賀組紐などは、現在ほとんど外国で作られています。これは認められていて、日本では仕上げだけやって伊賀組紐として売られています。

これは、前の通産省がそのように容認してしまったのです。産業として認められていますので、この産業で食べていく必要があり、そのためにはそのようなことを認めざるを得なかったわけです。このようなまがい物が市場にでてくると、結局は本物との違いがわかってきて、評判を落とす結果になっています。

伝統工芸がなんで台東区や浅草に多いかというと、江戸城周辺は大名、旗本の屋敷町で神田、日本橋が問屋街(いまでいう商社)でその周り、上野から浅草にかけて町人がすんでいて、そのなかに伝統工芸が育っていったわけです。 江戸は最盛期百万人以上の人が住んでおり、その人たちが生活するに必要なものを作っていたわけです。その周りが農家で、練馬大根だとか、小松菜などを作っていました。

当時の物流が水運に頼っていたことから、これが川の周辺に発達したわけです。当時、ものをたくさん運ぼうとすると、大八車をつかうか、墨田川の舟をつかうしかなかったからです。   その伝統で、いまでも台東区でこのような伝統が盛んなわけです。むかし、その辺にいた職人は長屋住まいで、土地を持っていなかったので、バブルを機に地主が土地を売ると、すむところがなくなり、千住、とか草加とか千葉に移ったわけです。

今なぜ浅草に残っているかというと、職人だけでは生活ができないからです。籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人ではありませんが、職人も道具を作る人が近くにいないと仕事ができない。鑢を作る人や、かざりや、磨きやなどがいるので、私たちがまだ浅草で仕事ができる、というわけです。

ありがたいことに、人口も多いので、それなりの需要はあるのですが、最近生活様式が変わって、部屋も洋式っぽいものが多くなって、古くからの伝統技能を必要とするものは少なくなってしまいました。たとえば、大工の仕事で、今ひさしを作るようなことはめったにありません。工場製のサッシュを入れればそれでいいので簡単ですが、技能はどんどん失われていっています。

昔の大工さんは、何時も客の意見を聞きながら自分の技能を磨いてきたので、自信をもっています。その点、いまの工場製の部品を組み立てるだけでは、本当に住みいい家といのは少ないですし、伝統の技術がなくなっていく気がします。

いい木材が必要になれば銘木屋へ行きますが、昨今は銘木屋自身が目ききができなくなっています。たとえば萩が欲しいと思っても、殆ど手にはいらないので、セイタカアワダチソウを代用にしています。素人のひとは、これで結構だまされるのです。最初は代用萩といっていましたが、今は普通になって萩といっています。 たとえば、夏障子というものがあります。昔は、夏になるとふすまを外して障子をいれたり、すだれを吊ったりしていました。いまはそれを大工さんに頼んでも、大工さん自身がわからなくなっています。  

昔の家は窓の外に手すりを組み込んでいました。いまは一見手すりに見えても、強力な接着剤ではりつけてあるので、何年かたつと劣化して、もたれると外れて人が落ちる事故がおきています。 昔は親方と弟子の徒弟制度がありましたが、今は労働基準法とか最低賃金制度とかあって、弟子がサラリーマン化してしまいました。これではいい職人は生まれません。 以前は中学卒業と同時に見習いとなって、理屈抜きに技能を叩き込まれましたが、高校卒業からでは遅いくらいです。仕事は頭で覚えるのでなく、身体で覚えるものなのです。

今東京で40業種、全国で200箇所ぐらい伝統工芸を引き継いでいるところがあります。東京ではゆかた、象牙鼈甲、さしもの、仏壇、桐箪笥、きりこ、銀器、提灯、三味線 木彫、琴、などがあります。これも高齢者がふえて後継者がなく技能の維持が年々難しくなっています。

2.職人からみた商人の世界

いま市場に伝統的工芸を装った商品がたくさん出回っていますが、これは経済性を求めて、殆ど商人が作らせたものです。 たとえば、風神雷神などの木像がありますが、こんなものは中国へ持っていってコンピュータで簡単に出来てしまいます。 お土産屋などで売っているのは殆どこれで、ひどいのになると本尊までまがいものです。

日本でつくるとまず300万、安くても150万円ぐらいですが、向こうからくるとだいたい30万円ぐらいです。 家庭にかざる阿弥陀様や観音様は、台湾が少し高くて、中国ですと6千円から7千円ぐらいからあります。皆さんの手に渡るときは中間の商人が儲けていて3万円以上にはなっています。

やり方が上手で、白檀などは非常に高価な香木ですが、似たような木に白檀の匂いをつけた偽ものを作っています。これは最初匂いがするのですが、やがて消えて普通の木と同じものになってしまいます。扇子などはほとんどそうで、ちゃんとしたものは滅多にありません。


虎の皮でも、犬の皮をそのように改造したものまで出回っています。 これらは、台湾や中国の人が日本に習いに来るのでなくて、日本の商人が持っていって現地で作らせているのです。 錆というのは、鉄の中から出てきますが、この現象も日本人が日本を駄目にしている例だと思います。

職人もずる賢くなって、昔みたい「お金は出世払いでいいよ」というような骨っぽいのも少なくなりました。 桐箪笥は、今は新潟が有名ですが、もともと江戸で発達したものです。江戸は火事が多かったので、 三段に重ねて棒で突き通せば持ち出すことができるし、水をかけておけば中まで火は通らず、濡れないというので重宝されたわけです。

最近はカナダなどの桐がつかわれていますが、 素人にはわかりません。一番有名なのは會津ですが、箪笥の職人は箱を作っておわり、あとはトノコを作る人、金具を取り付ける人などの分業になっています。

指物というのは釘を使いません。材質が特殊で堅い木が多いので、釘や糊でははがれてしまいます。そこで組み合わせという技法が使われるのです。 職人の腕というのはお客さんの意見、クレームを聞きながら向上させていくもので、頭では理解できません。 また、いい作品を見ることも必要です。 現在、成田さんの山門に飾る獅子を木彫の組合がそれを受けて作っていますが、食べていけるような金額では受けてないのです。殆ど名誉でやっているようなものです。

通信販売などで売られているものは、原価はおどろくほど安くできています。 通信販売のやり方というのは、まず関東と関西のまんなかあたりでテスト販売をやってみて、その反応をみて、どれくらい売れるか計算して緻密な計画で販売されています。 東京の場合は、月島あたりがアンテナを出すのによい場所だといわれています。また台東区と世田谷、大田区あたりでは、客の志向と購買力がかなり違います。同様に東京、横浜と千葉、埼玉あたりでは顧客層がかなり違います。

3.職人からみたデパートの世界

なんにでも当てはまるといわれますが、デパートの世界でも2:6:2の法則があります。必ず買う人が2割、絶対買わない人が2割、どちらでもない人が6割ですが、この中でも2:6:2の法則があてはまるようです。
職人の世界では、大工では匠とか、壁屋では佐官とか、えらそうな名前をつけることがあります。あと表具師などつけますが、なんでかというと、宮中に出入りするのに従五位の下以上の位をもらわないと入れなかったのです。

4.職人から見た役人の世界

なんでも役人が入ると、先ほど申したように伝統が伝統的になってしまいます。今神田祭りとか、浅草の三社祭りなどありますが、これを壊すのはわけありません。 補助金を出せばいいのです。たとえば、三年だけ補助金をだすと、あとはもう出来なくなってしまいます。

本郷菊坂の菊祭りなどは、これで出来なくなってしまいました。農業でも助成金をだしているうちはいいのですが、これが無くなると続けていけなくなります。 職人のほうも後継者育成などの補助金をもらうと、あとがやっていけなくなります。

そういう意味で、役人が介入すると非常にやりにくくなってしまいます。 お金をもらうと、必ず口もだしてきます。使い道まで指図してきます。 海外の大使館、領事館の役人も、具体的にはなにもやってくれない、責任逃れみたいことばかりやっています。

5.職人からみた外国の世界

毎年最低一回は外国へでかけています。偶々、ロシヤのサンクトぺテルベルグからジャーナリストが、うちへ来たことがあります。仕事で出たきれっぱしを、できるだけ皆にみせたいので持っていきたいと頼まれました。招待したいが金がないというので、こちらから出掛けるから手配だけ頼むというと、それを現地で新聞に書いたところ、大きな反響があり、宿舎や食事のスポンサーが現れてスムーズにいきました。

フランスからもジャーナリストがうちへきて、内容に感心し招待したいと言ってきました。そのとき1000ユーロ(約12万円)ぐらいだせば、あとは全部むこうがやてくれるというので出掛けていきました。カーンというノルマンディ作戦の行われたところのメモリアルホールで感じたことは、ヒットラーもユダヤ人に仕向けられたなあということでした。

日本も、戦前輸入品の対米異存率が90%以上で、アメリカの経済制裁でやむにやまれず開戦にふみきったわけです。  今年は9月下旬にオーストラリヤへ行ってきました。偶々、オーストラリヤで日本を紹介する年で、シドニーからキャンベラ、パースもまわって紹介してきました。どこでもいえることは、子供のしつけがよく出来ているということです。

6・浅草という街

浅草という町は、結構排他的なところがあります。外部から来る人をあまり歓待しない。それだけ田舎なんです。浅草というところはあまり金持ちがいません。 昔の農家は、よく出来た作物は年貢にとられたり、市場にだしたりして、粗末なものを食べていた。人のために働いている人が、東京に出てきて、下町に住み着いたわけです。

けっこう、お節介やきがおおいのも、こんなところに起因しています。人情深いところもあります。長屋がおおくて道が狭い。お寺が多いのも特徴です。上野は日蓮宗がおおくて、浅草は浄土真宗が多いようです。 食べ物の代表的なものはてんぷらです。とんかつは上野。また意外に河豚屋が多いのです。浅草に東京都が作ったと殺場があった関係で、馬肉やホルモン焼きの店も多くあります。 皮を近くで処理していた関係で、靴屋や、鞄屋が発達したのです。

終わり

(文責:得猪外明)



会場撮影:橋本 曜  HTML作成:上野治子