神田雑学大学講演抄録 第344回 平成19年1月26日

泣き笑い挑戦人生:文化の壁は乗り越えられる

―世界を旅する彩子さんのドキドキ地球千鳥足―

講師 小川 彩子 


目 次

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1.超内気な主婦が自己変革:自己の壁に挑戦

2.泣き笑い挑戦人生:年齢の壁に挑戦

3.文化の発信・受信:文化の壁に挑戦

4.鴨おばさんの地球千鳥足と三無:
挑戦に適齢期なし

5.自己実現と共生活動の交点



著書 『突然炎のごとく:Suddenly, Like a Flame』
   『流るる月も心して:Across the Milky Way』



1.超内気な主婦が自己変革:自己の壁に挑戦

 私は鳥取県米子在の出身です。鳥取県の地図は犬の形をしています。東京に向って吠えているように見えますが東京だけではなく世界に向けてメッセージを発信しています。
吠えるという言葉をここでは「意見表明が出来る」という意で使っています。
 もともと私は自己主張ということがまったく出来ず、高校でも大学でも一度も意見表明をしたことがありまませんでした。夫は対照的にどこでも自己主張が出来る人でした。性格のまるで違う夫と結婚して数年間はとてもつらい思いを致しました。
 これではいけないと思い、三〇歳の時自己変革をする決意をしたのです。発言せざるをえない状況に自分を追い詰めて自分を変えようと、地域活動、PTA、社会の弱者を救う婦人運動も自宅で塾も始めました。夫とは家庭内ですれ違いが多くなり、危機的状況になったことも度々ありました。
 そのうちお互いを認めながらそれぞれ自分のやりたいことに挑戦しようという態度に、つまり「内なる挑戦(小競り合い)から外への挑戦」へと互いに成長していったのです。

2.泣き笑い挑戦人生:年齢の壁に挑戦

@ 突然のアメリカ生活
 夫五八歳、私五二歳の時夫に突然海外転勤の話が持ち上がりました。異例の年齢での転勤でしたが私の方が興奮して「さあ、第二の人生だ!」と張り切りました。もともと勉強が好きでしたからアメリカの大学院で勉強しようと思ったわけです。なにごとも目標が肝要と飛行機の小さなテーブルで滞米目標を書き出しました。
 一つは難しさで定評のあるアメリカの大学院で学位をとること、二つ目は日本文化を発信することでした。その二本柱の下に三つの小さい項目ができました。ホーム・パーティーを頻繁に開くこと、大学か企業で教えること、英語で日本文化を紹介する本を書こう、というものでした。欲張りすぎかな、と苦笑しつつ、シャンパンを頂いて眠りにつきました。目標が出来ただけなのに、記憶に残るほど美味しい味のシャンパンでした。

A 泣きが笑いより多かった
 アメリカに着いた翌日に州立シンシナティ大学・大学院の門を叩きました。言葉をはじめ、殆ど泣きの連続でした。まず車の運転免許証を取る実技が大変でしたし、取得した後も運転技術未熟さのためパトカーにつかまり、大変でした。昔、有機化学を齧っていたので工学部の修士課程に受け入れられたのですが実験が多く、老眼と近眼で若い学友に"Sorry and Thanks"の連続で、アドバイザーの意見もあって教育学部に転部することに決め、上智大学と関係があるザビエル大学に転学転部しました。

 その頃からちょっと笑いが出るようになりました。その大学に日本語学科が無かったので私が現代言語学部の諸教授や学科長、学部長にも積極的に会い働きかけたところ、突然に「やる気はあるか」と電話が来て踊り上がりました。教授たちを生徒にミニクラスという授業のデモンストレーションをやって合格、本格的に採用されました。
 修士課程では日本人嫌いのギャフニー教授にさんざんいじめられました。「教育論文の書き方」という講座でしたがCの成績をつけられ、修士課程と後の博士課程すべてを通して唯一のC(不合格)となってしまいました。

B 博士号への道
 私立ザヴィエル大学修士課程を終え、州立シンシナティ大学博士課程へ進みました。日本では博士号は授与といいますがアメリカでは取得です。まずコースワークで例えば約九〇単位取らねばならず、次に博士号資格試験があり、三時間、三時間、六時間と計三日間コンピューターつきの部屋で缶詰で問題に答えるのです。例えば「日本の小中高大学の改革案を書け」というような難問が四つ出て、タイプを打って書式を整えきれいに仕上げたものを提出します。もちろん英語ですから神経が消耗します。

 博士号資格試験に合格するとここで初めて研究のテーマを決めますが、研究のプロポーザルは大学のIRBの許可を得なければなりません。アメリカは訴訟社会ですから人を傷つけるような研究などをされると大学は迷惑するからです。そこから一年ぐらいかけて論文を書き、仕上がるとデフェンスとなります。博士号コミッティーと関連教授連の前で研究発表し、難問や意地悪質問に答え果せてやっと「コングラチュレーションズ・ドクター・アヤコ・オガワ!」と呼ばれるのです。

 博士号の祝賀パーテイを行うとき八十四歳の母が(六〇才の娘に)メッセージを送ってくれたのですが、それには「静かな泉の水は涸れる」と書いてありました。新しい水が入ってこない泉は水が蒸発してなくなってしまう、そうならないように常に精進し続けなさい、という意味です。母のこの言葉はいつも胸に響いています。ですから「年だ」は「まーだだよ」を私の現在のモットーとしています。

3.文化の発信・受信:文化の壁に挑戦

@ 日本文化発信
 ある年の者が留学する場合、文化の受信だけで帰ってきてはいけない、日本文化を発信しなければならない、と思います。ザヴィエル大学で日本語を教えることになって文化の発信が効率的になりました。アメリカでは有益なことに魅力を感じる若者が多く、学生が随分増えました。最近は漫画やイラスト学部などが大変人気があります。また富める国も貧しい国もどう共存していくかというグローバル教育も教えました。私の場合は博士号取得後も日米を行き来して文化の発信に心がけてきました。

 渡米当初から実行していることはホーム・パーテイで七〇回を越えました。アメリカ人だけでなく近くにいる日本人も一緒に招きます。引っ込み思案な駐在員の奥さんたちにも簡単なパーティーの行い方を見習ってもらうためです。日本の音楽、アートだけでなく食文化も伝えますが、例えば茶碗蒸しなどは大変喜ばれます。アメリカ料理の代表としてはミックス・サラダ。サラダの材料ひとつひとつがそれぞれの個性を失わず自己を主張しているミックス・サラダはアメリカ文化を代表する料理なのです。ホーム・パーティーも最近では発展させ、Multicultural Music, Art and Luncheon (多文化音楽、アートと昼食の会)と呼んで異文化交流の場としています。

 六〇歳からピアノを始めたのですが、私が日本の美しい曲を弾き、インドやアメリカの音楽なども弾いてもらったりし、別室で日本料理、中国料理、インド料理などでそのつど目先を変えて楽しんで頂き、阿弥陀くじも取り入れ、日本文化を伝える景品も準備します。 

A 足元から見たアメリカ文化
 弱い立場への奉仕活動:アメリカでは弱い立場の人に対する寄付依頼が頻繁です。寄付を世話するボランテア活動も盛んで生活の一部になっています。アメリカでは収入の多寡に関わらずそれぞれの立場で困っている人を助けようとする意識が強いし、ハンディキャップのある人にもシニアにも、知らない人にも非常に親切なところがあります。排他より受容と言えましょう。飛び級についてはすでにご存知でしょう。
 気になることはインテグリテイ(信用・信頼)の低い人が多いこと。口約束は忘れて当たり前、言い訳が事後やってきます。紙に書いた契約は絶対ですが。昔の儒教の影響が残っている社会で育った人間にはしばしば違和感が生じます。

B 三つの小さな壁を楽しむ
 私はアメリカに戻るたび大学の講座を取り、なにかリサーチをして学会発表などもやります。いまスペイン語に興味があって勉強しています。異文化共生がテーマの英文・和文の本も去年やっと出版できました。

4.鴨おばさんの地球千鳥足と三無:挑戦に適齢期なし

 四〇代からバック・パツカーとして諸国を一人で巡りました。夫とは旅の目的や興味の対象が異なるので別行動ですが、それぞれ自由に旅して地球の裏側のどこかで会いましょう、という旅が多いです。結婚二五周年にはカサブランカで会いました。四〇周年はサンチャゴで会いましょうと約束したのですが、うまく会えませんでした。

 最初の旅はインドでした。安いエジプト・エアーを使ったら荷物をカイロまで持っていかれて一週間後でないと飛行機が戻って来ないというので僅かなお金とパンツひとつで一二日間インドを巡りました。ここで英語が充分でないことを悟り本格的に勉強しようというきっかけになりました。ワシントンDCのホームレス、プリズンのような石室で働くモロッコのなめし皮職人、砂漠のただ中で「置いて帰るぞ!」と脅されたエジプト、濁流の真ん中で船を揺すられ、有り金毟られたチャオプラヤ川等、世の中からはみ出した人々や資本主義の構造についてもの思いつつ、トルコや他の国々では多くの人の手に温められ、心の交流を重ねてきました。見出しに三無と書きましたが、一人旅では「あてにしない、あわてない、諦めない」という三無を心に言い聞かせて歩きます。よたよたと千鳥足で。

5.自己実現と共生活動の交点

 目標がありそれに向かって努力していけばいつか達成できるものだと思っています。シニアになっても遅くはありません。夢や目標をもってチャレンジされることをお薦め致します。また、自分のための自己実現努力だけでも結構ですが、それ以外に他の人、他のグループ、他の国、異文化、等、自分以外のために活動することも大変意義があります。他の人や他のグループのために働くことは共生活動です。二つの線の交点には両方ありますね。自己実現活動と共生活動の交点、つまり両方の活動を行った人はにっこり笑って死ねると思うのですがどうでしょう。

 壁は誰にもあります。良いことばかりの人生というのはありません。私の人生訓は人生は壁乗り越える泣き笑いです。

おわり
文責: 得猪 外明
会場写真撮影:橋本 曜 HTML制作:大野 令治