平成19年2月09日神田雑学大学定例講座NO346


「世界映画史講座」Vol.8 

ラストシーンを見れば・・・・終わりよければ全てよし





講師 映画史研究家 坂田純治






坂田講師 はじめに
今日の副題に、終わりよければ全てよしとつけましたが、1953年頃から「終」や「完」のエンドマークの無い作品が多くなりました。最近の映画は、映画は終わった筈なのに、クレジットにスタッフや音楽やプロデューサー、地域の協力者などの名前が延々と続く終わる傾向になっているのは残念です。作品のチョイスは、相変わらず私の独断と偏見によるものであることをご容赦ください。

では、邦画編。

「暖流」岸田国士の原作、吉村公三郎監督による(1939年)の作品です。この作品のほか戦後2回映画化されております。当初(昭和14年)新進気鋭の吉村公三郎は、撮影にあたり、配役には主役の佐分利信、高峰三枝子のほか石綿ぎん役には田中絹代という要望を出したのですが、松竹大船の所長城戸四郎は制作費の関係から承知せず、やむなく大部屋女優の水戸光子を起用しました。

ところが、この水戸光子が大当たり。作品もよく、キャストの配合も良かったが、水戸光子の好演によるところが多かった。病院の、働く階級、遊ぶことを生活にする階級との違いを際立たせた傑作となったのであります。制作後70年も経っているのに、監督の手腕、俳優の質、ラストシーンの素晴らしさから、本講座のトップに流すことに致しました。画面が古く、暗いのですがお許しください。

小学校の同級生である高峰三枝子、水戸光子の喫茶店での対話の場面、背景に御茶ノ水のニコライ堂がぼんやりと浮かぶ懐かしいカット。恩師の依頼で、主人公響雄三(佐部利信)は乱脈を極める島病院の建て直しを計る。石綿ぎんは看護婦として響のスパイの役。再建は急ピッチに進むが、島院長の娘島桂子は響に恋心を持つ。一方石綿ぎんも響と心が通う間柄となる。

湘南の海辺のラストシーン。恋を打ち明ける美しい島桂子。響雄三は結局石綿ぎんを選ぶと告げる。おめでとうと言いながら、寄せる波に涙を洗い、夕暮れの中を立ち去る桂子。
茅ヶ崎の海辺は果てしない。別れの曲にかぶる「終」のエンドマーク。 

「また逢う日まで」
昭和25年(1950年)監督 今井 正の作品。フランスの文豪ロマン・ロランの第一次大戦の悲劇を描いた「ピエルとロイス」を水木洋子が脚色、太平洋戦争下の美しい恋愛を発表した。当時、いたずらに左翼が反戦をがなり立てる世相に対して、美しい純愛物語を描くことで反戦の意思を表した作品であります。今井正監督は、プラトニックな愛情をもつ二人の口付けを、窓ガラスを挟む形にしたことで生なましさを避け、逆に深く印象づけた名シーンを演出しました。

私事ですが、水木洋子がこれを舞台用に戯曲化した本により、私ははじめて舞台に立ちました。私の、青春時代の忘れえぬ思い出であります。舞台の勉強のために、今井正監督、俳優の岡田英次先輩などから、色々とアドバイスを戴いたものです。

また逢う日まで 戦争に懐疑的な大学生田島三郎は、空襲警報で地下鉄に退避した折、偶然手が触れ合った蛍子と交際することになります。蛍子の家を尋ねたストイックな三郎は、愛する蛍子を抱くこともせず家を出る。折から降りしきる雪、彼女は窓際で彼を見送る。三郎は窓に駆けよってガラス越しに唇を寄せる。蛍子もそれに応える。
(これが、大変評判のシーンとなりました。)

三郎の出征の日、蛍子は三郎を見送るために新橋の駅で待ち合わせる。長い間待つていたが、空襲警報が鳴り、避難する間もなく、米軍機の爆撃が始まり、蛍子は犠牲になる。三郎も戦死する。戦争が終わって、三郎の父を尋ねる蛍子の母。若い二人の魂は永遠に結ばれた。そのポートレート。言うまでもなく、蛍子は久我良子、母は杉村春子。三郎は岡田英次。闇の中に消える「蛍子」と呼ぶ三郎の声。静かな女性合唱をバックに「終」の文字が、浮かんで消えた。 録音を聴く

カルメン故郷に帰る 高峰秀子「カルメン故郷に帰る」
この映画は1951年、木下恵介監督の作品。わが国最初の総天然色映画であります。撮影は困難を極めました。当時、富士フィルムのカラープリントの生産本数が非常に少ない段階であったため、映画製作に十分な量が揃わず、モノクロと併用になりました。もし、失敗したらという気持ちもあったのでしょう。

しかし、カラー作品は成功しました。叙情作家の木下恵介は笑わせたり、ほろりとさせたり、秀逸な作品となりました。以来、木下恵介と高峰秀子の名コンビが誕生し、その後多くの名作が作られたのはご承知の通りです。

浅間山の麓で牧場を営んでいる家の次女、青山キンは小さい時に牛に頭をけられて以来、少々おつむがおかしい。早々と家出をして、今は東京でリリー・カルメンという名の自称芸術家、実はストリッパーとなっています。このカルメンが仲間のマヤ・明美を連れて故郷に帰ってくると、村中は大騒ぎとなる。果たして、カルメンは、マヤは?
リリー・カルメンは高峰秀子、相手役の明美は小林トシ子。
いよいよ東京へ帰る貨物列車でのお別れパーティで盛り上がる一行。
蛍の光が明るく勇壮に奏でられるラストシーン。手を振って見送る村人たち。浅間の山も微笑むエンドマーク。

生きる 志村 喬「生きる」
1952年、黒沢明監督。主演 志村 喬。
市役所に勤める渡辺勘治(志村喬)は日々無気力に過ごしていましたが、ある日自分が胃ガンで余命が少ないことを知る。絶望の果てに、自分の無意味な人生に愕然としていた時、奔放に生きる部下のとよ(小田切みき)と出会い、力強く生きる姿に心を動かされる。

そして無意味に感じていた自分の職場で意味を見つけ、「生きる」ことの意義を取り戻す。黒澤監督の指示で夜、雪の公園のブランコで歌う「ゴンドラの唄」を、ラストシーンに代えて上映いたします。助演、小田切みき、俳優座の養成所の生徒から抜擢され映画演劇に活躍ましたが、昨年末亡くなりました。

「東京物語」1953年、小津安二郎監督。
小津はこの作品について、親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描きかったと述懐しております。小津作品のなかでも「晩秋」「麦秋」につぐ最高傑作と伝えられる映画です。特にフランスの映画界では、高く評価されております。

尾道に住む平山周吉70歳(笠 智衆)と、とみ67歳(東山千栄子)が、東京で暮らす子供たちの所へ旅をする話です。東京で病院を営んでいる長男幸一夫婦(山村聡、三宅邦子)や美容院をやっている長女志げ(杉村春子)、戦死した次男昌二の未亡人で28才の紀子(原節子)の所に遊びに行きます。しかし子供たちはそれぞれの生活、仕事を持っており、なかなか老夫婦の面倒を見ることができません。そこで、熱海の安宿を探してそこへ老夫婦を送り込むのですが、団体旅行の宴会で騒がしくて夜も寝られず、二人は疲れて逃げ帰ってきます。


原節子、杉村春子、笠 智衆


唯一東京見物につきあってくれたのは、血のつながりのない戦死した次男昌二の未亡人紀子(原節子)でした。それでも二人は、元気で働いていている子供たちを見て安心して東京を去ります。しかし とみが帰りの列車の中で体調を崩し、尾道に帰ってから死去します。子供たちは”母危篤”の電報で尾道に呼び戻される。葬式の後、子供たちはそれぞれの仕事に戻っていきます。あとに残ったのは次男昌二の未亡人紀子だけでした。

「妙なもんだ。自分が育てた子供たちよりも、他人のあんたの方が私たちに良くしてくれた。いやー、ありがとう」と周吉がつぶやく。舅の笠智衆と、嫁の原節子の間に、交わされる情愛溢れたねぎらいの会話。その言葉に、小津安二郎は、日本の家族制度の崩壊を暗示したのであります。瀬戸内に日が暮れて、海からかすかに汽笛・・・・・・・。「終」

24の瞳 高峰秀子「二十四の瞳」
1955年、木下恵介監督、高峰秀子の名コンビの作品。夫繁治とともにプロレタリア文化運動に尽くした壺井 栄の映画化であります。
リリシズムの本領を余すところなく、詩でもなく、絵でもない、情だけに訴える表現力を発揮した作品。内に力ある者の横暴への怒りを込めた名作であります。

瀬戸内の小豆島の分教場へ、師範科を卒業したばかりの大石久子先生が着任します。担任したのは、12名の1年生のクラスでした。自転車で通う元気なモダンガールでしたが、生徒のいたずらで骨を折ったりする事故も経験する。また、柳行李の弁当箱を恥ずかしがる子には、バラ模様のアルマイトの弁当箱をあげたりする優しい先生でした。金比羅様への修学旅行で、家の事情で働きに出ている娘との偶然の出逢い。様々な境遇の生徒たちに、それぞれ暖かい手をさし伸べてゆく大石先生。

その大石先生も結婚し、3人の子の母となる。戦争は支那事変から太平洋戦争へと展開するが、状況は悪化し、教え子も、夫も戦死する。飢餓の中でわが子さえも失う。戦争が終わり、再び岬の分教場の教壇に立つ。戦死した男の墓訪うで、昔の教え子の次世代の子等を見ては涙ぐむ。それがために子供らに、泣きべそ先生とあだ名をつけられる。
昔の教え子たちが、大石先生の復職を祝おうと歓迎会をひらき、席上新しい自転車を贈る。

受講生「仰げば尊とし」の合唱からドラマは始まる。大石先生は担任クラスの名簿を一人づつ読み上げ言葉を交わすが、その子らの親を思い出しては涙に暮れる。ラストは再びスローテンポの「仰げば尊とし」の子供らの合唱が流れて終わる。涙、なみだ、・・・・・・・・。 録音を聴く

「夫婦善哉」
1959〜61年、豊田四郎監督。この当時、映画はわが国の国民的娯楽として黄金期を迎えました。そのさなか才人豊田四郎監督は、次々と文芸映画の佳作を発表します。原作は戦後無頼派の旗手のひとり織田作之助。京都生まれの豊田四郎監督、大阪生まれの安住敏男の脚本は、上方に対する愛着が限りなく凝集されていると思います。

大阪船場の化粧品問屋のぼんぼん柳吉。善良で人はいいが、生活能力は全くない。そして、やとな をしながら惚れ込んだ男との生活を支える蝶子との、愛情と愛欲のデカダンスの世界を描ききった作品であります。柳吉と蝶子の法善寺横丁のぜんざい屋でのやりとり。
「頼りにしてまっせ」という柳吉のセリフが当時の流行語となりました。
そぼ降る雪の中を肩寄せて、浮世小路を濡れて帰る二人。

人間の条件 新珠三千代、仲代達矢 「人間の条件」
1959〜61年、小林正樹監督。
ご存知の五味川純平の大ベストセラーの3年がかりの映画。全6部9時間20分の作品であります。自分は川崎の映画館で弁当持参、まる一日をかけて、これを見ました。
梶に扮するは主演仲台代達矢、その妻美千子は新珠三千代ほか当時の著名な役者という役者はすべて網羅した豪華キャストで固めた。

五味川純平の原作は、当初文壇では梶のヒーロー像が強すぎ、通俗性の多いメロドドラマ風の作品というような批評を受け、力作は文学的にはあまり評価されなかった。しかし、人道主義、妻美千子への限りない愛のモチーフを全面に打ち出した、小林正樹の映画の姿勢がさらに原作への重みを加えたということで、五味川純平の原作が改めて見直されたというエピソードがあります。

昭和18年、満州で鉱山会社に勤務する梶は、鉱山の現場で中国人の鉱夫を非人道的に扱うことに強く反発したために、直ちに職場を追われ、召集によって北満州に派遣される。軍隊の内務班では赤のレッテルを貼られて、イジメに等しい軍隊生活を過ごす。新妻美千子が面会に訪れると、さらに周囲のそねみが拡大し、早朝銃剣術訓練では古年兵から滅多打ちにされてしまう。軍隊内部の不条理と暴力、乱脈の極。

映画は、梶に面会にきた新妻美千子と愛を確かめ逢う場面となる。梶は妻に裸になって窓際に立ってくれないかという。「見ておきたいのだ、君の身体を」。恥じらいながらも梶の前に立つ美千子。昭和20年8月、ソ連軍が参戦し、日本軍は壊滅する。捕虜収容所での屈辱と苦悩。辛うじて梶は捕虜収容所を脱走する。

梶は雪の広野を彷徨う。飢えと寒さに凍えながら、ひたすら歩く。何時の間にか街中に入り、目の前に屋台の饅頭が見えた。思わず手が出て饅頭にむしゃぶりつく。
「泥棒!お前は日本人。この野郎め」と中国人の店主。梶は逃げる。また荒野へ。
もう精も根も尽き果てた。愛する妻に呼びかける。「美千子。ここまで精いっぱいにやって来たことで許してくれ。この饅頭はたった一つのお土産だ」と、梶は美千子の懐に帰ってきた夢を見ながら、吹雪の荒野に果てる。終  録音を聴く


椿三十郎 三船敏郎「椿三十郎」1962年、黒澤 明監督。
「わが青春に悔いなし」「酔いどれ天使」「生きる」などの名作を次々発表してきた黒澤監督は、1954年に「七人の侍」「蜘蛛の巣城」「用心棒」などの時代劇路線で、従来の時代劇の型を破ったリアリズムによる作品を撮り続けたのですが、この「椿三十郎」はその路線の5作目に当たります。

主人公椿三十郎の風体は「用心棒」の続編とも考えられます。浪人者の一編でありますが、ラストシーンの決闘場面には、目を見張るものがあります。

原作は、山本周五郎の「日々平安」。旅先でひょんなことから九人の若侍の蜜謀を耳にした浪人椿三十郎が、彼らに加担することになります。若侍はお家を想う革新派の集団ですが、そのやり方が危なっかしくて見ていられない。その仲間に加わって、彼らを巧みに誘導して、ついに悪家老室戸半兵衛(仲代達矢)を切り、お家騒動に終止符を打つ。
「あばよ」と坂道を大股 で下っていく椿三十郎の後ろ姿.・・・・・・終。

「飢餓海峡」1964年、内田 吐夢監督
1954年9月26日、青函連絡船洞爺丸は折からの15号台風によって転覆し、1000人以上の死者を出しました。原作者水上勉は、これを昭和22年9月20日に置き換えた。すなわち、函館の向かい側の岩内で質屋から放火とおぼしい火事が燃え広がり、岩内全町が焼きつくされる事件があった。この質屋から数名の惨殺死体が発見され、さらに大金が盗まれている。そして犯人らしい二人組みは駅でもう一人の大男と待ち合わせ、三人は列車で逃亡した・・・・・この二つの惨事を結びつけて大作飢餓海峡を発表したのであります。

飢餓海峡 三国連太郎 一方、層雲丸の犠牲者の遺体は船客名簿より2体多く、引取り人もなかった。この岩内の大火と層雲丸の二人の遺体の裏には何かがあるのではないかと、疑ったのは函館警察署の刑事弓坂吉太郎(伴淳三郎=喜劇役者ばんじゅん)であります。岩内の駅から逃走した三人目の大男犬飼太吉(三国連太郎)は、対岸の大湊で娼婦すぎと八重(左幸子)に親切にしてもらう。犬飼太吉はそのお礼に新聞紙に包んだ大金をすぎに渡して消える。

10年後舞鶴に住む大実業家樽見京一郎の写真が新聞に出る。それを見た八重は犬飼太吉であると直感して、10年間大切に取っていた男の爪と新聞紙を持って京一郎を訪ねる。京一郎はあくまでも白をきり、八重は扼殺される。弓坂刑事のするどい追求にのらり、くらりと身をかわしてして樽見京一郎は、北海道へ行けばすべてが判るという。その連行中に青函連絡から津軽海峡に身を投じる。ボ――――ッと汽笛がなり、終。

「幸福の黄色いハンカチ」1977年 山田 洋次監督。
監督山田洋次の本職は落語作家で、映画づくりはアルバイトと常々豪語していた。その彼が「男はつらいよ」の全48巻中の第18巻21巻まで、その3作の合間を縫って作って、この年のベストワンに輝いたのがこの作品であります。山田監督は1970年に「家族」といういい作品を作っております。また、第8作から第10作の間に「故郷」という秀作を作っているのですが、この実績は山田監督の多才ぶりを物語っています。
アメリカのボーカルグループが歌うレパートリーをアレンジして、実話風の物語としてリダースダイジェストに発表したコラムニストのビート・ハミルに触発されたのが、この映画制作の発端となりました。彼自身の脚色も行っております。

島勇作(高倉 健)は九州筑豊の鉱山が閉鎖されて、北海道の夕張の鉱山で働くことになった。生協のスーパーでレジを勤めている光江を見初める。光江は結婚歴があるけれど、それでもよければと、承諾する。赤ん坊が出来たと喜び合う二人。しかし、光江は流産してしまう二度目の流産と判って勇作はショックを受け、街へ飲みに出かける。そこで、チンピラと喧嘩になり、相手を殺してしまう。

数年の刑期を終え、出所した勇作は偶然知りあった若い男(武田徹哉)と朱実(桃井かおり)と三人で旅をする。若い二人はぜひ夕張へ行くべきだと勧める。「いい相手がいたら再婚してくれ。もし俺が戻っていいなら、鯉幟の竿に黄色いハンカチを結んでおいてくれ」と勇作は出所直前にハガキを出したのだが、勇作は中々ふんぎりがつかない。


黄色いリボン 高倉健、賠償千恵子

光江は苦労の末、再婚したろうか。それとも、竿に黄色いハンカチが結ばれているか。
三人を乗せた紅いレンタカーは、夕張に向かってひた走る。車は夕張の街へ入る。
若い二人が先に、竿の先の黄色いハンカチを見つけた。
「勇さん!見て。黄色いハンカチだよ」
そこには、黄色いハンカチが満艦飾にはためいていたのである。終  録音を聴く




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文責 三上 卓治
会場写真撮影 橋本 曜
HTML制作 和田 節子

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