神田雑学大学定例 平成19年3月9日 講座No350


映画のラストシーンを楽しむ・アメリカ編−1



マルタの鷹、明日に向かって撃て、荒野の決闘




講師 坂田純治





1.はじめに
今回は時間も限られていますので、アメリカ映画の真骨頂を矢継ぎ早にご紹介してアメリカザッツエンターテイメントのような編集でお見せしたいと思います。アメリカ編の第一回目です。重厚な作品、ドラマチックな作品は来月第2回目として行います。では用意して来ました12作ほど見ていただきましょう。まず最初は、アクション映画から入ります。トップにご覧いただきますのは「マルタの鷹」1941年ジョンヒューストン監督です。世にハードボイルドという言葉が誕生したのは、いったい何時ごろで、どんな作品からだと思いますか?

この「マルタの鷹」が出版されたのは1930年ですから、作者ダシェル・ハメットの名声が一気に上がったとすると、この「マルタの鷹」あたりが原点と言えるかもしれません。それまでに映画化も2回されており、このジョン・ヒューストンの作品は3作目になっています。ジョン・ヒューストンはシナリオライターだったんですが、この作品で監督として初演出いたしました。初めこの作品に出演を要望されたのはジョージ・ラフト、あるいはポール・ムニ、この方々は大変な大スターたちです。ところが2人とも初演出のジョン・ヒューストンを不安がったんですね。それでギャングスターで脇役だったハンフリー・ボガードが初めて抜擢されました。

マルタの鷹 かれは見るからにハードボイルド的な役者ですから、彼はこの私立探偵サム・スペードの役を見事にこなしましてスターの仲間入りをするわけです。記念すべき作品です。彼の出世作といえます。この2年後1943年に彼はみなさん良くご存知の「カサブランカ」をバーグマンと一緒に撮り、更に大スターに躍進するのです。
(ビデオスタート)
 
16世紀スペインの皇帝からマルタ島を与えられた当時の騎士団が、忠誠の印として皇帝に献上した鷹の置物をめぐる話なのですが、実はこの鷹は偽物だったということで、この連中は新たな本物を求めて探しに行こうというのです。

この窃盗団の頭、メルギーダは女なんですね。メアリーアスターが扮しております。女性が一番の悪なんですが、色仕掛けでサム・スペードに助けてくれと懇願するのですが、彼は耳を貸しません。スペードは非情にも警察に彼女を引き渡すのです。ラストシーンで、この女性がエレベーターで刑事に囲まれて連れられて行きますけれど、この時のサムスペードの非情な顔、エレベーターの扉が丁度、監獄の格子のようにしまっていく、こんなところをご覧下さい。

次は1951年の作品でセシル・B・デミル監督の「サムソンとデリラ」です。
サムソンとデリラ
スペクタクル映画の監督セシル・B・デミルといえば戦前から「平原児」だとか「大平原」など娯楽大作の巨匠としてヒット作を連発、どんなに金をかけても安心して任せられるとハリウッドの資本家たちが、ちょうど現在のスピルバーグに対するような信頼を寄せていた人です。戦後も「地上最大のショー」あるいは「十戒」、それとこの「サムソンとデリラ」など我々の眼を大変楽しませてくれた監督です。この「サムソンとデリラ」は旧約聖書からの引用でありまして、怪力の勇者サムソンと美しい悪女デリラの愛憎の物語であります。

同時代イスラエルはペルシャの圧政に苦しんでおりまして、イスラエル側にはリーダー的な存在として怪力無双のサムソンがおりましたが、彼はなぜか彼を慕うイスラエルの部落の娘を寄せ付けずペルシャの娘にあこがれておりました。しかしその娘が騒乱の中で死んでしまいます。その娘の妹で彼を誘惑するのが美女デリラであります。ペルシャの方は力ずくではとてもサムソンを屈せさせられないと、デリラの魅力にサムソンを捉えさせることに成功します。

目を焼いて盲目にし、サムソンの神通力の源泉である毛髪、頭の毛ですね、それを刈ってしまい彼を無力化し、市民のさらし者にしていたわけです。しかし時が流れて毛髪は元の姿に戻って、サムソンは神の啓示を受け、ペルシャを敗北させようとします。この1951年という年は日本の「羅生門」がアカデミー賞外国映画賞を受賞した年でもあります。

俺達に明日はない 次は「俺たちに明日はない」。1967年アーサーペンの監督です。1964年アメリカの雑誌記者のデビット・ニューマンと、ロバート・べントンの2人は親友同士で大の映画好きでありました。当時のハリウッドが今や精彩のないことを憂いまして、フランスで数年前に起こったヌーベルバーグの鬼才、ジャン・リユック・ゴダールとかフランソワ・トリュフォなどの力を借りたいと2人合作の「俺たちに明日はない」のシナリオを起しました。俳優のウオーレン・ビーティ、この映画ではクライドを演じました、かれもこの二人の活動に加わりまして、クゴダールやトリュフォと接触しましたが、けっきょく監督はニューヨークの演劇畑のアーサー・ペンに依頼することになりました。2年がかりで公開されることになりました。それがこの作品です。従来のハリウッド映画の公式、慣習、検閲などの世界から解放され、最後に87発の銃弾を浴びたラストシーンのリアルさなどでこれはニューシネマと名づけられました。

強盗犯として刑期を終えたクライド・バローは、詩だけは好きだという蓮っ葉な娘ボニー・パーカーと知り合い、二人で雑貨商荒らしなど小悪事を働いているうちに銀行に目をつけます。運転係のモスやクライドの兄夫婦なども仲間に加わりまして、バロー一味として南西部一体の銀行を荒らしてまいります。あるとき彼等は捜索中の町の保安官を捕らえまして、散々の侮辱します。これがその保安官や警官たちを一層刺激して捜査はますます厳しくなります。まず一味の泊まった安ホテルが急襲され、兄のバックは瀕死の重傷、その妻ブランチは目をやられてしまいます。3人は命からがら逃げますが、そのあと密告によりまして、町での買い物から車で帰ってきたボギーとクライドの2人は警官たちの87発の銃弾を浴びてまるで死のバレーを踊るようにして絶命します。

クライドを演じたのがウオーレン・ビーティ、シャーリン・マックレーンという女優さんの弟です。ボニーを演じたのがフェイ・ダナウェイの出だしのころです。87発という数は警官たちの撃った弾の数ではなくてこの二人の身体に入った弾の数だそうです。めった撃ちですね。この作品は1967年でございますが、この年の撮影賞のアカデミー賞を受けております。

駅馬車 次は西部劇に行きましょう。初めはウェスタンメドレーでの古典の3部作をメドレーでご覧にいれましょう。まずこれは1939年の「駅馬車」、ジョン・フォード監督ですね。インディアンの駅馬車襲撃、騎兵隊の救援、あばずれ女とカーボーイの恋、古典的なフォードの世界です。ご覧下さい。騎兵隊が救援してインディアンの襲撃から辛くも助かった後ジョン・ウェインは街で悪党と決闘して勝って、保安官が情けで逃がしてやる、それに女がついて行くというラストシーンです。

荒野の決闘 次は1946年大戦直後です。ジョン・フォードの
「荒野の決闘」
です。西部劇史上であまりにも有名なOK牧場の決闘を描いております。ワイアット・アープと助っ人ドク・ホリディ、これは先ほどサムソンを演じておりましたビクター・マチュアです。このクラントン一家という、

まあ悪徳の親子との決闘です。清らかで美しいクレメンタインへのワイアット・アープのほのかな慕情をも描いて戦後のウェスターンとしては秀作でありました。このワイアット・アープは名優ヘンリー・フォンダです。ドク・ホリデーは結核なんですね。このOK牧場の決闘で倒れたことになっています。

真昼の決闘 3作目が1952年「真昼の決闘」です。第2次大戦後ハリウッドを襲った赤狩り、いわいるマッカーシー一旋風は大変な犠牲者も出しました。そのころ傾向的西部劇、あるいは思想的西部劇というのがはやりました。フレッド・ジンネマンはそれを背景としながら、お礼参りに街にやってきた悪党一味と彼等を以前捕まえた保安官の戦いを描きました。保安官は街の人に助力を求めるのですが、

皆恐れを抱いて助けようとしません。結局一人で3人の悪党に立ち向かうゲーリー・クーパーの名演技、アカデミー男優賞をとりました。「ハイヌーン」というD・テイオムキンの作曲も大変評判になりました。テックス・リッターという歌手が歌ってヒットしましたね。まだこのころはエンドマークが出ていますね。

シェーン 次の西部劇は「シェーン」です。1953年巨匠ジョージ・スティーブンスの監督です。去勢されたニューロテックウェスタン作品群の中にあって、西部劇の原型を復活させたと言われた問題作でした。ワイオミング州のグランド・ティートン・マウンテンズを背景にしまして、ビクターヤングのシェーンのテーマも評判になり、叙情豊かに目に残っております。強欲な牧場主に土地を追われているスタットン夫妻とその一人息子、そこにわらじを脱ぎ一宿の世話になった早撃ちガンマン、シェーンが一家の為、善良な開拓民のため再び銃をとる。
ガンマンは墓地への死滅の道を登っていくだけだと言っています。

明日に向かって撃て 次が1969年作品で「明日に向かって撃て」、ジョージロイヒル監督の作品です。1969年といえばもう西部劇なんか作られなくなった時代ですね。20世紀の幕開け直前が背景です。主人公のブッチこれはポール・ニューマンが演じています。サンダースは相棒ですね。これはロバート・レッドフォード、この2人を首魁とする大列車強盗が出没します。列車強盗は成功しても鉄道会社の追跡は執拗をきわめ、ついに2人は南米ボリビアに逃げるのですが、そこでも2人はボリビアの政府軍に発見されて一斉射撃を受けて死んでいくわけです。

この実話を軸にこの監督ジョージ・ロイヒルは残酷性とか悲壮感を避けまして、ソフトなコメディタッチでこの作品を作って降ります。今流れている曲、「雨に濡れても」バート・バカラックの主題歌で無邪気な曲で楽しいですね。この年の作曲賞と撮影賞を受賞しております。

この「明日に向かって撃て」と先ほど映しました「シェーン」、この2本は今迄作られた西部劇の中で、女性観客動員数が最も多かった作品と言われています。シェーンのアラン・ラッドの美男子ぶり、あるいはこのポール・ニューマンやロバート・レッドフォードの個性が評判になったんでしょうね。西部劇でこういうストップモーションで終わらせるというのはめずらしいですね。余談になりますが、この左側のブッチ、彼が20年後くらいにどこかで生きていたという話があるのです。

ライムライト 今度はアメリカ映画では一本は入れなくてはならない、チャップリンの「ライムライト」です。この映画は1952年に作られましたが、この作品はアルコールにおぼれて死んだ寄席芸人だったチャップリンのお父さんの姿がうかがえると言われています。チャップリン一流の人生哲学を随所に見ることが出来る作品です。乙女テリーを力付けようとして有名なセリフを残しております。例えば「人生は素晴らしい、なによりも大切なのは勇気と創造力、それに少しの金だ」。零落した寄席芸人キャルデロはある日、急性関節リュウマチにかかって絶望して自殺を図ったバレリーナのテリーの命を助けます。

老いと若さの交代。人生の輪廻の哲学を伝え、テリーを成功に導きます。往年の名コメディアン、バスター・キートンと二人で一世一代の芸を最後にテリーの成功を見つめながら死んでいくシーンです。かれはマッカーシー旋風のなかで嫌気がさしまして、この作品を最後にヨーロッパに去って生きます。その後20年彼はアメリカの土を踏んでいません。20年後に82歳で現れます。アカデミー協会は彼に名誉賞を贈ります。またその年に初めて、制作されてから20年後にアメリカで公開された「ライムライト」には作曲賞を贈っております。

次は1934年制作の「コンチネンタル」、マーク・サントリッチの監督であります。1933年ブロードウェーのミュージカル、「空中レビュー時代」でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビで始めて映画に出演しました。脇役でしたがこの2人が大変人気を博しまして、この2人を主役にすえて撮りましたのがこの「コンチネンタル」であります。とにかくこの二人の息のあったコンビの良さは絶妙でアステアもジェーン・パウエルとかリタ・ヘイワースとか色々な女性とコンビを組むんですが、だいたい一本くらいで解消してしまうんですね。ところがこのジンジャー・ロジャースとは10本も撮っております。

ジンジャー・ロジャースはシリアスドラマがやりたいといって、一時かってのコンビが無くなってしまうのですが、戦後1947年「ブロードウェイのバークレイ夫妻」という作品で二人のコンビが復活しそれが10作目です。とにかくアステアのダンスとジンジャー・ロジャースとの息のあったコンビ、これは当時は殆どRKOという会社の作品ですが、ドル箱だったですね。

このアステアとジンジャー・ロジャースのダンス映画は、後年はアービング・バーリンの曲が主に使われましたが、まだこの頃はコール・ポーターの作曲です。ジンジャー・ロジャースはこの後、日本題名で「恋愛手帳」という作品でアカデミー主演女優賞をとるまでになり、シリアスドラマがやりたいという望みも成功しています。アステアも晩年は踊れなくなってからは脇役でシリアスドラマに出ています。「渚にて」、「タワーリングインフェルノ」など出ていますね。

イースターパレード これは1948年の作品「イースターパレード」、です。チャールズ・ウォルターズド監督です。
フレッド・アステアに比べてアクロバチックでモダンバレーの要素の強いポストアステアと言われた、ジーン・ケリーというダンサーが戦争中から戦後に出て、ジュディ・ガーランドとジーン・ケリーのコンビを考えていたメトロがこの映画を企画したのですが、ジーン・ケリーが足を怪我してしまい急遽アステアにお鉢が廻ってまいりまして、アステアとジュディ・ガーランドのコンビの映画になりました。今ご覧頂いているのはアステアが恋人の為に買おうと思ったウサギの玩具を坊やがどうしても俺のだといって離さない。それでなんとかごまかして自分の手に入れようとアステアが踊るシーンです。このナンバーはドラムクレイズィというタイトルのものです。
ダンスのパートナーから突然コンビの解消を申し入れられたアステアは大弱り、それで全くのズブの素人みたいなハナ・ジュディ・ガーランドを見出してどうにか一流のダンサーに仕立てます。この人も振り返るようなトップスターにまでのし上がったハナ・ジュディ・ガーランドです。

踊る大ニューヨーク 次は1951年監督はスタンリー・ドーネンの
「踊る大ニューヨーク」ジーン・ケリーの主演作品です。ニューヨークでの24時間を舞台にしています。これはニューヨークのゴダイ博物館のシーンです。踊っているのは、先ほどのイースタンパレードでは姿を見せませんでしたが、アン・ミラー、やはり名ダンサーですね。まさにタップですね。

これがポストアステアのジーン・ケリーです。ジーン・ケリーはこの作品の後自分で企画しまして、「パリのアメリカ人」という大変アカデミックなミュージカルを作っています。これはブロードウェイのミュージカルの舞台を映しています。まだエンドマークが出ていますね。

コーラス ライン さていよいよ今日の最後です。ちょっと新しいところで「コーラスライン」、1985年俳優出身のリチャード・ハッテボローの監督であります。1975年ブロードウェイで幕が開きまして、ロングラン記録を更新しておりますミュージカルの完全映画化であります。日本でも劇団四季が、このミュージカルをとり上げておりますね。

オーディションを控えて、踊りに青春の全てをかけるダンサーたちの明日のスターを夢見た一途な姿を描いた作品です。いわいるスターは使っておりません。しいて名を挙げれば、演出家役になったマイケル・ダグラス、彼はカーク・ダグラスの息子ですね。あとは全部若手のダンサーたちですね。

まあ、今日はアメリカ映画のエンターテイメントとしての一端を楽しんでいただきました。この映画は、エンドマークはありませんのでこれで終わりにさせていただこうと思います。

(拍手)終わり


※ 上映作品の製作配給会社  ※ 参考文献出版社
M.G.M 講談社
20C.FOX 新潮社
W.B 中央公論社
PARAMOUNT 岩波書店
R.K.O 秋田書店
U.A キネマ旬報社ほか
東宝東和 他


坂田講師 学位授与式のページへはこちら




文責 臼井良雄
会場写真撮影 橋本 曜
HTML制作 和田 節子