神田雑学大学 平成19年3月16日 講座No351


世界の日時計・日本の日時計の始まり

講師 東京造形大学教授

日時計作家 小野行雄





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はじめに

日時計の仕組み

世界の日時計を訪ねて



1.はじめに

 私は日時計を始めて15,6年になります。それ以来、日時計を求めてあちこち行ったり、調べたりしています。日時計は子供の教育にもとても良いのではないかなと思っています。太陽を見ながら時間を知るということ、太陽の恵みが地球に届いているということを五感で実感できると思います。また、自分自身が楽しめるものでもあります。大学での担当は実習科目が中心で、学生に作らせる授業を担当していますので講義には慣れておりません。お聞き苦しい事もあると思いますがよろしくお願いします。  

今日は3月16日ですので、五日経つと春分になります。春分というのは1年の中でも特異な日で、ご存知のように昼の時間と夜の時間が等しくなるという日です。春分は二十四節気の一つです。このような概念は中国から来たのでしょうが、ほかに大寒とか小寒とかあります。二十四節気は、太陽の動きを基準にして一年間を24等分に区切るわけです。約15日毎に様々な節気が訪れます。これは農作業にとってとても重要です。

年・月・日の"年"というのは地球が太陽の周りを公転:一回廻ることで決まり、"月"は、ちょっと正確ではないかもしれませんが月が地球の周りを公転:一回廻るので決まります。"日"は地球の自転で一回転、太陽が昇って沈み、また昇るそこまでを一日というわけです。そして一日の中で特異な時というのは、陽が沈む時、陽が昇るとき、それから天頂にあるとき、南中とも言いますね、こういうのが特異な時です。それを江戸時代は"明け六つ"とか"暮れ六"つといいました。"明け六つ"というと今の時刻でいうと午前6時(午前5~7時)、暮れ六つが午後6時(午後5~7時)です。(春秋分の頃)

「♪♪お江戸日本橋七つ立ち、初上り、行列揃えてあれわいさのさ、こちゃ高輪夜明けて提灯消す、こちゃえこちゃえ♪♪・・・」という歌をご存知と思いますが、"明け六つ"が6時ですから七つは4時頃ですね、正確には3時から5時ころまでの間が"七つ"という時刻です。この歌から、日本橋を陽が上る前に出立して、高輪で夜が明け、提灯を消して"明け六つ"になるわけです。

日本橋から高輪までは7Kmほどあります。歩いて丁度2時間:一刻なのですね。江戸時代はこのような時刻制度を採用していました。ですから冬の日中の時間と夜の時間は長さが違うわけです。"明け六つ"はその名のように太陽が昇らないと六つにはならないわけですね。夏は昼間の時間が長く、冬になると昼間が短くなってしまいます。このように江戸時代は明るいうちの屋外作業に適した時刻制度だったのです。


2.日時計の仕組み

    

朝、太陽が東から昇り、南の空を回って 夕方、西に沈みます。夜、太陽は地面の 下、裏側を回って再び西の空に現れます。 1回転=360°360°÷24(時間)=15°
1時間=15°(みかけの様子では・・・)
ここで日時計の基本的な仕組みを簡単にお話ししたいと思います。  日時計の形式には二種類あります。まず太陽の方位を見て時刻を知るという形式、先ほどいいましたように東から昇って西に沈む、180度あるわけですが、それを12で割ると1時間で、太陽は15度ずつ動くことになります。

それを捉えたタイプです。真南に太陽が来た時を12時とします。公園にある日時計はほとんどこのタイプです。この斜めの線または面(中央の三角形の斜辺:ノーモンといいます)が北極星を向くように作り設置しますので、角度はその土地の北緯角です。こうしますと、斜めの線は地軸と平行になります。

 もう一つは太陽の高度で時刻を知るというタイプです。夏至の頃の太陽は一年で最も高いわけですが、正午は東京で79度くらいになります。太陽が真上にあって自分の影が足の中に入ってしまうような感じになります。学生の頃、校庭で体育の時間に整列すると、夏休み前の時期など、昼頃は太陽の光が頭の上から射しましたね。そういうような状態です。

このように月毎に違う太陽の高度を利用して時刻を知る日時計です。この日時計はシリンダー型とか円筒型といって周囲が12等分割(または7分割:6月、5・7月、4・8月、3・9月、2・10月、1・11月、12月)されています。円筒を回転して、それぞれの月に合わせ、棒の先の太陽の影がどこに来るかで時刻が分るようになっています。一番下の方が12時、次からは午前午後のダブル表示で1・11時、2・10時、3・9時、4・8時、5・7時、6時となります。


3.世界の日時計を訪ねて

  

 ここで世界の日時計を訪ねて見ましょう。  これはスイスのザンクト・ガレンというオーストリアに近い街に行ったときに見た日時計です。ここの家族がこの日時計を作りました。新しいものです。ヨーロッパでは、その国の日時計協会がありまして、その協会が自国の日時計カタログを出しています。或る時に、たまたまその1ページのコピーを入手しまして訪ねました。

 バーゼルの街のなかにある日時計です。家畜などの水飲み場を兼ねた辻の小さな広場にあります。午前中に主に陽が当たる日時計で、午後は影になってしまいます。   チューリッヒの近郊、"壁絵のある街"といわれているシュタイン・アム・ラインで見た日時計です。この街の広場を囲む建物の壁は全面フレスコ画が描かれており、その中に日時計があります。 

イタリアのティエーネというアルプスの南の小さな町に在住の日時計作家フィノーツェさんのお宅を訪ねました。これらはご本人が作られた日時計です。このお宅の玄関上の外壁にもあります。庭にも丸い日時計とか、地球型の日時計とか沢山置いてあります。

 こちらは同じくアルプスの南のブレッシアという大きな町で見た日時計です。小学生が卒業記念に作ったというのを見せてもらいました。児童たちが着色したタイルを貼り付けて、校舎の壁に日時計を作りました。訪れた時は、既に中学生になった卒業生たちがわざわざ母校の小学校に集まってくれました。イタリアの日時計協会のアニェーリさんが図面を画きました。この学校には他にも日時計があります。これはアナレンマティック日時計(影法師日時計)というものです。時刻と共に十二星座が描かれています。

これは1時、2時、3時、4時と同じです。中央に、月別に立つ位置があり、今頃ですと真ん中あたりになりますが、自分の影が指す方向、それで時刻が分かるというものです。それが校庭に描いてあります。 ブレッシアの郊外の日時計です。建物の正面と両翼、左右に日時計がありまして、最近作られたものです。ご主人はお医者さんをしていて、リタイヤした後はこの別荘に家族で住んでいます。設計はアニェーリさんです。
  

 これはミュンヘンの北東にあるランツフートのミッションスクールの中庭にある日時計です。マリア様がみどりごを抱いて杖を持ち、その棒の影が時刻を示すという日時計です。 次はミュンヘンの中学校の壁型日時計です。先生と生徒たちで作ったとのことです。残念ながら並木が邪魔をして、通りからはあまりよく見えませんでしたが、モダンですね。  ミュンヘンの旧市内にある日時計です。ロココ式の教会の隣の建物ですが、漆喰のレリーフ状になっています。太陽の光を受けて、キューピットが持った棒の影がローマ数字を示して時刻が分ります。とてもおしゃれな日時計です。

イギリス・ロンドンの日時計を紹介します。テームズ川に架かるタワーブリッジの傍にタワーホテルというのがあります。ロンドン塔の向かいになりますが、そこには直径が4mぐらいの赤道型日時計があります。また、この近くにタワーヒルという地下鉄の駅があるのですが、その地上の広場が日時計になっています。中央の三角板、名称としてはノーモンといいますが、斜辺は北極星を指しています。ロンドンあたりでは52度くらいになり、かなり立ち上がった感じになっています。

 これはグリニッヂの海事博物館南側の、1977年に作られたイルカの日時計です。二匹のイルカのしっぽが極めて接近し、このスリットを通った太陽の光が下の円盤の内面に当たって時刻を知らせます。彫刻的で芸術的な日時計です。半年毎(夏至―冬至、冬至―夏至)に円盤を替えて、時刻が読み易いスタイルになっています。

 次がオックスフォードの日時計でオール・ソールズ・カレッジにあります。とても大きいもので2m近くあります。1653年頃作られたようですが、丁寧にメンテナンスされていますので、カラフルでとても美しい日時計です。
これはコープス・クリスティ・カレッジで、中庭を囲んだ教室配置になっています。その中庭の真ん中に1581年制作の古い塔型の日時計があります。塔の各面を利用して日時計が複数作られています。南面、東面、西面そして上、後ろにも日時計があって、教室のあちこちから時刻が読めるようになっています。これもメンテナンスがとても良くて非常に美しい日時計です。

次はイギリスのエジンバラ、スコットランド地方になりますが、スコットランドの特徴として多面体の日時計があります。正十二や正二十面体など、多面体の各面に日時計が入っています。その設置場所の時刻のほかに、ロンドンの時刻、パリの時刻、ローマの時刻など、多面体を利用して世界の都市の時間は分るようになっています。

南に下がり北アフリカ・モロッコのメクネスという町にあるムーレイ・イスマイル廟の日時計です。白い大理石で出来ているので時刻の表示がちょっと見難いようです。左側にある正面入口を入り、暗いところを抜けて右側に行きますと中庭があります。中庭の左壁にこの日時計がありました。この日時計は廟の内陣を守る衛兵がちょうど見える位置にありまして、衛兵がこれを見ながら交代の時間を推し測っていたのではないかと思います。

これはインドの石造天文台:ジャンタル・マンタルにある日時計です。ニューデリーの中心街、コンノートプレースから南側に15分くらい歩いたところにあります。この日時計は複合観測機の中にセットされています。1724年ごろムガール帝国のマハラジャ、ジャイ・U世が設計したといわれています。このジャイ・シン・U世は星座占いに興味があり、当時最先端を行くアラビアの天文学を研究してこれらを作ったようです。

このジャンタル・マンタルはニューデリーを含めて、インドの五カ所に造られました。ここジャイプールもその1都市です。そこには黄道十二宮の観測機があります。てんびん座、双子座、かに座、射手座など、各星座が現在どこにあるかを観測しました。これらは日時計ではありませんが形状的には類似しています。



ここでの最大の日時計(赤道型日時計)はブリハット・サムラット・ヤントラで高さが約27mあります。 中央の三角形の斜線の影が両翼の四分儀に落ちて時刻が分かるという仕組みです。この半径15メートルの四分儀のところに時刻線が画いてあり、2秒まで計れるような目盛りになっています。

27mも上から落ちる影ですからかなりぼけるのではないかと思います。我々が街を歩いていて、電信柱の柱頭の影が地面に落ちるのを見ますとかなりぼけますね。どうやって計ったのでしょう。また、三角形の一番上のほうに風向とか雨などを観測する小屋があります。ここは1730年ごろに造られました。ジャイプール、またはデリーに行きましたら是非ご覧ください。

北京の故宮博物院(紫禁城)にある日時計です。太和殿と乾清宮と坤寧宮の三ヶ所、いずれも南テラスの東側にあり、形式としてはいずれもコマ型日時計で、丸い円盤に棒が立っているものです。棒の延長線上は北極星を指します。ちょうど今ごろ、春分になると棒の影が見え難くなります。

この円盤の面の延長線にちょうど太陽が入ってしまう為です。夏になると円盤の上面に、冬になると下面に棒の影が時刻を示します。三つの中で、太和殿のものが一番大きくて立派な日時計です。太和殿の南テラスに昇ったとき一番右手(東側)にあるのが日時計で一番左手(西側)にあるのが計量具で、体積を計る枡が置いてあります。物を計る基準と。時を計る基準が左右に分かれて置いてあります。これはお金、時、長さ、面積、体積というのは為政者が管理するのですから、その象徴として置かれたのではないでしょうか。







再びイタリアに戻りますが、私が日時計を是非見たいと思いイタリアに行ったきっかけの日時計がこれです。写真の上のほうはアルプスです。ここはアオスタという町ですが、ここの市庁舎に日時計があります。昔、或る本でこの写真を見てから是非行ってみたいと思っていました。この建物は左右対称になっており、左の方には普通の機械時計が置いてあります。右の方が日時計です。

このアオスタという町に着くと、まず本屋さんに行きました。日時計の本がないかと聞いたところ、この町の日時計の本を探してくれました。次にこの町の地図も購入し、本に掲載された日時計を地図上にマークしてもらい、日時計散策を開始しました。

隣の町セント・ビンチェントにはイタリア日時計協会のアンセルミさんが作った日時計があります。写真を撮ろうとすると、干し物をしていた奥さんがポーズをとってくれました。 次はアンセルミさんのお宅ですが、作家が不在で日時計だけを撮りました。 これはアグリツーリズモといって、日本での民宿に相当するものです。休暇を農家で過ごして農業体験をしたり、自然と親しみ、単に農家でぶらっとしていてもいいし、その地方の家庭料理などでもてなしてくれます。そのアグリツーリズモにあった日時計です。

ボローニャのサン・ペトロニオ教会にあるメリデリアーナと呼ばれる、正午だけを示す日時計です。この教会の床面に南北線が描かれていて、その延長上の屋根に小さな穴があるのですが、ここから太陽の光が入ってこの線上に落ちた時が正午です。このメリディアーナという装置はミラノの大聖堂にもあります。

ミラノの大聖堂に入りますと5mくらい進んだ床面に、左右に線が描いてあります、またぐようなかたちで皆さんは教会に入るのですが、この線の役目の一つは、穴から入る太陽光が春分の位置に来る日を知るためです。春分から数えて次の満月の日を迎えてから最初の日曜日がイースターになります。昔は、その日を決定する為に日々観測しました。







ボロー二アの北西、ビエッラという町の現代風の日時計です。団扇方をしていますね。この上には棒があり、太陽光を受けて、棒の影がスリガラスの面に映って時刻が分ります。ここはバスの停留所で、下から見上げて時刻が分るようになっています。 ここは修道院の回廊で、列柱の土台のところに小さな穴があります。そこに鉄棒を立ててその影で時刻が分るようにした日時計です。機械式時計は14世紀になって出来たものですので、それ以前は日時計を使ってお祈りの時間を決めたようです。

これも修道院の回廊なのですが、人が天井を見ています。天井面に線が描いてありまして、この線は時刻を表しています。ここの南側に鏡が付いていて、太陽の光が鏡で反射され天井にスポット光をつくります。それで時刻を知る、ちょっとおしゃれな日時計です。 これはイタリアの日時計作家フィノーツェさんの作品です。現代的なテーマで日時計を作っています。

昔のものはフレスコ画ですが、最近はペインティングが多いようです。ここにアンノ・ドミニ・MMTと描いてあります。Mはミレニアムで千ですからMM1で1000、1000、1となり2001年という意味になります。ヨーロッパではこのようなローマ数字の表示をしばしば使用します。 これはフィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会です。南面ファサードの東側に日時計があります。午前用、午後用など六つの日時計があります。

フィレンツェのポンテ・ベッキヨ橋は貴金属屋さんが並んでいるという橋で有名ですが、その真ん中に休憩所があります。そこで眼を上げてみますとこの日時計があります。ギリシャ・ローマ式の日時計です。棒の影が、縁の数字が描いてあるところに映り時刻が分ります。日本では京葉線舞浜駅のそばのイクスピアリという商店街の入口にもこれと同じ形式の日時計があります。 フィレンツェのシニョーリア広場、市庁舎とウィフィッツ美術館があるところです。この向かいの建物の壁に正午計があります。昔の機械時計は、気温の影響などで時の刻みの遅速がはなはだしく、市民はこの日時計で懐中時計などの時刻を合わせたそうです。


ここからは現代日本の日時計です。2000年に日本日時計の会が発足し、現在会員数は50人くらいです。そこでお話しするときの為に作った資料を紹介します。 これは日本日時計の会の会長さんで後藤さんの作品です。この方は奈良で"時の資料館"という施設を開いておられます。奈良町といって色々なミニミニ博物館があるところです。長らく帝塚山学園の教員をしていて、そこの天文台に作った日時計です。



これは日本まん真ん中センターという岐阜県の美並村、いまは郡上市になりましたが、この大きな建物自体を日時計にしてしまったというものです。 青山保育園の日時計です。先生が立っていますが、その影がさして石の数字が時刻を示すというものです。イタリアの小学校のアナレンマチック日時計(影法師日時計)と同じです。次は恐竜の首の影の向きで時刻を知る日時計です。周りに置かれた"たまご"が数字を表わしています。

上原さんという方はシチズンにお勤めなのですが、この方は精密な日時計を作ることに精進していらっしゃいまして、この作品は10秒程度の精度で時刻が分ります。大気差補正、すなわち太陽が昇る時、沈む時、光が通ってくる空気の層の厚みが変わりますから、光が屈折します。その屈折も計算に入れて日時計を作っています。素晴らしい精度です。



中央の小さな球体に太陽の光が当たり、その影が下の凹面部に射します。凹面部の"8"の形は均時差(平均時と太陽時との差:季節により±15分程度の範囲を動く)の補正を表わします。これは岐阜の小学校にあります。その場所の緯度経度に合わせて設計し、アルミの鋳物で作りますので、とても高価です。

これは小原銀之助さんの日時計です。戦後すぐに、教育的観点から日本全国400箇所くらいに日時計を作りました。基本的には水平型で、ノーモンの先に地球儀を配した形式の日時計です。小学校などに設置されました。
地球儀の傾きは実際の地球と同じ状態になっており、実際に太陽の光が地球に当たっている様子がこの地球儀でモニターできます。地球のミニチュアを作った訳です。現在はお子さんの照子さんが引き継いで制作しております。

関東の筑波学園都市と同じように関西には京阪奈プラザという学園都市があります。これはそのプラザホテルの前にある日時計で、ギネスブックにも登録されており、敷地面積において世界最大です。ここの棒も30mとかなり高いです。

これは新橋にあるウォーターデザインという会社が制作した彫刻的日時計です。この日時計は宇都宮の中央公園にあります。下の三日月型の面に時刻の数字を配し、中央に矢棒がありましてこの影が三日月に当たって、時刻を示します。均時差補正装置が付いています。 次は東武線の高野台駅前というところにある日時計です。同様にウォーターデザイン制作で、向かって左の部分が午前、右が午後の時刻を示します。
次からは私の作品です。私はどちらかというと楽しさ、面白さを求めて作っています。二面日時計は南正面がその場所の時刻(地方時)を示し、上の半円筒の部分は世界(アラスカからアラビアまで)の正午の時刻が分ります。

この日時計は、三鷹の天文台の玄関ロータリーにあります。全体のかたちは逆円錐形で、変形の赤道型日時計です。創立50周年記念の日時計は中学校の中庭に設置する関係で、ダイヤル部をスリガラスにして、前からも後ろからも見えるようにしました。 鳥のかたちを模した日時計は、背のところをノーモンにし、翼の羽一枚を1時間として時刻線を作りました。また、高等学校の卒業記念日時計は、平らなステンレスの板材に書籍のかたちをブラストして学府の雰囲気を演出してみました。

 皆さんに配布した"世界の日時計・日本の日時計"というタイトルのレジュメをご覧下さい。江戸時代の日時計についてお話ししたいと思います。 先ほど"明け六つ""暮れ六つ"という話をしましたが、
江戸時代の時刻表現には、子,丑、寅、卯、辰、巳・・・亥という十二支を配した言い方と、九つ、八つ、七つ、六つ、五つ、四つという呼び方があり、これは"四つ"まで来るとまた"九つ"に戻り、数字が逆に進みながら一日で二順します。

それは一説によりますと、九かける1が九、九かける2が十八、九かける3が二十七でそれぞれの一桁目をとって九、八、七にしたというものです。中国の陰陽説で、最大の陽数九を基準にしたという説です。

子の刻は夜の12時(11時~1時)、一日の始まりになります。怪談話で"丑三つ時"といいますが、丑というのは1時から3時までの間です。その一刻の間を4つに分けます。すると丑の三つですから2時から2時半の間が"丑三つ時"になります。他の言い方ですと"八つ時"になります。

江戸時代は太陽暦と太陰暦と両方併せて使っていまして、二十四節気というのは太陽暦なんですね。また、月の満ち欠けで日が分るようにしていたわけで例えば十五夜は十五日で、満月の日です。八日市とか十日市とか暦を知らなくても月齢をみれ分りました。日本は農業国だったわけですから、太陽暦の二十四節気を読んで種まきをし、夏至を知りました。両方を使っていたわけです。


(文責 臼井良雄)  会場撮影 橋本 曜  HTML作成 上野治子