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神田雑学大学 平成19年7月20日 講座No368

地球からの手紙・ミジンコ物語



講 師 矢島 道子 



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矢島道子さんプロフィール

地球からの手紙とはなんだろうか、

ヒルゲンドルフト巡り合う

日本の魚学の父―フランツ・ヒルゲンドルフ

日本ではじめての進化論の講義

まとめ

質疑応答


矢島道子さん写真

矢島道子さんプロフィール

理学博士、古生物研究者 
経歴 東京大学大学院理学研究科地質学専門課程博士課程修了、理学博士
現在 東京医科歯科大学教養部、千葉大学、早稲田大学法学部、立教大学、成蹊大学非常勤講師、NPO 地質情報整備・活用機構所属

著書:『地球からの手紙』国際書院、日本生態学会編  共著『生態学入門』東京化学同人、 共著『メアリー・アニングの冒険』朝日選書


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1.地球からの手紙とはなんだろうか、
ミジンコ・地球科学との出会い

今日は地球からの手紙と言う題でお話をさせていただきます。こういう題の本を93年に出しましたので、それから題名を採りました。 私はミジンコの化石をずっと研究してきました。私にとってはミジンコの化石が地球からの手紙です。私はミジンコの化石を通じて地球の色々なことを知りました。まずミジンコの話から入ろうと思います。ミジンコの絵を黒板に

みなさんミジンコってご存知ですか?小学校の時くらいに、水溜りの水を採ってきて顕微鏡で見る。そうすると色々な生き物が見えたと思うのですが、ミジンコと言うのはこんな格好をしています。 卵を背負いまして、腹側に胸肢があって、ここで呼吸します。

ここの第2触角、これで水の中を泳いでいます。だいたい1mmか2mmくらいの大きさです。実は皆さんは知らない間に見ていることが多いのです。水溜りをじっと見ていると点みたいなものがツー・ツーッ・ツーッと動きます。これがミジンコです。点みたいなものが上下に動くのはボウフラですから間違えないで下さい。

私は、田んぼから水を汲んできてビンに入れまして、その時にビンの底に1cmくらい土を入れてやるのです。それを入れておきますとミジンコは永久に生きています。どういうことかというと、ミジンコは殆んどが雌なのです。雄がいらない生活をしているのですが、自分で卵を背負っていて、卵が孵化して幼生が大きくなるとこれを外へ出す、そういう生活をしています。

ところが環境が悪くなると雄の卵を作りまして雄のミジンコを作ります。そして雌と雄で交尾をします。ミジンコは1mm前後の大きさですがプランクトンではなくてエビやカニの仲間で、雄も雌もある、そういう意味では高等な生物なのです。この雄と雌の交尾によって出来た卵は休眠卵といってカプセルに入った形になり、環境の悪い時にじっと耐えることが出来る卵なのです。

ビンの中に土を入れておきますと、その休眠卵は土の中でじっと我慢することが出来て、環境がよくなると孵化して幼生として泳ぎ出て来るのです。単に水だけですと休眠卵が逃げるところがない、水の環境が悪くなると卵も腐ってしまうのです。土を入れておくと、水が足りなくなったら水道水を一日くらい置いて、塩素を抜いてちょっと入れてやるだけで永久にミジンコを飼うことが出来ます。

わたしはもう10年くらいそうして飼っています。親心を出して餌とか葉っぱとか入れますと、かえって水が腐って駄目になります。ミジンコは何を食べているのかというと水の中にはもっと小さな生物がいまして、それを食べているのです。このDaphnia pulex(ミジンコ)を私は研究していません。ジャズプレーヤーの坂田明さんってご存知かも知れませんが、かれはこれの研究家でジャズとミジンコ画像のセッションなどを発表しています。

カイミジンコの絵を黒板に 私が研究しているのは同じミジンコの仲間ですが、化石になる甲殻を持っているカイミジンコです。カイミジンコの化石を回覧しましょう。白っぽい小さな点がたくさん見えますが、この一粒一粒がカイミジンコの化石です。どんな格好をしているかというとこんな格好です。

化石だとこの甲殻の部分しか出てきませんが、生きていときは第1、第2触角があって、また足があって歩きます。生きている時はこんな格好です。これは甲殻(貝殻のようなもの)を背負っていますからカイミジンコと言うのです。0.5mmから1mmくらいの大きさです。分りやすく言いますとハマグリの中にエビが入っているような形をしています。この殻の部分は石灰質で出来ていますので化石となって出てきます。

なんでこんなものの研究が行なわれているかというと、雑学大学で8月に猪間さんという方の石油探査の話がありますね。実はこのカイミジンコは石油を見つけるときに非常に役にたつのです。それで研究が進んだのです。

1920年代、石油を探していた時代、カルフォル二アあたりでどうやって調べたか、最初ボーリングして細いコアを採取します。コアを分析して石油があるかどうか探すわけです。そのときに石油そのものが出てくれば簡単なのですが、そんなに簡単ではない。

では何が出てくるかというとミジンコの化石が出てくることがあります。ミジンコの化石が出てくると、なぜかそこに石油がある、そういうことが経験的に分かって、そういうことでなカイミジンコの化石を調べるようになったのです。現在は化石で調べる方法よりも電気検層とか物理探査とかで調べるようになりましたが、1920年代にはカイミジンコ化石の有無で、掘るか掘らないかを決めていました。

現在でも、例えば中国の渤海湾石油はカイミジンコ化石を手がかりに堀当てたものです。私も頼まれて調べたことがあります。それから中東の石油は何だかんだ言ってもカイミジンコを調べています。さらに詳しくはどんな種類のカイミジンコが出るかで調べています。

このようにカイミジンコの研究は世界では石油の探査と結びついていました。日本では石油は非常に量が限られて場所も限定されていますから、日本でカイミジンコを研究しようと言うような人間はいなかったのです。ところが私の先生がアメリカでカイミジンコの研究をやって帰っていらして、カイミジンコというのは複雑で、化石で雌雄がある。化石で雌雄があるのは少ないのですね。

だからこの生物の化石を石油の探査のために調べるのでなくて、生物がどういう風に進化しているかという視点で調べよう。それによって新しい古生物学を作ろうという志を持たれたのです。そして私は一番先にその先生の教室の扉をたたいた人間なのです。

どうしてそういうことになったか?私が高校3年の時は東大の入学試験がなかったのです。私は一年あきらめてそのあと東大に入ったのですが、もうすっかりやる気をなくしていて、大学に入ったけれどどうしたら一番簡単に卒業できるかと考えたのです。勉強なんてしないで野や山に行くフィールドワークですね、そうやって遊びながら卒業できるならこんなによいことはないと思いまして、その先生のドアを叩いたのです。

熱演する矢島先生 私の先生は新しい学問をやろうと意気揚々とアメリカから帰って来られたばかりでしたが、東大に学生がいない。だれも来なかったのです。私はそんなことをなにも知りませんでした。先生のほうはようやく学生が来て、これはいいということで捕まりまして、カイミジンコの研究をするようになったのです。

もちろんやってみると顕微鏡の下の色々なカイミジンコはとても美しくて、やっていてすごく楽しいわけです。それで早く卒業しようと思っていたのが卒業できなくなりまして、ずっと大学院、ドクターコースと卒業までに十何年かかりまして、未だにカイミジンコから抜けられないわけです。

その時に先生が石油の探査のためにカイミジンコを研究するんじゃない。生物がどういう風に進化してきたかを化石で調べる為にこのカイミジンコを研究するのだとおっしゃって、やり続けた結果、他の国では石油探査技術が変わってきた結果、カイミジンコの研究に頼らなくなったこともあり、今では日本がこの分野ではトップになったのです。

まず研究は基礎的な分類学をもっぱらとしました。2000個くらいのカイミジンコを見てすぐ名前が出てくるようにならなくてはいけません。どうしてそんなことが出来るのか、私はプロですから頭の中にデータベースに入っているわけです。データベースはどうやって作るかといいますと、まず、どんな形のものにどんな名前がついているかを覚えます。

新しく生物に名前(学名)をつけるときには、標本をひとつ指定します。これをタイプというのですが、分類学者は必ず、最初の標本(タイプ)を見ておかなければいけません。日本の学問は明治になってから始まりましたから、最初は外国人が来て始めました。そうするとこのカイミジンコの仲間も最初に研究し標本を決定したのは日本人ではなくて外国人なのです。

従ってそのタイプと呼ばれる標準的な標本はみんな外国にあるのです。しょうがなくて私はそのタイプを見に、あちこち海外の博物館に行かなくてはならないのです。 普通の方は博物館と言うと、恐竜なんかが展示されて人を集めているところを想像されますが、実はその展示の機能は博物館の機能のごく一部でありまして、元になる標本(タイプ)、これをきちんと保存してあることが博物館の一番の使命なのです。

普通の人はそんなことは知りませんから、展示を見ているだけで終わりなんですが、私たちは博物館に行きますと、裏口から入って標本をずっと見るわけです。日本の博物館は、研究の部分と展示の部分がバラバラなことが多いです。上野の科学博物館は展示は上野で、研究部門は新大久保にあって、バラバラな活動です。

展示と研究が一緒の方がよいです。世界で一番有名なロンドンの自然史博物館は展示と標本がすごく近くて、展示室と標本の部屋がドア一枚で行きき出来ます。まあそんなこんなで、もともとの標本(タイプ)は全部見るという癖だけはついたのです。

ウミホタルの写真 カイミジンコの親戚にウミホタルというミジンコの仲間がいます。それはこういう格好をしているのですが、ここに触角がでていて、これで泳ぎます。ウミホタルは凄くきれいに青白く光るのです。少し大きくて2mmから3mmくらいあります。

東京湾の真ん中を横断している有料道路のサービスエリアに「海ほたる」というのがありますが、実際は海に生きている生物の名前です。ここに黄色いルシフェリンを出す唾液腺のようなものがありまして、また白いルシフェラーゼという酵素が別に体の中にありまして、なにか雌がくると「私はここにいるよ」っていう具合に光らせたり、危険が迫ったときなどに、黄色いルシフェリンと白いルシフェラーゼを一緒に出しまして青白く光るのです。 このウミホタルも2枚の殻を持っていまして、カイミジンコの仲間です。それで分類学者の私としては、これのもともとの標本を当然見たいと思いました。

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2.ヒルゲンドルフト巡り合う。

フランツ・ヒルゲンドルフの肖像画 ウミホタルの学名はVargula hilgendorfii といいます。ヒルゲンドルフというお雇い外国人が明治6年から9年に日本にやってきまして、東京医学校、つまり東大の医学部の生物の先生として教えて、色々な日本の生物を採取してドイツへ持っていきました。

当時のドイツのカイミジンコの研究者はそれを見て、これは新種だ、ついてはヒルゲンドルフさんにお世話になったので学名にヒルゲンドルフという名前を献呈します。彗星の名前って言うのは発見者の名前をつけますね。生物の名前は発見者の名前ではなくて、他人にその名前を献呈するのです。

ですから私の名前も6つくらい付けて頂いていますが、私ではない、他の研究者が私の名前をつけてくれました。ヒルゲンドルフはベルリンのフンボルト大学自然史博物館の人だったので、この標本はそこにあるだろうと言われていたんですが、誰もそれを確認する人がいなかったのです。どうしてかというとベルリンの自然史博物館は東ベルリン側にあったからです。

最終的にはベルリンにあったということが分かったのですが、1994年の夏にベルリンに行った時、「ここに日本にお雇い外国人で来ていたヒルゲンドルフという人が日本から色々な新種の標本を送っているので、それが今でもあるかもしれないんだ。」という話をベルリンの友人にしたんです。

そしたらその友人が1994年の秋にメールをよこしまして「大変だ大変だ、ヒルゲンドルフという人が日本で集めた沢山の標本が自然史博物館にあるから、それを日本に持ち帰って里帰り展をやったらいい。」というのです。そんなもの誰がやるかと放っておいたら、「面白いから見にいらっしゃい」と言うんです。

それでつい見に行ったら、ヒルゲンドルフが日本の色々なことに興味を持ち、苦労して標本を集めたことが伝わってきまして感激してしまいまして、これは私一人だけの感動では申し訳ない、日本に持ち帰って展覧会をやろうと決意してしまいました。それが1995年の1月1日で、それで1月5日、日本に帰りましてまわりの人たちに展覧会をやるということを表明してしまいました。

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3.日本の魚学の父―フランツ・ヒルゲンドルフ

私の作った展覧会ポスター 展覧会のことを知らなかったからやったのですが、大変な仕事なのです。展覧会というのは多くの場合、胴元のようなものがあるんですね。通常の展覧会は儲かるものですから、胴元たとえば新聞社がパック商品をまず作ります。

パック商品とは、展示する物、説明パネル、カタログ、雑誌、ポスター、紹介ビデオなどで、そのパックを胴元は色々な博物館に売るわけです。博物館は自分の予算でそのパック商品を買って展示するのです。博物館は自分が出したお金以上にお客様が来れば儲かるという仕組みです。

ヒルゲンドルフの展覧会をやろうといったって、誰も知らない人でしょう?儲かるわけがない。胴元などいません。しかしやる以上はパック商品を作らなくてはならない。それを私は全部、お金集めから始めて、全部作る事になったのです。

各博物館にも売込みをして、日本の中では東大から始まって、糸魚川、会津若松、箱根と北九州とまわしました。博物館でも県立の博物館と市立の博物館がある。県立の博物館は数百万円くらいお金が出せる。しかし市立では100万円しか出せない。お金を出す額がちがうのに同じ展示とは何事だと役人は怒るわけです。

そこは適当に話をあわせまして、例えば日数を短くするとか、展示品を一部出さないとかいろいろやりまして、多くの人の沢山のご協力を得て、とうとう3000万円弱からの仕事をしてしまった。これは私が作ったカタログで、表紙にヒルゲンドルフの写真を入れました。

そのとき100万円かけて作ったビデオがあります。それを今から流したいと思います。百万円ですから美しい女性は出てきません。私が出てきます。

(ビデオ上映 以下「 」内は矢島道子さん語り)

「ウミホタル学名Vargula hilgendorfii、これにもヒルゲンドルフの名前がついています。私とヒルゲンドルフとの出会いはミジンコでした。私は大学時代から化石のミジンコの研究をしています。休みになると化石掘りによく出かけます。最近は生きているミジンコも調べます。

顕微鏡の下でちょこちょこ歩いているミジンコはとても可愛いですよ。ウミホタルはミジンコの仲間で、明治の初めにヒルゲンドルフという人が採集したということは知っていて、なんとなくヒルゲンドルフってどんな人かなと思っていました。

(中略)

ヒルゲンドルフは1839年プロシアの小さな町で生まれました。ベルリン大学に入学し、そこでダーウィンの種の起源に出会い化石研究のためにチュービンゲン大学に移りました。これはドイツ南部のシュタインハイム、大きなくぼ地に町がありますが1500万年前に隕石が落ちたところです。

この中に湖があります。ここから小さな巻貝の化石が沢山出てきました。この化石を良く調べてみると平たいものや尖ったものなど色々な形のものが出てきます。ヒルゲンドルフは地層順に貝の形が変っているのを発見し、『これをダーウィンのいう進化として解釈する』と学位論文の中できっぱりと宣言しました。

この考えは指導教官からはまやかしであると決め付けられ、当時の巻貝研究の権威者からは論争を挑まれました。そのころのドイツではダーウィンの進化論はなかなか受け入れられなかったのです。

ヒルゲンドルフが大学卒業後ドレスデン工科大学の先生をしていた時、彼に日本からの誘いが来ました。明治6年3月2日ヒルゲンドルフは来日し、明治9年10月24日まで約3年半日本に滞在しました。30代なかばのことです。東京医学校で一般教養を教えていますが、自分の専門以外のことにも造詣が深く、8科目も担当することになります。

受講生の一人に森鴎外がいました。彼のノートが今も残っています。博物学の授業ではダーウィンの種の起源の説明をし、そのあとすぐ自分のシュタインハイムの巻貝化石の研究の紹介をしています。日本で最初の進化論の授業でした。

(中略)


ヒルゲンドルフは遠征隊を率いたわけでもなく、シーボルトのように多くの弟子たちに集めさせたわけでもありません。彼は東京医学校に毎日通いながら、その行き帰りの目に付くものを調べて沢山の新種を発見し標本としたのです。近所の魚屋さんから採取されたものもありますし、竹筒の花入れから採取したハネコケムシの標本や、江ノ島を散策して見つけた有名な巻貝オキナエビスなどもあります。

ふとしたことに気付く目、目にしたことを片っ端から調べてみること、面白いなと思ったことを思索してみること、私はこういう姿勢がとても大切だと思います。小さな子供のころも、年をとってからも、どんな職業についても、こういう姿勢があれば誰でも自然科学者になれるのです。

自然を調べるのにどこか自然がいっぱいのところに行く必要はありません。生物全体についての正確な知識、そして生物が進化するという考えがあれば、いろいろなことが目についてくるはずです。私は私の目をもっと深くしたいと思います。ヒルゲンドルフのような目でもっと生物を研究していきたいと思います。」

      
  (ビデオ終了)


矢島道子・吉川惣司共著メアリー・アニングの冒険 このビデオのシナリオを見ていただいたシナリオライターが吉川惣司さんです。ご存知ですか?『ルパン三世』という映画があるのですが、その最初の総監督が吉川惣司さんです。それが縁でその後一緒に『メアリー・アニングの冒険』という本を書きました。

これは英国のアマチュア古生物学者、化石の発掘者として有名なメアリー・アニングという女性の人生とビクトリア朝時代の英国の博物学ブームを書いた本で、ご興味のある方は面白いですから是非読んでください。

さて今のビデオで語ったようにヒルゲンドルフが日本で最初に進化論を論じたということは、今まで日本の科学史ではモースが最初の人といわれていたわけですから、大発見なのです。それを私がたまたま発見し、私は科学史学会にも出入りするようになったのです。ここらに関する資料をもう少し詳しくスライドで見ましょう。

ヒルゲンドルフは今まで日本では無名だったのです。カイミジンコの仲間のウミホタルの発見者ですから、私はたまたま調べてみました。そうしたら、ヒルゲンドルフのことがダーウィンの『種の起源』に載っているということがわかったのです。大杉栄の訳本『種の起源』にもヒルゲンドルフの発見したシュタインハイムでの巻貝群が進化の一例として取り上げられています。

切手になったオキナエビス もうひとつ、これはヒルゲンドルフの仕事として有名なんですが、オキナエビスという貝で、かなり大きな貝で、美しい貝です。これは4円切手の図案になっています。注意して見てください。右側下サイドに切れ込みガありますね。これは貝が欠けたのではありません。これは切れ込みを作りながら大きくなってくる貝なのです。

今の巻貝にはこういうのはありませんが、ちょうど中生代、恐竜が生きていたころの巻貝は全部こういう切れ込みがあるのです。ということはこの貝は「生きている化石」であります。この言葉はダーウィンが『種の起源』の中で使ったテクニカルタームなのです。

ヒルゲンドルフ「オキナエビス、佐々木猛智氏撮影」は彼の論文の中で、この貝の発見について「生きている化石」という言葉を使っています。ですから私はこの人はそうとうダーウィンの進化論が好きな人だなと思ったのです。するとこの人が日本に教えに来て進化の授業をしないわけがないと思ったのです。

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4.日本ではじめての進化論の講義

日本の進化論は明治10年に来日したモースによって初めて説かれたというのが日本の科学史の定説ですが、ヒルゲンドルフは明治6年から9年ですから、モースより先に来ているのです。ところがなかなか進化論を教えたという証拠が出てきませんでした。

私が最初に見つけたのは、松原新之助という、大日本水産会や、今の海洋大学の元を作った人が明治12年『生物新論』という本を書きまして、国会図書館に今あるのですが、「モースがダーウィンの進化論を言って大騒ぎしているが、私はそんなことはヒルゲンドルフ先生に前に習った」という記述が発見されました。

いよいよ可能性が高まり、どういう風に学生が習っていたかをもっと詳しく知りたいと思っていましたら、ある時森鴎外の大学ノート「文京区立本郷図書館鴎外記念室蔵」があると教えてくれた人がいたのです。この写真の左から2番目が森鴎外です。この人がたった一冊だけ大学ノートを残していた。これがそうです。

ここに「ドクトルヒルゲンドルフ」と書いてあって、非常にきれいなノートです。ここに「1.進化の反対論者、3.ダーウィン1859年新しい進化論」とあって、ここが自分の巻貝の化石の発掘を実例に進化論の説明がなされた時の記述です。森鴎外は感動したともなんとも感想は書いていません。
森鴎外は優秀だったのですがトップを取らなかったのです。卒業試験の時火事にあってノートが燃えてしまったからだと言われています。たまたま一冊だけ残ったものに、ヒルゲンドルフの授業が載っていて私としては大変ラッキーだったのです。

   学生時代の森鴎外    鴎外の筆記ノート

この展覧会は大変でしたが大変面白い経験でもありました。1997年に展覧会開催にこぎつけまして、まず東大で展示して、ドイツ人の仲間に来てもらってシンポジウムをやりました。ヒルゲンドルフは本来魚の研究者なんですね。魚にも色々ありますがヒルゲンドルフはハゼが専門なのです。

日本でハゼの研究の第一人者はどなたかご存知ですか?天皇陛下です。ヒルゲンドルフ展をやるにいたってベルリンのフンボルト大学自然史博物館の研究者が、サンプルを色々貸してくれたり、協力してくれたのですが、その時に彼が「天皇をお呼びしたらいい」というわけです。今上天皇が皇太子の時にヒルゲンドルフの魚の標本をベルリンから借りているのですね。もうこちらは「えっ?」てもんです。どうやって天皇を呼ぶんですか?

まあそれから苦労して手紙を書いてご招待しました。そしたら本当に来てくださったのです。どんな風に書いたと思いますか?「拝啓天皇陛下殿」で始めるわけにはいきません。そういう題の映画がありましたから、それに、「天皇陛下殿」では敬称がふたつついて駄目なのです。それで考えまして、いつも外国の研究者に手紙を出す時は「初めてお手紙差し上げます。わたしはこういうもので、こういう研究をしているのですが、云々」で始まる手紙を書くわけです。

そうだ、天皇陛下にも、初めて出会う研究者と思って手紙を書こうと思いました。そしてお手紙を差し上げたのです。直接返事はきませんでしたが、箱根県立博物館の展覧会に、1998年の3月31日、博物館がお休みの日に天皇と皇后お二人で見えました。私はご案内しまして、お昼ご飯をご一緒させていただき大変楽しかったです。あんな体験は2度と出来ないでしょうね。

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5.まとめ

こうして、私はミジンコ化石の研究から科学史の研究に入りました。それから色々本を書きました。これが先ほど申しました吉川惣司さんと一緒に書いた『メアリー・アニングの冒険』です。これは「あとがき」が一番お勧めで、私がどうしてヒルゲンドルフの研究から吉川さんと出会い、それから女化石屋のメアリー・アニングと出会ったかが書いてあります。

矢島道子著 地球からの手紙 それから『地球からの手紙』、あとは地学の歴史を研究している人間が少ないものですから『地学の歴史』を書きました。それからこれは高校の科学史の教科書で東大の科学史の教室でも使っているくらいレベルが高くかつ面白いものです。

それから皆さんが一番気になる地球のことについてこれは『生態学入門』という本を生態学会の人と一緒に作りました。私の基本的なスタンスは、マスコミであおられているところに乗るのではなくて、全然関係のない、出来るだけ自分は自分の道で歩いていって、新しいことを発見するというところにあります。

他人が言うことにただくっついているんじゃなくて、自分でひとつひとつ確かめながら、自分にとっての「地球からの手紙」を読んでいきたい、それが私のスタンスであります。

―拍手―

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6.質疑応答

質問:カイミジンコはいつごろから生息しているのですか?

答え:カンブリア紀からカイミジンコの仲間はいます。

質問:ミジンコというのはエビやカニの仲間ですよね。これは食べられるのですか?

答え:はい何度も食べましたが、小さすぎて味があまり分かりませんね。ウミホタルは口に入れると口がバーッと青く光るので遊びによくやります。塩水の味が強くてあまり味を感じません。沢山有ればキチン質ですから美味しいかもしれません。飲み屋さんで出るカメノテもフジツボも甲殻類でミジンコに近いのです。みんキチン質を含みエビの味がして美味しいです。

質問:ミジンコは環境が悪いと雄が生まれて環境に強い卵を産むという話がありましたが、そういう視点で化石を研究することで地球の環境変化をはかるようなことは出来ないのですか?

答え:ベルギーなんかではそういう研究があります。蛇足ですが、ミジンコの雄は交尾しますが、雄のペニスは体の三分の二もあります。もの凄く大きいです。イギリスの友人でカイミジンコの研究者が、3億年くらい前の古生代の雌雄の化石を去年「ネイチャー」 に出しまして、それが「最初の性」の発見というので大騒ぎになりました。現在生きているものは、ペニスが大きいので顕微鏡の下で交尾しているのも非常によく分かります。

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文責:臼井 良雄  写真撮影:橋本 曜  HTML制作:上野 治子


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