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神田雑学大学 平成20年4月11日 講座No402



佐藤講師著書にタイトル「戦後ファッションビジネスの変遷」と講師名、佐藤嘉昭と書かれた画像です



目次
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講師プロフィール
1.はじめに
2.ファッションの変遷
3.ファッションビジネス
4.ファッションのサイクル性
5.狭義のファッションと広義のファッション
6.Think Map


笑顔で講義している佐藤講師プロフィール

1941年宮城県生まれ法政大学文学部英文学科卒、在学中からファッションに興味を持ち欧米の伝統ファッションを研究、欧米ファッション情報の翻訳を手がけ服飾研究会(ザ・ファッション・フォーラム)創立、卒業後は(株)ジュン嘱託、平凡パンチ、男子専科、メンズクラブ誌、アパレルファッション誌、ニットファッション誌などの執筆、(株)オスカー、(株)東レ、(株)トップ、(株)大光エフライト(現:山喜)などの顧問デザイナー、西武百貨店のアドバーザーなどを歴任、ファッションの水先案内人としての傾向分析が業界の支持を得る。

(社)日本メンズファッション協会、(社)日本流行色協会の専門委員、メンズファッション学院、バンタンデザイン研究所などの講師を歴任。多くの前衛デザイン活動で60・70年代サブカルチャーのリーダーに。現在はモノ作り研究や分野を超えたアドバイス、講師、執筆活動を行う。著書 『若者文化史』(戦後男女ファッション世相史) 源流社発行など。ブログ「佐藤嘉昭のスパークメモログ」発信。HP:佐藤ファッション研究所

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1.はじめに

わたしの仕事はファッション研究家です。こういう肩書きは日本では1人しかいません。パソコンで「ファッション研究家」と検索していただくと私の名前が出てきます。その意味はデザイナーであってしかも評論家でもある。器用貧乏を絵に描いたようなものであります。もうひとつは教師であると言うことです。教師はデザイン学校から予備校の講師までさまざまな教師をしています。

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2.ファッションの変遷

ファッションとは何かということを色々な方から質問されるのですが、私はファッションには目に見える形の流行としてのファッションと人間の目に見えない精神風土を構築しているようなファッションが両面あると思っています。シェークスピアなんて勉強していますとファッションというものが単におしゃれと言うだけでなく、色々な政治、文化、関係に関わっていることが分かります。現代でもファッションマッサージとかファッション喫茶とか色々な風に使われますね。

18世紀くらいまではファッションと言うのはもともとは一般庶民には関係の無い貴族の生活様式を指したようです。それが19世紀から20世紀に入り大衆文化になり、世の中全体の潮流をあらわすようになりました。

日本でも戦前は古い伝統的な生活風習が尊とばれていました。軍人は軍人スタイル。学校の先生は学校の先生スタイル、社長は社長スタイルと決まっていました。それが戦後、マッカーサーがコーンパイプを咥えて厚木飛行場に降り立ったファッションに代表されるようなアメリカ文化にさらされて、もう日本の伝統文化がもうなくなってしまうのではないかというところまで行った時代があったのです。

戦後当初は食べるのでやっとで洋服なんかにかまっている余裕がなく、女性はもんぺ、男性は復員服から襟章をとったものから始まりました。(その後の変遷はお手元のレジメに目を通していただければお分かりいただけると思います。)やがて注文服とか洋裁店とか自分の家で手縫いするとかから始まって1980年代には世界最高水準の洋服つくりの技術レベルを達成するまでに至りました。

熱心に講義を聞く受講生

当時通産省が「日本のこれからは日本で作っていたのでは高くついてしょうがない。しかし海外生産になってしまうのは困る」と言うことで日本の有力メーカーの技術者を集め、自動機械で材料を入れたら洋服がぱっと出てくるような機械を10年がかりで開発したという話があります。完成したんです。しかし服の種類や生地はあまりにも多種多様で、そのたびに機械の調整、部品交換をしているのではかえって高くつくことになって、実用化出来なかったと言う経緯もありました。そんな紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながら生産と言う点では手生産から機械で洋服を作ると言う体制がようやく出来上がってきました。

どの産業でもそうでしょうが、例えば音楽の分野でも有名な歌手が世間に騒がれその人が変革を引っ張っているように思われていますが、その歌手が出る裏にはプロデューサーから作詞家作曲家あらゆる産業インフラが関わっているのです。一般の人は表に出ているスターの顔しか見ませんが、じつはその成功の底には多くの人間やシステムが苦労して動いているのです。実態はすべて産業なのです。私からいわせると文化の裏には商売があるのです。

物的価値という言葉があります。反物が幾ら、それを縫製して幾ら、と言うコストで物的に決まります。 クリエーターがこの物的価値を情報価値にする。そうすると付加価値が出てくるのです。物的価値が3000円でもあるものが10000円で売られ、すごいブランド名が付くと5万円で売られると言うのが情報価値です。この物的価値を情報価値に高めるにMDや技術者とか宣伝関係のエキスパートとかありとあらゆる知恵が加わって情報価値に化けさせると言うのがファッションビジネスというものだと思います。

60年代VANとJUNという時代があって、バン、ジュン、鈴屋という3つの若者を引きつける業者が現れたその時期に私は大学を卒業しました。当時日本の業者のほとんどは「ヤングファッションなんて百貨店に行っても売り場もないじゃないか」と傍観していた時代です。なにせ百貨店に子供服も売り場がなかった時代です。

それを三越のような先見性のある百貨店などが変えていった時代でした。産業構造が変わったのです。決してあるデザイナーが出たから変わったとかそういう皮相的突然変異的なものではなく、産業が時代の変化に応じて動いていて変わったのです。

講義をしている佐藤講師世界には流行色やファッションの動向をしっかり研究している研究機関がいくつもあって、そういう変化に日本の産業も追従できるようになって来たのですね。世界のそういう動向を調査し日本のメーカーや百貨店などに動向予測などの情報を入れたのが当時の私の活動でした。英語・フランス語が達者だったのが生きました。このころは若くて無鉄砲で業界の水先案内人といわれて威張っていましたね。

海外の情報を飛行機便で採っていち早く海外の動向を捉えて、それをまとめて発表するということをやっていました。当時は職業も分化していなかったですから、私がデザインもやれば評論も書き、ファッションショーの企画もするのです。現在ひとつのファッションショーをするのに5社から10社くらいの会社が関係してきます。

1000万単位のお金がかかります。時間も3ヶ月くらいかかります。私が始めたころはひとりで仕切っていましたね。草月会館でのモッズルックショーはデザインから構成・台本まで書き、チェックリストにしたがってスタッフが手分けして2週間でぶっつけ本番でやりました。

最近日本の若者のファッション、特に渋谷当たりのファッションが世界的に注目されています。世界の色々な関係者が東京の動きに注目してウォッチしています。そこでのキーワード「かわいい」はもはや世界語になりつつあります。ファッションの用語にも色々変遷がありイカスとかステキなんという時代もありました。かっこいいとか決まってるとかナウいとかいう時代もありました。

今は美の多様性の時代です。穴の空いたジーパンが好きな子もいればお嬢様スタイルが好きな子もいる、しかし「かわいい」という言葉はそれらを押しなべて使うことが出来ますね。これから国際的にも日本発の「かわいいファッション」は相当強力なコンセプトになるでしょう。
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3.ファッションビジネス

ファッションとは話が離れますが何故日本の選手が大リーグで活躍しているか分かる方いらっしゃいますか?大リーグはビジネスです。利益を生み出す策を色々考えています。日本の野球選手が上手いからという理由ではないんです。日本から放映権を稼ぎたいんです。もうそろそろ韓国や中国の選手がアメリカで野球をするようになります。すると韓国人や中国人が大リーグを見るようになります。それで大リーグはまた大きな放映権を得て稼げるわけです。こういう大きなビジネスの流れの中で、日本人選手に今光が当たっているのです。

若者文化史という佐藤講師の著書いま若者文化を核にして東京は世界でも有数のァッション発信基地になっていますが、残念ながら日本ではこの動きが産業と結びつかないでお祭り騒ぎで終わっています。日本でこれだけデザイナーの方々が活躍しているわりには海外で外貨を勝ち取ったという方が少ないんですね。

実際に日本人がデザインして日本で作ったものが海外で売れているということは非常に少ないのです。私はこれが残念なんです。若者たちの発信するファッションがこれだけ注目されていながら、日本人の作ったものが向こうで売られたり使用されているということは少ない、これがこれからの課題だと思っています。

私は1964年に大学を卒業しましてすぐ2年後ファッション研究所というのを作りました。2年前に40周年記念パーティをやったのですが、色々なファッション業界の関係者がみんな来てくれました。ファッションビジネスについて色々お話しましたが、日本ではファッションビジネスの方法が薬の売り方からありとあらゆるものの売り方に応用されている時代が来ていると思います。私は1968年に「万事ファッション化時代」という論文を書いたのです。

なんだかこれからは全てファッションになっていくんじゃないかなという感覚、絵画も音楽も映画も一緒になって溶解していく時代が来ると考えたのです。 今実際にそうなってきています。理屈でなくてある特定のものが好きになっていく、なぜ好きになったか分析が難しい状況ですね。

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4.ファッションのサイクル性

世の中の動きにはサイクル性があります。ある時期には極端に日本的なものが排除されもうなくなってしまうかと思われたのがまた最近では昭和の日本を回顧しようというような動きが出ていますね。昔は30年一昔といわれた時代もありましたし、20年だといわれた時代もありました。

最近では3ヶ月が一昔だと言われています。今婦人服のチェーン店などでは社長とか部長ではやっていかれません。渋谷なら渋谷のある店の担当者が仕入れなければ洋服は売れない時代が来ています。実際自分が売っている客の筋を見て、自分で仕入れないと売れない。

しかし私としては20年節という大きな潮流はあると思っています。これはひとつの世代の変化でしょうね。文化というものはある方向に行って行き過ぎると戻る、これは弁証法的に言うと正・反・合という風に言われています。正というのは伝統的な服装が流行る。反はモッズルックやガングロなんかが反です。背広なんか着なくていいんじゃないのという風潮です。合は正と反の中間なんです。背広なんだけれどネクタイは要らないんではないか。すこし崩した正装がその一例です。

今は合の時代からまた正の時代、エレガントとかシティ感覚とか紳士とか淑女とかの指向になって来ているようです。街着感覚の上品なものの復活されている時代がきています。ファッションは一デザイナーが引っ張るのものではありません。ファッション産業を支えているのは数多くのアパレルはじめ、百貨店、メーカーなどです。例えば今年の秋の商戦の商談は全て終わっているのです。すでに今年の秋冬のファッションは決まっています。私の研究も来年を通り越して再来年の研究に入っています。すべては総合的に世の中動いています。ただそれを少数のカリスマで動いているように思わせるのが商売なんです。

ファッションはそういう意味では政治的でもあります。落合正勝君なんかはファッションイコール政治であるなんていう本を書いています。男のファッションは政治と関係があるのです。例えばナポレオンの時代、彼は「自分はルイ王朝の後継者ではない、ローマ帝国の後継者である」ということで、ローマ法に則ったナポレオン法典を作りました。

個人所有をベースにし現在も生きている法律です。このナポレオン時代に流行った女性ファッションがローマの元老婦人が着ていたような細長いスタイルです。それまでのものは膨れたプリンセスラインだったのです。ファッションというのは婦人服が中心に動いているように見えますが、どちらかというとその時々の政治情勢などが微妙に作用して男子服が婦人服も引っ張る時代が時々あります。

文化と連動しながら時代を変えていく、たかがファッションが大衆の心の変化を起していくことにもなるのです。 一方であまり変わらない価値観として美学というものがあります。美学では黄金率という概念があって、男性の背広とか女性のワンピースとかは非常にバランスよく出来ている、ですから長い時間たっても支持されているのです。

好みの違いということも難しい問題としてあります。好みと美学はどういう関係にあるか。好みはそれぞれの人独自のものであって私的なものです。生まれた環境などでそれぞれ決まってくるものです。例えば自分のお父さんは作業服を着ていた労働者だった。そしてお父さんの仕えていた社長は背広でシルクハットをかぶった紳士であった。そうすると労働者の息子さんは自分のお父さんが仕えた社長の服装を着たがるのです、人間というものはそういうものです。ですから一世代前のお父さんが仕えた社長の服が流行するのです。

好みのなかには自分の家族の歴史、色々なものが反映されてきて、深いものです。 私はこれからは好みが政治経済や産業までを左右していく時代が来ると思っています。美学というのは学者が歴史を通じて研究していますので誰から見てもそうだなあと思われるような公性があるのだろうと思います。しかしこれも時代とともに判定は変わることがあります。

政治が関わることもありますね。軍服を流行らせるとか歴史では色々なことがありました。男はこういう生き方をしたほうがかっこいいんだとか、女はこうあるべきだとか、そういう時代ごとの価値観を美学は反映して、変わってきていると思います。

ファッションビジネスのマーケッティングでは東レの遠入さんがシャーペットトーンのキャンペーンを張ったことは大事件でした。当時は流行を作るには3年から5年も時間がかかったのです。ところが天才的な遠入さんが、今でいうならばマーケッティングディレクターですが、現れ、戦略的なマーケッティングをやったのです。その後私も東レの顧問として参加し流行をリードしました。当時ファッションをリードしたのが合繊メーカーの時代でした。

合繊というのはすごく染まりやすいのです。意図した色にがっちり染まる。天然繊維はそうはいきません。これを上手く利用して色で勝負したのです。百貨店のカラーキャンペーン時代がそれです。合繊もニットにしますと軽くてなんとなく肌触りが良いということも付加価値にしました。そういう時代から始まってそれから石津謙介さんたちがやったVAN,JUNなどの三つ文字メーカー時代、私はメンズファッションユニオン(MFU)石津謙介内閣の外報局長と言われたくらい関わりを持ちました。これは若者中心の時代でしたね。このころ若者は百貨店より専門店に走りましたね。

市価調(しかちょう)っていう言葉をご存知ですか?私は年に2回は都内の百貨店を市価調でまわります。これは英語でいうとマーケットリサーチです。大事なことは肝心な値段を見ることです。最近の市価調ではあまり若者は百貨店では見なくなりましたね。近年になって非常に大衆的な値段を謳った、しかも感性として百貨店に負けない製品を出した量販店の時代がありました。今はシップスやユナイテッドアローのような、生産と販売を両方やるという店ですね、オイルショック以降こういう店が中心になってきています。ユニクロがその代表です。

日本のメーカーは昔はみんな問屋だったのです。問屋にやがて企画室が出来たのです。岐阜とかの生産地から来るものが問屋を通って百貨店とか小売店に行きますとどうしても値段が高くなってしまう。ところが生産販売店はお店でありながら自分が直接産地に行って作らせるという、今では海外で作らせるという風に合理的で安く出きるのです。これが大衆的なファッション界をリードしております。

また今は天然繊維の復活の時代が来ていますが、これは生産地が海外ですから政治的な要因がからみ難しいですね。アダムとイブ以来ファッションにはどういう役割があるか。私は服を視覚言語と呼んだ事があります。孫にも衣装といいますがある服装をするとそういうふうに見られるということです。背広を着れば紳士に見られるというような意味で視覚言語の役割を担っています。そういう意味でファッションにはメディア性があるとも言えます。

きちんとした服を着て彼女に会いに行けば、彼女は「このひとは私を女性として見てくれているんだ」ということが、何も言わなくても伝達します。服装だけで相手が自分の持っている気持ちを分かってくれるということがあります。私の友人が「服は人間の行う最初の行為である」といいましたが、なるほど赤ちゃんが生まれて最初にするのがおむつを着せることとか朝起きるとまずするのが最初の服を着るとかしますね。そして最後の座遠土(ザ・エンド)のときも死装束で旅たちますね。

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5.狭義のファッションと広義のファッション

ファッションということで一言で片付けるには非常に難しいものがあるのですが、私はファッションには狭義の意味と広義の意味があると思っています。狭義ではもちろん服です。目に見えるものです。広義では、思想とかイデオロギーとかを飛び越えて一瞬にして相手の思想を変えてしまうようなものがファッションの中にあるような気がするのです。

これはまだ研究途上で私が生きている間にまとめてみたいなと思っていることですが、イデオロギーに代わって現代人を動かす何かがあると思います。ファッションは現代文明と同義語でないか?今日は雑多なことを沢山申し上げましたが、糸が布になって、布が縫製されて服になる、そういう物的価値と、それをどうしても買いたいという商品、すなわち情報価値に変える。ここに介在されてあるものがメディアでありこれを画策するのがクリエーターの仕事だと思うのです。一万円のものがブランドの名前が付いただけで5万円にも10万円にもなる、客は物に付くのではなくて情報や名声に付くのです。ブランド時代ですね。

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6.Think Map

最後にThink Mapということをお話したいと思います。私は絶えず2、3年先5年先という未来を考え調査し準備をしています。そこでこのMapを使っています。漢数字の十の字です。未来学は歴史学の裏返しの要素があります。仮説が無ければビジネスは始まらないのです。いわばファッション界の仮説屋ですね。

縦軸は時間です。ハード軸ともいいます。横軸はソフト軸(空間)です。過去を踏まえてどういう方向にぶれるかをこのマップで見ています。私の友人の織物作家が、縦糸変えないのに横糸をちょっと変えるだけで柄が変わってくると言うのです。なるほどなあということを感じてこのグラフを考えると、流行は縦糸である過去から未来に向か時間と横糸の振幅(好みの変化など)の中で色々な変化が作られているようです。

新しいファッションは産業界の色々な方の知恵によって生み出されるものであって、ここで言いたいのは決して世界的に有名な何とかデザイナーとかがファッションをリードしているわけではないということです。むしろ底辺で汗を流している多くの人間がファッションを動かしているのです。(拍手)終わり



添付佐藤嘉昭作成資料

「戦後ファッションビジネスの変遷」


仮縫いのイラスト1)1945年〜50年代 モンペと更生服からの再出発(戦後ルネッサンスから大衆文化時代へ) アプレゲールとアメリカ文化の流入が戦後文化の原点である。物資不足の衣料切符…ホームメード(洋裁)ブームと注文服店の時代へ。アメリカ映画・音楽・ファッションが日本文化を改造。

ジェームス・ディーン…ロツクンロール、ヘップバーン…「太陽の季節」若者風俗…パリのオートクチュール。大衆文化時代の到来。若者と女性の地位向上が全産業のフィロソフィーに。

2)1960年代  既製服時代の到来と百貨店(若者文化とモダニズムが戴体制を揺さぶる)安保闘争に始まる若者の行動が注目される。アイビー・コンチ…VAN、JUN、鈴屋…3つ文字メーカーがファッションを主導。ヤングマンマーケットの台頭。モッズに始まる服飾革命。ヒッピー族、反体制ファッション、ビートルズ…ステューデントパワー、クレージュ旋、ミニとパンタロン…服飾革命花盛り。ディスコブーム。ファッションが文化の機関車になる。

3)1970年代  ブティックとマンションメーカー(多様化時代と万事ファッション化時代)
ファッションビジネスとライフスタイルの多領域化する。ジーンズとTシャブームとエコロジー、フィーリング。ユニセックス・ファッション…オイルショック(不況)でカジュアルファッション続く。スポーツブーム、クラフトブーム、街頭ショップ、ビッグからスリムへ。ファッションの産地間競争。キャリアウーマンと紺ブレ、ヒューファミリー、回顧ブーム、ロングスカート、フォークロア、プレッピー。国際派デザイナーの活躍。

4)1980年代  DCブランド商品の氾濫(バブル文化の隆盛と企業が挑戦する小衆の時代)ハイテク時代始まる。三越事件が大量生産時代の終わりを告げる。インポートブーム、東京コレクションとDCブーム。校内暴力…既成ブランド(アパレル)は高感度テイスト商品で対抗。テイストとシーンで小衆文化に対応。背広の復活とメンズデザイナーの活躍。DCショップ大失速と渋カジの流行。ビンテージ(古着)ブーム、

5)1990年代  アパレル産業大失速と海外生産(バブル経済の破綻とピラミッド文化の崩壊)ユニクロの台頭。若者のストリートファッション(カジュアル)が価格破壊を先取り。オバタリアンがDCをたん笥にしまう。アパレル倒産が続出。スポーツカジュアル

6)2000年代  モストカジュアルからシティールックへ(再生文化時代と懐古ブーム)
ストリート系(ペイントジーンズ、再生服、穴あきルック、ルーズソックス、ガングロルック、
60、70年代懐古…再生文化時代。シック、エレガンス、クラシックの再評価。



講座企画・運営:吉田源司
文責:臼井良雄
添付資料文責:佐藤嘉昭
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子

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