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神田雑学大学講演抄録 第408回 平成20年5月23日

長寿社会の余暇開発

講師 瀬沼 克彰 

桜美林大学 教授


目 次

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1.講師紹介

2.はじめに

3.余暇とは何か

4.余暇の現代的定義

5.日本人の余暇時間

6.今後のライフスタイル

7.今後の余暇時間を創造的に活かす方法

8.余暇を使って金をかせごう

9.質疑応答



1.講師紹介(神田雑学大学三上学長)

講師瀬沼克彰さんの顔写真 瀬沼先生は生涯学習の専門家として元は文部省におられた先生でございます。現在は桜美林大学の教授をなさっており、生涯学習の関係では日本でならびなきオーソリティでございます。私の雑学大学人生は、吉祥寺村立雑学大学から始まって神田に至っているわけですが、その節目、節目で先生には大変お世話になってきました。いわば育ての親というような感じで日ごろから尊敬しております。その先生に開校以来一度お話をお願いしようとかねがね願っていましたが、今日ようやくそれがかないました。先生よろしくお願いいたします。

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2.はじめに

三上さんとのおつきあいが以前からあった関係で、私は神田雑学大学には設立当初からかなりの関心を持っておりまして、いつか機会があったら出講したいなと思っていました。やっと本日9年経った神田雑学大学でお話をさせていただくことが出来ることになりました。

私は大学で社会学を勉強して、大学院で社会教育・生涯学習を勉強しました。

私には専門が2つありまして、大学もしくは大学院で今教えているのはレジャー論という、日本語で言うと余暇論と生涯学習論という2つの科目を教えております。若い頃から40代くらいまではずっと余暇論、余暇社会学、余暇教育学を専門にしてまいりました。40代の終わり頃から生涯学習の研究に入りました。

生涯学習という言葉はそれまで日本語にも英語にも無かったのです。1960年、ライフロング・エデュケーションとい言葉をユネスコが教育改革のコンセプトとして作りまして、「これからの教育を学校教育中心ではなくて、生涯学習専門にいわば成人と高齢者へ、学校教育での子供たちの教育以上に、成人と高齢者の教育をしていかないと、成人と高齢者が、社会に適応していけなくなる。これからの社会をより良く生きていくためには、子供たちの教育以上に、大人になってからの教育が重要だ」ということで、各国政府には、そういうかたちで教育改革を進めてもらいたい、という勧告がユネスコから出ました。

欧米はすぐそれに乗ったのですが、日本政府は大変遅れまして、昭和63年欧米から遅れること20年、やっと文部省が中心なりまして、生涯学習局という局を新設しました。私は、もともとは私立大学の教員を長くやっていたのですが、このとき文部省に生涯学習の専門家がいないということで来てくれないかという話があり、いい年になってから国家公務員になりました。そして文部省で、日本における生涯学習政策の線路を敷く仕事を4年ばかりやりました。だいたいこれで自分が文部省でやるべき仕事はやったなと思って、それと役人になりますと勉強の時間が全然取れないものですから、幸い宇都宮大学で、日本で最初の生涯学習研究センターを作るという話があり、そこに出まして5年間宇都宮大学で文部教官をやらせていただき、その後現在の桜美林大学に移ったという経歴です。

ですから私の専門は、余暇社会学と生涯学習論でありまして、本日はむしろ余暇の方をお話させていただけるというので、皆様に長寿社会の余暇というものをどういう風に考えて、日々その余暇を有効活用していくかということをお話し出来て、なおかつそれを皆様が明日からお使いいただけたら嬉しく思います。「ああそういうやり方があるのか、ああそんな方法があるのか」ということに何か少しでも気がついていただけるといいなと思っています。そして後半では皆様が余暇とか生涯学習とかどういう風に実践されているのか、それから神田雑学大学で学んでいてどういうことがプラスになったのかというふうなことを、少し取材をさせていただけるとありがたいと思っています。

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3.余暇とは何か、日本人と欧米人の考え方の違い

著書定年なき余暇活動

余暇という言葉がわが国において色々に使われていますが、一般的には深く考えずに「なにか暇」ということぐらいに受け止められていると思います。オーバーに言いますと私は若いときにこの言葉の洗礼を受けまして、今日に至るまでこの問題を追及研究してきましたので、皆様にとっては普通のなんのとりえも無い言葉かもしれないのですが、この言葉に異常な関心をもってとうとうそれで一生が終わりそうである、そういう人間がいるという見本が今日は来ています。

もともと漢語ですから中国から日本には11世紀に入ってきまして、初めて文献で余暇という言葉が出てくるのは、太平記だといわれます。その後一般にはこの言葉は使われなかったようです。ちなみに中国では現在余暇という言葉は使われていなくて業余(ぎょうよ)という言葉が使われています。もともと余暇の余はツクリでありまして、昔は食偏がついていたのです。つまり中国から入ってきたときには「食物が余っている状態」、暇は時間を表しますので「時間も充分にある」という意味で、食べ物も時間も充分にある状態を表す言葉として「余暇」という形で日本に入ってきたのです。ところがそんな状態で暮らしているのは日本人の中で皇族と一部の貴族しかいなかったので、この言葉はその後流布しなかったようです。

辞書からこの食偏が取れたのは戦後ですが、驚いたことに広辞苑を引いても小学館の日本国語大辞典を引いてもなんの意味も書いていないんです。広辞苑は去年の11月、10年ぶりの改定がありましたから、今度は変えてくれるかなと思ったら、「自分の自由に使える余った時間、暇、ひとま」これしか書いてないんです。海外の人なんかには笑われちゃうんです。「これはなんなんだ、同義語を並べているだけじゃないかと」。これでは広辞苑が泣くと思うのですがね。

一方世界的には英語ではLeisureというわけです。これが日本に入って来たのは昭和30年代の後半にアメリカからです。レジャーは今では日本語ですが当時は何か日本語に該当する言葉がないかというので議論がありました。実はLeisureというのは何もしない状態ではなくて、なにかをしようという状態の言葉ですね。暇な状態ではないのです。「余暇」というよりもむしろ日本語の「娯楽」という言葉が近い感じでした。

  戦後日本の占領政策としてマッカーサーが持ち込んだのが「レクリエーション」という言葉です。GHQの教育部門は徹底的にレクリエーション政策というものを厚生省や文部省を通じて行いました。これは昭和20年代に普及しました。

今日本語ではレクリエーションというのはお金のかからない遊びのことを言うのです。たとえば一人で体操をやっているようなことです。そしてお金のかかる遊びのことをレジャーというのです。日本人はパチンコに行くのにレクリエーションのために行くとは言わないのです。レジャーでパチンコに行ってくると言うのです。旅行も同じです。

しかしleisureという言葉はもともとは古代ギリシャのスコレーという言葉が語源になっていまして、欧米では3000年とか4000年の歴史のある言葉です。そのスコレーという言葉は、スクール(学校)、スカラー(学者)、という言葉に転化しています。

古代ギリシャ語のスコレーというのは「暇、いとま」という意味なのです。
スクールというのは古代ギリシャにおいては「暇な場所」という意味です。暇な方が集まってくるところが学校なのです。スカラーというのは日本では学者と訳していますが、「暇人」という意味でした。余談ですが今の日本の大学の教員は、生き残りのために全然暇ではないですね。私が若い頃は大学というのは勤務すると週2日か3日行って、夏休みも冬休みもあって、暇で暇で三日やったら絶対止められない商売と聞いていましたからなったのですが、今はまったく違ってしまいました。

向こうの辞書でLeisureを引きますと、例えばオックスフォード辞典では「自分自身で処分出来る時間、自分が好むように使うことが出来る時間」とあり、要するに「暇」なんて一言も書いてないんです。アメリカのウエブスター辞典では「職業あるいは仕事からの自由、自分で処理できる時間」。フランス語のローベル辞典は「自分の意のままになる状態、何かをするための時間」とあり、すべて積極的な行為ですね、人間の積極的な行為のことをLeisureといっているのです。日本だけが暇という何もしない状態のことを言っているのです。

ここの違いはいまだにありまして、余暇と労働に関する価値観が日本と欧米ではまるで違うのです。人間の生活は、寝ている時間を別にすると、仕事と余暇で出来ています。オンで仕事をし、オフで余暇をとる。これは人間観の問題でありますが、西洋人は仕事というものは悪という考え方をしています。「work(労働)」というのは、神から人間が罰せられてエデンの園から追放されるときに「これからは額に汗して自分のパンは自分で稼がなくてはならない」ということで始まったことです。それまでは労働ということは無かったのです。神は労働しないんですね。

古代ギリシャにおきましても全能の神ゼウスは、ある日退屈でしかたがないので我々と同じような姿かたちをしたおもちゃを作ろうと考えて、人間を作るのです。神様は労働しないわけで、古代ギリシャにおいても労働するのはなにか悪いことをした人、犯罪人、奴隷でした。農業をするのも洋服を作るのも家事も全て奴隷がやって、市民は全く労働から解放されています。人間は働くものではないという考え方ですから、労働してはいけないのです。西洋人は古代ギリシャ・ローマの思想とキリスト教の思想が合体して精神構造の骨格が出来ていますので、彼等は現在においても、脈々と労働は悪であると思っているのです。

それに対して日本人は、労働は善である、働かないことが悪であるという考え方ですから、余暇というのは悪なのです。誰が言ったが問題なのですが、「小人閑居して不善をなす」という言葉、小人という字の意味は「子供」ではありません、「普通の人」のことです。普通の人は暇を与えると碌なことはしない。「民は生かさず殺さず」という言葉も同じですね。日本人はどうしても労働は正しいことで、遊ぶということは悪だと考えていますね。

人類学の方なんかは、西洋人は肉食動物なので、いっぺん食べると一週間くらいなにもしないでいいが、日本は草食動物なので、ついなにか食べていないとおなかが空いてしまう。だからいつも働いていないといけない。そういう解釈をする人がいます。

こんなわけで、欧米人はレジャーということを絶賛する訳です。この人間観がいまだに、バカンスなんていう行動や勤務体制などに表れています。皆さん方は定年を過ぎ余暇を充分お持ちになっているのでしょうが、それでも何か余暇をちゃんとして使わないといけない、毎日仕事もしないで遊んでいるのではなにか悪いことをやっているんじゃないか、という風にお考えになっていませんか。

日本では、余暇というのは重要ではないのです。重視しないで軽視なのです。悪ですから、軽視なんです。労働は、善ですから重視です。したがって、日本では余暇というのは仕事の後でしか存在しないんです。9時から5時まで働いて、5時以降が余暇なんです。月曜から金曜まで働いて週末が余暇。人生もずっと働き続けて定年後は余暇と。いつも余暇はつけ足しです。私はこの3年ばかり、余暇の思想史ということをずっと書いてきまして、やっと1月に脱稿して、京都の世界思想社という出版から「西洋余暇思想史」という本を6月に出します。余暇の思想というのは西洋ではギリシャ・ローマから脈々とあるのですが日本ではなにもないのです。

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4.余暇の現代的定義

余暇思想は、古い伝統がありますが、余暇論について欧米でも学問的な体制が整うのは最近のことです。学問的にLeisure学を集大成したのが、パリ大学のデュマデュディエという教授でありまして、この人の定義が今でも日本の関連の教科書には全部載っています。簡単に言うと「日常の拘束から離れて行う休息、気晴らし、自己開発活動の総称」というものです。この先生に言わせますとLeisureというものの解釈には3つあります。

ひとつは時間概念です。24時間から生活指定時間とか拘束時間を引いた時間がLeisureであるというものです。
二つ目は活動概念でありまして、休養とか積極的活動とか自己開発とかいうふうにLeisureというのは活動で考えるべきだというものです。
三つ目は倫理概念です。余暇というものは人間がどう生きるかという倫理学の問題で、余暇の選択ということがその人の生き方に関係してくる。西洋の行き方というのはギリシャの例にありますように教養を高める、すなわちきわめて自己開発に関わってくるのです。

古代ギリシャで、Leisureという哲学的なテーマを集大成したのはアリストテレスなのです。私も今回の執筆の中でアリストテレスを勉強しなおしまして、彼の膨大な著作をかなりの数、読み直してみました。そこで彼が言っているのは「良き人間になる」ということがLeisureの最終目標だということで、これは人間としての自己完成ということです。自分という人間を最終的に完成させるということを言っています。したがってLeisureの最終目標は、どう生きるかという倫理概念、これは別のフランスの学者が言っていることなのですが、フラスチエというフランス工芸大学の教授を勤めた人が「余暇の選択が人生の選択である」ということを言っています。私もこれは非常に良い言葉だなーと思います。

私は、どう生きるかという倫理概念と、Leisureということが重なっているという考えです。

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5.日本人の余暇時間

Leisureについてパリ大学のデュマデュディエ先生の社会学を易しく誰にでも分かっていただくように解説するのは私の仕事ですから、レジメ1ページ下のような三角形の絵を作ってみました。

図・余暇の主体的完成

Leisureというのは先ほど言いましたように労働から解放された時間に行う「休息」と「気晴ら」と「自己開発」として日本人の平均値の数字を取ってみると、日本人平均の平日の余暇時間は6時間ということです。退職後の高齢期になりますと10時間とか12時間になるのですが、サラリーマンで忙しい人は3時間とか4時間とかで、日本人平均で6時間なのです。

6時間のうち日本人は80%時間を「休息」に当てています。ごろごろしたりぼーっとしたりぼんやり休息でテレビみたりですね。皆さんテレビは長い時間見ていますが、ほとんどは休息で見ていますね。若い学生に昨日テレビを見ていた時間を聞いて、では何を見たかを聞きますとほとんど内容は覚えていないんです。テレビを見るのは頭を使っていない。頭を休めるための休息にテレビを見ていると私は思っています。

「気晴らし」は15%くらいでしょう。カラオケやパチンコに行くにしても毎日は行けませんからね。そして「自己啓発」については、ここに大きな厚い壁がありまして、これを乗り越える人は20人に1人しかいないですね。どんなに甘く見ても10人に1人でしょうね。神田雑学大学の方々は、このあたりをちゃんとおやりになっている方がお集まりになっていると思うのですが、残念ながら日本人の平均で言うと余暇を「自己啓発」に使っている割合は1割くらいです。自分を高めるとか、自分を深めるとか、年期を入れてなにかをやっているという方は少ないのです。

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6.今後のライフスタイル

著書長寿社会の余暇開発

私はこのような単線型ライフスタイルの日本人の人生は「3ばっかり人生」というまことに悲劇的な人生だと思うのです。つまり若いときは教育ばっかり、学校に行って塾行って家庭教師つけるという、教育漬けです。卒業後は仕事ばっかりです。そして定年後は余暇ばっかりです。

余暇ばっかりというのは駄目なんです。私は余暇の研究者としてずっとやって来て、いくつになっても年齢に関係なく余暇ばかりというのはやはり駄目だと思います。古代ローマもそうでした。ローマは1千年の歴史で滅びるのです。それは余暇に滅ぼされたというのが私の考え方です。それはそれとして複線型である今トライされている社会システムの話をしましょう。生涯学習論という考え方に立つているのですが、教育は22歳で終わらせては駄目だというものです。教育は労働期の中で行われなくてはならないということなのです。ですから私どもの大学院は夜間(大学院)と土日にやっているわけです。昼間は全くやっておりません。この教育は成人、勤労者を対象としたものです。

と同時に生涯学習というのは高齢者の問題なのです。60歳以降です。皆さまはまさに神田雑学大学で一週間に一度勉強しているわけです。人間の余暇期のなかで教育学習をやっているわけです。私はずっと余暇問題を専門にしてまいりまして、この図にあるように労働は60歳でやめるのは間違いであると考えています。

図2・単線型から複線型へ

歴年齢で一律に労働をやめるのは大変な間違いで、アメリカはレーガン政権の時代に雇用に伴う年齢差別撤廃法という法律を通しまして、それ以降アメリカでは定年制は廃止されたわけです。したがって役所も大学も会社もある年齢に達したから退職勧告ということは、その法律で罰則規定がありますので出来なくなりました。

この図のように年間労働時間を年とともにだんだん減らしていくというのは人間の理想の姿ということで、私はひとつの目安として、60歳で週40時間、65歳で週30時間、70歳で週20時間、75歳で週10時間、このくらいが理想的な働き方ではないかと考えております。そして75歳くらいまで働くのが良いのではないかとおもいます。ただ雇用の場が用意されているかが問題です。日本の社会では高齢者に雇用は用意されていませんから自分で探さなくてはなりません。何処かに雇われるのではなく、自分で仕事を作る自己雇用が必要です。人間の理想的な姿は労働は生涯労働、学習は生涯教育、働く時間はそれぞれ年齢や個人差があっていいとわたしは考えています。

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7.今後の余暇時間を創造的に活かす方策

余暇能力の開発

(1)好きなことを始める

     

(2)師 仲間を探す

     

(3)継続 

     

(4)発表

    

(5)他者への貢献

これからの高齢化社会を考えますと、人生退職期の60歳以降の余暇時間が10万時間あります。場合によっては15万時間の人もいます。労働期において余暇は細切れ余暇でした。新しく獲得した、まとめて使えるこの10万時間をどうするかということが非常に大事だということです。6ページに実践の方策について書いてあります。

まず第一は好きなことをやるということです。ともかく仕事というと嫌な仕事が多かったのですが、余暇というオフです。仕事のオフというのは、自分の好きなことをやる、嫌いなことはいっさいやらないというのが一番よろしいようですね。ただ困るのは「俺は何が好きなのか分からない」という人が多いことです。50歳定年前社員研修に良く行くんですが、「先生それがわかれば苦労しないよ。おれは仕事人間でずっと来たから、仕事がなくなって何やっていいか分からない」という方がいます。好きなことをやる。

そして仲間を作る。それも1人でやっていたのでは進歩しないし面白くないので、こういう神田雑学大学みたいなグループに参加することです。仲間がいないと駄目なんです。

3つ目は10万時間もあるのですから、一芸に時間をかけることです。
そして4番目は発表する事です。絵なんか描いている方は展覧会に出さないと駄目なのです。

5番目は他者に貢献することです。自分だけ楽しんでいるのではなく、どうやって周りの人とか他人に貢献奉仕するかということが必要で、余暇活動を深めるのは石の上にも3年と言う様に、好きなことでもとっかかりの3年は苦労があります。最初はしんどいのです。3年経てば大きな楽しみになります。この間は嫌いなことはしないという余暇活動でも辛抱が必要です。人間の知的能力は60、70、80歳でどんどん伸びるそうです。伸ばすコツは発表することと、教えることです。教えることを好む人、発表することを好む人はどんどん伸びるのです。なんで伸びる必要があるのでしょうか?伸びたほうが楽しいです。伸びないと面白くない、ですからやめてしまいます。

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8.余暇を使って金をかせごう

私は高齢期にも、年金プラスアルファで収入を稼いだほうが良いのではないかと考えています。これはPHPの「本当の時代」という雑誌なんですが、どうやって退職後年金プラスアルファーの収入を得たらよいだろうか言うことを書きました。

まず一番手っ取り早いのは、人様に教えて収入を得ることです。そして2番目には絵画とか、彫刻とか盆栽とか、今までやってきたものを作品を作って売ることです。特技を発揮して収入を得る。例えば、ビデオ撮影で結婚式のカメラマンを務める。パーティの司会を担当する。自動車の運転をする。通訳・翻訳をする。看板書き、代筆、料理、ガイド、とにかく特技を生かして稼ぎましょう。どこかに雇ってもらう話ではなく、自分が自分を雇うのですから、営業活動を一生懸命やって、お客様さえつけばちゃんと商売になります。

これからやっていこうという方は、どういうふうにやるのが早道かと言いますと、最初は先生に習うことです。さきほど3年は石の上にすわれと言いましたが、その時の辛さの痛みをうまくやわらげてくれるのがお師匠さんなのです。先生というのは、そういう苦しみを取り去ってくれて楽しみを教えてくれるのが役割ですから、単に教え方がうまいということで先生を選ぶのでなくて、初級につきものの苦痛が和らぐ、上達も早い、これが師匠との出会いの効果です。

そして先ほど言ったようにいい仲間を求める。一人でやるより誰かと一緒に学んだほうが互いに刺激になりますし、仲間を大事にするということで長続きすることもあります。

瀬沼講師の著書 それからくどいようですが自分の作品を外に発表しないと伸びません。恥を覚悟で発表してみれば、好、不評さまざまな意見が聞けて、それが次の進歩に繋がります。私は若い頃からこれは意識していて、30代で最初の本を書きまして、今日まで40年近くで92,3冊になります。皆さん90冊というと凄いとおっしゃるけれど全然凄くなくて、一年に2冊か3冊を絶対に出すと決めていましたから、40年経つとこうなるだけなんです。これは私の場合道楽で書いているので、仕事で書いているつもりは無いのです。

わたしの趣味はお金が入ってくる趣味です。講演も大好きでダブルヘッダーもやるぐらいです。今日は4時まで上智大学で講演し、6時からここです。ともかく皆さんは作品を発表してお金を頂くことです。なにかお金のことばかりこだわっているようですが、私の今日の講演は神田雑学大学の三タダの趣旨に賛同して社会貢献で無料です。(笑い)

余暇での活動では社会貢献とお金を稼ぐことは両方が必要です。神田雑学大学は事業としてソバリエをやったり、パソコン教室をやったり、また三タダで社会貢献の学習講座をやったり、外から見ていまして非常にそのあたりが優れている点であると思います。

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9.質疑応答

講演中の瀬沼講師の写真 講師:年齢ととともにだんだん労働時間を短くしていくという生涯労働という考え方を皆様はどう思われますか?

今内:私は定年後は労働はしたくないほうです。私は稼いではいませんが、リタイヤ後半七捕り物帳の研究をしておりまして、約6年かかって分厚い半七捕り物帳事件というものを作りました。中身が多すぎて普通の本にすると800ページから1000ページくらいになってしまうのです。本屋さんにも持って行ってもそんな厚い本で中身が半七じゃ売れないと言ってなかなか出版してくれないのです。ですからやっていることは楽しいんですが、ひとつもお金にはなりませんね。(笑い)

得猪:私は仕事が10年位目から暇になったから、なにをやろうかと三上さんにも相談して、世界の鶏の鳴き声を調べ出しました。そして論文を書きました、それが何故か日経新聞の文化欄に取り上げられたんです。そしたら数日たって文部科学省からいっぺん来てくれ、これは面白いので、毎年少中学校の先生向けに出している本に紹介したいと言われました。そのころ総合学習が始まったばかりで、これは非常に良い材料だと思う。そして実際に少学校まで行って話をし、こどもはずいぶん喜んでくれたのです。ところが最近になって、総合学習というのはあれは大きな間違いであったと。ゆとり教育が当時叫ばれた結果学力がどんどん落ちてあれはたいへんな間違いであったと今では文部科学省も認めているんですね。

そんなことで、梯子がはずれた私は自費出版をしました。そうしていると意外なところから声がかかって、今回、祥伝社から出版することが出来ました。

講師:私はさきほど営業努力といいましたが、今のケースは自費出版という種まきをしたのですね。そうやって社会に関わっていく創造的な余暇活動が私の言っている第3段階の余暇創造方策で、さすが神田雑学大学の方は進んでいますね。

終わり



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文責:臼井 良雄
会場写真撮影:橋本 曜 HTML制作:大野 令治

本文はここまでです

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