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平成20年11月14日
神田雑学大学定例講座N0432



ー千代田図書館トークイベントー  古書販売目録と反町茂雄氏   八木書店 八木壯一


目次

 メニューの先頭です 1.講師プロフィール
2.はじめに
3.古書と古本の違い
4.日本での古書の流通について
5.市会について
6.日本の残存書物と市場で入手できるもの
7.明治、大正、昭和戦前、戦後の特色ある古書店と古書目録
8.反町茂雄氏と弘文荘待賈古書目
9.展覧即売会の目録
10.八木書店のこと



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1.講師プロフィール

八木壯一講師 東京都千代田区神田神保町1丁目に生まれる。
立教大学経済学部経済学科昭和36年卒。大商證券金融法人部入社。
その後家業の(株)八木書店に入社。現在代表取締役社長。
その他第二出版販売(株)、(株)日本古書通信社、神田古書店連盟古本まつり宣伝担当、全国古書籍商組合専務理事、東京都古書組合専務理事、日本古書籍商協会会長、神保町ブックフェスティバル実行委員、本の街・神保町を元気にする会理事等経歴多数。
趣味は旅行、読書、音楽。
著書:新発見のきりしたん版「ナバルスのざんげ」(日本古書通信 昭和61年5月号)「百万塔及び陀羅尼の伝承」(『百万塔陀羅尼の研究』平成19年11月 汲古書院)

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2.はじめに

こんばんは。八木書店の八木でございます。
今回は千代田図書館および千代田図書館のサポーターズクラブそれからサポーター ズクラブの法人会員であります神田雑学大学との共催のイベントということで、お招きいただき大変光栄に存じます。
かねがね新装成った千代田図書館は、本を借りたり読んだりするだけの場所ではなく、多くの人に図書館を色々な形で活用してもらうという目的のもとに運営なさっていると聞いており、私どももその趣旨に賛同し、私も千代田図書館出版アドバイザーのお役目を引き受けさせて頂いている親しい間柄であります。
只今図書館の河合さんから先生とご紹介がありましたがとんでもない話で、私は商売人であります。今日のテーマの一つである 反町茂雄さんも、私なんか比較にならないくらい知識も知恵も持っていらした方でしたが、晩年行く先々で先生々々と言われ ていて、それが大嫌いで、「私は先生じゃありません」と言っておられました。「私は商売人です」ともおっしゃっておられました。
そうは言っても、私の一生の中で色々なことを教えて頂いた、私が先生と呼ぶひとりが反町茂雄さんです。その反町さんのことを 今日話させていただくのは大変嬉しく思っています。

古書の販売目録ですが、実は反町さんがずっと集めてきたものが約7000点くらいありました。それを古書組合の古書会館に置こうとしたのですが、私を含めて本屋というのはだいたい整理が下手でして、そういう資料類をすぐめちゃめちゃにして しまうのです。
反町さんがお亡くなりになった後、千代田区の方になんとか置いてもらえないかなーと当時区会議員だった高山さんに頼みまして、この千代田図書館に収めさせて頂いた経緯がございます。

私ども八木書店はさきほど老舗というご紹介がありましたが、実は駆け出しで、神保町で父が創業したのは昭和9年です。
今日お配りした古書通信と言う雑誌がありますが、これを昭和9年に創刊いたしました。
一誠堂書店から独立して古書通信を創刊し、それから六甲書房と言う名前で古書店を始めました。そのときに高山さんのお父様がうちの店にいまして私は高山さんのお父さんに小さいときションベンを引っ掛けていたような立場でございます。色々な縁が古書業界には絡み合っています。のちほど簡単に説明したいと思っています。

講演風景

高山さんの高山書店は創業120年になりますし、うちの父が出た一誠堂さんも105年くらいになります。ご存知のように神保町の歴史から言いますと有斐閣さんが一番古くて明治10年だと思います。
今日は古書の取引の世界のことをまず話してみたいと思います。その上で古書の販売目録の話し、それから反町さんの話という ことで話しを展開し、最後にプロジェクターを使って話したことを纏めつつ、私ども八木書店のことも少し話してみようと思います。
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3.古書と古本の違い

現在古書と古本という呼び方が定着していますが古書というと「Rare books」とか「Antiquarian books」いう ような本自身の価値によって価格をつける本です。古本といったら定価があってそれよりも安く売っている本ということになるでしょう。
欧米では古書と古本では流通が完全に分かれています。日本の場合は私どもを含めてそのウェイトはそれぞれの店で違いますが、両方扱っています。
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4.日本での古書の流通について

古書の流通についてここで述べておこうと思います。
まず古書の仕入れがあります。
仕入れするのにお客様から店に持ち込まれてくるもの、これを客買いと言っています。
そして宅買いといってお宅に伺って買わして頂く仕入れがあります。
それからもう一つの仕入れに市会があります。これは日本独特のシステムだと思いますが、なかなか良く出来ているシステムだと思いますので後ほど説明いたします。
それから他所の店からせどってくることや他所の目録から引いてくるとか、せどりと呼ぶ仕入れもあります。
それぞれ各店には専門がありますので、他所の店でつけている値段で自分のところの基準で買えると思うものは、みんな目を皿のようにして買ってくるという ことになりますし、市場でも得意の分野のものを持っている業者が強いということになります。

つぎにその買ったものを販売することですが、一つには店売りがあります。店に来るお客様に買っていただくと言うものです。
もうひとつの大きな方法が目録販売という道があります。自分で作る目録や共同で出す目録だとか、あるいは先ほどご紹介した古書通信などに出す目録がございます。
そして新しい販売方法として最近はインターネットでの販売が今古書の業界では比率が高くなってきております。一般の本はイ ンターネットで随分売られるようになりました。
ブックタウンじんぼう http://jimbou.info/で神保町のことは大体分るようになっています。
また日本の古本屋 http://www.kosho.or.jp には約500万点の一般書が出ていてこれである程度の本は見つけられるようになっています。
その他アマゾンにマ―ケットプレイス http://www.amazon.co.jp/ それからスーパ―源氏  http://sgenji.jp/ があります。
それから私どもの本古書籍協会でやっているABAJというホームページがありまして、 ここはILABと繋げていますので世界の古本屋と繋がる様になっております。ご利用いただきたいと思います。ただ本当の古書はネットではなくやはり目録でいくのかなと思っています。

それからもう一つは図書館ですとか博物館とかに持ち込んでいく商売のやり方があります。
また展覧会で販売するという方法も昔から続いています。古書会館では毎週金曜日、土曜日に古書展をやっております。金曜日の朝なんかは行列が出来ています。人気のある時は外まで人が溢れる時もございます。展覧会は百貨店でやったりもいたします。
それから自分のところで向かない本は市場に出します。これらが主なる販売の方法です。
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5.市会について

市会風景市会というのは、交換会とも言うのですが、東京では駿河台下の本部会館、正式には東京古書会館で毎週月曜日から金曜日までやっておるものです。
月曜日は中央市会といって文庫コミックなどを含め一般書をやっております。
火曜日は東京古典会、日本は奈良天平時代以来連綿と本が世界でも珍しいくらい残っている国です。

そういう日本の古典籍を主に扱うのが古典会です。
実は東京古典会の大市会を今日と明日、下見をやります。そして翌日と翌々日の日、月曜日に入札会が行われます。ご興味のある方は明日は一般下見をやっておりますので、ご覧になれます。
このごろ大学図書館ではなかなか日本の古い本を見るのが難しいそうです。ですから大学の先生方が大学院生なんかを連れてその古典会に来て、実際に本を手にとってご覧になるような場にも使われているようです。

火曜日はそのほか洋書会をやっていますが、これははっきり申し上げて今厳しいです。
水曜日は東京資料会といって学術書とか雑誌のバックナンバーなどを主体にしています。
一新会大市風景 木曜日は神田支部主催の一新会という月曜日の中央市会とは一寸性格の違う一般書の市会をやっています。
右の写真は現在の古書会館が出来る前の一新会の大市会風景です。

金曜日が明治古典会といって明治、大正、昭和と続いている近代の資料だとかあるいは私どもが得意としているのですが、作家の原稿ですとか、手紙だとか、今日もいらっしゃいます時代屋さんなどが得意にしています版画などが扱われます。
全部のジャンルが分る業者なんて当然いませんから、各店は自分の得意とするものを市会に行って買うということになります。
東京の場合にはこの他、五反田にある南部、中央線は高円寺、北部は板橋、東部は箕輪に会館を持っていまして、そこで週二回市会をやっております。
地方でも大阪、名古屋、京都では会館を持って市会をやっています。他の地方ではどこか場所を借りて、それぞれのところに合った様な市会をやっております。

じゃその市会での入札はどうやってやるのか、値段はどう決まるかということですが、これには置き入札と言うシステムと、もう一つは フリと呼ばれるいわいる競り、それからオークションの3つの方法があります。

フリというのはフリ手が例えば10000と言って、続いて11000、12000とか声を出して上げて行く方法です。
私どもは古書組合だけでなく東京美術倶楽部(クラブ)と言う美術の方の組合にも入っているのですが、美術の市場では今でもフリです。ですから産声が50万円くらいだったのが、道具なんかは1000万、2000万になってしまうものがあります。
それからオークションは、ビッターがいまして、例えば一万ドルと出るとそれに呼応する人は手を揚げていく。それに応じて1万1000、1万2000とビッターがどんどん値段を上げて行く。買えないと思った人は手を降ろしていくというようなやり方です。
このあいだクリスティーズのバイヤーに話しを聞く機会がありました。
ご存知の14億円の運慶の仏像をニューヨークで仕掛けたもので、この人は神保町の出身なのです。神保町の駿河臺ホテルの次男坊さんだそうです。運慶のものは外国にひとつもないので、 あれは是非外国に置きたかったとおっしゃっていました。あれは最初一億か二億から行っていたと思いましたが、日本人で追いかけた方が7億くらいまで追いかけて、ニューヨークのある外国人が12億円まで追いかけて、最後にご存知の宗教法人が、手数料入れて14億円で落とした。それで日本に戻ってきてしまいましたと言っていました。
そのあと歌麿の大首のすごくきれいなものが出て、一億円で出たのですが、これは出来なかったようです。

一新会大市風景 東京古書組合の場合は置き入札という方式を取っています。右の写真のように各本には入れ札を収容する封筒がついていて 、これに自分が買いたい値段を書いた札を入れていくのです。
下に置き入札の例を書きますが例えばAという本があったとします。それにa書店が11万円、10 万円、8万円という札を入れたとします。b書店は9万円、7万円、5万円という札を入れていたとします。そうするとa書店に 10万円で落ちるという方法です。もしここでb書店が9万円の札も入れていなかったとしますとa書店に8万円で落ちるという ことになります。
まあこういう切りのよい数字は稀で、私どもは八木書店ですから10万800円とか縁起をかついで特別な端数を入れたりします 。

通常市の場合は昼ごろまでに札が並んでいます。その並べるのは経営員というものが全部本の仕訳をして並べます。独り立ち する本、山にしなくては売れないような本それを分けていきます。
経営員というのは全部古書店の子弟です。これが一つの教育の場にもなっているのですが、その山の切り方で値段が決まってきます。

私どもで3年くらい前、九州のある大学の先生からトラック一台分の古書を私の弟の専務が行ってその場でだいたい 300万くらいになるでしょうねと預かってきました。
東京で古書会館に持っていって、大量の本ですので詳細に品物を分けまし た。そうしましたらその中に古活字版の竹取物語がありました。
これは(朝鮮金属)木活字で印刷した大変貴重な本なのです。それだけで250万円の値が付きました。
私どもの店も欲しかったのですがあるお店に取られてしまいました。その時の300万円のものの中には外にも良いものがありまして結局1000万円くらいになりました。
こういう古書というのは汚くて価値が分らないものも多くて、一山幾らで売り買いされると価値が分らずに埋もれてしまうものがままあります。しっかりした古書店を通して処分することが必要だと思いますね。

入札の下見 右の写真は入札のための下見をしているところです。 真剣な雰囲気がつたわってくるでしょう。
そんなやり方で開札が1時半くらいから始まりまして夕方には終わっております。 夕方に行けばその日何が落ちたのかが分るような仕組みになっております。
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6.日本の残存書物と市場で入手できるもの

日本という国は連綿と本が残ってきています。それも幅広いジャンルの本が残っています。この話しだけでも長くなりますので、はしょりますが、それ等の古典籍はおおざっぱに分けて、書いたものと印刷したものがあります。

書いたものの代表が最近話題の紫式部の源氏物語です。
ここ一年ほどまた新しい写本が発見されたと騒がれております。
実は私どももある源氏物語を持っていて、日本では結果的に売れませんで、アメリカの議会図書館が買ってくれました。
ただ紫式部が自筆で書いた源氏物語というのはないんです。 藤原定家が写した青表紙本の系統と河内守が写していた河内本とそのどちらにも入らない別本との3種類と言われておりま す。
その中で今までにない本が出てくると、新聞に色々騒がれるということのようです。物語の大筋は変わらないようですがやはり言葉のニュアンスが違ってくるようでして、そういう新しい物が出てくると話題になります。
このように日本には古いものが沢山あって、いまだに発見があるのです。その中で明治以降の古書の目録の話に移らさせていただきます。
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7.明治、大正、昭和戦前、戦後の特色ある古書店と古書目録

反町茂雄さんは古書の目録を丹念に集めておりました。反町さんはなんでこんなに集めたのか?
私が想像するに、一つは本の価値を見極めるためにその時代時代でどんな風に古書業者が本を評価していたのかを見るためだったと思うのです。
もうひとつは価格を参考にするため集めていたのではないかと思うのです。

その目録は10000点くらいあったのです。ダブリを除いてそのうちの7000点をなんとか千代田区で収蔵してもらえないかと思って 、最初一ツ橋中学に置いて、千代田区で予算をつけていただいて、早稲田大学の柴田先生にお願いして早稲田の大学院の学生5人ばかり約一年半かけて目録を取っていただきました。

千代田図書館古書販売目録記事 千代田図書館展示パネル例

その目録が千代田図書館のウェブサイト「古書販売目録検索システム」で今見えるようになっています。
http://www.library.chiyoda.tokyo.jp で千代田図書館のホームページを開き、「蔵書検索と予約」をク リック。続いて「古書販売目録」をクリック。そして現れたページで「古書販売目録検索システム」をクリックすることで入れます。
書店別、展覧会、即売会別に目録が出来ております。

この古書目録の価値ですが、反町さんが考えていた価値、あるいは大学の先生方が考えている価値はそれぞれですが、皆さん大切なものと考えていた点では同じです。
例えば井上宗雄という立教大学の先生は、古書の目録を見ていると今まで分らなかった本が出てきたとおっしゃっておられますし、九州大学の中野三敏先生は約3000点くらい古書目録を持っていらっしゃいまして、それを自分が死んだら家族は棄ててしまうだろう。なんとかならないだろうかなーと近代文学館のニュースに書かれておりました。
私はそれはもったいないと思って中野先生に言いましたら、寄贈していいよと言われたものですから、千代田区に話しましたら受けさせていただいてもいいよということで、千代田区で受けていただいております。ただそれを整理するのに予算をつけなければいけないので、この古書目録の意味をもうちょっと皆様に理解してもらわないと、予算がつかないよということを図書館から言われまして、今日の私の講演でも訴えたいところであります。
この中野三敏さんの3000点が入ると、いま抜けている分なんかが埋まるんだとおもいます。
さっき時代屋さんとこの話をしていましたら、時代屋さんにも目録があるので千代田区に寄付しますと電話したら、いらないと断られてしまったそうなので、私は是非それも千代田区に引き取って欲しいなとお願いするつもりです。
このような古い目録を整理する機会はそんなにないので、万一 いまは駄目でも私のところで預かって、粘り強くお願いして引き取ってもらいたいと思っています。

私は先日図書館の部屋に入れていただいて、収蔵されている目録を見ました。
私の立場からからは大変面白い、何時までも見ていたい資料でした。たぶん先生方が見たら、先生方の立場立場で面白いでしょうね。
ただ今の図書館のシステムは面倒くさいと思います。
例えば5冊づつしか出せません。それではなくで、どこかの書店の分を見せて くださいと言うと、それをボーンと全部いっぺんで見せてもらえるとか、そんなシステムを取って貰えないかなと思っています。
先ほど天理図書館の先生が来られていて、この話しをしたら、そんな風にして貰えたら見に行きたいなとおっしゃっていました。
天理図書館はわりと厳しい図書館と言われていますが、そういうコレクション類は纏めて貸し出しするシステムを取っているんだと言わ れていました。
是非そんな形になって欲しいなと思っています。そうするとまだまだ新しい発見が古書目録を見て行われるのでは ないかと思います。

現在一番古い古書目録 今日その中で私が特徴あると思った目録を10店ばかり出していただいてここに持ってきて頂きました。
右は雁金屋青山清吉という明治23年2月の目録です。
これは伝通院にあった本屋で出版もやっておりました。中野先生のものを整理しますともしかしたらもっと古いものが出てくるかもしれませんがこれがいまある古書目録としては一番古いと反町さんは言 っています。
その次が鹿田松雲堂のものでこれは合本にしてありますが明治23年5月のものです。
この鹿田松雲堂という店は夏目漱石だとか森鴎外が関西に行くと必ず寄って行った古本屋なのです。
鹿田の目録を見ると例えば慶長古活字版の節用(セツヨウ)集なんてが出ています。それが80銭と出ています。
たぶん今出てきたら1000万か1500万円くらいはするんじゃないか なと思います。
それからここに天和年間の好色一代男が出ています。それが一円四十銭と出ています。たぶん今 出たら3000万から5000万くらいは値がつくでしょうね。
明治の初めの頃は嵩のある本が値段が高いのです。あるいは西洋からのことを紹介した本が高いのです。これは時代の流れだろうと思います。

沖森書店目録 この鹿田松雲堂から出た人が始めた店が沖森書店で伊勢 松坂の出身の方です。この人は良い本を扱ったので先生方 の間では定評のある方です。
約300号ぐらい沖森書店として目録を出しております。
先ほど話しました天理図書館の木村先生は全部これを集め まして合本にして天理図書館と先生がおられた大阪樟蔭女子大学とにおいてあります。
沖森さんは芭蕉のものや古活字版なんかをずいぶん沢山目録に載せております。

つぎに地方の本屋と言うことでは京都の思文閣のガリ版刷りの目録があります。
戦後のものでしょう。今でも思文閣さんは隆盛にやっております。
思文閣のガリ版刷りの目録 実は思文閣さんがこのあいだ70周年で、京都でお祝いの会をなさいました。その会で頂いた社史に古い古書の目録をずっと載せているのです。
実はそれが全部千代田図書館蔵となっています。自分のところにはないのです。思文閣さんにしてみれば、千代田図書館が保管してくれているのを大変喜んで載せたのだろうなと思いました。

松本書店の目録もうひとつは名古屋の松本書店の目録です。昭和3年の目録です。
これを見ていましたら、小酒井不木(こさかいふぎ)という方が昭和3年に「古本の値段が最近上がってかなわない。一般書はどんどん下がっていくのに古本だけは上がる。けれどこの上がるのには意味がある。借金しても古本を買うべきだ」と書いています。
ちょうど金融恐慌の後なんです。今と時代が合うと思いますので皆様も古本を買うチャンスです。(笑い)
それから名古屋で有名な藤園堂さんの目録があります。いい本をずいぶん扱った人です。

そして東京に来ますとまず文淵閣浅倉屋の目録です。この古書店は江戸時代から続く店です。
今でも古典会の会員で、いまは浅草でなく練馬の方に移っていらっしゃいますが、関東大震災、第二次世界大戦の東京大空襲を潜り抜けて続いている店 です。
楠林南陽堂目録 それから楠林南陽堂といって明治27年創業、今水道橋から春日の方に行った右側にビルがありましてそこのお店です。
このお店がすごくいい本を扱ったということは承知しているのですが、切支丹版「おらしょの翻訳」をこの店で扱っておりました 。
いま天理図書館に入って重要文化財になっております。
この本は目白の松平家からくずで仕入れてきた山のなかに漆の壊れた箱があってその中にぐずぐずになった本が入っていたのだそうです。それを慶応大学の幸田成友先生に見せたらこれはえらい本だよといわれ、それを書陵部の遠藤さんという本の修復をする人に頼んで全部きれいにしてもらったそうです。
×印をはずした切支丹文書おらしょこれは禁教の本ですから各ページには筆でバッテンが入っていた。それをひとつづつ外してはめ込むと言う作業をしてバッテンを外しています。
遠藤さんは自分の一生の仕事の中で一番の仕事だと書いておられます。
この記事が日本経済新聞に出て、天理の図書館もそれを知らなかったので私が聞いて来いと言われ、遠藤さんに私は会いに行きまして話を聞きに行ったことがあります。南陽堂の目録にはこの本については値段が入っていませんね。よほど入れ込んでいた本だったのでしょう。
南陽堂さんの目録ではここに100号記念の目録というものがありましてここに今、逸翁(いつおう)の美術館に入っている「露殿( ついどの)物語」の目録が掲載されています。
露殿物語目録カラー口絵 そこにカラー版の口絵を出していまして、たぶん古本屋でこういうカラーを使った最初の方ではないかと思います。
これを読んでいましたら小泉八雲がチェンバレンとやり取りした手紙とか、原稿の写真とかが十点ほど載っていました。小泉八雲全集に万一これが載っていなかったらすごい発見になるなと思っています。
それからこの中に桐箱に入った黄表紙の写真が載っていました。
これはその後小汀利得さんに収めた本だと思うのです。 実はこれはその後私どもで扱った本でした。
小汀(浜)先生の本は最後私どもで売りたてさせていただきました。その時にうちで 買って、現在天理図書館に収まっております。本というのはこんな風に動いていくものなのですね。

田中慶太郎さん顕彰冊子 それから文求堂の目録。これは漢籍の本屋です。
実は文求堂さんは私の八木壯一の名前をつけてくれた人なのですが、 戦時中に魯迅ですとか郭沫若とかを匿った人でして、中国から沢山本仕入れて大きな商売をやった方です。
吉川幸次郎先生とか漢籍の先生方は文求堂に出入りしておりました。
右画像はご子息が田中慶太郎さんを顕彰したときの冊子の表紙です。

それから村口書房の目録を見たいなと思っていましたらありました。
この店は今の専修大学の交差点にある城南信用金庫のところにありました。
ここも大きな商売をした人でこの村口半次郎さんの息子さんの村口四郎さんという人も戦後古書組合の神田支部の支部長をなさっていました。
この村口さんが集めていた本が現在大東京記念文庫と駒込の岩崎文庫にあります。
それは初代八幡製鉄の所長などを務めた和田維四郎という方が鉱物の標本を集めて一番だと言われている方ですが、その人が定年になってから本を集めました。
村口に行って君のところの本を全部もってこいと言われ、和田さんはそれを整理して大東京記念文庫と岩崎文庫に買わせた物なのです。
もうひとつは巌松堂の目録があります。この店は今の神保町の交差点の東京三菱銀行にあった波多野さんのお父さんがやって いた本屋です。
この目録を見ますと大橋図書館の館長の坪谷さんが巻頭言を昭和3年に書いておられて、やっぱり古本の値段が騰がりすぎだと。でも今買うべきだと書いてあります。
同じように皆さん感じているんだなと思いましたね。

次に一誠堂書店ですがこれは関東大震災後に作った目録です。

一誠堂初代の酒井宇吉さん 一誠堂目録一誠堂目録新聞記事

一誠堂初代の酒井宇吉さんという方はもともと東京堂書店、 これは博文館の大橋家ですから、そこに勤めていて、自分で古書販売を始めました。
大橋家は長岡の出身で、酒井さんも同じ長岡の出身で関東大震災でいったん長岡に戻ったんですが、奥様が小千谷の材木販売業の娘さんだったので、早速材木をかついで東京へ戻り店を建てて、大阪に本を大量に買いに行くわけです。それを壊滅していた東京の大学図書館なんかにこういう目録を作って売り込んで、大きな商売をしたのです。
現在も残る一誠堂ビル 私はその話しを聞いていましたから、阪神大震災の時、古本屋が商売出来るかと思ったら、あのときはどこの図書館も燃えていないのでした。逆に洋装本は地震で落ちて危ないというので、古書市場にはあの時は洋装本が溢れかえりまして困った記憶があり ます。
一誠堂さんはこれで成功して現在でもモダンなビルを昭和4年に建てています。
そのとき神保町の交差点にビルが出来たのは 一誠堂と万崎、冨山房さんの3軒がビルになっています。一誠堂さんはもう創立100年になって こういう立派な目録をお作りになっています。わたしは今古書業界の中で実質的な力を持っているのは一誠堂さんだと思っています。

反町さんはこの一誠堂の出身です。
東京大学を出て一誠堂に入って昭和7年に独立しました。私の父も昭和4年に一誠堂さんに入って昭和9年に独立しました。
大屋書房の目録もあります。おじいさんの時代から出していたのですが、大屋さんはここのところずっと目録出していなかったので す。
ところがこんどの後継の久里ちゃんというのが頑張って妖怪目録という目録を出して私にくれましたので、ご紹介します。 次に弘文荘の目録になります。弘文荘は反町さんの作られた店ですからまず反町さんの話しをさせてもらいたいと思います。
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8.反町茂雄氏と弘文荘待賈古書目

90歳の反町茂雄さん 右の写真は反町さんが90歳のときの写真です。
反町さんの書かれた「一古書肆の思い出」をお読みになった方はいらっしゃいますか?
かなりおられますね。私はこの本と「天理図書館の善本稀書」が反町さんを考えるのに一番良い本だと思っています。
天理図書館は日本で一番いい本を一番沢山 もっている図書館なんですが私どもはそこの本の複製を約20年かけてやらせていただきました。
その月報に反町さんが思い出を連載され大変好評を得ましたので、それを単行本にしたいということで、反町さんに申し出て、反町さんが大変喜んでくれました 。
3000部くらいからやって一万3000部くらいまで売れたでしょうか。私が題名をつけて反町さんのところに持っていったのは「一古書肆の思い出」という名前でした。
天理図書館の善本稀書 反町さんはそれを見て「天理図書館の善本稀書」にしなければいけないと強く言いまして、あの人は言い出したら絶対きかない 人でしたが側に奥様がおられて、壯一さんがああいうのだから少しは聞いてあげなさいよと言っていただいて、じゃ副タイトル にしようということで、入ったのです。
中身から言うと反町さんの本に対する書き物はこれを読んでいただくのが第一でその次に「一古書肆の思い出」があると思いますように、エッセンスはこの「天理図書館の善本稀書」に一番入っております。

それはそれとしまして、反町さんは明治34年1907年に長岡で生まれまして90歳で平成3年にお亡くなりになりました。
昭和 2年に東京大学法学部の政治科を出て、それで一誠堂書店に入ったということになっています。
ところが実は反町さんは就職第一回は失敗しています。
あの人がそもそも古本屋になろうと思ったのは岩波茂雄の轍を踏もうと思ってで、出版がやりたかったのでした。岩波茂雄が古本屋から出版をやったので、その轍をふもうとしたのです。
反町さんのお兄さんは大東京火災の中興の祖と言われている人で、長岡へ行きますと反町家というのは有名で裕福なお宅なんですが、その兄さんは反町さんが本が好きだということは良く知っていて、新聞記者になりたまえと言ったらしいんですが、反町さんは出版がやりたいということで、それには古本屋に勤めようということで、長岡の出身で今でもありますが十字屋書店さんの酒井さんに頼んで、最初に就職したのが東陽堂書店という今高林さんがやっている店です。
ところが東陽堂書店に絹布団をかついで行ったら吃驚されて、一晩で追い出されてしまいます。それで困って次に酒井さんに紹介されて一誠堂に入ったというふうに聞いております。
反町さんは自転車も乗れなくて、最初は自転車のこぎ方の勉強から入りました。丁稚で入ったわけですね。
その時分の東京大学の卒業生の中で一番月給が低かったそうです。ところが半年もしないうちに頭角を現して、番頭になってしまいます。

一誠堂の初代の方は大変太っ腹な人だったようで、一言で言うと反町さんに店をみんな任せてしまうのですね。
おやじさんは店に居ないで神保町のあちこちに行っていたという話しを聞いています。

岩波新書「東西書肆街考」皆さんのお手元に配布しました神保町の古書店マップがありますが、この中の地図を見ていただきますと、駿河台下の小川町の方から、崇文荘書店というのがあります。この佐藤さんも一誠堂の出身です。
私ども八木書店も一誠堂の出身です。
その前の三茶書房さんも一誠堂の出です。慶文堂さんは小宮山さんの卒業生なので、小宮山書店は一誠堂の出ですからこの系統です。
東陽堂も一誠堂の出です。そのあと一新堂さんも悠久堂さんもその流れ、高山さんはもともとあるけれど、高山さんのご主人は私どもから出られていますので敢て言えば一誠堂の系統です。

神保町には一誠堂の系統と巌松堂の系統が多いのです。
神田にあります巌南堂は巌松堂の巌の字をもらって名前をつけてい ます。
神保町にもともと店があって今四谷に行っています雄松堂書店はここも巌松堂の出身で巌松堂の松をとって雄松堂書店としています。
本郷の資料物を扱っている古書店はだいたい巌松堂の出身者が多いんです。商売のやり方も違っていまして 、一誠堂出身者はどちらかというと店売りを主体にやってきております。
巌松堂の人達はある意味で荒っぽくて外へどんどん出て行くタイプが多いです。今は時代がどんどん変わってきていますがそんな傾向があると私は思っています。
こういう話は脇村義太郎さんの岩波新書「東西書肆街考」を見てください。古書街のことが良く分る本です。

その中で反町さんは一誠堂で頭角を現します。
反町さんが一誠堂でしたのは一般書の扱いです。
あるときに一誠堂が暮れにバーゲンセールをやりました。
そこに来たのが天理教の二代真柱になられた中山正善さんでした。
中山さんは東京大学の宗教学科を出て卒業論文を出し終えて一誠堂に来たのだそうです。その時一誠堂にあった本をかなり買われたそうです。
駒込の染井に中山さんのお宅があって届けてくれと言われて、最初はどこの誰かも分からないので最初はこわごわ届けたそうですがその後で 中山さんということが分って、それから反町さんと中山さんはコンビで東京中の古本屋を回って雑誌のバックナンバーを集め歩いたそうです。

目録を手に熱演中の八木講師 二人とも古典籍には関心がなかったのです。
ところが一誠堂で九条家の売りたてをやりまして池田亀鑑(キカン)さんから注文を受けたところが、一誠堂としては二点くらいしか落とせなかった。
反町さんはそれまで例えば源氏物語の活字本は先生方がきちんと校正されて出されているのだから、それでいいんだと思っていたのです。
ところが池田先生の話しを聞いたりしていると、そうじゃないんだと、源氏でも本文が確定していないので、そういう古いものが必要なんだということを、知ったという話を私は聞いたことが あります。
それからそういう古典を反町さんは独学で勉強したそうです。そしてそういう古典籍類を扱い始めました。
天理の真柱は天理教の教祖の中山みきのお筆先の研究をしている中で、やはりそういう古いものを見なければならないということに目覚め、古いものに関心を持ち始めました。
反町さんの目録の数々 反町さんと中山真柱とはある意味で友達であり、一番のスポンサーだったと思います。

最初反町さんは一誠堂の番頭ですから一誠堂にあった和本類を市場に持っていって全部売り払ってしまうのです。
洋本だけにしてしまうのです。
それから先ほどのようなきっかけで古典籍を勉強しまして、独立した時「弘文荘は和漢洋の善本の売買を営んでおります」ということで借金はしない、人は雇わない、安い本・平凡な本は扱わない、という3ない主義ということで仕事を始めました。
弘文荘善本目録そして経営の基本として「店を持たない」「目録販売が基本」「日本の古典籍と洋古書が中心」「出版を行う」をあげていましたが、最初に洋古書の販売をやめました。そして出版もいい本を出しているのですが辞めまして日本の古典籍に集中いたし ました。それも目録販売だけに徹して商売をやってきました。
外国でもそうですが一流の古書店は目録販売ですね。古美術屋でも一流の古美術屋さんは店を持っていない人がおります。
私どもも実は今の古書部を買おうとしたとき、親父は何でも反町さんに相談に行くのですが、「お店なんて持たないほうがいいんだ」と言われたらしいんですが、父にするとどうしても神保町のあの通りに店が持ちたくて持ったわけですなんですが、反町さんはそういう徹底した人です。
弘文荘古書目録そこらへんの反町さんの人となりなんかを「反町茂雄の人と仕事」という本に私どもで纏めました。これは千代田図書館に無いというので今日寄贈して帰ろうと思っていますが機会があったら見てください。

私から見た反町さんという人を幾つかお話させていただきますと、ひとつは商売人に徹していたと思います。
先生といわれるのを大変嫌っておりました。それから本の価値と価格にすごく拘っておりました。
天理の先生などはおっしゃるのですが、反町値段というのがあるのです。
弘文荘古活字版目録 あの人が市場に行くと洋書なんてすごく安く買えた筈なんです。普通の人は洋書なんて読めないところに東大出の反町さんが行くんですからいいように買えたんだろう思います。自分で値段つけてそれは商売出来たんだと思います。
反町さんは古典籍を買ってくるとそれを全部カードに書いていました。
ある時から森銑三さんって有名な先生がいらっしゃいますが、 あの人は弘文荘の社員でした。
森さんが全部下調べをして、それに反町さんが商売人としてのアクセントをつけて弘文荘待賈古書目に出していったといいます。

それから反町さんの本には月明荘という判子が押してあります。
それは達磨屋護五一という幕末の有名な古本屋がいるんですが、それに倣ったと反町さんは言っていました。
自分が扱った本は絶対大丈夫なんですということを証明するためにこの判は押すのです。最初はすごく大きな月明荘を押すのですが、天理の中山真柱さんになんで古本屋がそんなものを押すんだと言われて、やめはしなかったのですが、晩年の反町さんの扱った本には小さな月明荘の判が押してあります。
自分の仕事に対してはすごい見識を強くもっておられた方です。
業界でも明治古典会あるいは組合の活動なんかをかなり積極的に改革をされまして、それはこの「反町茂雄の人と仕事」のなかに入っています。

それともうひとつは教育人だったと私は思っています。
一誠堂の番頭の頃に玉屑会(ぎょくせつかい)という会を作りました。
その日買って帰ると、それから買ってきたものを反町さんが全部評価するわけです。その評価した金額と買ってきた値段との差の一部をおやじさんから玉屑会に寄付としてもらいまして、そのお金を貯めて玉屑という雑誌を出しました。
うちの親父にしても小宮山さんの親父にしても佐藤さんにしてもかなりの人達は玉屑会で反町さんから訓練を受けております。
そして反町さんが独立しましてから訪書会という会を業界人が望んで作りました。
それから戦後には文車の会というのも作りました。
そこでは文車ブレティンという冊誌を出しておりました。
研修旅行に年に一回か二回行くんです。私が一番印象に残っているのは長崎に行ったときなんですが、それぞれ当番がありまして、どこの場所は誰が調べるということが決まりまして、前もって勉強会でその発表があります。
発表して現地に行くとそこでみん なの前で説明をしなければいけない。外の観光客も来るんですが説明をしまして、帰ってくると文車ブレティンに報告書を書かなくてはならないと、まさに徹底的に勉強させられた、今になればいい思い出だったなーと思っています。

それから反町さんが一生のうちで、一冊の本にならない本の端本を集めて零葉(れいよう)集というものを作っています。
これは例えば古活字版の零葉集です。古活字版というのは秀吉が朝鮮に出兵して、向こうから印刷工を連れてきて作った日本で最初の金属活字の印刷物です。
切支丹版がちょうど1590年にヨーロッパから帰ってきた切支丹が最初に活字印刷をし、古活字版はその2年後に出来ています。古活字版が江戸時代に続く流布本のもとになっているのです。
この零葉集は今になれば非常に貴重なものになっております。

それと反町さんがもうひとつ特徴的なのは、あの人は同じことを長く続けないというたちがありました。
だいたい文車の会でも10年くらい経つと解散しようと言い出すのです。そうするとみんなはやり続けたいというんですが、あの人は飲み会は大嫌いでした。
ですから 勉強の為にやっている会なんだから飲み会は無し、となりますと止める人も多く、また新しい会員を募ってやっていくということ をやってきました。
弘文荘待賈古書目 その文車の会を出た人は、例えば札幌の弘南堂という古本屋、これは札幌で一番大きい古本屋です。
今の支部長の中野君もそうですし、玉英堂の斎藤孝夫君もそうですし、時代屋さんもそうですし、安土(あづち)堂、熊本の舒文堂(じょぶんどう)という120年くらいになる店もそうですし、福岡の葦(あし)君もそうですね。
反町さんはずいぶん人を育てたものだと思います。

そしてもう一つの顔はあの人は著作家だったと思います。
あの人は色々な本を出されていますが、反町さんが自分で言っていたのは、「自分の著作は待賈古書目だ」ということでこれは弘文荘の目録ですね。
これにすごい勢力を傾けていたわけで、この目録が自分の一番の著作だと言っていました。
ところが私どもが「天理図書館善本稀書」を出しましたら、読者カードが約500枚くらい来ました。反町さんは大変喜んでくれました。
喜んではくれたんだけれども反町さんがその時言うのには、自分が50年間待賈古書目を出してきたが誰も褒めてくれなかった。手紙もくれなかったと言ってぼやいていました。
当たり前ですよね。本を売ろうと思って書いている目録を、手紙で褒める人なんていないと思うのですが、反町さんはそれを不満に思っていたようでした。
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9.展覧即売会の目録

白木屋明治百年大古書展目録 ABJ稀覯展目録 この写真は白木屋でやった明治百年大古書店の目録です。いい本が沢山出ています。
右は今年東京フォーラムで私ども ABJといグループがあるのですが、そこでやりました稀覯本の目録です。そこに先ほどお話しました源氏物語を私どもは出品したのですが日本で売れなくて米国議会図書館コングレスに収めさせて頂きました。

それから下見展覧入札会というものを東京と京都と大阪でやっていますが、右の写真はそこでの反町さんの注文受け原簿です。
反町氏注文受け原簿1 反町氏注文受け原簿2 例えばここに反町さんの自筆でホーレーと書き込まれていますが、これは反町さんがホーレーさんから注文を受けましたと言う印です。
ホーレーさんは琉球のものを随分集めましていまハワイ大学に入っています。
これは古典籍展観入札目録でその中に是則(これのり)集というものが出ており、これは後に重要文化財になっておりますが、実はこれが164万5000円で村口さんが落としたよということを反町さんがメモ書きしている目録です。
この目録には反町さんは全部だれが幾らで買ったことを書いています。
この時分これが出たら大変なことになったでしょう。今だから構わないと思います。
欧米と違って日本はオープンにしないんですよね。私は誰が落としたかは別にして値段だけはオープンにしたほうがいいと思っています。
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10.八木書店のこと

画像で私たち八木書店の歩みを少し紹介いたします。

八木書店初代の八木講師父上 ミスター神保町新聞記事日本古書通信
左が父の写真です。古本屋はみな長生きですよと言う写真です。
中はおじの写真です。現在93歳で今でも古書通信の編集をやっています。この記事は朝日新聞にミスター神保町と出たときのものです。
右は私どもが初めからやっている古書通信の創刊号です。

古本屋というのは一生のうちでそういいことはないんですが、その数少ない良いことの話し、自慢話だと思って聞いてください。
村松物語絵巻 古典会の大市に村松物語と言う絵巻物12巻が出たのです。
札が沢山入りましてね、私も是非欲しいなと思い、6000 万円入れたんです。
その時御通夜に行かなくてはいけなくて、うちの専務にこんなに札が入っているからもう一回値段を上げよう と言って8000万まで上げたんです。それで御通夜に行って帰りに携帯に電話がかかってきて「落ちた!」と言うんですね。
8000万円で落ちました。私にしては思い出の多いすごくいい物語で、もともとは大正時代に一回出てその後どこかに行っていたものなんです。継子いじめの物語です。
買って一生懸命調べて、10月に目録を作って出したんです。
ところが全然注文が来ない。これはまずったなと思っていたら1月の末くらいになって広島の宗教法人から電話がかかって来て、持ってきてくれというので持っていきました。
そしたら入れ違いに専務から電話が入って、福井の県立博物館から注文が来たと言うのです。
これは岩佐又兵衛の工房が作っていて、岩佐又兵 衛は福井の出身なのです。
福井ではプレミアつけるから持ってこいというのですが、もう片方に売ることを約束したのですからさすが にそれはあきらめました。

奈良中期の荘園の絵図 それからこれは新聞でご覧になったかも知れませんが奈良中期の荘園の絵図です。
これは私どもの美術倶楽部(クラブ)で買ったものです。
これも布で出来ているので目録を作るのが難しくて出しませんでした。
ある千葉の博物館がどうしても欲しいと言われ、入れようとしたのですが、予算がつかなくて、結果としては奈良の国立博物館に収めさせてもらいました。
奈良博では大変館長が喜んでくれて、たぶん重要文化財には間違いなくなるし、たぶん国宝になるだろうと言われています。
美術の市場というのはこういうものが突然出てくるのです。
奈良中期の荘園地図 その時どうするかというのですが、一日だけ考える時間がありますので、 その間に一生懸命調べるのです。
これは福井崇欄館(すうらんかん)というところが持っていたものだということが、そこにあった箱で分かったものですから、それをきっかけに色々調べて数千万円で落としました。
奈良中期の荘園文書 これと同じものが正倉院にあるそうですが、それよりもこの方が状態が良いと言われています。 こんな話しはめったにありませんから自慢話だと思って聞いていただけたらと思います。こんなことが毎月あれば素晴らしい商売なのですがそんなことはないのです。ここに天平宝字三年と書かれています。

最後に古書店経営の面白さですが、新刊書店の経営と比較して、本の価値で商売が出来ることでしょうか。時代によって変化する古書の価値を自己責任で判断し商売が出来ることが面白さかなと思っています。 (拍手)

終わり


文責:八木壯一・臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄

本文はここまでです



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