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平成20年12月5日 神田雑学大学定例講座NO344


伝説の映画スター 知性派女優編、講師、坂田純治
  


目次

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はじめに
高峰三枝子
乙羽信子
新珠三千代



坂田純治講師はじめに

伝説の映画スターという物々しいタイトルは、2年ぶりであります。
ある企画の段階で、ある理事さんから夏目雅子はなぜ入っていないのですか、という質問がありました。ごもっともかと思いましたが、私の映画史講座の視点から見れば、まだ早いという判断です。私のスター選抜のチョイスでは全体としてレトロになっていますが、視点としては内外とも物故した俳優を中心にしております。

では一昨年の原節子や高峰秀子はどうなんだとなるでしょうが、このふたりは日本の映画界を代表する女優ということで、特別扱いでした。しかも、現在スクリーンから全く姿を消しております。それとあくまでも、このシリーズのテーマに選ばれるスターは映画界育ち(宝塚育ちを含む)が原則であります。

したがって杉村春子や、滝沢修、宇野重吉とかは、出演量は多いのですが、除外しております。夏目雅子は亡くなってもう23年になります。1985年9月に亡くなりました。もうそろそろ伝説の中に入れてもいいかなとも、思うのですが、まだ順番が廻っていませんので、悪しからずお許しください。
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高峰三枝子高峰三枝子

古い映画というと、私のコレクションの中でもこれは古い昭和11年の作品。画面も荒れていますが、高峰三枝子から参りましょう。彼女は筑前琵琶の宗家高峰筑峰の長女として、東京は芝に生まれました。東洋英和女学校に通っていましたが、近くに三田の慶應ボーイがたむろしておりました。「オイ。スゴイ美少女がいるぞ」と騒いだそうです。父の急逝により一家の生活を支えなければならいと、彼女は昭和11年6月に松竹大船の門を叩くのでした。

高峰三枝子昭和初期に入江たか子という女優がおりました。彼女の父は子爵、いわゆる没落貴族でした。高峰三枝子も令嬢、お嬢さん女優として話題を集めて人気急上昇。その年のブロマイドの売り上げがトップとなり、特攻隊員が愛機に三枝子の写真を貼り付けたといわれています。ある戦没学生は、「お国のために死ぬことは納得がいかない。しかし、高峰三枝子のような美しい日本女性を守るために、俺は死ぬ」と書き残したといわれています。
美しくて、明るく、飾らない、暖かい人柄でした。

デビュウ以来、極めて順調にスター街道を走り、昭和13年松竹は滝連太郎を描いた 「宵待草」を発表しました。この映画で偶然 歌を歌わせられましたが、その歌が素晴らしいというので、コロンビアレコードが直ちに契約しました。なんと、それが歌う女優の第一号となったのであります。71歳の生涯の中で、76曲を持ち歌として歌ってております。

ステージで歌唱の高峰三枝子2枚の画像


特に戦時中には、女々しくて感傷的という理由で軍から睨まれました。発売禁止になったのは、かの「湖畔の宿」でした。映画化はされませんでしたが、しかし、大ヒットしました。今日の上映フィルムには、残念ながら「湖畔の宿」は出てきません。
お嬢さんスターという名の色添えだけだったわけではありません。

昭和14年。吉村公三郎という新進気鋭の若手監督に見出されて「暖流」に主演し、演技開眼。16年小津安二郎監督の「戸田家の兄妹」に出演し、更に演技に磨きをかけます。
戦後は五所平之助、成瀬巳喜男、木下恵介などの巨匠に恵まれました。

昭和43年、フジテレビが「3時のあなた」という番組を始めまましたが、特筆すべきはその司会に高峰三枝子が起用されたことです。テレビ司会者としては、映画界女優第一号であります。その美しさとパーソナリティは群を抜き、5年あまり続きましたが、テレビ界始まって以来の大ヒットとなりました。

講座が始まる前の部屋の風景

昭和57年、彼女は64歳となりましたが、まだ若々しく、JRのフルムーンのポスターに起用されました。全部で5作つくりましたが、相手はすべて上原 謙。演出は大林宣彦。
このポスターで評判になったのは、高峰三枝子のオッパイでした。歳の割りに大変美しい。
美し過ぎるというので、当時参議院議員の山東明子がクレームを付けました。

「あれはシリコンパイなのよ」このチャチャに対して、珍しく高峰が怒って両者の論争になったとかの、くだらないエピソードもあります。1995年4月、バラの大輪といわれた大女優は自宅において脳梗塞で倒れ、5月27日にはかなく世を去りました。享年71歳。

早速 昭和12年島津保次郎監督「浅草の灯」から上映しましょう。
浜本 浩の新聞連載小説の映画化。オペラ一座のスターは上原 謙。 高峰はまだワンサガールという設定です。懐かしや夏川静江。その弟夏川大二郎。若かりし大部屋時代の笠智衆。昭和14年「暖流」のラストシーン。岸田国士の新聞連載小説の映画化です。高峰三枝子はこの映画で演技開眼したといわれる。経営が危機に瀕した私立病院の建て直しに懸命な会計士日疋雄三(佐分利信)。院長の娘(志麻啓子)が高峰三枝子。純情一途の看護婦ぎんが水戸光子。夕闇迫る湘南の海辺。失恋した啓子に捧げる、悲しい別れの美しい場面。

「戸田家の兄妹」の高峰三枝子「戸田家の兄妹」松竹の大監督小津安二郎の作品に彼女は初めて抜擢されました。これも映画演技開眼の端緒となりました。資産家の年老いた未亡人の処遇を巡る肉親のエゴイズムに批判の目を向けた作品です。アメリカのオーバー・ザ・ヒルという短編小説からヒントを得て、小津安二郎がシナリオを担当し、監督したもの。三枝子は末っ子の役ですが、父の一周忌にあたり、未亡人(母)や、末っ子を虐待した肉親たちを、大陸から一時帰還した次男(佐分利神が徹底的に批判して、結局は二人を連れて大陸に戻るというストーリー。

「純情二重奏」高峰三枝子はコロンビア専属となり、霧島昇とコンビで歌う映画の主題歌が大ヒットし、レコードは大売れに売れました。戦後の映画界で4,5曲、「懐かしのブルース」「別れのタンゴ」など歌謡映画というジャンンルが流行り、松竹系の映画館を大入りにしました。

「女の園」昭和29年木下恵介監督。彼女は文芸ものにも積極的に挑戦しました。高峰三枝子36歳のときの作品、女子学生の自由を抑圧する学園女子寮の、冷厳な舎監を演じています。次第に世代が変わってくる女子寮の社会でもまれる管理者の苦悩を見事に演じている。

「犬神家の一族」の高峰三枝子だんだんに主役から遠ざかった時代の高峰三枝子39歳の作品、原田康子原作のベストセラーの映画化「挽歌」。久我美子が主役ですが、まだまだ高峰三枝子の魅力が画面に溢れています。よろめきの末に自殺する妻の役でした。市川昆監督の「犬神家の一族」昭和51年、高峰58歳。映画のスクリーンから大分遠ざかった頃です。横溝正史原作の金田一京助シリーズの映画化の第一作目。犬神家の遺産相続争いの長女役に出演し、賞には縁が遠かったが、この年の助演女優賞を獲得しています。

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乙羽信子乙羽信子

続いて百万ドルのえくぼの乙羽信子。
本名は梶でしたので人気が沸騰してきた宝塚ではニックネームをお梶と呼ばれていました。同期には、越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子などがおりました。なかんずく、芸達者の淡島千影が宝塚を辞めて松竹に入社したことから、動揺しました。乙羽は、当時の宝塚の大スター天津乙女、春日野八千代などの相手役を勤め、人気の的でした。淡島千影に刺激されて、乙羽信子が選んだ先は大映でした。永田雅一社長はキスシーンなどはやらせないから、と言明したのですが、これが乙羽信子の売り込みの失敗に繋がったのです。

「愛妻物語」乙羽信子初期の作品では、乙羽信子らしい個性がまったく生かされず、娘役ばかりの映画製作でしたが、そんな折新藤兼人が第一回監督作品として、昭和26年新藤の亡き妻との生活を描いた「愛妻物語」の主役に起用されました。彼女は夫役の宇野重吉に教わることが非常に多く、映画女優としての真価が引き出されたといわれています。大映との仲が決して円満ではなかった音羽信子は、昭和27年作家の主体性を確立しようという旗印のもとに新藤が吉村公三郎などと「近代映協」という独立映画会社を設立したのを機に、猛反対の大映を去り、その映画会社に参加しました。

「原爆の子」乙羽信子 第一作は「原爆の子」であります。
近代映協の主メンバーは宇野重吉など劇団民芸の出身者で、更に殿山泰治らの協力者を得て次々と企画をスクリーンに反映させるが、経済的にはまったく恵まれない。そのため乙羽信子は他社出演したギャラを注ぎ込んだりした。かつての百万ドルのえくぼは泥だらけのえくぼになってしまい、体当たりの演技を強いられる有りさまとなった。
また、乙羽は舞台公演を精力的にこなした。昭和63年ころにはテレビにも顔を見せて、お茶の間の人気者となった。

「愛妻物語」昭和27年
自然主義者徳田秋声作「縮図」昭和28年、脚本・監督新藤兼人。お父さんが宇野重吉、お母さんが北林谷栄、置屋の女将が山田五十鈴、芸者の荒れた生活を演じている乙羽信子(芸者銀子)は健康を害してしまう。女将は証書を破って、お前は自由だというのだが、体が良くなると、再びしつこく客を取らせる。

田中絹代と子役、見送りのシーン木曽路はすべて山の中である、という書き出しで始まる島崎藤村の「夜明け前」。映画化は昭和28年。吉村公三郎監督、滝沢修が父青山半蔵。乙羽信子が娘のおくめ。他に佐野浅夫など。民芸の舞台でも上演したこともあり、同劇団の面々が活躍する秀作となった。朗読は宇野重吉。「香華」有吉佐和子のベストセラーの映画化。昭和39年、木下恵介監督。
亡夫との間に生まれた子を母に預けて他家に嫁ぐ、娘を遊郭に売り飛ばし、自分も娘のいる遊郭で花魁となる。衣装道楽、男との享楽。強烈なエゴを持つ女を乙羽信子は演じる。

「午後の遺言状」乙羽信子「午後の遺言状」平成6年
新藤兼人が先立たれる愛妻乙羽と、また病に体が弱っていた杉村春子のためにという作品を描いた。熱を押しての出演は、苦しい撮影であった。百万ドルのえくぼは平成6年12月12日、長く患っていた肝臓ガンが悪化して、この世を去った。
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新珠三千代新珠三千代

これからご覧になる新珠三千代も宝塚出身であります。
奈良市の高校教員の次女として生まれ、宝塚時代は代表的な娘役でした。しかし、男役と共演の宝塚の世界にあきたらず、結局、昭和30年25歳のときに退団して、映画の世界に入りました。在団中にも2,3作東宝の映画に出演したことがありますが、映画会社と専属契約をして出演したのは、新日活映画へのデビュウでした。清楚で品のよい美貌の女優として、映画界で高い評価が得られました。静かな振る舞いの中に潜む芯の強さ。近代の女優のなかでは、ほかに見当たりません。当時の皇太子まで、理想の女性といったくらいでした。

新珠三千代しかし、昭和35年(1960年代)あたりから、映画産業が次第に衰退の傾向が出てきます。と、同時に活躍の場が、徐々にテレビの世界になりました。なかんずく、評判になったのは「氷点」(平均視聴率47%)や「細腕繁盛記」(28,1%)でした。圧倒的人気番組を支えてきた女優であります。なた、舞台の活躍も多く、東京宝塚劇場、芸術座出演など幅広いファン層を晩年まで喜ばせくれましたが、平成13年3月17日、心不全のため帰らぬ人となりました。享年71歳でした。

上映作品は
昭和30年「月夜の傘」壺井栄原作、監督久松静児 新珠三千代のデビュウ作
昭和30年「こころ」夏目漱石原作 監督市川昆
彼女を、親友の梶と森雅之扮する先生が争う複雑な関係のドラマ。先生と妻の13年間の結婚生活が重く心にのし掛かり、やがて先生は自殺する。
昭和31年「洲崎パラダイス」原作芝木好子 監督川島雄三。

新珠三千代汚れ役がないといわれた新珠三千代の珍しい娼婦役。共演は三橋達也と轟夕起子。
洲崎遊郭の入り口にある飲み屋を舞台に、繰り広げられる男と女のどろどろした世界。
新珠の隠れた才能がもう一面引き出された映画。昭和34年から3年がかりで制作された「人間の条件」6部、9時間40分超大作。五味川純平原作、小林正樹監督。戦乱の中を翻弄される夫婦。戦争否定のテーマを強烈に訴えた作品です。日本の映画・演劇界の俳優総動員、愛妻美知子の役を希望する女優が自薦他薦と大勢いた中から新珠三千代が選ばれたのであります。

「霧の旗」新珠三千代、倍賞千恵子、死体を見て驚いている二人さて本日の最後は
昭和40年「霧の旗」松本清張原作、山田洋次監督の上映です。
兄を無実の罪で有罪とされた娘倍賞千恵子は、大物弁護士(滝沢修)に弁護を懇願するが、高い弁護料が払えないため拒否される。結果、兄は獄死する。やがて、その弁護士の愛人(新珠三千代)が無実の罪で拘置される。有力証拠を持つ証人(倍賞)は大物弁護士を兄の仇として、それを開示することを拒み、恨みを晴らす。新珠三千代は35歳。倍賞千恵子は24歳。世代交代の時期に差し掛かっていた頃です。
終わり

参考文献
参考文献出版社 ビデオ上映作品の制作配給会社
中央公論社 松竹
創元社 東宝
白水社 大映
岩波書店 新東宝
秋田書店  日活(新)(旧)
近代映画社 近代映協、ほか
キネマ旬報社他 東映




文責:三上卓治
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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