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平成20年12月19日 神田雑学大学定例講座No.437


イギリス音楽の楽しみ(その2)、イギリス近代音楽編、エドワードエルガー国民的作曲家の素顔、講師、中野重夫




目次

イラスト画像の画像
メニューの先頭です 講師プロフィール
1.はじめに
1.1.エルガーをご存知ですか? エルガーの写真から
1.2.国民的作曲家 本国イギリスにおけるエルガーの現在
2.イギリス近代音楽 その二つの側面
2.1.落日の輝き
2.1.1.イングランドの歴史と文化
2.1.2.イギリス近代音楽の源泉について
2.2.音楽のない国 ナショナリズムが生んだイギリス近代音楽
3.エドワード エルガー 人と音楽
3.1.“アウトサイダー”エルガーの登場
3.2.驚異のサクセスストーリー
3.3.凋落と忘却
3.4.素顔のエルガー  出世作“「謎」の変奏曲”を中心に
3.5.エルガーの晩年



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中野重夫講師講師プロフィール

生まれ: 1948年11月、東京都
学歴: 横浜国立大工学部、放送大大学院(地域文化研究)
職歴: 都市ガス会社 技術開発、国際業務、開発営業等を担当
趣味: 家事全般(料理以外)
著書など: 計画中
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1.はじめに

今年の6月にその1としてイギリス音楽全般についての概論的な話をさせていただきましたが、今回はその2、各論 ということで、イギリスの近代音楽についてお話を申し上げます。
イギリスの近代音楽を代表する作曲家といえばなんといってもエドワード・エルガーですから、彼に焦点を当て、その音楽 を聴きながらエルガーの成功と失意の物語をお話してみたいと思います。
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1.1.エルガーをご存知ですか? −エルガーの写真から−

エドワード・エルガー これがエルガーの写真です。一気にビクトリア朝のセピア色の時代に入り込んでしまいましたね。
大英帝国盛時の 1857年に生まれ、両世界大戦の谷間の1934年に没した人です。エルガーは日本ではあまり馴染みがありませんし、それほ ど演奏もされません。今日は殆どの方がエルガーについてあまりご存知ないことを前提にお話を致します。

まず音楽を聴きましょう。これは多分、作曲家の名前と一致しなくても皆さんどこかで耳にしたことのある曲でしょう。 言ってみればエルガー唯一の世界的なメガヒットです。 「愛の挨拶」という題名の曲です。
この「愛の挨拶」は、エルガーが婚約者のアリス、将来のエルガ
ー夫人に贈った曲です。
エルガー夫妻この音楽を聴きながら 写真を見てください。これがエルガー夫妻です。
音楽史上にも稀な相思相愛のおしどり夫婦として名高い二人です。さて本 当のところは?というあたりについては後ほど少し詳しくお話します。

アリスはエルガーより9歳年上です。右側の写真は結婚してすぐのもので、このときエルガーは三十二歳です。やはり奥様の方が 大分老けた感じがしますね。
年齢差以外にもなかなか面白い組み合わせで、なによりそれぞれの出身階級が全く違います。
よくイギリスは階級 社会といわれますが、エルガーはウースターという地方の町の商店主、個人営業の楽器商です、の息子で、いわゆる下層中流 階級の出身でした。一方のアリスはナイトの称号を持つ陸軍将官の娘で、まあ上流といってもいい階級に属する人です。階級 区分が今よりずっとはっきりしていた当時のイギリスの社会では、二人は普通ならばお互いに全く縁のない世界に生きる人たちだ ったのです。婚約当時アリスの両親は既に亡くなっていました。存命であれば、二人の結婚はまず難しかったのではないでしょう か。
また、アリスはいわゆる“内助の功”をもって夫エルガーを影ながら支えた人ではありません。それよりも遥かに大きな存在です。あ とでお話しますが、いわば作曲家エルガーを世に出し、大作曲家とした“大プロデューサー”でした。

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1.2.国民的作曲家エルガー−本国イギリスにおけるエルガーの現在ー

それでは、日本では殆ど知られていないエルガーという作曲家は、お膝元のイギリスでは一体どんな存在なので しょうか?
エルガー肖像入り20ポンド紙幣これは20ポンドのイギリス紙幣です。イギリスのあまたの大作曲家のうちお札になったのは彼一人だと思います。残念ながら去年 (2007年)アダム・スミスに代わってしまい、今年の夏にイギリスに行ったときにはもう八割がた入れ替わっていました。記念として 一枚だけ大切にとってあります。

それから、第一回でもご紹介しましたが、「BBCプロムナード コンサート」、通称は“プロムス”、というイギリス放送 協会主催の音楽祭があります。もう百年以上も続くクラッシック音楽の一大フェスティバルで、ロンドンの夏の代表的な風物詩 の一つです。
7月の中旬から9月の上旬にかけて2か月近く続くのですが、その一番最後の日が、「プロムス ラスト ナイト」と いうイギリスの人々にとっての特別なナショナルイベントになっています。

なにをやるかと言うと、この国の過ぎ去った栄光の時代を 音楽によって盛大に偲ぶのです。
このお祭は、イギリス第2の国歌と言われる「希望と栄光の国」という曲をユニオン・ジャックを 振りながら皆で高らかに歌うところで最高潮に達します。
その「希望と栄光の国」の作曲者がエルガーです。ですから、エルガーは この「ラスト・ナイト」の主役とも言えますね。

次の写真は何の式典でしょう? エリザベス女王が俯いてなにやら沈痛な面持ちですね。
これは「リメンバランス・ サンデイ」と言いまして、毎年十一月に執り行われる第一次、第二次大戦の戦没者の慰霊式なのです。このときエルガーの音 楽が必ず鳴り響くのです。
エドワード・エルガー それをこれからお聴きいただきますが、非常に荘重で高貴な雰囲気を持った曲です。いかにもこうした 式典にピッタリ、という感じですが、エルガーはこの曲をこういう目的のために書いたのでは全くなくて、本当は大変にパーソナルな 曲です。

彼にとってとても大切なある友人、彼が何とか世に出ようと苦闘していた時代に彼を非常に助けてくれた友人、より正 確には、その苦闘時代を共に戦い、彼の成功を見た後病に倒れて亡くなった戦友のような人の音楽的肖像で、さらにそこに 彼自身を重ねた自画像ともいえる曲です。
(音楽がCDで流れる)

これは、彼の出世作となった「エニグマ変奏曲」(「謎」の変奏曲)という作品の第九変奏「ニムロッド(狩人の意)」です。エルガ ーの書いたとても心に沁みる音楽の一つだと思います。
こういう作曲家をまさしく国民的作曲家と言うのでしょうね。
今のイギリス社会でこのような扱いを受けている作曲家 はエルガーの他に誰もいません。そういった意味で、エルガーは一面では非常に分りやすいパブリック・イメージをもった作曲家なの です。 

しかしこれは良し悪しですね。国民的作曲家なんてなりたくてなるものではないし、なってそれほど結構なものかどうかも疑 問です。
彼の場合、生前に既にそういう地位を得、そういうところに祭り上げられました。だから、この問題には二つの側面があります。

彼の人生にとってそれが本当に幸せだったのかどうかという問題、そして彼の作品の真の受容と普及にとってそれが本当 に良かったのかどうかという問題です。
僕自身としては、そのいずれに対してもかなり否定的な印象をもっています。そしてそこに、 一個人を超えてひとつの時代精神となった人の避けがたい宿命のようなものを感じます。ここらへんは後でまた触れたいと思いま す。

彼は作曲家なのですから、さきほどのステレオタイプなイメージを超えて何よりも彼の音楽そのものを理解して欲しいはずですね。しかし、これだけの名声のわりに彼本来の傑作が実はあまり自国の人に聴かれていないのです。
これはいわゆる“ 棚上げ”の問題かもしれません。エルガーに限らず、“国民的なになに”という存在に共通する宿命です。でも、エルガーの場合棚 上げも少々行き過ぎているような気がします。

彼は大オラトリオ三曲、交響曲二曲、協奏曲二曲をはじめ、作品番号のあるも のだけでも九十曲に及ぶ作品を残していますが、そのうちで演奏会のレパートリーとして定着している作品は本国でも本当に 僅かです。知られざる傑作、忘れられた傑作がこれほど多い大作曲家も珍しいでしょう。

これは1924年の大英帝国博覧会の開会式の写真です。数万人の参加者の前で、いかにも、といういでたちで 大軍楽隊を指揮するエルガーの姿です。
また右側の写真は大きなビクトリア勲章を誇らかに胸につけた礼装のエルガーです。こ れにさきほどの“第二の国歌”の作曲者エルガーを加えると、まるで絵に描いたようなひとつの像が浮かび上がります。そう、“大英 帝国のお抱え作曲家”というイメージです。

いうまでもなく、このイギリスの過去の栄光の時代には巨大な影が存在します。その狡知狡猾を極めた酷薄苛烈な植民地支配 の歴史です。
世界はいまだにその負の遺産のために苦しみ続けているのです。だからこの問題は、ドイツにおけるナチスの問題の ように、現在のイギリス社会が抱える一種のトラウマです。彼の地の人々にとって、この問題はおそらくわれわれが想像する以上に 深くて複雑で微妙な問題だと思います。
エルガーのイメージはそこに抵触するのです。だから、心ある人々、あるいは心あると自 認する人々、所謂オピニオンリーダーやリベラルな知識人、良識的な教養人などほど、エルガーに対して少し引けてしまうと ころがある。これがさきほど申し上げた“行き過ぎた棚上げ”の最大の由縁ではないでしょうか。
この問題に深入りしだすときりがありません。先に進みましょう。
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2.イギリス近代音楽 その二つの側面

それでは、エルガーに代表されるイギリス近代音楽とはそもそもどんなものなのでしょうか? 
2つの側面をもつ音楽であると思います。ひとつは「落日の輝き」、そしてもうひとつは「国家ナショナリズム」です。少し説明が必要でしょう。
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2.1.落日の輝き

落日ってなんの落日かといいますと、ひとつは“イングランド”という国の落日です。
これに西洋古典音楽自体の 衰退というもうひとつの落日が重なります。
このふたつの落日の中でいっとき輝きを放った音楽であるというのが、歴史の流れの中 でのイギリス近代音楽の位置づけだと思います。ですからそれは基本的に新しい音楽を開くというような性質のものではないので す。
むしろある時代の幕を引くような性格を強く持った音楽だと思います。その典型がエルガーの音楽です。
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2.1.1.イングランドの歴史と文化

イングランドの落日、と申し上げましたが、そもそもイングランドとは何でしょう? 
以下に、「島のゲルマン」、「森の人と都市の人」そして「近代英語」という三つのキーワードを用いて簡単に私見を述べさせていただきます。

イギリスはいうまでもなく西欧に属する国です。しかし大陸の国々とかなり違った性格を持った国ですね。独特な島 国で、支配層はアングロサクソンというゲルマン人の一派を父祖とする人々です。
彼らは5世紀に大陸から海を越えてこの島に侵略的に移住し、結局一千年をかけて彼らの最終的な統一国家を作りました。1485年のチューダー王朝の成立です。これが “アングルの国”イングランドの始まりですね。そこに至る長い歴史の試練は彼らの民族的な性格を大きく変えました。彼らの父祖 である大陸のゲルマンは、この一千年の歴史を経て「島のゲルマン」とでも呼ぶべき人々に変容を遂げるのです。

以降、対立抗 争を繰り返す大陸諸国の混乱を尻目に“常勝の国”として発展を重ね、史上空前の覇権国家−大英帝国−を築き上げて繁 栄を極めました。
そしてその後、先の二つの世界大戦をもって一気に消滅するまでの四百年余りの歴史が、この「島のゲルマン 」が主導したイングランドの歴史です。

それでは、そうしたイングランドの文化の特徴とは一体どんなものなのでしょうか? 
イギリスには「森の人」と「都市の人」がいます。ここで、「森の人」とは先住のケルトの人々です。そして「都市の人」とは「島のゲ ルマン」です。
もちろん、これはここだけの勝手な比喩的表現に過ぎませんが、とにかくそれぞれに大変に異なった、対照的といっ ても良い民族的気質をもった人々です。

公演中の中野講師 両者は最初血みどろの抗争をしました。その結果勝者となった「都市の人」は「森の人」をすべて駆逐してしまったかというと、これ が違うのです。
大陸ではケルト人は全て海の中に追い落とされて消えました。しかしブリテン島という島では、彼らは奇跡的に生 き残ったのです。

「都市の人」は、結局「森の人」との大変微妙な融和と共存の道を選択しました。歴史に鍛え上げられた人 々の、最善の選択だったと思います。
こうして成った「森の人」と「都市の人」の緊張を孕んだ融和が、イングランドの文化に独特 の陰影と奥行きとダイナミズムをもたらしたと思います。「森の人」は圧倒的な少数者であるにもかかわらず、今もイギリスの社会と 文化にその構成比以上の影響力を及ぼしています。

そしてシェイクスピアに象徴される「近代英語」です。
「島のゲルマン」の父祖の言葉だったドイツ語が大きく変 容し、非常に柔軟で、良い意味でいい加減な独特の言語となって完成をみたものです。おそらくこれが、イングランドの文化の 独自性の核心をなすものでしょう。

そのドイツ語から近代英語への変化の過程が、大陸ゲルマンの“島のゲルマン化”の過程その ものであると言ってもよいのではないかと思います。
さらにいえば、この言語こそが、「森の人」と「都市の人」との融和共存で成立 するイングランドの、いわば究極のアイデンティティだと思うのです。
融和共存の文化とは、支配者である「都市の人」と、この英語 という言語を最も基本的な共通価値として受け入れてイングランドの社会に参入した「森の人」との間で成立したものだからで す。

以上が、イングランドの文化の独自性を示すキーワードとしての「島のゲルマン」、「森の人と都市の人」そして「近代英 語」についての、大変急ぎ足でのご説明です。
われわれが日本語で“イギリス”と言ったとき、そこにはイングランドとブリテン、イングリッシュとブリティッシュの問題があ ることを、第一回の概論の冒頭で取り上げました。その文脈で言うと、イギリス近代音楽というのは紛れもなく“イングランドの音 楽”であり、“イングリッシュネス”を体現した音楽です。

そのイングランドはビクトリア朝の時代に繁栄の頂点に登り詰め、ローマ帝 国にも比すべき大覇権国家を作り上げた後、つるべ落としに凋落していくのです。そうしたイングランドの歴史の最終章でいっと き花開いた音楽がイギリス近代音楽であり、それを代表する作曲家がエルガーなのです。
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2.1.2.イギリス近代音楽の源泉について

それでは、こうしたイギリス近代音楽の源泉をなすもの、逆の言い方をすれば、この音楽が体現した“イングリッシュ ネス”の核心をなすものとは一体なんでしょう?

さきほどと同様に大変比喩的な言い方をすると、それは「教会」、「田園」、そして「シェイクスピア」の三つではないでしょうか。
上手くお伝えできるかどうか不安ですが、また簡単に説明させてください。

先ず「教会」です。といっても教会そのものではなくて、ここでは教会を中心に形成された音楽共同体の長い伝統 を意味しています。これはとても特徴的で、重要なものだと思います。
現在、イングランドには四十近くの“カウンティ”と呼ばれる行政区画があります。ちょうど県とか州に相当するもので す。実はこれは、そもそもが英国国教会の伝統的な教区なのです。
グロスター大聖堂 そこには必ず主教座都市があり、その中心には壮麗な、あ るいは古色蒼然とした大聖堂が聳え立っています。
その中にはパイプオルガンがあり、専属の聖歌隊がいて、これを演奏し、指揮 する専門の音楽家がいます。
彼らを核として地域の人々が集い、教会音楽のみならず様々な音楽を演奏し、あるいは聴いて 楽しむ――津々浦々に聳える大聖堂を中心として各地に古くから形成されたこうした音楽共同体の伝統こそが、十九世紀の終 わりに花開いたイギリス近代音楽の真の土壌だったのです。

この写真は、エルガーゆかりのグロースターの大聖堂とその内部です。
前身の修道院の時代から数えると、優に千年以上 の歴史を刻む教会です。
グロスター大聖堂内部その下の写真は、その中で行われるある音楽祭の様子です。それは「三教区合同合唱祭」という、も う三百年も途切れ目なく続くヨーロッパ最古の音楽祭で、エルガーも生涯深く関わりを持ちました。
去年の夏、念願叶って訪れ ることができましたが、想像を遥かに超えた、本当に素晴らしいものでした。ひとことで三百年前といいますが、それはあのヘンデ ルがイギリスで活躍していた時代なのです。驚くべきことだと思います。

こうした事情はおそらくイギリスならではのものです。ドイツにはちょっとした地方都市にもオペラハウスがあります。
この時代、すなわ ちイギリス近代音楽が開花しようとする十九世紀の後半には、クラシック音楽の“本家”独墺における人々の音楽生活の中心は 既に教会から都市のオペラハウスへと移行して久しい状況にあったのではないでしょうか?
もちろん、これが当時のイギリスの音楽事情の後進性を示すものである、などと申し上げるつもりはありません。これはもっと深い、文化の個性の問題だと思っています 。

次に「田園」です。本当に、イギリスの田園風景は他の何処にもない、まさしくこの国ならではの景観です。
非常 に美しいものですが、あれはいわゆる“自然”ではないですね。人々の長い営みによって作り上げられた庭のようなもの、さらにいえ ば、“歴史の庭”とでも呼ぶべきものでしょう。
この国の人々の長い歴史の記憶に隅々まで染め上げられた、独特の“歴史空間”な のです。それも支配者のアングロサクソンの記憶だけではありません。
この島には古来様々な人々が去来しました。ケルト人も 大陸から海を渡ってやって来ました。ローマ人もデーン人もノルマン人も渡来しました。そうした人々の織り成す歴史が幾重にも 層をなし、自ずと何かを語りかけてくるような景観が、この国の人々にとっての「田園」なのではないでしょうか?

マルヴァーンの田園風景 これはエルガーの故郷マルヴァーンの田園風景です。イングランドで一番美しい田園地帯といわれるコッツウォルズ 地方の北端部にあたります。
音楽に限らず、この国の多くの芸術家にとって「田園」はその創造の霊感の源でした。エルガーにと っても、終生愛してやまなかった故郷の田園風景にその音楽の重要なルーツがあるといえるでしょう。

最後に「シェイクスピア」です。もっと端的に、シェイクスピアに象徴される英文学、といった方がいいかもしれません。
イギリス近代音楽の特徴の一つは、その英文学との結びつきの強さでしょう。
さきほど、イングランドの文化の独自性の核心をな すものが近代英語であると申し上げました。いわばその当然の帰結として、イングランドはなによりも文学の国なのです。英文学と 無縁なこの国の表象芸術を思い浮かべるのはなかなか難しいでしょう。
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2.2.音楽のない国の音楽 国家ナショナリズムが生んだイギリス近代音楽

それでは次に、こうしたイギリス近代音楽を生み出した時代背景、時代の要請、とはどんなものだったのでしょう か?
十九世紀の後半、イギリスは大陸諸国から“音楽のない国”との嘲笑的批判を受けていました。批判の急先鋒は、音楽大国と して自他共に任ずる新興国ドイツです。
近代化が遅れ、帝国主義戦略でイギリスの後塵を拝し続けてきたドイツは、ビスマルク による統一以降、猛烈な追い上げを開始します。両国には強い確執があったのです。
成り上がり者のドイツにそんなことを言われて“世界の盟主”イギリスは大いに誇りを傷つけられ、反発します。

たしかに、音楽史を 年表で見ると圧倒的にドイツ・オーストリア優位なんです。いまわれわれが“クラシック音楽”と呼んで親しんでいるバッハ以降の 音楽の大半が独墺の大作曲家の手になる作品です。
それに比べ、この時代、イギリスには殆ど何もないんです。イギリスの人 々が自国音楽史上最大の天才とするヘンリー  パーセルが世を去った17世紀末から、実に二世紀近くのあいだ自国作曲家の “大空位時代”が続いていたのです。
そこで、いわば国民的なプロジェクトとして自国音楽の振興を図ろうという機運が盛り上がりました。

これは首都ロンドンの知的エ リートが中心となって旗を振った、中央主導の運動でした。大変に周到で徹底したもので、まず当時最高の教授陣を擁する教育機関を作りました。それがこの写真の建物です。
王立音楽大学という、今では世界的な音楽アカデミーの一つです。日本で も多くの音楽家がここで学んでいます。
学校という“ハコモノ”だけでなく、たとえば有望な才能の発掘・育成のための奨学金制度なども整備しました。
また、大ホールを 作り、そこで低料金の啓発的なコンサートを定期開催して音楽の裾野拡大にも努めました。さきほど言及した「プロムナードコ ンサート」もそうした経緯で生まれた催しの一つです。
こうした努力が見事に功を奏し、十九世紀の終わり頃から二十世紀の前 半にかけて自国音楽の一大活況期が現出しました。

エルガー、ディーリアス、ヴォーン・ウィリアムズ、ホルスト、ブリテンといった綺 羅星のような作曲家が次々と現れ、多彩な音楽が生まれました。
イギリスの人々はこれを誇らかに「イギリス音楽ルネッサンス」と 呼んでいます。エルガーはその最初の、そして最も代表的な作曲家なのです。
蛇足ですが、この“イギリス音楽ルネッサンス”の原 語標記はもちろん“イングリッシュ・ミュージック・ルネッサンス”です。“ブリティッシュ・ミュージック・ルネッサンス”ではありません。
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3.エドワード エルガー 人と音楽

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3.1.“アウトサイダー”エルガーの登場

ところで、上述した周到な国民的プロジェクトによりお膳立てを整えて皆が待ち望んだヒーロー、「イギリス音楽ルネッサンス」の 幕を鮮やかに切って落とすヒーローは、思いもかけないところから現れました。
中央の知的エリートではなく、草深い地方の聖堂 都市の下層中流階級の出身者、アカデミーとは全く無縁の独学者、おまけに英国社会のマイノリティーであるカトリック教徒。エ ドワード エルガーという名の、アウトサイダーの登場です。

首都の楽壇では殆ど無名だったエルガーが、「エニグマ変奏曲」一曲 をもって衝撃的な中央デビューを飾るのです。いよいよ世紀も改まろうかという1899年のことでした。クリスタル・パレス
この写真の建物はクリスタル・パレスという、ロンドンで1851年に開催された第一回万国博覧会のパビリオンです 。列強が国威発揚に鎬を削った万国博覧会は、やはり当時の国家ナショナリズムの産物です。それと同時に、この時期急速 に興隆した都市大衆のための新たな祝祭でもありました。

このロンドン万博から始まる所謂「万博の時代」は新しい大衆社会 の出現と伸張の時代でもあったのです。彼ら大衆の関心や趣味・嗜好、そしてそれらを反映した消費動向などが社会をリード する時代、「大衆の時代」の幕開けでした。
彼らは当然、その旺盛な知的好奇心、知的虚栄心の対象を音楽の世界にも求めました。エルガーの登場が熱狂を持って迎え られた背景には、こうした時代状況があったと思われます。人々はエルガーに、彼らが待望したヒーローの出現を見たのです。
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3.2.驚異のサクセスストーリー

大変に華々しいデビューを飾りましたが、このときエルガーは既に四十二歳になっていました。大作曲家の常と比べ ると異例といっていい遅い出発です。
エルガーは実はデビューまでにすごく苦労しました。その生活は、今で言えばフリーターです。 音楽に関わるあらゆる半端仕事で生活費を稼ぎながら、在郷のまま独学で作曲家を目指しました。
そこに転機が訪れたのが 冒頭でお話したアリスの出現です。アリスとの出会いと結婚からエルガーのサクセス・ストーリーが始まるのです。もう三十歳を過ぎ ていました。

流石にすぐというわけにはいかなくて、10年くらいかかったのですが、前述の「エニグマ変奏曲」の成功で一気に花 が開きます。そしてその後は驚異の快進撃が待っていました。この地方出身の無名のアウトサイダーは、あっという間にイギリスを 代表する音楽家となり、国民的作曲家となってしまうのです。
エルガーとアリス デビュー後すぐにケンブリッジ大学から名誉博士号を受け、数年 のうちに念願のサーの称号を得、やがて国王の音楽主任(桂冠作曲家)の地位に就き、最後には貴族一歩手前の“バロネット ” (準男爵)にまで列せられます。貧しい一介の音楽フリーターだったエルガーはついに世俗的な栄達の階段を登りつめるのです 。
これは実はアリスが立てた“成功と栄達のシナリオ”なんです。そして彼女は揺るぎない確信を持ってこのシナリオを推し進め、遂に これを100%実現してしまうのです。これがアリスの凄いところですね。一種のマジックのような気さえします。

大作曲家の夫人には大変な女性が多いですね。シューマン最愛の妻であり、かつブラームスとのとても複雑な関 係で有名な大女流ピアニストのクララ。
あるいはワグナーと既婚者同士の大不倫の末に結ばれたコジマ。彼女は楽聖リストの 娘で、ワグナーと出会った時は彼の音楽の最大の理解者・紹介者であった大指揮者ハンス・フォン・ビューローの夫人でした。
そしてグスタフ・マーラー夫人のアルマも凄いですね。大変な美貌と才気に恵まれた大輪の花のような女性で、社交界の花形。 色々な男と浮名をながし、マーラーはすごく苦しみます。神経を病んだマーラーがフロイトを訪ねて診断を受けた話は有名で すが、その主因はアルマとの関係にあったともいわれています。

こうした女性たちは、芸術家の創造活動に霊感を与えるエロス的な存在といえますね。エルガーとアリスとの関係には、こうしたエ ロスがとても希薄な印象を受けます。エルガーにとって、アリスは先ずなによりも “エルガー・プロジェクト”の大プロジェクト・マネージ ャーだったのです。これがこの特異で運命的な夫婦の関係の本質だったと思います。

だからこそエルガーは他に彼の“創造の女 神(ミューズ)”を求めたのです。エルガーの後半生を彩る女性たちは皆、アリスにないものをもった人達でした。これはとても興味 ある話題なのですが、残念ながら今日はお話する時間がありません。
最後に、アリスはいわゆるスーパー・レディでも何でもありません。むしろ全く反対の、地味で凡庸な印象を与え る女性です。アリスのマジック、と言いましたが、それはこの世でただ一人、ひとえにエルガーにのみ有効なマジックでした。理屈の 世界を超えた、とても不思議な女性です。
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3.3.凋落と忘却

さて、エルガーは登り詰めるのも早かったけれども忘れられるのもまた早かったのです。彼の全盛期はたかだか10年 ほどでした。特に第一次世界大戦という、旧来の西欧世界を根底から揺るがした大激震が去ったあと、その人気は急速に衰 え、忘れられてゆくのです。
エルガーの人気を支えたのは、彼の出現を熱狂を持って迎えた新しい都市大衆層でした。その彼らが、エルガーから離れ ていったのです。エルガーは“イングランドの落日”に殉じた人です。しかし彼らは違います。むしろその後に到来する“ブリティッシュ ネス”の世界を担うべき人々でした。

またクラシック音楽自体もますます衰微し、彼ら大衆の付託に応える力を失いつつありました。だから、大衆はエルガーに替わる 彼らのヒーローを最早クラシック音楽の世界には求めませんでした。
アメリカに渡って名を成したチャップリンは、第一次大戦後の 1921年、故国イギリスに初めての里帰りを果たします。その時の人々の歓迎振りは凄まじいもので、まるで凱旋将軍を迎える かのようだったといわれています。

大衆の求めるものが明らかに変わったのです。エルガーは最早期待されない、役割を終えた国民 的作曲家としての晩年を生きなければなりませんでした。
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3.4.素顔のエルガー  出世作“「謎」の変奏曲”を中心に

お話ばかりが長くなりました。最後に、何度も言及したエルガーの出世作「エニグマ変奏曲」(“「謎」の変奏曲”)を ご一緒に聴きましょう。
といっても、大管弦楽を駆使した四十分近くの大曲なので、とても全てをお聴きいただく時間はありません 。タイトルの「謎」に最も関係が深い部分を中心に、DVDによる映像つきの演奏で楽しんでいただきたいと思います。
エルガーの 作品の特徴のひとつとして、その自伝的、自画像的な性格が挙げられますが、――勿論全ての作品に、というわけではありませ ん。この曲はその代表的なものだと思います。

どんな曲なのか、簡単にお話します。正式な題名は「創作主題による変奏曲“謎”」といいます。変奏曲ですから 当然主題がありますね。
変わっているのはこれが創作主題、エルガーが作った主題だという点です。普通は誰か他の作曲家が 作った良く知られた旋律を主題とし、それをどう料理するかという手際をみせるのが伝統的な変奏曲です。ブラームスの「ハイドン ・バリエーション」ですとかラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」、みんなそうです。

この曲のユニークなところは、創作主題が示すところのエルガー自身が主題であるという点です。
全部で14の変奏があります。そ れぞれがエルガーゆかりの人々を描いたものだということになっていますが、つまるところ、それは全て対象に投影されたエルガー自 身の自画像なのです。
対象となった人物の名前は伏せられていて、C.A.E(これは夫人のアリスです)とかH.T.S.P.だとかイニシャルで表記したり 、さきほどご紹介した「ニムロッド(狩人)」などのニックネームをつけたりして謎めかしてあります。これが「エニグマ(謎)」という曲名 のいわれのひとつです。

ところで、第13変奏[Romanza]には***としか表記がなく、名前の手掛かりさえ秘匿されています。ここで 副題の「ロマンツァ」とは、「セレナーデ」とか「バラード」とかと同様に一般によく用いられる楽曲のタイトルで、ある“物語”(さらにい えば“恋の物語”)を語る音楽、といった含意があります。
そこで、これは一体誰なんだと多くの人々が色々な詮索をし、取り沙汰 がされました。
そしてエルガー自身は終生これを明らかにすることなく亡くなりました。いま一応候補者が二人に絞られ、さらに大 勢としてそのうちの一人にほぼ対象が特定されたかの感があります。

なぜかというと、この変奏にはメンデルスゾーンの有名な演奏会用序曲「静かな海と楽しい航海」からの引用が あるのです。ただし一聴しただけでは殆どそれと気付かないほどデフォルメされています。元の旋律はとても明るく楽しい雰囲気 のものですが、エルガーはテンポを長く引き伸ばし、沈鬱で哀しげな曲調に変えています。
なにか航海に関係があって、それも自 分が出かけるのではなく、船に乗って去っていく人を辛い思いで見送るという感じです。これにあたりをつけて調べますと結局ある 女性がこうした状況に最も該当しそうだということになったのです。

それはヘレン・ウィーバーという名のエルガーの初恋の人です。エルガーが売れずに故郷でフリーターをやりながら作曲家を目指していた時代に出会って恋をした同郷の女性でした。靴屋の娘で、出自とか年齢から見ればエルガーに似合いの人です。
婚約まで しますが結局ヘレンはこれを破棄してニュージーランドへ行ってしまうのです。結核に罹患していて、その転地療養のための渡航 だったともいわれています。アリスと出会い、結婚する数年前の1884年のことでした。
この失恋の本当のいきさつは分かりません。ただエルガーは、当時親しかった友人への手紙のなかで、ヘレンは将来に見込み のない無一文の自分に愛想をつかして行ってしまったんだ、と書き送っています。その真偽はともかく、この失恋はエルガーにとって 終生忘れられない悲痛な体験となったようです。

さきほど、この変奏曲はエルガーの自画像であり、自伝的な作品だと申し上げましたが、特にこの第13変奏を間 に挟んだ終盤の三つの変奏で一気にその性格を強め、ある痛切な物語を語りかけてくるように思います。
それを言葉にしてしま うと全く身も蓋もないのですが、敢えて言えば、“喪失と断念”(第12変奏)、“別離”(第13変奏)、そして“再生と新たな出発の 宣言”(第14変奏、フィナーレ)とでも表現することができるでしょうか。
とにかく、そのあたりを中心に実際に聴いていただきたいと思います。お聴きいただくのは、冒頭の創作主題と第1変奏(アリス)、 それから今申し上げた最後の第12、13、14変奏(フィナーレ)です。第14変奏にはE.D.U.というイニシャル表記があります が、これはエルガー自身のことです。

ちなみに、このDVDはエルガーゆかりのウースター大聖堂の中での演奏を収録したもので、季節はちょうど夏至の頃。
彼の地では 夜十時を過ぎてもまだ日が暮れなずむような時節です。演奏の始まりはおそらく午後七時過ぎ。
最初外光で明るい大聖堂の大 窓が曲の進行とともにだんだんと暗さを増してゆき、やがてステンドグラスが西日を受けてゆっくりと燃え上がるまでの情景も併せて お楽しみ下さい。

(DVDの演奏) DVD情報:「エルガーのエニグマ変奏曲」、 BBC/Opus Arte DVD 0A0917D 輸入販売元:株式会社アイヴィ]

如何でしたか? 演奏も素晴らしく、映像も会場の独特な雰囲気をよく捉えていてなかなかの出来栄えのDVD だと思います。
もちろん、自伝的な解釈などに捉われず、音楽そのものを虚心に楽しむのが本来のあり方です。ここでは、こういった聴き方も 出来るのではないか、という話として受け取っていただけたなら幸いです。
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3.5.エルガーの晩年

こうしてエルガーは華々しく念願の中央デビューを果たし、その後世俗的な栄達を極めてアリス・プロジェクトは見事 に成就するのですが、それによってエルガーが自足した幸せな後半生を生きたかというと、実情はちょっと違ったのですね。

エルガー夫妻の墓 その理 由のひとつは、さきほど触れたようにやがて時代に置き去りにされて生きながら過去の人となったこと、そしてもうひとつは、かつてあ れほど切望した社会的な成功が齎した新たな現実への拭い難い違和感――これは自分が本当に求めた世界ではなかったの ではないか、という思い――に苛まれたことでしょう。

出世作「エニグマ」のフィナーレで新しい作曲家の誕生を力強く宣言して出発し たエルガーでしたが、その作品からは年を追って明るい曲想が影を潜め、悲哀とペシミズムが色濃く漂うようになってゆきます。
晩 年の傑作である「チェロ協奏曲ホ短調」で、エルガーはいわば彼の最後の自画像を描きました。それは、功成り名を遂げた人生 に自足する人の対極にある、深い寂寥と諦念の中に立ち尽くす人物の自画像です。
何を贅沢な、という気がしないでもありませ んが、大変に痛切な、胸を打つ音楽であることは疑いようもありません。彼の最高傑作のひとつでしょう。

この作品を完成した翌年(1920年)、エルガーの“運命のパートナー”アリスが亡くなります。その死とともに事実 上筆を折り、ロンドンの居宅を整理して故郷ウースターに戻ったエルガーは、そこで十数年の余生を送ったのち、1934年、七 十七年の生涯を閉じました。
本日はご清聴いただき、まことに有難うございました。(拍手)





文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄



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