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平成21年1月23日神田雑学大学定例講座 NO441

「起・承・転・結」の話

講師 滝沢 芙司雄


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はじめに

クレイジー・キャッツのマネージャー

放送作家&翻訳家

テレビ番組/FM放送・in USA/
中国でファッション・ショー

FM放送inUSA

中国でファッションショー

プライベート・ライアン


はじめに

滝沢芙司雄さんの顔 もし、あなたが自叙伝を書こう、テレビか映画の脚本を書いて見よう!小説で何か賞をとってやろう!と考えているならば、本日の講座はきっと役にたちます。

私は、ご当地には縁が深い、日本大学の芸術学部映画学科演出コースを、優秀な成績で卒業しました。まだ結婚していないので、自分でいいましたけど・・・・。

映画の監督になるつもりでしたので、1960年、日活の助監督試験を受けに行きました。しかし、寂しいのですよ。撮影所が22歳でしたから、私にも夢がありました。第一に建物が古いのです。新宿からも遠い。午前中に日活の筆記試験があって、丁度その日、午後から((株)渡辺プロダクションの面接試験があったので、そっち鞍替えしました。あっけなく採用!マネージャーとして60年から働きました。

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・クレイジー・キャッツのマネージャー

皆さん覚えていらっしゃいますか。「伊藤素道とリリオ・リズムエアーズ」というコミカルなコーラスグループがおりまして、まずその担当を命ぜられました。一見大変そうです。22歳のガキが、4人の大人をマネージするんですから。でも、私は男5人兄弟の末っ子でしたから、そんなに苦痛でもなかったですね、男のグループを扱うのは。喧嘩っぱやいのが玉にキズでしたが、会社の上層部から一応認められました。そして、1961年6月から、「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」の担当を命じられました。

これは、とんでもないことでした。植木等さんが6月末に「スーダラ節」を吹き込んで、たちまち大ヒット!私は、死ぬかと思ったほど忙しくなりました。クレィジー・キャッツの担当マネージャーでしたら、今なら3人くらいアシスタントがつきます。それがボク一人。時あたかも日本経済の高度成長期です。大手製鉄所や有名製薬会社などから、慰安会というお座敷がかかります。増産につぐ増産で、残業・居残り当たり前の頃です。

大会社は、週末にはクレイジー・キャッツを呼んでやるから働け働けで、私は目が廻るほど忙しかったです。1週間の東京のスケジュールを遅滞なくこなし、金曜日の夜か土曜日の朝に、彼らを地方へ送り出すのが私の任務でした。我ながら良く頑張ったと思います。

しかし、2年間勤めて体を壊して、辞めました。医者が、これ以上この仕事を続けたら、あなたの命の保証はしないというのです。23歳で死んだらたまらないと思って、スタジオで知り合っていた青島幸男さんに強引に入門。「大人の漫画」の台本を書いたあと、「シャボン玉ホリディー」を書き、一応テレビのバラィティ番組の作家になりました。

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・放送作家&翻訳家

こうした台本を書いているうちに、コイツは面白いことが書けるだろうからと、東北新社から、「3ばか大将」の日本語版脚色台本の注文がありました。翻訳は大御所、木原 たけし。しかし、木原さんをもってしても難しいのです。 このコメデイには、笑い声が入ります。 すると、笑いのクォリティー、すなわち爆発力、長さなどに応じて、その直前のギャグを日本人むきに脚色しなきゃならない。その脚色翻訳から吹き替え翻訳の仕事に入りました。

これはずーっと後を引いて昨年10月からNHKは3チャンネルで月曜日夜7時「アルフ」という所ジョージが声優に初挑戦したコメディーの、再放送をしていますが、そんな脚色翻訳も担当しました。 多分NHKはいいものを選んで、DVDのセットにして売り出す魂胆でしょう。そのときには、著作権料ががっぽり?入るんじゃないかと、楽しみにしています。

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・テレビ番組/FM放送
・in USA/中国でファッション・ショー

生まれは福島市、1939年2月16日。来月に70歳になります。 1931年の2月16日は高倉 健の誕生日。高倉 健さんと誕生日が同じというのが、私の自慢です。 ひと言で言えば、私の人生はなんでも屋です。先生が先生ですから。翻訳を手がける一方、バライティショウの台本でもいい仕事をさせて貰いました。

「シャボン玉ホリディー」のほかには「プラチナ・ゴールデンショウ」「NTV紅白歌合戦」売れない時代の愛川欽也がロバ君の中味をやっていた「おはよう子供ショー」などの台本を書きまくりました。翻訳しながら、ラジオのドラマも、200本以上書いたでしょうか。

大学では映画のシナリオの勉強もしたのですが、何故か映画のシナリオの仕事はありません。ラジオのドラマは子供の頃から聴いていますから、すぐ書けちゃうのです。「赤胴鈴之助」「笛吹き童子」etc。 いまは、ラジオのドラマを作ろうとしても、放送局に演出の出来る人がいないから難しいですね。

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FM放送inUSAのパンフレット

・FM放送inUSA

1978年は、日本語のFM放送の立ち上げのため、アメリカへ行きました。五月みどりさんが企業家としてウエスト・コーストでホテルを始めたときです。ラジオが出来る人はいないかと探していました。78年のLAは日本人の人口が12万7千人くらいで、商業放送が成り立つ数です。

スポンサーはマツダ、第一銀行、サントリーなどで、自分でCMもらってきては、コマーシャルを入れてしゃべりなど日本同様にやっていました。当時「うらべまこと」というファッション界の大ボスがいて、アメリカのファッション情報を送れといわれていたので仰せの通りにしていたら、帰国後間もなくして、中国へ行ってくれとの命令でした。

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・中国でファッションショー

「何ですか?」と聞き返すと
「ピエール・カルダンが中国の北京と上海でファッション・ショーをやるから、お前、見て来い」。これは態のいいスパイですね。 カルダンは、解放後の中国で最初にファッション・ショーを開いたことを勲章にしたかったのでしょう。モデルさんに薄物のドレスを着せて、万里の長城を歩かせ、内外のカメラマンに撮影させるというのを堂々とやりました。 ショーそのものは、パリコレと同じやり方で、リズムの効いた音楽を流して説明は一切無し、モデルも衣装をまとってさっさと歩くだけという、とりつく島もないものでした。

うらべまこと先生は大変な知恵者でした。君島一郎先生、中村乃武夫先生、石津謙介先生、やまもと寛斎先生、森英恵先生などなどと協議して、日本は中国にサジェスチョンするファッション・ショーをしようと提案しました。中国には無限のマンパワーがある。マテリアルには事欠かない。お宅のマテリアルを使って大量生産できる衣料を見せるファッション・ショーをしましょう、とサジェスチョンしたのです。現在わが国の衣料はメイドイン・チャイナばっかりです。

講演をされている滝沢芙司雄さん 絵に合わせて、音楽やナレーションをつけたりすることは、フッション・ショーでもコメディーでもドキュメンタリーでも同じ間尺なんですね。 ナレーターは馬さんという上海放送局の女性アナウンサーがやってくれました。

こちらは、彼女のナレーションを聴きながら、照明を変えたり、モデルさんヘキューを出すわけです。ところが、アナウンスが中国語ですから、最初は何を言ってるかチンプンカンプンです。しかし耳をすまして聞いているとだんだん判ってくるんです。例えば、マテリアルのことを中国語では「ツアイリョウ」と発音します。これは材料という部分を読んでいるな、などと中々面白かったです。 北京と上海でのショーは、大成功でした。

起・承・転・結

それはともかく、今日は起承転結の話をしようと思います 。
これから、皆さんが自叙伝など書く場合には、かなりの参考になるのではないかと、自負しております。文学を読む場合でも、これを頭に置いて読むと分かり易いです。

起承転結とは何か。

起  京の四条の糸屋の娘     (主題を起す)

承  姉は十七 妹は十五     (それを引き継ぐ)

転  諸国大名弓矢で殺す     (場面転換する)

結  糸屋の娘は 目で殺す    (結論)

高校二年のとき、国語の金谷正二先生に教わったのですが、小説家になるつもりの私の背骨に、電流が走りました。 起承転結の面白いこところは、話の順序を変えることが出来ることです。 例えば結承起転結

つまり結論が先にあって、それに至る経過を回想し、新たな展開なども加えて結論へ・・・・も可能なのです。(スピルバークの「プライベート・ライアン」はこんな順でした)。

起・承・転・結を五言絶句で見てみましょう。

「春暁(しゅんぎょう)」   孟浩然<五言絶句>

春眠不覚暁   春眠 暁を覚えず

処処聞啼鳥   処処 啼鳥を聞く

夜来風雨声   夜来 風雨の声

花落知多少   花落つること知んぬ多少ぞ

春の暁は眠りが心地よく、夜の明けるのも気づかぬほど。

ふと目ざめると、あちらこちらから小烏のさえずりが聞こえてくる。

そういえば、ゆうべは雨風の音が激しかった。

今朝の庭は、花がどれほど散ったことだろう。

「春眠暁を覚えず」は、春ともなれば誰しもが口にする名句で、この詩以後、朝寝坊の描写は、閑雅な暮らしを描く常套の手法となりました。 朝の日ざしと鳥の声の、今朝の明るい情景から、詩人は昨夜(ゆうべ)を回想します。これが「転」。「そうだ、ゆうべは吹き降りで風や雨の音がしきりにしていたなあ」と。

そして、今朝の庭の、花びらの散乱を想像する。読者は、水に濡れて散りしく花びら(たぶん桃の花)が、春の光にキラキラ輝く庭のようすを眼前に描く。ムッとするような春の息吹きもあたりに満ちあふれている。春を独り占めする隠者の歌です。 前半の二句の「明」から、第三句の昨夜の風雨の回想へと「暗」転し、庭に散りしく花びらの「明」で結ぶという、“起承転結“なんとも見事な構成です。

少年行   李白〈七言絶句〉

五陵年少金市東   五陵の年少 金市の東

銀鞍白馬度春風   銀鞍白馬  春風を渡る

落花踏尽遊何処   落花踏みつくして何れの処にか遊ぶ

笑入胡姫酒肆中   笑って入る 胡姫酒肆の中

都をのし歩く豪族の若者たちが、今、市場の東方にたむろし、(起)

銀の鞍をつけた白馬に乗って、春風の中を駆けてゆく。(承)

風に吹かれて散りしく花びらを踏みしだき、どこへ行こうとしているのか。(転・想像をめぐらしている)

見ていると、彼らは笑いさざめきながら、西域美人のいる酒場の中へ入って行った。(結)

読売新聞の論説委員の高木健夫氏が、この詩をつぎのように意訳したことに私は感動しました。さすが読売新聞の論説委員です!

「あれ春風の吹く街を、銀鞍白馬の若者が
落花蹴散らし往く先は、ペルシャの美女のいる酒場」

小説、テレビドラマ、映画のシナリオ、芝居の台本・・・・・すべての時間芸術の基本的構成パターンは起承転結です。
少し脱線します

熱心に聴講をしている皆さん 現在声優ブームで声優になりたい青年がたくさんおります。理由の一つは、声優がスターになったからです。私は東放学園でアニメなどの吹き替えを演出したい学生に教えています。

声優の第一人者、野沢那智、小池朝雄、久米明、熊倉一雄、などなどといった方たちと、ずいぶんいい仕事をしてきました。 学園が、プロデュサーやデレクターを養成する科目を設けているのはさすが! です。

吹き替えというのは、昔は一室に集まってフィルムを映写して全員でリハーサルをやったものですが、今は各声優に台本とビデオを渡し、リハーサールは自宅でやってきます。そして、本番。初めのうちは息が合わなく、ミキサーもなれていないので、出来が悪い。下手なデレクターが担当すると、中々前に進まない。

そんな時の裏技は、全部とり終えてから、もう一度、前の方をとり直す。 すると、全員エンジンが温まっていますから、今度は上手くゆく。 スポンサーへの試写は頭の方を見せますから、これでOK!!

このようなテクニックも教えています。 お互い人間ですから、本番で頭にくることもあります。Take1、Take2、Take3、・・・・Take50になることもあります。Take50まで行ったら声優と演出の人間関係がおかしくなります。その時は、“そこはいいや・・・・後でやろう”これがコツ。

そもそも、声優さんは早上がりしがちです。映像よりもセリフが早く終わって、口が素で動いている。誰が見ても合ってないことが判る。(これをパクると言います)そんなとき、声優さんの中には、パクッた部分を言葉にならないオワンオワワ・・・・風の変なアドリブで誤魔化すテクニックの人もいます。 アニメに多いですね。

アナウンサーの日本語能力の低下もひどいですが、スポーツ選手の受け答えはワンパターン。なっていません。 「今日の調子は如何ですか?」の質問に必ずバカの一つ覚え 「そうですねー」。中には「そうですね」を言うなと指導されているスポーツマンもいますが、レポーターが喋りだす前の「ハイ!」「ハーイ」もなんとかならにないものでしょうか?

NHKのアナウンサーも、ひどいのがいます。 「麻生総理なんですすけれども」 「天皇陛下なんですけれども・・・」と聞くに堪えない日本語です。日本語の主語につく助詞は、○は・・・。○○が・・・でしょう。

本題に戻って

作劇術、劇作法(ドラマトゥルギー)はアメリカにも名手がいます。結びの場面で、ガーンというオチをつける超有名人に、O・ヘンリーという短編作家がいます。 O・Henry's Endingという言葉があるくらいです。 アメリカの映画監督ウッディ・アレンは、「マンハッタン」などを撮った職人監督ですが、1978年度のO・ヘンリー賞をとっています。これはオリジナル短編小説の賞です。 欲しかったんでしょうね。O・ヘンリー賞が・・・・。やるもんです。

40年ほど前にウッディ・アレンが何をしていたか。 サンフランシスコのヴォードビル小屋で、セクシャルな漫談をやっていました。もし機会があって会うことがあったら、40年前、あんたシスコのヴォードビル小屋で漫談をやって、フィニッシュではこんな仕草をしていたねといったら、ビックリすると思います。まさか日本人が見ていたとはね。

なぜO・ヘンリーかとうと、彼の作品すべての短編が、ものの見事に起承転結なんです。短編は300作くらいありますから、古本街で探されて読んだら、頭の体操になります。最高の作品「最後の一票」「警官と賛美歌」「20年後」などなどがみごとに翻訳されています。ヨーロッパならフレデリック・フォーサイスがお勧めです。彼の「シェパード」は絶対五つ星。本を買って面白くなかったら、私が買値で引き取ってもいいくらいです。

私は、映画監督になれずにテレビの世界に進みましたが、日本のあらゆる映画祭は評価しません。脚本賞が無いに均しいです。1927年と28年に第一回アカデミー賞がありました。以降1933年までは複数年、34年から単数年になりましたが、すべて原案賞、脚本賞があります。 日本は脚本をなぜ大事にしないのか。私にはわかりません。

ドルトン・トランボという脚本家が大好きです。1950年代のマッカーシー旋風のとき、ハリウッドを追放され、メキシコに逃れました。それで一番困ったのは、B級映画製作者たちでした。トランボは日頃何と言っていたかというと、

「ハリウッドに、おれより上手いライターはごまんといる、だけど速さにかけては、俺の右にでるヤツはいない」と。二週間で娯楽映画の脚本を書き上げるのです。結果、ハリウッドのB級映画のプロデュサーは、みんなメキシコ詣となりました。トランボはメキシコ亡命中、ロバート・リッチというペンネームで「黒い牡牛」という映画のシナリオを書き、これでオスカーを獲ってしまいました。

しかし、表彰式のときには、メキシコにいて、表彰式の場にいませんでした。その後名誉回復してハリウッドに復帰、小説を書きました。「ジョニーは戦場へ行った」という手足のない男の物語です。これを自ら監督になって映画化、カンヌ映画祭で特別賞をとりました。私の尊敬するライターです。

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・プライベート・ライアン

聴講生の皆さん アメリカ映画の巨匠のひとり、スチーブン・スピルバーグ監督の映画「プライベート・ライアン」にも起・承・転・結は見られます。男4人兄弟の3人までが戦場で戦死してしまう家があり、アメリカ軍が、いくらら何でもこれはまずいと4男を欧州戦線から探して帰国させ、ライアン家の血筋を守ろうと、国防省が動くのです。

映画は最初、よぼよぼした高齢の男性(4男)のお墓参りのシーンから始まります。
「私は、ここに眠る兵士たちのお陰で、今日があるのだ・・・・」と彼は呟く。
それから、いきなり欧州戦場のシーンに飛ぶ。
「探せったって、何処にいるか探しようが無いじゃないか」と兵士の言葉。

しかし、紆余曲折のあと、どうにか4男は捜しだされアメリカへ。そして幸せな一生を送ります。再び墓の前のシーン。という風に起承転結は順序を変えて行うことができます。もし皆さんが自叙伝をお書きになる場合には、起承転結をフレキシブルに使って戴きたいです。

自叙伝は、「私は○年○月、何処どこで生まれ・・・・」という定番で始まります。自分の身上を整理して話そうするので、そうなりがちですが、読む方はたまったものじゃないです。一番いいのは、クライマックスの瞬間から始まる書き出しです。読み手はいきなりドキドキします。ぜひお試しを。

(以下 フランス、アメリカの超有名漫画家の駒漫画を使い、起・承・転・結 指示のトレーニング。&JOLF「ニッポン放送」で制作・放送されたラジオドラマを聴いて、起・承・転・結を実感して貰う頭の体操でEND) 終わり
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(文責 滝沢芙司雄 三上 卓治)

写真撮影:橋本 曜 ・ HTML制作:上野 治子

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