現在位置: ホーム(1)講義録一覧 2007〜2009(2) >「人生の勝ち組み・負け組」生き方応援歌
WEBアクセシビリティ対応
ページの先頭です

平成21年1月30日 神田雑学大学定例講座 No442


「人生の勝ち組み・負け組」生き方応援歌 講師 三根健二朗

目次

アクセントの画びょうメニューの先頭です
プロフィール
1.生まれた頃のこと
2.学校で、学生として
3.学校をやめて
4.家族
5.やくざの世界の勝ち組み負け組
6.あぶく銭を求めて
7.病気と健康とその管理
8.世間の常識、自分の常識
9.健康な体作りのために



講師 三根健二朗氏

プロフィール

講師 三根健二朗
ジャズシンガーから日本の歌謡界に様々な形で影響を及ぼした“ディック・ミネ”を父に持ち、転々と住まいを移し、環境の激変の中で勝ち組みの人生を目指した若い時代、やがては本場アメリカでのジャズに傾注、また宝石についての造詣も獲得する。その後大病を患い生死の狭間で、人生とはなにかということを考えさせられる。幅広い人脈にかかわり、さまざまな展開の中で、人生の喜び、悲しみ、そして若いころからこだわった勝ち組み負け組について語ります。

1.生まれた頃のこと

私は今までいろんな仕事をやってきまして、奇想天外みたいな生き方をしてきた人間なんで、個々個々の話はためになる話ではありません。ただ、そんな生き方の中で得られた生き方についての私の考え方みたいなもの、今感じていることがお話しできたらと思います。

みなさん御存じのディック・ミネ、彼は私の父親です。しかし本当かどうかは母親しか分からないと言われますが、私は本当に不安な時期があったのです。実は、私の生まれた時の戸籍がごちゃごちゃだったのです。私は16歳になるまでそれを知らなかった。免許証が当時16歳で取れましたのでそのために戸籍抄本を取ったら、母親の名前が違うんです。これはものすごいショックでお袋に問い詰めた。

「本当のお母さんじゃないの?」って。お袋も観念して事実を話してくれたのです。当時私は双子で育てられ、双子の兄がいました。ところが双子とされていた兄がお袋の子ではなかったのです。ディック・ミネはあちこちの女に手を出していましたから、うちのお袋の方がどちらかというと当時は正妻ではなかったらしい。そこで僕が出来てしまって、生まれ月は兄の方がちょっと遅かった。私は1月22日に生まれ、兄貴は2月1日に生まれた。だから、私の誕生日はいまだに2月1日になっている。私の戸籍が、当時正妻の方の子供になっていたわけです。
そんなことで、若いころはあれが親父かな、ということを真剣に考えたことがあるのです。

メニューに戻る(M)

2.学校で、学生として

今日のテーマで勝ち組み負け組と書きましたが、人間ってどうやったら勝ち組みになるのか、どうやったら負け組になってしまうのか、本人の生きざましだいだと思うのです。今日は私の大学時代の同級生が何人か来てくれていますが、私は学生時代殆ど学校に行っていないんです。立教大学ですが、2年くらいはいきましたかね。なぜか、お金が無くて行けなかったのです。ディック・ミネの息子がまさかとみんなは思うでしょう。物心ついた時は女中がいるような家で、親父が売り出してきたころで、お坊ちゃまでしたね。

それから学校に行きました。いまは芸能人というのはとても華やかな存在ですが僕らの子供のころは、芸能人というのはどちらかといえば河原乞食の延長で、歌歌いの子というのは結構いじめられたのです。僕が小学校から学生時代まで勝ち組みに回るために何をやったかというと、喧嘩に強くなることでした。自分の腕っ節で逆にいじめをつぶしていった。今でもその癖が抜けないところが多分にあるので困っています。でもその頃は今と違って、 いじめ方が陰湿でなかったような気がします。

僕は腕っ節で、勝ち組みになったような気分でいたけれど、学校の勝ち組みというのはやっぱり勉強もありますよね。それで僕は勉強も途中からすごくしたのです。中学に入ってからは勉強でも勝ち組みになろうと一生懸命でした。まだその時は親父とお袋は一緒だったのです。
小山台高校に入りまして、東大コースの勉強をしていたんですが、その高校の一番大事な時に、お袋と親父が離婚します。お互いの焼きもちと痴話喧嘩の果てに馬込御殿と言われた大きな家をたたき売ってしまいます。子供は当時4人いたんですが、どっちに誰が行く、どっちに誰が行くというような話になってしまった。

御殿から出て、初めて生活レベルがどーんと落っこちた時に、今度は人からみれば明らかに負け組ですよね。そして僕とお袋は家がなくなって借家住まいをしました。そしてお金がない。お金がないと学校に行けない。たまたま立教に入るお金だけは親父が出してくれたのですが、しかし大学に入っても小遣いもないので、働かなければ仕方がないというので、学校に行かずにアルバイトしましたね。周りはディック・ミネの息子だからお金に困っているなんてだれも思っちゃくれない。だけど現実には4畳半一間トイレもないところで、乞食みたいな生活をしていました。その結果行った道は不良の道ですね。

メニューに戻る(M)

3.学校をやめて

一時は浅草に始まって、新宿に行って銀座赤坂、全部不良生活を十年弱やったものです。それで立教に2年間くらいしかまともには行けなかった。ですけれど、僕は、どこの盃をもらって、どこの子分になったということは一回もなかった。自分ひとりっきりの不良でした。不良って悪いことをするから捕まるわけです。あまりにもそれが積み重なってくると、自分でも「こんな生活続けていていいもんかな」と考えるようになります。

不良の中の勝ち組み負け組は、喧嘩に強いかどうかで決まります。ところが喧嘩して勝つと必ず豚箱に入る。豚箱か病院ですね。はっきり言って、今まで私の逮捕歴は9回です。ほとんど直ぐに出てきていますから、有罪ではありません。やくざ者の生活の中で28歳くらいの最後に捕まった時に「ああ、もうばかばかしいな、こんな生活はもうやめよう」と思いました。

それで足を洗ったつもりなんですが、人間の癖ってなかなか抜けない。私はそれからトラックの運転者、タクシーの運転手、お弁当屋さん、ロイヤルゼリーの個別訪問販売、等など色々な仕事をしました。そして、そういうことをしているうちにかなりのお金を掴んでしまった。それで店を何軒か出しました。それで一度結婚しました。渋谷に店を出しまして、それが日本で一番最初に出来た外人だけのホステスのいる店です。週刊誌にあなたは飲んで遊びながら本物の英語が習えるという宣伝を出しました。店には親父の名から取って、ハイ・ディック、行列が出来るくらい流行りました。これは伝説の店です。道玄坂の地下で生のジャズの最高のメンバーを入れて、ホステスは全員外人、そこで毎日そっくり返っていました。その時はいい気になっていて、自分の中では三根健二朗というのは勝ち組みだ、という意識がありましたね。金持ってるから、勝ち組みだというのぼせあがりですね。

講演会場風景

メニューに戻る(M)

4.家族

ところがかみさんとのもめごとが出来て、またどったんばったん始まって、「ああ親父と同じことを俺もやってる」とすごくなにもかも厭になって、私はそれを全部畳んでアメリカに行ったのです。そこで永住権を取りました。

親父の話ですが、ディック・ミネというのは女にもてたとよく言われますが、結婚した数は少ないのです。3回結婚しています。子供の数は分かりません。本人が分からなかったですから。僕はアメリカから帰った時ある日、ちょっとうちの系統の顔だなと見える男が来て、「お兄さん始めまして」と言われたんです。僕は40歳近くなっていたんですよ。そのほかにもう一人いました。成城の方にいるからと言われて僕は会いにいったんです。ちらりと見た時からこれはうちの系統の顔だなと分かりました。長崎の旅館の娘さんの子供でした。たった一回の逢瀬で出来た子供とのことでした。親父に聞いても知らないという。最後まで絶対に違うと言い張っていましたが、僕は今では兄弟のように付き合っています。

兄弟合計11人で一人なくなっています。双子の兄が高校の時肺病で亡くなっています。うちの親父も芸能界では勝ち組みの一人ですよね。ですが、10人も子供がいるのに亡くなる時、子供の一人も横についていなかったというのは淋しい話です。僕も行けたんだけれど、その時親父のそばには新しい女がいたのです。それで行かなかった。亡くなる時は横にいなかったことを僕はすごく今後悔しています。「なぜいなかったのかなー」って。でもそうやって死に際を考えると、人間死ぬ時は勝ち負けなんてないですね。死ぬ時はただ死ぬのです。どんな死に方がいいかなんて誰にも分からない。死んだ人には聞けないから。

メニューに戻る(M)

5.やくざの世界の勝ち組み負け組

学校の話に戻りましょう。学校で勤勉に勉強出来て、いいコースを進んで、自分のこれからの生活のために、いい生活をするために勉強するというひとつのしきたりが僕らの時代はありました。最近はそれがないですね。勉強出来たからなんだというようなものです。

僕はその路線を高校までは歩んで、立教に入るやぐれて2年で辞めてしまったんですが、立教の同級生には卒業したのと同じように付き合っていただいています。じゃ大学を出たからよかったか、やくざ者になったからよかったか、やくざ者の勝ち組み負け組というのは2つあると思います。腕っ節が強くて偉くなるか、金持っててえらくなるかどちらかです。武闘派やくざか経済やくざかですね。経済やくざで僕の知っている奴はなんと500億円持っていた。腕っ節だけでのし上がった人は山口組の田岡組長がいい例です。

昔はやくざ者の喧嘩で人一人殺したって、5年か6年入っていれば出てこれたのです。出てくると一桁偉くなってみなから認められ、お祝いされたのです。ところが4代目の親分竹中さんが殺された時、殺した人間に出た判決が死刑なんです。その時からやくざの世界はおかくなってしまった。やくざ者がやくざ者を殺して死刑の判決が出るのではやくざ者はやっていられません。これは警察がやくざ者と縁を切ってからですね。人殺しは人殺しに変わらないから死刑ということです。この前の5人殺したのも死刑でした。やくざは今はほとんど崩壊状態です。あまり見かけないでしょう?今はやくざでは食えないです。やくざ者の勝ち組みというのはいなくなったのです。

やくざの勝ち組みになるには金を持つか組で偉くなるかです。偉くなると下から上納金というのが上がってきます。みなさんショ場ってあかります?シマのことです。やくざの世界のシマというのはすごい仕切りの世界で、僕らが住んでいるどこの土地でも仕切られて、どこのやくざのシマか決まっていたのです。そこでやるのが博打です。東京で一番大きなやくざは住吉会ですが、ここはショ場を持っていない。新興の暴力団ですから。東京を持っているのは国粋会というところが持っていて、住吉連合は国粋会から場所代を払ってショ場を借りていたのです。赤坂地区、銀座地区って個別に借りていたのです。この前六本木で住吉会の総長の小林さんが殺されそうになった。その時撃ったのが国粋会の人間だったが、間違ってそこの番頭を撃ってしまった。国粋会のショ場なんだから返せ返さないというもめごとがあったんでしょう。

やくざ者の喧嘩というのは一人殺してそれが自分の方が悪い時には自分の方の命を一つ差し出して、それで終わりにするのが決まりです。それで国粋会の工藤総長が自殺しました。それでちゃら。そういう怖い世界です。それが今までの世界です。それがやっていけなくなって、これからはやくざ者の世界で勝ち組みというのはなくなっていくはずです。
今、日本で一番の暴力団といったら、桜田組?つまり警察でしょう。

メニューに戻る(M)

6.あぶく銭を求めて

さて学校を出て、まじめなサラリーマンになって安定な生活を志向するという人間が多い中、僕は悲しいことにサラリーマンを一回もやったことがない。給料をもらって生活をしたことがない。だからあぶく銭ばかり稼いで生活をしていましたから、いまだにお金に乱雑でかみさんに叱られています。自分のポケットにいくら入っているか数えないことにしている。

アメリカに行ってからもお金になることを何でもやりました。たとえば当時日本でいるときに付き合っていた不良連中がだいぶ偉くなってきて、手紙を若い衆に持たせてアメリカに遊びに来させる。何が目的かというとピストルを撃たせてやってくれないかというのです。日本では撃てないからです。僕はピストルが好きで14,5丁持っていた。それを全部持ってバスで、砂漠の中の自由に打てるところに連れていく。男って嬉しそうな顔をするんです。缶ビールを並べておいて端からみんなで賭けて撃つのです。ところがみんな大きい口径のマグナムなんかで撃ちたがる。これは当たりません。僕は一番小さい22口径を使いますから、ほとんど当たります。これは儲かりましたね。一日に3000発くらい撃つのですから掛け金も大きくなるのです。

それが終わってどこに行きますかというと「女が欲しい」それはラスベガスへ連れて行き、売春宿に放り込む。僕はガイドだからといって待っていると一人50ドルくらいのバックが入ってくる。それからホテルへ連れて行くと今度はホテルからバックが入る。そして最後に帰る時に「うちの親分に預かってきました」って言って封筒でお金を出す。あぶく銭ですが一財産出来ましたね。 暇なときは夜になるとピアノの弾き語りやってお金をかせいだ。そして暇ができた時宝石屋の学校に行って資格をとった。これで日本から来る連中に宝石まで売れるようになった。 アメリカでのそんな生活をしているうち、アメリカで本物の宝石屋に日本人はなかなかなれない。人種差別が現実にはあります。宝石屋に黒人はいません。黒人は宝石屋にはなれない。日本人のレベルは、黒人と同等です。そんなことで、宝石では負け組になって日本に帰ってきました。このままアメリカにいたってこれ以上になれないという思いがあったからです。

メニューに戻る(M)

7.病気と健康とその管理

アメリカから帰ってきてから僕は癌になりました。殆ど末期癌の状態で大手術をして、身体中に転移していたのでリンパを16か所も取りました。医者は無責任です。あと6カ月か1年の命だと言っていたらしいんです。本人はそれを知らないわけです。私がやったことは抗がん剤を全部捨ててしまったことです。飲むと気持ち悪いから。食べ物は良いものを食べていこう、それとたまたま手元にあったミネラルを溶かしこんだ水があったのでそれを飲む、それだけやっていました。やったのはそれだけですが、それからもう14年生きています。癌になったとき腫瘍マーカーというのが出ますね。これが私は7−9とずっと高かったのです。それが去年の11月の検査でなんと消えました。正常ですと言われました。73歳にもなって体が老いたから癌がひとりでに消えてしまったのかなとも思いましたが、まあ私の心の中では、してやったり癌にはおれは勝ち組みだと思いましたね。
まあすべからく、いろいろな局面で勝った負けたと自分で考えていると、人間って楽しみが出てくるでしょう?

世界中のトップに今いる人達ってのは全部セールスマンですね。セールスマンはそれだけ売る力があった人たちですから自分に勝とうとする強い人間だと思うのです。こうやって生き残って勝ち組みになった人たちがトップです。しかし最近はこの勝ち組みもあてにならない、最近の堀江もんとか村上ファンドとかがもの凄くお金を動かしてみんなすごいねすごいねと言って、本人たちも勝ったと思っていたと思う。ところが今は刑務所、まあ負け組みですね。人間一人の中でこんな変転をやっているのは僕はあまりよくないと思う。僕は今までそうでしたから、これからは出来るだけそうしないようにしています。
講師 三根健二朗氏
人間に中で一番考えるのは自分の家庭ですよね。自分の家庭の中で勝ち組み負け組なんていませんよ。亭主がえばりくさって財布握っているから勝ち組みか、女房が亭主を尻に敷いているから勝ち組みか、そんなことはありませんね。僕は自慢じゃないが自分の家に入ってくるお金には一切口をはさまない。入ってくる金は全部神さんのかね、それからうちで怒らない、どならない、たたかない、一切ありません。最初から勝つ気なんてない。だから仲の言い夫婦にたぶん見えるでしょうね。僕はこれでいいんじゃないかと思っています僕は物を考えるときに番号を付けるようにしています。まず自分が一番。自分に余裕があれば2番のことを考える。ですからいろいろな人が相手になりますが、いつもこの人は何番かと考えて付き合っています。もちろん自分の心の中だけでの話ですがね。

それから私が今一番大事だと思うのは健康です。どんなにお金があってもどんなに幸せだとおもっていても、いきなり病気になれば価値観はめちゃくちゃです。死んだら終わりでしょう。僕は最近山田風太郎の書いた『人間死んだらお終いよ』という本を読んでいる。死んでお葬式になってもうひとつ新しい名前が付けられる。戒名です。それが出すお金によって違ってくる。死んでしまっているのに何でそんなことが必要なんでしょう。私は無神論者に近いから、まあ日本には神様がいればよいと思って、神棚しか家には置いていません。神様や仏様は人を助けてくれません。ばちも当てません。ですから自分の意思で健康でいようとすることが大事です。死んだらお終いです。

子供は愛の結晶といいますが、子供を作る時そんなこと考えて作っている人いますか?ただ励んだだけですよね。しかし生まれてしまうと愛の結晶になる。そして大きくなると結晶が欠けたりします。ことほど価値観は揺れ動きます。そういう意味でやはり自分が一番。自分中心にやりたいことを思い切って十分にやれることが勝ち組みなのではないでしょうか。

メニューに戻る(M)

8.世間の常識、自分の常識

生意気なようですが、僕はどんないいバーがあっても、本当に自分の好きな酒を飲ませくれる良い雰囲気の店で、お酒をのんでいます。食べるものも、できるだけいいものを食べようとしています。なにも勝ち組みだからではありません。むしろ死ぬまでに何回飯が食えるか、何回酒が飲めるか、それが数えられる年になってきたし、それを大事にしたいという思いがあるからです。過ごすたびに一回づつ減っていくチャンスにまずいものを食べるなんて考えられないのです。
ですから僕は焼酎もやめました。大好きだったウィスキー一辺倒です。僕はまだトリスバーとかサントリーバーの感覚が忘れられなくて、いまだに炭酸で割ったハイボール専門です。

さっきも出た山口組の話です。
これはすごい組織です。うちの親父が三代目の田岡さんと兄弟分だったという話がありますが、時の芸能人というのは興行で食っていたのです。ディック・ミネ一座を組んで日本を全部回りました。名古屋から南は全部山口組のしきりだった。その時は山口組2代目の時代だったので田岡さんが若頭でいて、そのときにお前ら兄弟分になれと言われたらしいんです。たまたま付き添いがいないからついてこいと親父に言われて、神戸へいったんです。そしたら、向こうの人が息子さんこっちにいらっしゃいといって、芸者屋に連れていかれて、何が起こったか無我夢中で分からなかった思い出があります。

とうじ興業が終わって親父が、お金を持って帰ってくる。当時一万円札がなくて最高1000円札だった。柳行李にびっしり入ったやつを10個くらい持って帰ってくるのです。その1000円札の束を僕はポケットに入れて、子分をつれて、遊びまわったこともあります。中学の頃ですよ。ああいうお金が部屋の中の行李で山積みになっている光景はその後2度と見ることはないですね。親父はそのくらいすごい仕事をやっていたらしいのです。

つぎに健康の話。健康ってけっこう人に迷惑をかける。健康な人が一番心配なのは呆けたらどうしようです。ところが山田風太郎先生の本には書いてある。「余計なことを考えるな。呆けた時には呆けているんだから分からん。」 私の場合は今は自分のものは一切なくしてしまって、すべて奥さんの名義になっている。そうすると一切余分な心配をしなくてもよい。楽でしょう。借金もなく全部ゼロにして整理したはずなんですが・・・・。 僕は今鳥インフルエンザへの対策研究をやっています。宮崎で鳥の鶏舎を借りて、そこでミネラルの供与テストをしました。その結果病気はなにも起きなかった。しかし向こうの人達は全然分かっていなくて、「でうした?」って言ったら「ああ元気だったよ」「それから?」って言ったら「ああ食べちゃったよ」それで終わり、データはなにも取っていません。僕はきっと鳥インフルエンザにもミネラルが効果あるのではないかと思って、今でもめげずに続けています。

レジメに私が歌っている写真がありますが、私の道楽がジャズなんです。昔は不良にしちゃー上手いなと言われたもんですが、今はちゃんとやっています。これは浅草のハブというところでなんですが、今でも時折コンサートをやっていますが、歌は僕の逃げ道の一つです。出来るだけうまくなろう。日本で一番の歌うたいになろうと今でも考えてやっています。演歌はやりませんが、結構うまいのですよ。まあ英語もずいぶんやりましたから、演歌を歌うような感覚で意味がわかってジャズが歌えているというのが自慢ですね。機会がありましたら聞きに来てください。

人間は病気にならないことが一番いいのです。そのためにはストレスの対策が必要です。ストレスと言われても、本当はこまりますようね。今の世の中ストレスのもとはどこにもあります。ではストレスよけの薬はないか。ないですよね。自分本位で自分を大事にして生きるしか手はないでしょう。僕は、男はお洒落で粋で見栄をはってかっこよく生きることもやるべきだと思う。女で問題が出てもかみさんにはばらさないことです。今日は女性がいませんから言いますが、女の話がばれそうになっても、ぜったい奥さんにはしゃべっちゃいけない。

昔三木のり平さんという方とある別荘にご一緒したことがあります。そしたら三木さんが面白いことを言った。「致しているときにカミさんがどっと入ってきたらどうするか?」そしたら後ろを見て「おおおまえか、よく来たな」といって夢じゃないか、さあ帰ろうとこっちの女は見向きもせずに一緒に帰るというのです。神さんがしたでしょうといっても「してないよ」と言い張る。男はそう言わなければだめなんだよ。と言っていましたね。何回も何回もそう言い張っているうちに本当になってしまうのだそうです。

人間は死ぬ時がわかるんでしょうかね。僕はいま73歳です。このあいだある本に人間の健康平均年齢という話があって、日本人のそれは72.4歳なんです。僕はもの過ぎているんですよ。平均年齢は77,78です。

僕は人間死ぬ時は本当に客観的な意味での勝ち組み負け組なんてないとおもいますね。葬式に何千人来てくれたって、死んだひとには関係ないです。僕は先ほど言ったように大きな葬式なんていらないし、戒名にお金で差別をつける宗教もきらいなんで神道で死にたい。実は僕は創価学会の幹部だったことがあります。母親が創価学会の婦人部で物心ついた時から創価学会だった。

南妙法蓮華経しか知らなかった。それでアメリカに行ってNSAという創価学会アメリカ支部の幹部になった。それで日本に帰ってきてみたら池田大作が会長になっていて、ろくでもない話がたくさん出ていました。僕が学会に入ったときは二代目会長戸田城聖さんの時ですから。それで私がいつものように話していると、他の人から「あなた先生のことをそんな風に言うとばちがあたるよ」と言われたのです。「じょうだんじゃない、おれはあなたより何十年も前から創価学会やってるんだ」とそこでいきなりぶん殴ってしまったんです。その時の会合はめちゃくちゃになりましたね。僕はその日で、創価学会を辞めたのです。

死ぬ時は勝ち組み負け組はありません。生きている間にどこで勝ったか負けたか、勝った瞬間と負けた瞬間のギャップって激しいから、勝ちだけではないんです。勝ったと思ったら負けているし負けたと思ったらまた勝ってる、この繰り返しで生きているのだと思う。
畳の上で死ねたら幸せとか芸能人は舞台で死ねたら幸せとか男は腹上死が幸せとかいいますが、誰も死んだ人から聞いたわけではないから分からない。去年から今年にかけて僕の周りで4人亡くなりました。意識がなくなる時に、みなふっと魂がなくなるような感じになりますね。その時の短い時間に何をおもうのでしょうか。どんな病気でも最後に亡くなる時は人間おなじなのかなーって感じますね。しかし惰性でだらーっと生きるような生き方は年取ってもあまり僕はしたいとも思わないし、してもらいたくないですね。そのためにも自分の体を健康にして行こうではありませんか。

メニューに戻る(M)

9.健康な体作りのために

僕もできるだけ生きられるだけは健康でいたいとおもって、仕事をしています。ミネラル水つくりに精を出しています。それで少しでも人様を助けられたらいいなーと思っています。今怖いのは薬がきかない病気が出てきたことです。タミフルが効かないインフルエンザが出てきた。ところがタミフルちいうのは一週間飲まなければいけない。ところが悪性のインフルエンザのリミットは一週間です。タミフルが効果ないとわかった時には死んでしまうのです。日本でも4人亡くなりましたね。タミフルが効かなかったのです。

それと昔なかった病気がでてきています。O−157なんて昔からあった病気です。でも人間に移るということは今までなかった。人間が大事な地球をぶっ壊してしまったからああいうことが起こるのです。自分の体を守る源である土地、空気、が壊れているではありませんか。その結果食べ物が全部だめになっている。中国の野菜なんか農薬やらなきゃ大きくならないという。

ミネラルは人間の体にとって大事な栄養素です。他の栄養素は結構足りていて肥満がおおいのに、ミネラルが足りない。体のバランスが悪くなっているのです。私の信念は人間はきっちりとバランスの良い食事をとっていれば、薬はいらない。食べ物だけで足りるのです。健康食品だってそうです。体に悪いもの、もともと人間が食べないものがたくさんある。僕の周りにはアガリクスを採って亡くなった方がたくさんいる。私に言わせれば効くわけがない。キノコですから。もともと日本人はそんなキノコは食べていないのですから。日本人には日本古来からある食べ物が体に合うんです。そのいい例がワインです。ワインを飲みすぎると日本人はほとんどひっくり返ります。日本人にはワインの分解酵素をあまり持っていないからです。世界で一番二番に日本人は酒に弱いのです。飲める人間は3割しかいないと言われます。全く飲めない人間が3割、真ん中の4割は飲めば飲めるという人たちです。この真ん中の人間がワインで2日酔いしたときは死ぬ思いです。

僕がこだわっているポイントは本物か偽物かです。マーガリンは食べません。発泡酒は飲みません。偽物は似せるためにみんな何か添加物を入れていますから体に良くないのです。アルコールも毒です。ですからお酒飲みすぎて体にいいわけないです。たばこも毒です。たしかにたばこ吸っても元気なひとは沢山います。しかしデータではこの世の中にタバコがなかったら、癌で死ぬ人の数は今の三分の一は減ると言っています。たばこ吸っている人はまだ自分の意思で吸っているんだからいいんです。自分が吸っているものはフィルターを通しています。

先っちょからどんどん出てくる煙はフィルター通っていないんです。これをさわされる人間にはハタ迷惑もいいところです。これは副流煙っていうんですか。よく癌には遺伝だとか体質だとか言われますが、医者に言わせるがん体質なんてないそうです。環境がそうだから癌になる。煙草のみのそばにいつもいたら副流煙をいつも吸っている。癌になる環境を人間が作っているのです。

それからこれからは食べ物には本当に注意してください。足りないミネラルは採ってっください。今環境問題がすごく言われているけれど、足りなくなった栄養がミネラルです。手前みそですがミネラル不足は体にとって非常に影響が大きいから、できれば食品から採って欲しい。しかし食品にミネラルがなくなった今ミネラルの入った水を朝一杯飲むことが必要なのです。ミネラル不足は単に栄養失調なのです。

勝ち組み負け組の話からだいぶそれましが、これは決めようがないんです。みんな勝ったり負けたりしてるんです。だからいつでも自分は勝った雰囲気で生きていきましょう。(拍手)

終わり

講座企画・運営:吉田源司
文責:臼井 良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:大野 令治

本文はここまでです


このページの先頭へ(0)

現在位置: ホーム(1) 講義録一覧 2007〜2009(2) >「人生の勝ち組み・負け組」生き方応援歌



個人情報保護方針アクセシビリティ・ポリシィ著作権、掲載情報等の転載、リンクについて連絡先

Copyright (c) 2005-2007 kandazatsugaku Organization. All rights reserved.