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平成21年4月3日 神田雑学大学定例講座NO450


「伝説の映画スター小史2洋画男優編、講師、坂田純治



目次

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ジェームズ・ステュアート
マーロン・ブランド
フレッド・アステア


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講師の坂田純治氏、マイク片手に講義しているジェームズ・ステュアート

ジェームズ・ステュアートは≪好感度100%≫の称号があり、誰からも愛されるスター中のスターでありました。因みにゲイリー・クーパーは≪善良で優しい父性度100%≫でした。

ジェームズ・スチュアートは、ペンシルヴェニアの荒物屋の子息で向学心が強く、プリンストン大学へ進み、電気工学、建築学を修め、学位を得ています。しかし、大不況のため就職口もなく、学生演劇にも興味を抱いていたのがキッカッケで舞台俳優を志します。

偶々映画界からも声がかかり、好感度ゆえにスターへの道を邁進します。
≪フランク・キャプラ≫の『善意と正義』に燃える持ち主の、巧まざる人柄は、正に適役というべきで、都会派映画から西部劇まで、好感を貫き徹します。

≪アルフレッド.ヒチコック≫もそのキャラクターを珍重し、当時の人気女優≪グレース・ケリー≫≪ドリス・デイ≫≪キム・ノバアク≫などを相手役に、4本の傑作スリラーを撮っています。生涯人から愛され、≪アメリカの良心≫と称えられた≪ジミイ≫は、1997年7月、急性心不全で死去、89歳でした。

ビデオ映像

ジェームズ・スチュワート、スミス都へ行く(1)1939年≪スミス都へ行く≫
ルイス・R・フォスター作。フィランク.キャプラ監督。政界の陰謀術策に操られて、ニワカ議員に祭り上げられた青年スミス(ジェームズ・ステュアート)が、その純真直情ゆえに敢然と腐敗政治をついて議会を大混乱に陥れます。愛情と声援にひたむきな女秘書を、ジェーン・アーサーが演じています。

ジェームズ・スチュワート、素晴らしき哉人生、グレン・ミラー物語(2)1946年≪素晴らしき哉、人生!≫
フランク・キャプラ監督(戦後初のコンビ)
アメリカン・ドリームの一つ。大学卒の後、妻子にも恵まれ、金融会社も成功するが、破綻を来たす。天使も含め善意ある人々の触れ合いを描く秀作。

(3)1954年≪グレン・ミラー物語≫
アンソニー.マン監督、バンド.リーダーそしてトロンボン奏者として名を馳せ≪スイングの王様≫といわれたグレン・ミラーの伝記を、暖かい夫婦愛を交えた音楽映画の佳編であります。≪真珠の首飾り≫≪茶色の小瓶≫など、美しく、懐かしいジェーン・アリスンとの名コンビ。トランペットのリード。キラー。デイラー。スタイラー。演奏形式はグレン・ミラーの創始。唄はフランセス・ラングフォド。
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マーロン・ブランドマーロン・ブランド

ハリウッドのスターの中でも、ハリウッド嫌いの奇人がいます。1972年映画版≪カッコーの巣の上で≫アカデミー賞を受賞したジャック・ニコルソン、役も狂人でした。1970年≪パットン大軍団≫でパットン将軍を名演技したジョージ・C・スコットはアカデミー賞を与えられることになったが、「俳優同志を競馬の様に競わせる賞には反対」といって式場には顔を出しませんでした。

マーロン.ブランドも「唯々、金のために映画に出る」と豪語し、≪波止場≫についで二度目の≪ゴッドファザー≫のアカデミー賞授賞式では、「ハリウッドは長年にわたり、インディアンを差別してきた」ことを理由に、自分は出席せず、「インディアン」の少女を出席させ、その声明文を読み上げさせました。女性関係も話題豊富ですが、殆どが、「メキシコ」「タヒチ」「日本(椿八千代)」など、有色人種でありました。

ネブラスカ州の薬物製造業の子として生まれて、幾つかの演劇学校に学んだのですが、何れも長続きせず、遂にエリア・カザン、リー・ストラスバーグらが厳しい訓練をするアクターズ.スタディオにおいて、独特の個性を発揮して評価が高まっていきました。エリア・カザンの演出によるブロードウエィにおいて、1947年≪欲望という名の電車≫のコワルスキーは名演技の評価高く、1951年のビビアン・リーによる映画化でも同じ役にありつき、映画スターの地位を確実にしたのであります。しかし、2004年7月。肝臓がんが悪化。80歳の生涯を終えました。

ビデオ上映

(1)1952年≪革命児サバタ≫
ジョン・スタインベック脚本 エリア.カザン監督
平凡な農民だったサバタが運命のままに革命のリーダーとなり、大統領となり、裏切りに遭い、悲壮な最期を遂げるまでを描く。

革命児サバタ、マーロン・ブランド画像2枚、


波止場、野郎どもと女たち、マーロン・ブランド(2)1954年≪波止場≫
アーサー・ミラー原案 エリア・カザン監督
ニューヨークの波止場を舞台にボクサー上がりの若い沖仲士が、ピンハネを常習している。そこの組合のボスを正義のために打ちのめす話。
マーロン・ブランド初のアカデミー主演男優賞。

(3)1955年≪野郎どもと女たち≫
ディモン・ラニヨン作 ジョセフ・L・マンキーウイッツ監督、1950年代、ブロードウエイで1200回続演したミュージカルの映画化。救世軍のウチカチの女伝道師(ジーン・シモンズ)とヤクザの野郎共(マーロン・ブランド、フラック.シナトラ)らとの恋の駆け引き。ブランドが珍しく「唄」を披露する。

(4)1979年≪地獄の黙示録≫
ロン・ラッド作、フランシス・フォード・コッポラ監督
アメリカの批評家スチュアート・バイロンは、≪タクシードライバー≫≪未知との遭遇≫≪デイア・ハンター≫などに共通のドラマ構造がある。それは行方不明になった人間を探し出す、発見する方式で、その原型はジョン・フォード。1956年の≪捜索者≫であると述べております。最近では(1998年)ではスピルバーグの≪プライベート・ライアン≫などもそうです。

アメリカ軍のエリート将校「カーツ大佐」が密林の奥地に入り、「自らの帝国」を築いている。「司令部」はウイラード大尉(マーティン・シーン)にこの狂気のカーツ大佐の動静を探り、発見次第「殺せ」と命じる。ベトナム戦争は、アメリカの消費文明の「狂気」か。カーツ大佐の「狂気」か。コッポラは問いかけて来るのであります。曲はワーグナーの“ワルキューレ”。目的はサーフィン。
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フレッド・アステア

セールスマンの子として生まれたフレッド・アステアは、天才的といわれた姉のアデールに触発され、6歳で姉と弟のチームを作り、全米巡業を開始しました。18歳でブロードウエイに進出、ロンドン公演などでもスターでした。1932年33歳、姉のアデールが貴族と結婚するのを機にチームを解消。

アステアは活路を映画に求めてRKOと契約。ここで得たよきパートナーはジンジャ・ロジャースで、彼とは一廻り若い22歳でした。映画界での二人は未だ無名に近く、1933年準主役で出演した≪空中レビュー時代≫で、一気にブレイク。以来、7年間に10本のダンス映画に華麗なコンビを披露したのであります。やがて、ジンジャ・ロジャースは演技派女優へ転身。アステアも一級のダンサーと新コンビを作ったものの、ロジャースのような訳には行かず、1959年頃からは演技派入り、1987年、88歳の生涯を閉じたのであります。

ビデオを見る

空中レビュウ時代、フレッド・アステア(1)1933年≪空中レビュウ時代≫
ソーントン・フリーランド監督、レビュウ一座が南米リオ巡業に出かけるが、興行成績はパッとない。飛行機の翼の上(現実には不可能)の空中レビュウを行い大成功するストーリー。一座のスターという役所(傍役)のアステアとロジャースのコンビが名曲≪カリオカ≫を踊って、場面をさらう

トップハット(2)1935年≪トップハット≫
マーク・サンドリッチ監督 音楽アーヴィアーヴィンク・バーリン、1830年前半のハリウッドはミュージカルが主調の時期であり、アステア=ロジャースの名コンビの総仕上げをしました。彼らの最大最高(9本)の作品となりました。ハリウッドはトーキーを完全に手中に入れました。話の筋は他愛ないが、アーヴィング.バーリーの作曲(頬と頬=チークトウ、チーク)など、ファンを陶酔させたのであります。

(3)1948年≪イースターパレード≫
1939年≪カッスル夫妻≫をもってジンジャ.ロジャースとの長い名コンビは
終わりを告げます。9作目でした。尤も1949年に一度だけ≪ブロードウエイ
のバークレイ夫妻≫がありますので、合計10作となります。

イースターパレード、踊っているシーン、画像2枚

アステアはロジャースと別れた後、12人ほどの相手役を配されましたが、私の印象に残っているのはE.パウエル、L.ヘイワス、L.キャロン、D.レイノルズ、C.チャリース位で、踊り方も夫々特徴があります。

1948年、メトロが特に力を入れたオールカラーの≪イースター.パレード≫は芸達者のジュデイ.ガーランドを相手に、49歳のアステアも活き活きした踊りを見せて(群舞を背景にアステアのみスローモーション)、若い私の夢を膨らませてくれました。パートナーがロジャースであろうと誰であろうと、アステアはそのダンス.ステップのバージョンは常に新しく、創造していった天才的ダンサーでありました。
THE END 画像3枚
終わり




参考文献
参考文献出版社 ビデオ上映作品の制作配給会社
中央公論社 松竹
創元社 東宝
白水社 大映
岩波書店 新東宝
秋田書店 日活(新)(旧)
  近代映画社 近代映協、ほか
  キネマ旬報社他 M.G.M
  20C.FOX
  R.K.O
  W.B
  PARAMOUNT
  COLOMBIA
  SELZNIK他




文責:三上卓治
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


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