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平成21年5月1日神田雑学大学定例講座No.454






 

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はじめに

「洋楽事始」とイギリス民謡

「イギリス民謡」とは?

“民謡先進国”ケルトの歌

「人々の歌」の発見
 ―イギリス近代音楽と民謡―

最初はすべて流行り歌
―代表的な名曲を様々な演奏で―




中野重夫さんの顔

はじめに

イギリスは民謡の宝庫です。シリーズ最終回である今回は、長い時の試練を潜り抜けて今日まで歌い継がれてきたこの国のさまざまな民謡を皆様と一緒に楽しみたいと思います。

民謡はあらゆる音楽が深く根を下ろす地下の水脈のようなもので、一国の音楽を語る際とても重要なものですが、イギリス民謡の場合もその例外ではありません。

皆さんも既にお馴染みのように、とにかく美しい曲が数多く残されておりますので、それらを様々なスタイルの演奏でお楽しみいただきながら本日のお話を進めてゆきたいと考えております。なお、民謡ですから基本的に歌詞があります。原詩とその対訳をお手元にご用意しましたので、適宜ご参照下さい。

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1.「洋楽事始」とイギリス民謡

まず、われわれの誰一人として知らぬ者のない曲から始めましょう。もともとはイギリスの、 より正確にはスコットランドの有名な民謡です。

CD演奏―1 《蛍の光》 井上陽水 (2001)

[“UNITED COVER”、フォーライフ・エンタテイメト]   

お聴きいただいたのは、井上陽水が2001年に出した「ユナイテッド・カヴァー」 というタイトルの、 所謂カバー曲ばかりを集めたCDからのもので、そのアルバムの冒頭の曲がこの《蛍の光》でした。 初めて聴いたとき、ちょっと意外で意表を突かれた思いがしたことを覚えています。 実はこの曲は、今から130年ほど前の近代日本と洋楽との初めての出会いを象徴するものです。

今日みなさんにも見ていただこうと、そうした歴史を如実に物語る本を近くの図書館で借り受けて持参しました。 明治14年(1881年)に刊行された「小学唱歌集」初篇です。勿論原本ではなく、大変に精巧な復刻本ですが。

文部省音楽取調掛――現在の東京芸大の前身――の編纂になるもので、 その中心人物がこの写真にある伊澤修二(1851〜1917)という人ですね。

「小学唱歌集」初篇  伊澤修二の写真

ご存知のように、近代日本黎明期の教育行政の分野で多大な功績を残した人です。「小学唱歌集」は結局3篇刊行され、 全部で約九十曲の唱歌が収録されました。そのうちの約八割が“翻訳唱歌”と呼ばれる外国の曲です。

いわば私たち日本人にとっての洋楽の原点のような曲集で、日本の唱歌の歴史はこの翻訳唱歌に始まり、 それに習って和製唱歌が作られ、さらに北原白秋・山田耕作らに代表される創作童謡などへと発展していったのでした。 今、回覧いただいておりますが、この「初篇」には編纂者伊澤修二による序文があって、 その目的とするところは徳育教育に資するにあり、と明記されています。

徳育教育とは何か? 時代背景から考えて、それは富国強兵、忠君愛国の為の少国民教育ということでしょう。 お手元の《蛍の光》(そもそものタイトルは「蛍」です)の歌詞を見てください。 われわれにお馴染みのものは1番と2番ですが、実は4番まで歌詞があるのです。ちょっと読んでみましょう。                    

《蛍》 (「小学唱歌集初篇」第20番) 

歌詞3番

筑紫の極み陸の奥 海山遠く隔つとも

その真心は隔てなく 一つに尽くせ国のため

同4番

千島の奥も沖縄も 八洲の内の守りなり

至らん国に勲しく 努めよ我が背恙無く

ここに明らかに日本の近代という時代が反映していることが見て取れますね。スコットランドの民謡のメロディーに少国民教育のための和製の歌詞をつけているのです。 もちろんその是非を問うているのではありません。 それにしても明治政府は凄いことをしたものです。もちろんそれまで日本に音楽がなかったわけではありません。

雅楽や俗楽の長い立派な伝統がありました。これをバッサリ切り捨てて事実上洋楽一本を“正統”としたのです。 文化上の大革命といっていいでしょう。言葉に関しては、伊澤と同時代の人で初代の文部大臣を務めた森有礼(1847〜1889)が英語を国語としようと提唱したことがありました。

それはあまりに過激だということで採用されなかったのですが、伊澤はいわばそれとまったく同じことを音楽でやったわけです。 そして今、われわれの周りの音楽は殆ど洋楽一色です。

演歌も基本的に洋楽です。伊澤修二の革命事業は見事に功を奏しました。 そんな経緯の中で、学校唱歌にはイギリスの民謡がたくさん採択されました。さきほどの《蛍の光》(スコットランド民謡)のほかに、 《庭の千草》(アイルランド民謡)、《埴生の宿》(イングランド民謡)、《故郷の空》、《スコットランドの釣鐘草》、 《アニーローリー》(以上スコットランド民謡)などのお馴染みの曲です。

そしてこれらはもう130年にも亘って歌い継がれ、われわれにとってとても懐かしい歌となっています。 既にわれわれ日本人の民謡となったともいえるのではないでしょうか。戦後世代の陽水が《蛍の光》を自らのカヴァー・アルバムの冒頭に据える所以かも知れません。

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ヨーゼフ・ハイドン(1832〜1809)

2.「イギリス民謡」とは?

まず音楽を聴きましょう。今年没後二百年の大作曲家ハイドン(1732~1809)の作品です。ハイドンはイギリスととてもゆかりの深い作曲家で、イギリス民謡に関してもスコットランドを初めとする民謡を取り上げて数多くの編曲作品を残しました。

今日お聴きいただくのは、そのうちのウェールズ民謡に基づく《ブリトン人》というタイトルの作品です。ここでの“ブリトン人”とは、かつて侵略者のローマ人やアングロ・サクソン人に抗して戦ったブリテン 島の先住者で、おおよそ今のウェールズの人々の父祖といえるでしょう。私的な拙訳で恐縮ですが、その歌詞の大意は次のようなものです。

ウェールズ民謡《ブリトン人》
歌詞大意

山や野を行けば 過去の光景が見えない翼に乗って現れる

古の吟遊詩人は銀の糸を掻き鳴らし 憂愁の調べを奏でる

それは久しい昔戦の野に斃れ その誉も時とともに忘れられた英雄たちの歌

わがブリトン人よ 祖国のために果敢に闘ったこの地に憩え

その剛毅な死を悼む歌よ 優しく哀切に響き渡れ

CD演奏―2 ハイドン編曲によるウェールズ民謡《The Britons》
(テノールとピアノ三重奏)
[“JOSEPH HAYDN Scottish and Welsh Songs”,ORFEO]

これは“家庭音楽”とでもいうのでしょうか、演奏会用の曲というよりも、むしろ家族やアマチュア仲間が集まって自ら演奏して楽しむための音楽といえるでしょう。CDも何もない当時は一般にこうした音楽の需要が多かったのです。 お金にもなるので、大作曲家がかなりこうした類の作品を手掛けています。

ではなぜ当時ハイドンが、イギリス民謡のうちでももっぱらこのような縁辺のケルト系の民謡ばかりを取り上げたのかという問題については、 後ほど少しご説明をいたします。 本日のお話のタイトルに“イギリス民謡”と謳いましたが、その内実は実に多様です。
イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの地図
先ず、第一回で取り上げた“イギリス”という日本語の二義性、すなわち「“イングランド”か“ブリテンか”」の問題があります。 その文脈で、ここでの“イギリス民謡”に対応する原語表記は何かというと、それはもちろん“English Folk Songs”ではありません。

イングランドの民謡はわれわれが常日頃イメージするイギリス民謡の一部でしかないからです。では“British Folk Songs”といえばいいかというと、これも正解のようで実は問題があるのです。なぜでしょう?  当今、このような表記を用いると大変に反発し、強く抗議する人たちがいるからです。

それは申し上げるまでもなく、アイルランド共和国の人々です。「われわれは“British”などではありません。 “Irish”ですよ」ということです。いかにももっともなことと思います。 しかしかつて長くイングランドの植民地だったアイルランドは古来民謡の宝庫です。 もしこれを除外すればイギリス民謡は本来の面目を失ってしまいます。

そこで現在一般に用いられるようになったのが、“Folk Songs of the British Isles”という名称です。 つまり「イギリス諸島の民謡」と表記し、これなら文句はないだろう、というわけです。考えたものですね。

今、英米系の輸入盤でイギリス民謡集のCDを買うと、その表記はかなりの程度これに統一されていると思います。 そんな政治的ないきさつもあってなかなか複雑なのですが、このように、総称としてのイギリス民謡は基本的に二種類に大別されます。

アングロ・サクソン系のイングランドの民謡、そして先住のケルトの人々の民謡です。 ケルトはスコットランド、ウェールズ、アイルランドからなり、この三地域はまたそれぞれに独自の民謡を持っています。すなわち、われわれのいうところの“イギリス民謡”はイングランド民謡、スコットランド民謡、ウェールズ民謡、アイルランド民謡の四つで成り立っているのです。
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講演中の中野さん

3.“民謡先進国”ケルトの歌

ところで、イングランドとケルト地域を比較しますと、歴史的にケルトの方が圧倒的に“民謡先進国”だったのです。 特にハイドンが渡英した十八世紀世紀の末頃にはイギリス民謡といえばケルトの民謡というような状況でした。 そしてそうした状況を生んだ大きな要因のひとつが、ケルトの人々の民族ナショナリズムだったと言えるでしょう。 彼らケルトのうち、ウェールズは最も早くイングランドに取り込まれ、国体を失いました。

またアイルランドは1649年クロムウェルによってイギリスの植民地とされ、以降過酷な運命を辿ります。 そしてスコットランドもついに1707年、“連合王国”の名のもとにイングランドに事実上併合されてしまうのです。 そうした状況のもとでケルトの民族意識は逆に一層高揚したのでしょう。

十八世紀になると自らの貴重な民族遺産である民謡をきちんと採集・保存しようという機運が興り、さらにそこからアンソロジーを編んで出版するというようなことが熱心に行われました。 スコットランドの国民的な詩人ロバート・バーンズ(1759〜1796)などはその中心的な人物のひとりです。

民謡の収集や民謡旋律への作詞を手がけ、さきほどの《蛍の光》の原詞もバーンズの作詞になるものです。 これは《オールド・ラング・サイン(過ぎ去りし昔》というタイトルの別れの歌で、 第一回のお話でご紹介したBBCプロムス・ラスト・ナイトでは、コンサート終了後、 聴衆が腕を組んでこの曲を合唱してお開きとするのが恒例となっています。

また、これもお馴染みの《故郷の空》の原詞――《ライ麦畑を通り抜け》という、思春期の少年少女の交渉を描いた歌――も彼の作品です。 アイルランドに目を転じると、詩人トマス・ムーア(1779〜1852)が“アイリッシュ・メロディーズ”という、 全十巻に及ぶ記念碑的なアイルランド民謡集(1808〜34)を編纂・上梓しています。

お馴染みの《庭の千草》の原曲はこの中に収められた《夏の名残りの薔薇》という民謡で、その歌詞はムーアの手になるものです。 そうしたことから、ケルトの民謡はイギリス国内だけでなく大陸ヨーロッパにまで広く知られ、 その結果当時の大作曲家も興味を持ち、編曲したり自作に採り入れたりしたのです。 その代表例のひとつが、いま聴いて頂いたハイドンの編曲作品なのでした。

その他の有名な例はベートーベン(1770〜1827)でしょう。ピアノ、弦楽器、あるいは合唱を伴った百四十曲にも及ぶケルト民謡の編曲作品を残しています。 その中には、さきほどのトマス・ムーアの《夏の名残りの薔薇》(《庭の千草》)も含まれています。 そこでもうひとつ、こうした大作曲家によるケルト民謡編曲の系譜に連なる作品を聴きましょう。

時代はずっと下って二十世紀半ば、イギリス近・現代を代表する作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)の編曲になる、《サリー・ガーデン》というアイルランド民謡です。 伝承された古い民謡旋律に後になってアイルランド近・現代の大詩人 W.B.イェーツ(1865〜1939)が歌詞をつけたものです。

アイルランド民謡《サリー・ガーデン》
歌詞(訳:三浦淳史)

サリー・ガーデンのほとりで、僕は恋人と逢った

彼女は雪のように白いかぼそい足で庭園を通っていった

彼女は僕に樹に木の葉が伸びるように気楽に愛を受けとめてと
言ってくれた

でも、僕は若くて愚かだったので、彼女のいうことをきかなかった

川のほとりの草原に僕は恋人と立っていた

寄りかかった僕の肩の上に彼女は雪のように白い手を置いた

彼女は僕に土手の上に草が生えるように人生を気楽に受けとめてと
言ってくれた

だが、僕は若くて愚かだった いま悔恨の涙にくれている。

CD演奏―3 ブリテン編曲によるアイルランド民謡
《サリー・ガーデン》
(テノール、弦楽アンサンブル、ハープおよびファゴットによる版
[BRITTEN Folk Song Arrangements−2, NAXOS]

ブリテンはこの曲がとても好きだったのでしょう。ピアノ伴奏、弦楽アンサンブル伴奏、そして今聴いていただいた弦楽とハープとファゴットによる伴奏と、 三種類の編曲を残しています。その中で、個人的には今回のこの版に最も惹かれます。 大変に精妙な、耽美的ともいえる音の世界で、もう一歩踏み込めばブリテン自身の音楽創造となる、 そのギリギリのところで成立しているような編曲作品であると思います。

あまりに洗練されていて民謡の味わいが薄れ、芸術歌曲に過ぎるという批判があるかもしれませんが、 とても美しい作品ですね。 ところで、この民謡の旋律は西洋音楽の音階より一音少ない六音階で出来ています。 また先ほどの《蛍の光》は五音階で、日本の民謡とも共通する典型的な民謡音階ですね。

これらはそもそもわれわれ日本人の耳にとってとても馴染みやすい音楽です。冒頭で触れた、 伊澤修二らによる近代日本への洋楽の導入に際し、これらスコットランドやアイルランドの民謡が真っ先に採用された理由のひとつがここにあります。

一方、ウェールズ民謡の《ブリトン人》は短調の調性をもつ西洋音階です。同じケルトの民謡といっても、その性格はこのように実に多様です。さらに、 後述するイングランドの古い民謡はこれらとはまた異なり、伝統的な教会旋法に則っています。

われわれが通常ひと言で“イギリス民謡”と呼ぶものは、そうした豊かな多様性を持ったひとつの集合体なのです。 そしてそこで改めて驚くのは、圧倒的な少数者であるケルトの人々の民謡の占める極めて大きな存在感でしょう。

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4.「人々の歌」の発見 ―イギリス近代音楽と民謡−

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ
(1872〜1958) このように十九世紀までのイギリス民謡はケルトの民謡が中心でイングランドはその後塵を拝していたのです。 別の言い方をすれば、イングランドの人々は自分たちの民謡の価値をそれまであまり顧みることがなかったともいえるでしょう。

ところが世紀が改まり、二十世紀の初めになると、そのイングランドにも各地に伝わる自らの民謡遺産を積極的に採集・保存しようという運動が俄かに興るのです。 当時の多くの作曲家がこの運動に深く関わりましたが、なかでも代表的な存在がイギリス近代音楽の大家、レイフ・ ヴォーン・ウィリアムズ(1852〜1958)でした。

では、今から百年前の世紀の変わり目に一体なぜそんなことが起きたのでしょうか? まず、その背景にある曲を一曲聴いて頂きたいと思います。

CD演奏―4 ドヴォルザーク作曲《交響曲第八番ト短調op.88》から第三楽章
[J.レヴィァイン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ドイツグラモフォン]

いかがでしたか? “アレグレット・グラツィオーソ”という曲想指定そのままの優美で流麗な三拍子の舞曲ですが、とても濃厚な、 むせかえるような民族色に溢れていますね。交響曲の一つの楽章をあたかも一編の美しい民謡として仕上げてしまったかのような、 大変ユニークな作品(1889)です。ご存知のように、作曲者はボヘミア(現在のチェコ)出身のドヴォルザーク(1841〜1904)で、 所謂“国民楽派”の代表的な作曲家の一人です。

西洋音楽史上、十九世紀の後半から二十世紀の初めにかけて隆盛した“国民楽派”についてここで詳しくお話しする用意はありませんが、 正統的な西洋音楽の伝統に立脚しつつ、民謡などを素材に自国固有の音楽創造を目指した流派で、ムソルグスキーらの「ロシア五人組」、 スメタナ、ドヴォルザーク、グリーク、シベリウスなどがその代表的な作曲家です。

こうしたどちらかといえばヨーロッパの縁辺の地の作曲家が、彼らの豊かな民族音楽遺産に拠って多様な創作活動を展開したものでした。 当時の時代の申し子である“国民国家”を背景に高揚・沸騰した国家ナショナリズム、および一千年以上続いて頂点を極めたあとの西洋古典音楽の行き詰まりが、 この大きな潮流を生んだものといえるでしょう。

こういう西洋音楽界全体の大きな動向の中で、大英帝国の中枢を担うイングランドにおいても民謡の採集・保存運動が始まったのです。 この時期はちょうど“イギリス音楽ルネッサンス”と呼ばれる自国近代音楽の興隆期と重なり、ヴォーン・ウィリアムズやG.ホルスト(1874〜1934)、 G.バタワース(1885〜1916)、P.グレインジャー(1882〜1961)といった多くの有為の作曲家が熱心にこうした活動に参画し、 その成果をそれぞれの音楽創造に活かしました。

逆の言い方をすれば、彼らに託された「独自の新しい自国音楽の創造」という使命の達成に臨んで、 その活路をそれまで長く看過されてきた自らの民謡遺産――イングランドの田野に伝承された無名の人々の歌――のなかに求めたものといえるでしょう。

西洋音楽史上名高い例としてバルトーク(1881〜1945)やコダーイ(1882〜1967)による祖国ハンガリー民謡の蒐集・研究活動がありますが、 殆ど同時期にイギリスにおいて展開されたヴォーン・ウィリアムズらの活動も、その動機と精神においてこれと同根のものだったのです。

彼らが赴いたのはイングランド各地に散在する古くからの農村でした。そして、その伝統的な村落共同体の中で長い間歌い継がれてきた数々の“人々の歌”と出会ったのです。 彼らイングランドの“選良”にとって、それは全く未知な世界との遭遇でした。

そしてこれらのまことに素朴な歌が表出する人間感情の深さと力強さに一様に驚き、たちどころに魅了されるのです。特にヴォーン・ウィリアムズにとってこの体験はひとつの啓示とも呼べる運命的な事件となり、 以降の長い作曲活動に決定的な影響を及ぼしました。 彼は1903年から数年を費やしたフィールド・ワークで最終的に八百曲を超えるイングランド各地の民謡を収集しています。

こうしたフィールド・ワークに、当時やっと実用化されたばかりの新技術が早速援用され、大きな役割を果たしました。 フォノグラフと名付けられた、エジソン考案のゼンマイ式蝋管蓄音機です。 フォノグラフと名付けられた、エジソン考案のゼンマイ式蝋管蓄音機 彼ら民謡コレクターの多くは、まだ自動車など自由に使えない時代、 この大変に重くてかさばる、技術的にもまだまだ未熟な機材を担いでイングランド各地の村落に採集に赴きました。

なぜ採譜一本に頼らなかったかといえば、その答は自明です。人々 が口承により歌い継いできた歌を、西洋音楽の記譜法によって五線紙に正しく写し取ることは不可能だったからです。 その真価と精髄は、今現前するひとつの生命体としての歌唱をそのまま音として留める意外に記録しようのないものでした。

こうした蝋管録音の代表例を聴いて見ましょう。先ほど名前を挙げたP.グレインジャーが残した貴重な録音シリンダーによるものです。 北イングランドのリンカーンシャーの農村に伝承された《ブリッグ・フェア》(ブリッグの定期市)という古い歌で、 グレインジャーの採集により忘却と消滅から免れた多くの美しい民謡のうちのひとつです。アカペラの独唱で、 ジョセフ・テイラーという地元の歌い手が歌っています。 ほんの断片で恐縮ですが、たしかに楽譜に書き表わすことの難かしいその独特の拍節感や節回しなどを感じ取っていただければと思います。

CD演奏―5 イングランド民謡《ブリッグ・フェア》 (断片)
(1908年の蝋管式録音による地元の歌い手ジョセフ・テイラーの歌唱)
[“Hidden English”a celebration of English traditional music, TOPIC Rec.]

それでは、せっかくですからこの名曲全曲を現代の練達の混声合唱で聴いて見ましょう。 お手元の歌詞にあるように、タイトルの《ブリッグ・フェア》とはブリッグという町で開かれる定期市のことです。 市といっても日常の商売のためのものというより、ここでは近隣の人々が心待ちにして集う年に一度のお祭です。

当然、若い男女の出会いの場、あるいは恋人たちの逢瀬の場でもありますね。そうしたことで、 後ほど聴いていただく《スカーボロ・フェア》もそうですが、この“フェア”という状況設定はイングランドの民謡に大変お馴染みのものです。

とにかく電子メールや携帯電話はもとより、郵便さえないに等しい時代のことです。 自由な休暇や移動もままなりません。だから、こうした“フェア”の高揚の中で出会い、 恋仲となった男女が次に会えるのは一年後のことです。 その間にはお互いの身の上にどんな変化があるかも知れません。 ということで、これからお聴きいただくように、その曲調はとても哀切です。

イングランド民謡《ブリッグ・フェア》
歌詞(訳:田中亮三)

八月五日のこと 雲―つなく晴れ渡り

ブリッグの市(いち)に私は出かけた

恋を求めて

朝は雲雀(ひばり)と共に起き出した

そこで君に会えると思うと 心は喜びに溢れて

長いこと会いたかった君に

彼女の百合のように白い手をとり

ああ、彼女のハートは楽しげに踊る

やっと二人は会えたね

このまま別れずにいたい

会うことは喜び 別れは悲しみ

しかし不実な恋人は盗賊よりも悪い奴

緑の葉もしぼみ 枝も枯れるだろう

もし愛してくれるあの娘を

私が裏切ることがあれば

CD演奏―6 イングランド民謡《ブリッグ・フェア》
(アカペラ混声合唱による全曲の演奏)
[ザ・スコラーズ“イギリス民謡集”、東芝EMI]

いかがでしたか? 演奏の特徴として、四つの声部が縦のハーモニーを作って進んでゆくという感じが希薄ですね。 むしろ各声部が絡み合いながら線的に進行してゆく、といった趣の音楽で、この民謡の旋律の基本的な性格をよく活かした演奏だったと思います。 先ほど言及したように、ケルトの民謡と違って、この旋律は旋法的なものです。

具体的には、グレゴリア聖歌という6世紀の終わりから7世紀の初め頃に確立したキリスト教聖歌の旋法の一つである「ドリア旋法」に則って出来ているのです。 これはあとで聴いて頂く《グリーン・スリーヴス》や《スカーボロ・フェア》にも共通する、 イングランドの古い民謡に認められる大きな特徴です。その哀調を帯びた旋律は、 一聴したところラで始まってラで終る短調の調性を有しているようにも聴こえますが、 実際にはレで開始してレで終止するドリア旋法に拠っています。

今聴いていただいたCDの演奏は、そうした旋法的な音楽に内在するポリフォニックな性格を見事に表出したものといえるでしょう。 なお、第一回のお話でビートルズの音楽と民謡との関わりについて言及しましたが、 彼らの《エリナー・リグビー》はこのドリア旋法で書かれています。
聴講をしている皆さん
さて、イングランドのこうした“人々の歌”はこのとき実は絶滅寸前だったのです。 二十世紀に至り、これらの歌を長く継承・伝達してきた農村の伝統的な共同体がまさに消滅しようとしていたからです。 この共同体の主な構成員は、度重なる“囲い込み”で零落した零細な自営農や小作農でした。

こうした人々が近代の滔々たる工業化、都市化の進展により下層の都市労働者となって流出し、 “人々の歌”の母体であった農村の共同体は急速に姿を消していったのです。 奇しくもちょうどその間際に興ったヴォーン・ウィリアムズらの民謡収集・保存運動により、 この貴重な民族遺産はからくも完全な忘却・消失を免れたのでした。

まさしく、民謡とは時の試練をくぐりぬけて今日あるもの、という思いを深くします。 時のふるいに残ったものが素晴らしいものであることは間違いありません。しかし一方、 素晴らしいものが必ず残るとは限らないのです。

今お聴き頂いた《ブリッグ・フェア》のような、偶然救い上げられた歌の素晴らしさが、それを逆に実証しています。何が残り、何が忘れ去られるか? “時の試練”の機微は、まことに人智を超えたものというべきでしょう。 ここでご参考までに、我が国において“発掘”された埋もれた民謡の一例をお聴き下さい。

1930年(昭和5年)に、熊本県五木地方で偶然に“発見”されたといわれる《五木の子守唄》です。狭い地域の中に、互いに「正調」を主張するいくつもの異版が存在しますが、今日はそのうちの五木村頭地地区に伝わるものを、地元歌手の談話も含めて聴いていただきましょう。

CD演奏―7 《五木の子守唄》正調、五木村頭地地区
(話と歌:堂坂よし子、2003年五木村で録音)
[“五木の子守唄の謎”、キングレコード]

現在流布している《五木の子守唄》とはずいぶんと違った印象を受けますね。このように、異なった歌詞や旋律や歌い回しをもったいくつもの「正調」が存在するのも、民謡という口承歌謡の特徴のひとつです。ということで、やはりわれわれの耳に馴染んだ《五木の子守唄》を聴いておきましょう。尺八と女性ジャズ・ボーカルによるユニークな演奏です。

CD演奏―8《五木の子守唄》編曲版
(編曲:前田憲男、尺八:山本邦山、歌唱:ヘレン・メリル)
[CD演奏―7に同じ]

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5.最初はすべて流行り歌 ――代表的な名曲を様々な演奏で――

それでは最後に、古くから知られ、長く歌い継がれて今日にあるイギリスの代表的な歌謡を様々なスタイルの演奏でお楽しみ頂いてお開きにしたいと思います。

(1)《グリーン・スリーヴス》
最初に、四百年前の流行歌が今日まで歌い継がれ、いまやイギリスを代表する“民謡”となった《グリーン・スリーヴス》を聴きましょう。これは十六世紀後半に既に記録に現れるイングランドの古い歌謡で、シェイクスピアの喜劇「ウインザーの陽気な女房たち」の中にも出てくるように、当時から人々に広く知られた歌でした。その歌詞は次の通りです。

エリザベス朝の古謡《グリーン・スリーヴス》
歌詞(訳:田中亮三)

ああ、私の恋人、君はひどい仕打ちをした

無法にも私を捨ててしまうなんて

それに君をこんなに長く愛したのに

君と一緒にいることをあんなに喜んだのに

グリーン・スリーヴスは私の喜びのすべて

グリーン・スリーヴスは私の楽しみ

グリーン・スリーヴスは私の黄金のハート

グリーン・スリーヴス以外に私の恋人は誰がいようか

君が求めるものなら何でも

与えようと決めていた

君の愛と真心を得るために

生命も財産も賭けていた

グリーン・スリーヴス、今は別れ、さようなら

君の繁栄を私は神に祈る

だって私は今でも君の忠実な恋人だから

もう一度戻って来て私を愛しておくれ

CD演奏―9 エリザベス朝の古謡《グリーン・スリーヴス》−1

(ブラザース・フォーによる歌唱版)
[“THE BROTHERS FOUR”、AMUSE INC.]

画家ロゼッティ(1828〜82)の「レディ・グリーン・スリーヴス」の絵 ところで、ここで歌われた「レディ・グリーン・スリーヴス」、すなわち「緑の袖の婦人」とはいったいどんな女性なのでしょうか?  美しい貴婦人、あるいは清純な美少女と考えてもよさそうな気がしますが、実は違うのです。

草むらで横たわると袖が緑に染まりますね。そもそも「レディ・グリーン・スリーヴス」とはもっとずっと奔放で多情な女性、 さらにいえばその方面の職業の女性を指す、当時誰もが知るひとつの暗喩でした。ここにラファエル前派の画家ロゼッティ(1828〜82)の「レディ・グリーン・スリーヴス」という絵がありますが、 そんなことを踏まえてこれを眺めるとその印象もまた少し違ってくるかもしれません。

さて、今聴いていただいたのは懐かしいブラザース・フォーの演奏でしたが、彼らはこの曲の旋律を典型的な西洋音楽のマイナー・コードに乗せて歌っています。 しかし先ほど言及したように、この独特の雰囲気を持ったメロディーは《ブリッグ・フェア》と同じように古い教会旋法(ドリア旋法)で出来ているのです。 そこで次に、そのあたりをはっきりと打ち出した別の演奏を聴いてみましょう。これも懐かしい、ジョン・コルトレーンのソプラノ・サックスによるモダンジャズの演奏です。 ピアノとベースの執拗な反復音型に注目してください。

CD演奏―10 エリザベス朝の古謡《グリーン・スリーヴス》−2
(J.コルトレーンによるモダン・ジャズ演奏)
[“John Coltrane Ballads−2”、 WP-インパルス]

いかがでしたか? 通常のコード進行ではなく、反復する定型低音旋律(オスティナート)に乗ってソロが歌う、より旋法的な曲作りで臨んだ演奏でした。

(2)《スカーボロ・フェア》
次は上記より少し後、17世紀頃のイングランドの古い歌《スカーボロ・フェア》です。 長くあまり顧みられずにいたものを1960年代にサイモン&ガーファンクルが取り上げて世界的に大ヒットし、 現代に見事に甦りました。今日もその最大の立役者の演奏で聴きましょう。 やはり典型的なドリア旋法による旋律です。

《ブリッグ・フェア》と同様「フェア」(定期市)を歌ったものですが、暗喩を多用したその歌詞はずっと謎めいています。 “パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム”というハーブの名前を連ねたリフレインが特徴的ですが、 これらはそれぞれがある暗喩――例えば「貞節」とか「純愛」とか「情熱」といったような――となっているはずです。 また、本来はもう少し複雑な歌詞による男女の掛け合いで歌われたもののようです。

イングランド民謡《スカーボロ・フェア》
歌詞(訳:田中亮三)

スカーボロの市に行くのかい

パセリ、セージ、ローズマリーにタイムはいかが(リフレイン)

あそこに住んでるあの娘によろしく

昔、あいつとはいい仲だった

亜麻布のシヤツを作れと言ってくれ

縫い目も針跡もないやつを

そしたら嫁に貰ってやるぜ

そのシャツを泉で洗えと言ってくれ

あそこは水も湧かなきや、雨一粒だって降りゃしない

一反の畑を作れと言ってくれ、俺のために

そいつを海と浜の間に

畑は羊の角で鋤けと言ってくれ

胡椒一粒を畑全部に蒔けとね

皮の小鎌で刈り獲って

四十雀の羽で束ねろとね

全部を一つの袋に人れて

蝶の背中にのっけて運べ、俺の家まで

CD演奏―11 イングランド民謡《スカーボロ・フェア》
(サイモン&ガーファンクル)
[“サイモン&ガーファンクル/パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイムス”、CBSソニー]

シンガー・ソングライター スティング(1951〜) (3)《溢れよわが涙》(1600年)
次にエリザベス朝最大のシンガー・ソングライター、ジョン・ダウランド(1563?〜1626)の残した メガヒット《溢れよわが涙》を聴きましょう。1600年に楽譜出版され、絶大な人気を博した歌です。 今日はこれを、現代を代表するブリティッシュ・ロック界のシンガー・ソングライター、 スティング(1951〜)が四百年後にカヴァーしたCDでお楽しみ下さい。 リュート伴奏による意外なほど正統的な歌唱です。またまた私的な拙訳で恐縮ですが、 歌詞の大意は以下のようなものです。

J.ダウランド《溢れよわが涙》
歌詞大意

溢れよ、わが涙、お前の泉から

永遠に異郷をさすらう我が身を歎こう

夜の鳥が彼女の不実を歌う場所でよるべなく生きよう

虚しい光よ、もう輝くな、どんな夜も、絶望して失われた幸せを

歎き悲しむものにとって暗すぎることはない

ああ、暗黒が棲家の幻影は光を忌む我が身の姿

この世の悪意から逃れた地獄の人々は

なんと幸せなことだろう

CD演奏―12 J.ダウランド作曲《溢れよわが涙》(1600)
(スティングによる歌唱)
[STING SONGS FROM THE LABYRINTH, ドイツグラモフォン]

(4)《ダニー・ボーイ》
最後は言わずと知れた世界の民謡《ダニー・ボーイ》で締めくくりましょう。 このアイルランド民謡の成立の経緯はかなり複雑です。先ず十八世紀頃、“ロンドンデリー・エア”として旋律が成立しました。 ここでロンドンデリーとは、本来デリーという名のアイルランドの町がロンドンの植民市となった為に改名されたものです。

その後様々な歌詞で歌われ、結局二十世紀の初めにアイリッシュ系のアメリカ人によってつけられた現在の歌詞が定番となりました。 シで開始されるその旋律は大変独特で、第四音のない民謡音階で出来ているようにも聴こえますが、 必ずしもそれで一貫しているわけでもありません。

いずれにせよ、一種普遍的な力を持った、稀有の旋律といえるでしょう。 今日はこれを、どこかド演歌にも通ずる強烈なコブシで謳いあげたリズム&ブルース系の器楽演奏(テナー・サックス)でお楽しみ下さい。 いうまでもなく、リズム&ブルースのルーツはゴスペルです。一聴ムード・テナーそのものといったこの演奏にも、 どこか遠いところに呼びかけるような、祈りのような歌心が漲っているように感じられます。 そしてそれは間違いなく、この比類のない民謡の深い本質に繋がるものです。

CD演奏―13 アイルランド民謡《ダニー・ボーイ》
(S.オースティンのテナー・サックスによる演奏)
[BEST SELECTION OF SIL AUSTIN, Universal International]

本日はご清聴頂き、まことに有難うございました。

(拍手)

文責:中野 重夫 ・ 臼井 良雄
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写真撮影:橋本 曜 ・ HTML制作:上野 治子

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