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神田雑学大学 平成21年7月17日 講座No.457


「米国空母航海記」 講師 堺 秀人

目次

アクセントの画びょうメニューの先頭です
はじめに
1.えっ? 空母に乗るの!?
2.暁のリフトオフ
3.欲しいものはなんでも
4.C5Aギャラキシー
5.従卒つき個室
6.艦長曰く
7.艦内あれこれ
8.リッチな生活
9.特攻隊員の冥福を
10.海軍は常時臨戦
11.なぜ海兵隊員が
12.軍事音痴な私
13.スプラッシュダウン
14.パールハーバー



はじめに

堺秀人講師の写真  ご紹介いただいた堺秀人です。理事長の鈴木一郎さんとは小学校以来の友人で、二人とも本を読むのが趣味で毎週お互いの家を訪問して新しく入手した本をよむのを楽しみにしておりました。いまもご厚誼をいただいております。

 私は1969年から76年までアメリカのテキサス州で医学の勉強をしておりました。専門は内科なのですが当時最先端の研究テーマとなっておりました細胞免疫に取り組んでおりました。
 臓器を移植すると排除されてしまったりガン細胞ができると異物とみなして排除する仕組みですが主役はリンパ球といわれるものです。この研究が70年代に入ると爆発的に進歩しました。当時この分野で専門家といわれる研究者はあまりおらず、たまたま研究にとりくんでいたわたしまでが専門家とみなされるようになりました。

 アメリカがアポロ宇宙船を飛ばして1969年7月21日に月へ着陸させ世界を驚かせました。そのときにアメリカ政府がやったことの中に、月に人間が入った場合人体にどのようなことが起こるかということが重要なテーマとしてありました。
 たまたま私はヒューストンがあるテキサスで細胞免疫のことを臨床を含めてやっておりましたので研究者として白羽の矢があたったようです。

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1.えっ? 空母に乗るの!?

アクセントボタンNASAの勧誘
 そのようなわけである日突然この研究をやるために、空母に乗ってくれないかと要請がありました。当時のアポロの乗員の回収は、みなさんのご記憶にあると思いますが、宇宙船は三角形のおむすびのような格好をしていまして中部太平洋の真ん中に着水します。ほっておくと沈んでしまいますので、空母から飛び立ったヘリコプターが着水地点に急行して浮き輪をつけ空母まで回収します。

アクセントボタン宇宙飛行と人体
アポロ11号月面着陸  一番最初のアポロ11号で帰ってきたアームストロング船長以下の検査は前例がないだけに大変だったようです。当時宇宙には人類が知らないウイルスがいて、もしこれに感染していたら免疫がないだけに人類は深刻な事態になる可能性があるというので、戻ってきた宇宙船をそのまま巨大なビニールの袋に密閉して2か月ぐらい無菌の部屋にいれて徹底的に調べ、結論的には宇宙にはとんでもないウイルスはいないということになりました。私は細胞免疫の専門家としてNASAのチームとともに宇宙船回収の空母へ乗り込みました。

アクセントボタン女性禁断の空母
 このような事情でアメリカの空母タイコンデルロガに乗ることになりました。これは以前横須賀に配備されていたミッドウエイと同型艦です。甲板には戦闘機はもちろん観測機、ヘリコプターなどがずらりと並んでいてエレベーターで降りた下の甲板にたくさんの飛行機が格納されています。
 甲板のほぼ半分は飛行機の離発着に使われ、カタパルトを使って風上に向かって離陸し着陸のときは甲板にはられたロープにフックをひっかけて着艦するようになっています。

アメリカの空母タイコンデルロガ  甲板の右端にアイランドと呼ばれる艦橋があって船の司令塔になっています。空母は大砲やミサイルなどの武器は一切搭載しておらず周囲の駆逐艦などが常時空母を守っています。ここに着岸しているところの写真がありますが、非常に巨大で喫水下も含めれば20階建の巨大なビルが走っているようなものです。

 当時は今とちがって女性禁断で男ばかりの世界でした。ただひとつの例外は女性の記者が一人乗っていてたいへん人気がありました。


アクセントボタン情報将校の取り調べ
 よくアメリカが外国人である私を乗せたと思いますが、さすがに事前に情報将校による取り調べがありました。ヒューストンのある建物に3回呼び出されて、取扱いは丁寧ですが非常に厳しい内容の取り調べをうけました。
 一般にアメリカ人というと雄弁で陽気な人柄を想像しますが、この人たちは非常にクールで全く別人という印象をうけました。

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2.暁のリフトオフ

アクセントボタンケープケネデイ
 宇宙飛行士は普段ヒューストンにいてものすごい訓練をやっています。彼らは空軍のエースパイロットでしたから戦闘機の飛行訓練もやっていました。いざ月に行くとなるとケープケネデイへ行って、タイタンというロケットに乗り込みます。私はなにをするかというと、飛び立つ直前に彼らの血を採って実験室のなかでいろいろ調べます。 ロケットの発射

 発射のときは大地が地震のように揺れて、轟音と震動とともにロケットは上がっていきます。


3.欲しいものはなんでも

 当時はNASAも資金が潤沢でしたから、研究に必要なものはなんでも買ってくれました。それで空母に積み込むラボとして六畳ぐらいのエアコン付き鉄箱に、当時考えられる最先端の機器をとりつけ実験室を作りました。ここで各人のリンパ球を解析するわけですがほとんどが手作業でした。
 このようにして作った研究室でドライランといって実際に作業をやってみて、これでいけると判断されれば、そのまま封印して空母に搬入される作業が行われます。

4.C5Aギャラキシー

 空母に搬入するにはC5Aギャラキシーという巨大な輸送機が使われます。これは今でも使われています機首がぱっくり開いて戦車や輸送機を何台も運ぶことができるもので、1階に重機が積み込まれ2階には完全装備の兵隊が乗ることになっていて空軍の下士官がスチュワード役で乗っています。
 面白いと思ったのは座席が後ろを向いていることでした。これは万一の場合、この方が安全だからと思われます。  このようにして私は研究室と一緒にパールハーバーまで運ばれました。

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5.従卒つき個室

 研究室の取り付けが完了するといよいよ二週間の航海に出発します。
私は民間人ですが乗り組員は全員階級がつくので私の身分は少佐(メジャー)で、従兵までついていて面喰いました。部屋の備品は全て金属製で燃えるものはなにひとつありません。布団も不燃布でできていました。
 このような環境下で掃除、洗濯などの雑用はすべて従兵がやってくれます。困ったのは軍というのは必ず上位の者に敬礼する規則があるので、敬礼されるとどう対応したものかわからなかったことです。結局うなずいていればいいことがわかりました。
 毎日の生活のなかで気になったのは夜明けに轟音が響くことです。これは毎朝定時に偵察機と戦闘機が出発するときの音でした。

6.艦長曰く

 航海にでると民間人の私はなにもすることがなくて退屈です。好奇心旺盛な私は館内の探検にでかけました。
 艦長は非常に鷹揚なひとで、あなた方はなにもしなくていい。ただやってほしいことは、火事をみたら大声でFireと叫んで欲しい。とのことでした。実際に小さなボヤはけっこうあるらしく常時消防チームがかけつける体制ができているようでした。
 それから空母の甲板には柵がありませんので偶に人が落ちるそうです。人が落ちたと思ったらMan overboard(人が落ちた)と叫んでくれというのです。空母は直ちにスクリューを逆回転させて急停止しますが完全に止まるまで何マイルか進んでしまいます。ライフブイを投げ込んでとにかく浮いてさえいれば必ず助けにくるので、とにかく叫んでくれとのことでした。

空母の図面

 野次馬の私は艦内をあちこち歩いていましたが、所どころドアにノブがない部屋がありました。そこへ入るにはドアの脇にあるボックスの中へ手を入れて、暗証番号を押すとドアが開きます。私はもちろん中には入れませんが、どの部屋も全て電子機器がぎっしり入っていました。
 甲板はとてつもなく広く前方にカタパルトを2機すえつけてどんどん飛行機を発進させ、後部はワイヤーを3本かけたところにフックをひかけて巧みに着艦するのでした。パイロットにいわせればそれほど難しくないといっていましたがローリング、ピッチングはスタビライザーをつけて水水平を保っていますが、うねりで常に船は上下に揺れていますので正確に着艦するのは非常に難しいものと思われました。

 エンジンルームも行ってみましたがジーゼルエンジンで動いていると思い込んでいたのに実際は発電機をまわして電気推進になっているとのことでした。これは急に逆進する必要があるからだそうです。その時は8基のエンジンのうち4基しか動いていませんでしたがそれでも30ノット(約50キロ)のスピードが出ていました。このスピードで甲板にでると風圧でほとんど歩くことができません。

 艦長がNASAチームに「何か聞きたいことはないか?」と尋ねましたら、お茶目な同僚が「この船は核を積んでいるか?」と聞きました。それまでにこやかだった艦長の表情が一変し「そういうことは聞くものではない」と言いました。実はこの空母は過去に水爆を積んだ飛行機が発進したさい失速して沈没し紛失している実績があり、核には非常にナーバスでした。

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7.艦内あれこれ

アクセントボタンハードル競走
 軍用艦は浸水を防ぐためにやたらに隔壁で仕切ってあり、さくの高さが40〜50センチあります。艦内を移動するにはいちいちその仕切りをまたいでいかなければならないので陸上競技のハードル競走をやっているようなものです。
上下は階段を上り下りしますが、降りるときは手すりの丸い棒につかまって猿のように滑り降ります。

アクセントボタン艦内新聞
 艦のなかに新聞があって配ってくれるのですが、読んでみると毎号毎号不祥事をいかに防止するかという記事が非常に多かったです。

アクセントボタン身分格差
 軍隊ではすべての人に階級がついていて厳然とした格差があります。士官と兵員では先ず居住区が違います。食堂も娯楽設備もはっきりと分かれています。
兵員のなかにも格差があって、一番身分が低いのがフイリッピン人で仕事は賄いや雑役です。つぎが黒人です。あたりまえかも知れませんが、パイロットの身分は非常にたかく艦長と同じテーブルで食事をしたりしています。

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8.リッチな生活

 艦内の生活はひとことでいえば非常にリッチです。たとえば艦長とデイナーをとるような場合は銀の食器で海兵隊のバンドが演奏されています。料理はステーキとかロブスターとか非常に豪勢なものです。この空母の維持費は平時でも1日50万ドルかかるというのもうなずけます。
 士官の娯楽室も非常によくできていまして本を読んでいる人、音楽を聴く人、チェスなどをする人などさまざまです。
 また未封切映画などが上映されて、私がいたときたまたま未封切のデイープスロートを観ることができました。

9.特攻隊員の冥福を

“Kamikaze” attack off Formasa, 21 January 1945
KAMIKAZE  空母の入り口に艦の歴史を書いた畳2枚ほどの大きな銅板がかざられています。
 この艦は1945年1月21日、台湾沖で日本海軍の神風攻撃に逢い、第一波攻撃では太陽を背に侵攻してきた3機の戦闘機のうち2機までは護衛の駆逐艦が撃ち落としたものの最後の飛行機がエレベーターに激突し、防火扉が機能不全となると同時に格納している多数の飛行機も炎上しました。
 次いで襲ってきた第2波は波の上すれすれに飛来し、これも同様に2機までは撃ち落としましたが、3機のうち最後の一機が艦の中枢部である艦橋に激突し多数の死傷者がでました。艦は航行不能となって母港へ曳航され修理に6か月かかりました。

神風の命中  この巨大な艦を特攻機の攻撃で沈めるということは素人の私がみても不可能なことで、これは日本の軍令部でもわかっていたのではないかと思います。
 しかし被害を与えたことは事実で、おそらく相当腕のいいパイロットが乗っていたのだと思います。戦争の是非はともかくとして、おそらく空母の急所に突入した2人のパイロットは本望であったのではと思い、この艦に乗り合わせた日本人はもしかしたら私一人かも知れないと思いましたので、2機の特攻機が突入したそれぞれの場所で、ひそかに日本が立派に復興したことを報告し犠牲者の冥福を祈りました。

10.海軍は常時臨戦

 空母の上部に釣りざおのお化けのようなものを沢山積んでいますが、これが潜水艦の探知機だそうです。士官に聞くと、この船が航行すると50マイル後ろにソ連の攻撃潛水艦が2隻必ず追尾してくる。ソ連の持っている対艦ミサイルの射程距離が50マイルなので、この距離を離さないようについてくるのだそうです。
 偵察機は常時上空に張りついて、50マイル以内に入ると攻撃の意志ありとして先制攻撃すると宣言しているので、向こうも心得ていて入ってこないそうです。
 「海軍は常に臨戦態勢」というのがよくわかりました。そのために普段の訓練をおこたりません。

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11.なぜ海兵隊員が

 マリーン(海兵隊員)というのを御承知ですか?上陸作戦のようなときに活躍する特殊部隊です。これが40人も乗っていて毎日猛烈なトレーニングをやっています。なぜマリーンが空母にのっているのか不思議でしたが、ある日艦内を散策していて艦の真ん中の下にグリーンの廊下があって奥の入り口に完全武装したマリーンがいて私に向けてライフルを構えて恐ろしい形相で睨まれました。とっさに私は、この先に核の格納庫があることを悟りました。アメリカは核を持ち歩いていることを明言しませんが、いわず語らずです。

12.軍事音痴な私

 艦には軍事衛星をつかった電話があって常時世界中と交信できます。これは個人でも家庭と通話できるもので、私も妻のところへ電話をかけてみました。ところが話し始めたとたんに恐ろしい調子の声が割り込んできて「お前たちはわけのわからない言語で話している。そっこく英語に切りかえろ」と怒られました。考えてみれば軍事衛星電話にわけのわからない言語が入ってくるのは認められないことで納得しました。

 サンデイエゴに入港したしたときに近くにきれいな新しい艦が停泊していたので、写真を撮っていましたらMPが飛んできて連行され尋問されました。これは当時出来たばかりのイージス巡洋艦で、私はそれのミサイル発射装置を写した疑いでフイルムを没収されました。NASAの名前がものを言ってあっさり釈放されましたが、自分の軍事音癡ぶりを反省しました。

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13.スプラッシュダウン

 暁の空から宇宙船がインド洋の上空で大気圏に突入して降りてきます。
 我々は艦上でそれを待ち受けていましたが、物凄い振動でもあるかと想像していた沖のほうに“ポン”とあっけなく着水して拍子ぬけでした。

 着水と同時で上空で待機していたヘリコプターが殺到してフロッグマンが飛び込み、沈まないよう浮きをつけて艦まで曳航してきます。
 後で宇宙飛行士に聞くと、あの曳航が猛烈に揺れて一番つらかったといっていました。それをクレーンで吊り上げて収容するのですが宇宙飛行士がさすがに疲労していてフラフラになっています。

 そこで我々が採血してリンパ球の機能その他いろいろなこをしらべるのですが、強いストレスに晒されるとTリンパ球の機能が低下するようです。私の書いたレポートは向井千秋さんも読んでくれたようです。

14.パールハーバー

 パールハーバーに帰港すると我々はお客さんなので、アメリカ海軍はいろいろ気を使ってもてなしてくれました。
 先ずは戦艦アリゾナのところへ連れていかれて、日本人にとっては間の悪い場所でした。第7艦隊司令部というのはパイナップル畑似た非常に牧歌的なところにありました。
 そこで食事の後映画を見せてくれました。日本人である私がいたからではないでしょうが、ひとことでいえば「実録トラトラトラ」で黒白の無声映画でした。

 日本の記録をアメリカが押収したもののようですが、空母赤城からの出発風景が写されていました。パイロットたちは司令官の訓示のあと水盃?を受け、神棚に柏手を打って発進するのですが、日本人の目で見ますと「あぁ、この人たちはだれ一人生きて帰ろうとは思っていない」ということがわかります。私たちの父祖がどんな表情を浮かべて戦場へ赴いたのかを知るために、これは是非コピーでも良いから買い戻して現代の日本人にみてもらいたいものだと思いました。

終わり

文責:得猪 外明
HTML制作:大野 令治

本文はここまでです



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