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2009年8月28日 神田雑学大学定例講座No470

「神田百景」今昔紀行、
―たった25年で神田の文化遺産が消えてゆくー、講師下田 祐治



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アクセント画鋲
講師プロフィール
いっと6けん
女坂(1985年描く)
神保町の長屋(1989年)
古本屋のウラ(1994年) 神保町二丁目
竹平寮(九段下南)1999年
旧明治大学(2005年)駿河台
文化学院(2005年)
1.九段下ビル
2.ミロンガ
3.神田明神
4.ニコライ堂
5.東京駅
6.アテネフランセ
7.神田駅西口
8.聖橋より
9、神保町古書店
10.かんだ藪そば




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講師プロフィール

下田祐治 講師下田 祐治でございます。
まず、自己紹介をかねて、一昨年NHKの「いっと6けん」で取材されたビデオを流しますので、ご覧下さい。40年ばかり神保町で仕事をさせていただいたので、そのお返しの気持ちで油絵を描かせて貰いまして今年で25年になります。

25年前とはあのバブルが崩壊した時期です。神田、神保町の街並が壊されて、懐かしの街が次から次へと消えていったのです。何とか残せないかと始まったのが、「神田の街を描き続ける会」でした。毎月第3日曜日に千代田区の何処かで40〜50人位集まり仲間と一緒に描き続けました。

私だけもコツコツ描いて来た油絵が現在132枚程になりました。自分でも信じられませんが、これからも元気であれば描き続けます。絵を見て、「ここは何処だっけ」と当てっこしながら見て戴けたら宜しいと思います。後半には「残したい千代田区の風景」の絵を写しますので、楽しみにしてください。

NHK放送より、インタビューを受ける下田講師「いっと6けん」

アナウンサー
「たくさんの絵が背景に掲げられていますが、プロの画家ではないのでしょうか。」

下田さん
「いえ、デザイン・編集関係の仕事をしていましたが、わたしはプロの画家ではありません。

神田の街を22〜3年前から描き始めいています。絵の大きさは10号から50号。
はじめに出てくるこのビルは、神保町三丁目にあるアパート形式の下駄バキ商店街ビルです。昭和2年の建築です。今は外壁がボロボロで、危険ですから網を被せています。
私には、神保町を見続けてきた長い時間があります。建物がなくなっても、絵が残っていれば懐かしい思い出となるでしょう。自分でも、こんなに沢山の作品になるとは思わず、描いてしまいました。

3丁目の角の鰻屋さんを描いていましたら、通りすがりの近所の方が声に声をかけられます。4、5時間はそこにいますから、声をかけやすいのでしょう。帰りにまた立ち寄るというご近所交流がいいんですよ。有名な喫茶店「さぼうる」のご主人。この方はこの場所で、52年もやっているのです。お互いに元気で長生きしましょうと握手して別れました。

講義風景

神保町3丁目のお米屋さんが、解体されるというので、早速油絵で描きました。
そのお米屋さんの近所には、15階建の大きなビルが建ちました。昔は洗濯屋さんがありました。ここに住んでいた人は何処へ行ってしまったか分かりません。神保町2丁目の古本屋さんの裏側を描きました。仕上がりまでの4〜5時間は、神保町の古きよき思い出が凝縮して幸せな時間でした。

私は埼玉県に住んでいますが、神田が好きです。住んでいる「人」が好きなんです。その気持ちが絵を描かせるのです。神田から貰ったもの、「仲間」昔のことをたくさん教えてくれました。40年もお世話になった神保町、お返ししなければと、思いながら神田の街を描き続けているのです。

去年、神田神保町の街が好きな「神保町応援隊」を結成しました。隊員数は現在老若男女180人位です。「神保町応援隊参上」というTシャツを着て、頑張っています。何をするかというと、神田の祭りは、街の人が主役です。応援隊はゴミの分別や、力仕事、町興しを担当する裏方に徹しています。「おさんぽ神保町」というフリーペーパーは大好評でした。
神田は学生の街。カルチェラタンの別名があるくらい。7月14日はパリ祭に因んでパーテイをしました。地元の人も、他所から来た人も仲良く、みんなで合唱して大いに盛り上がりました。住む人が少ないと街とはいえない。神田の人は心が広い。よそ者も快く受け入れてくれます。残したいものは、「心」です。私は、心を繋げるために、街を描き続けているのです・・・・・・。

さて、ここからは25年間に消えていった神田の文化遺産の紹介です。
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女坂(1985年描く)

この坂はマロニエ通りと呼ばれる駿河台の高台と神保町方面の低地をむすぶ急な石段です。付近にはアテネフランセや文化学院等があり、与謝野晶子や夏目漱石もこの石段を歩いたと思われます。当時は坂の上に純和風の家がありましたが、現在は近代的なビルになって階段も途中までしか見えません。  

女坂(お茶の水)、今昔

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神保町の長屋(1989年)

神保町交差点から靖国通りを駿河台下方向にちょっと歩くと、屋根に丸窓のある四軒長屋がありました。今は二軒しか残っていません。 大正十三年頃建てられ、あの戦争でも空襲を免れました。当時は「大正モダン」といわれ、この辺の建築物の中では珍しかったようです。この先の小宮山書店まで十一軒長屋であったことも、歴史の本で知りました。明治以後駿河台一帯に数多くの学校が創設され、その生徒と先生相手の専門書店が、この古本屋街の始まり。明治、大正に創業した老舗も健在です。 右端の一軒は2007年「本と街の案内所」として甦りました。

神保町四軒長屋、今昔

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古本屋のウラ(1994年) 神保町二丁目

1980年代後半までは、このような生活の匂いのする建物がたくさん見られたが、いまではビルに建て替えられて、神保町付近でも残り少なくなりました。戦火にもあわず、バブルの時も難を逃れ生き残りました。数年前までは近所に徳川夢声の活躍した映画館「東洋キネマ」もありました。この家の表側は靖国通りに面していて、10年位前までは古本屋さんが営業していましたが、現在は大学になってしまいました。

古本屋のウラ(神保町)、今昔

竹平寮(九段下南)1999年

旧千代田区役所の斜め前にマスコミなどでとかく取り沙汰された古い建物がありました。この建物は昭和9年に憲兵隊の寄宿舎として建設され、その後米軍の従業員の寄宿舎に使われ、しばらく大蔵省官舎として機能していました。 防衛のため窓ガラスは厚く石造り鉄筋コンクリート造りになっていました。現在はこの建物は取壊されて23階建の新千代田区役所(半分は国の機関)が建築されました。9階は図書館、10階はレストランもあり皇居が一望できます。
竹平寮(九段下)、今昔

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旧明治大学(2005年)駿河台

明治10年(1877年)に薩長藩閥政府に対して、自由民権を旗印に明治法律学校として発足しました。この絵は昭和3年に完成した明治大学記念館です。この建物からは多くの指導者を輩出した明治大学の象徴として、更に駿河台の代表的な風景のひとつとして存在しました。

 現在の駿河台には平成10年(1998年)9月に完成した都心型大学のモデル、リバティータワー(地上23階、地下3階)が建っています。他の大学も一度地方に移転した大学が徐々に神田に戻って来ている様です。

旧 明治大学(駿河台)、今昔

文化学院(2005年)

1921年紀州出身の西村伊作によって創立されました。与謝野晶子や与謝野寛、石井柏亭、等の先生方を迎えての教育目的は「画一的に他から強要されること無く、個人、個人の能力を引き出し、自由な環境の中で個人を作ることを目的とした。」あの軍国教育の真ただ中でのこの教育方針は画期的なことでもあり、勇気のある学校であったことと思います。現在はこのアーチ型の門だけは残しあとは立て替えられました。いつか蔦の絡まる姿になるのを楽しみにしています。

文化学院、今昔


このほか、上記の絵に対比する現在の写真と、「休日の青物市場」「同和病院」「交通博物館」など珍しい絵がありますが、Web上では、省略しました。

残して置きたい千代田区風景
神田区と麹町区が25年前に合併して出来たのが千代田区です。
冒頭にお話した「神田の街を描き続ける会」に、区長さんが麹町三番町にお住まいですが、神田の街の絵ではなく麹町も入れて「千代田区の街の絵」として描いて貰いたいという要望があり、千代田区風景としました。私、じつは神田区が好きなんですけど・・・・。

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九段下ビル1.九段下ビル

冒頭の「いっと6けん」の最初の絵がこれです。
九段下に日本橋川が流れておりますが、その川にかかる橋が「俎板橋」(まないたばし)です。その橋の袂に建つ下駄履き商業ビルが九段下ビルです。建設当時はモダンな建築物でしたが、今は壁が剥がれ落ち、倒壊寸前の模様で、外壁に危険防止の網が被せられています。まだ、喫茶店が二、三軒頑張っています。神田生まれた方にとって、山がなくても神保町は故郷なんです。

ミロンガ2.ミロンガ 

この通りは、描いた当時、神保町では唯一道路が舗装されていませんでした。タンゴの店、喫茶店ミロンガです。この先にラドリオがあります。昼は喫茶店で、夜は洋酒のバーとなるしお洒落な店です。小宮山書店から三省堂書店の裏口に抜ける小道にあります。喫茶店は、憩いの場としてのオアシス機能がありますが、神保町には、前述のサボウルと、この両店など、昔ながらの本格喫茶店が健在です。ぜひ、残して置きたい文化です。

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神田明神3.神田明神

ご存知神田明神です。
「神田の街を描き続ける会」1月の例会は、必ず神田明神にお参りしてから行います。現在は本殿の左側に、お札やお守りを販売する大きなビルが出来ています。日曜日など、結婚式がよく行われていますが、神主の先導で赤い絨毯の上を新郎新婦が緊張して本殿に進む光景を見ることができます。


ニコライ堂

4.ニコライ堂

昔は冠型の頂上だったのですが、関東大震災で壊れたので、一応修復しました。しかし、元通りの姿ではないので、元の姿に再構築する話が進んでいるようです。
東京駅も同様理由で、冠を被せる工事が始まったようです。




東京駅5.東京駅

25年ほど前に、東京駅を取り壊して立て替える計画が発表されました。すると、この建物を残したいと思う絵描きたちが5月3日に集まって、絵を描き始めました。その数は、なんと1000人に及びました。それがきっかけで「赤レンガを残す市民の会」が結成され、工事が中止となりました。その後は赤レンガの建物は残し、屋根の冠を復活させる工事が進められており、数年後には完成する見込みです。
いまでも、5月3日には赤レンガの東京駅を愛する絵描きさんが、大勢集まって描いています。

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アテネフランセ

6.アテネフランセ

ご存知フランス風のマロニエ通りです
この先が、水道橋に向かう「さいかち通り」。
お洒落な建物が並ぶ素敵な道です。
この絵は冬でないと描けません。
夏だと並木の樹木の葉っぱが茂って、先が見えません。



神田駅西口

7.神田駅西口

JR神田駅の西口の飲み屋街。
ガード下のラーメン屋、焼き鳥屋、居酒屋が日暮れとともに家路につくサラリーマンでにぎわう。電車の音がやかましいが、兎に角安い。店の名前は忘れたが、思い出の風景。しかし、年々だんだん店構えが綺麗になっていくのが惜しまれる。


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聖橋

8.聖橋より

湯島聖堂とニコライ聖堂の間にかかる神田川の橋がお茶の水の「ひじり橋」。川からの眺めが素晴らしいが、橋から見下ろす眺望も捨て難い。真下には赤い電車の丸の内線の地下鉄、右手にはJR中央線の黄色
の電車、正面の鉄橋はJR総武線という構図もいい。




神保町古書店

9、神保町古書店

古書店街のほぼ中央にある矢口書店。
映画演劇戯曲演芸の古書が専門。解説書やシナリオが書棚にズラリ。
隣は音楽書専門の古賀書店。
建物は関東大震災後、昭和のモダン建築でした。


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かんだ藪そば

10.かんだ藪そば

もと神田連雀町のかんだ藪そば。
江戸蕎麦の名門中の名店。門をくぐると水を打った敷石。緑豊かな中庭。
女将さんの調理場に通す声が和歌朗詠にも似て独特の情緒を醸しだすのである。
“はい。天麩羅蕎麦お待ちどうさま”

客は、まったくの別天地をここで味わう。創業明治13年。

残しておきたい千代田区風景はあと20点もあるのですが、次の機会に譲ります。
終わり

全作品をご覧なりたい方は“下田祐治の世界“「神田百景」へアクセスしてください。
http://yuji-shimoda.com/




文責:下田祐治・三上卓治
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子

本文はここまでです


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