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2009年10月9日 神田雑学大学定例講座No476

能楽入門(3)「船弁慶」、講師 青木 一郎




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プロフィール
1.はじめに
2.能学塾
3.「船弁慶」についてあらすじと見どころ
4.DVDで実際の舞台での「船弁慶」を鑑賞、ポイントの場面場面でDVDを止め、解説
5.終わりに




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青木一郎講師

プロフィール

昭和23年生まれ、能楽師観世流シテ方準職分、重要無形文化財総合指定保持者、日本能楽会会員、財団法人梅若研能会理事。
幼少より2世梅若万三郎師、3世梅若万三郎師、祖父只一、父豊に師事。在住する吉祥寺の他に様々な場所で積極的に能楽の普及に取り組む。主な所演曲:「千歳」「乱」「石橋」「道成寺」「求塚」「砧」「恋重荷」「望月」「大原御幸」「隅田川」「藤戸」「鉢木」「景清」「遊行柳」「屋島 大事」ほか
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1.はじめに

先週も吉祥寺の雑学大学にお招きいただき、30周年をお祝いする「猩々」というお祝いの謡いをご披露させていただきましたが、この神田雑学さんも10周年とのこと、本当におめでとうございます。

講座リストを拝見すると色々なジャンルの興味深い話がいっぱい詰まっていて、私も時間が合えば是非聞かせていただきたいと思う話がたくさんあります。おかげさまで私の神田雑学大学でのお話も今日で3回目になります。第一回目の「放下僧」第2回目の「望月」に引き続きまして今回は「船弁慶」を取り上げてみました。

ここで少し青木家のことを申し上げておきます。私の祖父は青木只一が明治36年観世流梅若家に入門しその後父、私、私の息子と能役者の世界で生きてきたことは最初の講座でお話ししましたが、実は青木家と梅若家のつながりは江戸末期、青木只一の父青木露跡さらにさかのぼっては祖父青木露斎からあったそうです。青木露斎は天源淘宮術(精神修養術の一種)の先生で、青木露跡もその後を継いだ精神修養家さったが、初世梅若実が1860年に青木露斎に入門し、露斎が亡くなったのちは息子の露跡に師事しています。

梅若実は青木露斎が亡くなって、1年祭と10年祭には追善能で「松風」と「羽衣」を舞ったほどの関係でした。そんな関係があったので青木露跡の息子の青木只一が梅若家に入門したのも自然な流れだったのかもしれません。
能に連なった青木家の懐かしい写真があります。「楠露」という曲を演じている右の写真の一番右の座っておりますのが祖父の只一です。その左隣の烏帽子をつけているのが孫の私です。一番左側で立って舞っているのが父の豊であります。
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青木家の懐かしい写真               

2.能学塾

私は能楽を少しでも多くの人に親しんでいただきたいという想いで能学塾というものを吉祥寺の自宅で開いています。これは上演される能を事前に解説をし、ひとつでも多くお客様に「わかった!!」「そうだったのか!!」と実感を持っていただくための能の鑑賞の講座です。1月から6月までと7月から12月までという形で月に1,2回のペースで開催しております。

取り上げる曲は、これから私ども観世流で実際の舞台が予定されているものを順に取り上げ、その舞台の能を楽しく見れるように事前学習をするという形をとっております。たとえば11月2日、4日、16日は今日お話しする「船弁慶」の講座が予定されておりますが、その事前学習を踏まえて12月5日土曜日の青木豊20年祭追善能で実際の「船弁慶」の舞台が鑑賞できるという組み合わせにしてあります。

船弁慶

この講座では息子が作っているテキストを使います。ここでは能の中の難しい言葉を書き出して平易な解説文をつけています。下段に現代語訳、上段に言葉の解説や写真を貼り、中段に曲の原文を載せてあります。機会がありましたら皆様にもぜひ参加していただけたらと思っています。

今述べましたように来る12月5日、私どもが主催する青木豊20年祭追善能を開きます。私どもは神道なものですから、仏式でいいますと何回忌ということになりますが、神式では何年祭というのです。今から20年前の平成元年12月25日、私の父は亡くなりました。私はその時40歳過ぎたばかりでしたので、呆然となりましたが、月日のたつのは早いものでもう20年たち、1年祭、3年祭、5年祭以後5年毎に追善能を催して参りまして、今回は20年祭を行おうとしているわけです。私はこの追善能では「卒都婆小町」という小野小町が老いさらばえてという曲を務めることになりました。これは父が昭和57年に舞いました曲でございます。

それから右の方の若い女性の役、これは「船弁慶」の静御前のいで立ちですが、これは昭和55年私が務めたものでございます。今回は息子の健一がこれを務めます。
今日この講座をお聞きになってこの舞台を鑑賞しますと一層味わい深い能が楽しめると思います。ぜひご覧になって頂きたいと思います。
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3.「船弁慶」についてあらすじと見どころ

時は源平の戦いのあった時代の話です。源義経は京都に上り平家一門を屋島、団の浦で滅ぼして源氏の勝ち戦になるのですがその後義経は兄源頼朝との関係が悪化、都を落ち延びて西国に落ちていくことになります。DVDで舞台を見る前にまずレジメをご覧になって頂きたいと思います。これはお手元のレジメに書きました。読んでみましょう。

レジメに目を通す受講生たち

まずあらすじです。
義経主従が、頼朝の追っ手を逃れ大物(だいもつ)の捕まで来たとき、弁慶はこれまで義経に付き従ってきた静御前を都へ帰すよう進言して承諾を得ます。
そして静に帰郷を言い渡しますが、静は弁慶の勝手な取り計らいと疑い、義経の宿を訪れ直接帰郷を命ぜられ泣き伏します。

そこで名残を惜しむ酒宴をひらき、静は舞を舞います。やがて一行は静を残して旅立ち、船頭に船を用意させ乗り込みます。海上に出ると、にわかに天気が変わり海が荒れ出し、西国で滅んだ平家一門が浮かび現れ、中でも平知盛の亡霊が義経に襲いかかり激しく戦います。刃物では勝ち目がないと悟った弁慶は数珠を揉み不動明王に祈ると、亡霊は次第に遠ざかって行き、海上には白波だけが残っているのでした。そしてこの能の見どころです。

前場は頼朝に疑われ西国へ落ち行く義経と静御前が別れを惜しむ場面。悲劇の武将義経の行く末を知る観客にとって、静の心情が、二度と会えぬゆえ心にしみわたります。
静御前の舞を中心とした涙を誘う別れの酒宴を見せ、一転して出船、そして知盛の怨霊との激しい戦いへと前後のコントラストが素晴らしく、見せ場の多い人気曲です。作者の観世小次郎信光は、世阿弥が完成させた夢幻能とは異なり、演劇的技巧を駆使し、登場人物それぞれに重要な役割を与え、劇的葛藤を盛り込んだ作品に仕上げています。

前後のシテは静御前と知盛の怨霊という別人格だが、前後の時間経過を劇的につなぎ、作品全編を通してストーリーを展開するのがワキ弁慶の役割です。義経は子方(子役)が演じます。本来は成人の役ですが、静との情愛を露骨に表現しないための能らしい工夫が施されていると思います。間狂言の船頭も、荒波に採まれる船を必死に操る場面など見せ場も多く、劇の一翼を担っています。大勢の登場人物の活躍と現代劇に近い展開が変化に富む戯曲的な能と言えるのではないでしょうか。
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4.DVDで実際の舞台での「船弁慶」を鑑賞、
ポイントの場面場面でDVDを止め、解説

―今のところは「判官都を遠近の 道狭くならぬその前に 西国の方へと志し」と義経が申したところです。判官というのは義経のことですね。これから西国の方へ落ち延びようと謡っています。

―これは宿の主人に宿を借りようとしているところです。

―ここが静を弁慶が呼び出して都へ帰るようにと話をしているところです。「さん候 只今参る事餘の儀にあらず 我が君の御諚には これまでの御参り返す返すも神妙に思し召し候さりながら 只今は何とやらん似合はぬ様に御座候へば これより都へ歸りあれとの御事にて候」」と謡っています。

静御前―そして静御前はこれは義経が言いだしたことではなくて武蔵坊弁慶がとりはからったことではないかと疑ってかかるセリフがありまして、それなら義経に直接話を聞いてくれと言うことになります。静御前が弁慶の後からついて義経の前に行きますと義経から「いかに静 この度思わずも落人となり落ち下る處に これまで遥々来りたる志 返す返すも神妙なり さりながら遥々の波濤を凌ぎ下らん事然るべからず まづこの度は都に上り時節を待ち候へ」の言葉がございます。静御前は弁慶を疑ったことを詫びます。

―ここのところで静御前が義経に訴えながら左手を指を伸ばしまして顔のところに当てておりますが、この動作は「シオリ」という能の型で、「涙を流している、涙を下から手で押さえる」という形です。悲しみの表現と言ってよいでしょうか。これが何をやっているか分からないと能は分かりにくいので覚えておいてください。これがもっとひどく泣くときは両手で「シオリ」をするときもございます。

―ここで義経は「いかに弁慶」「静に酒を勧め候」と言います。そして静御前は烏帽子をつけて舞を舞い始めるわけです。さあ「船弁慶」の前半の山場であります静御前の舞を鑑賞ください。

―そして地謡が「舟子ども はや纜をとくとくと・・・」と謡い、船頭が早く船を出しましょうということなので、義経は立ち上がって前に出ます。ここだけの動作でこの宿を出て船に乗って落ち延びていこうという表現になっています。その後静御前は「静は泣く泣く」そして地謡が「烏帽子直垂脱ぎ捨てて 涙に咽ぶ御別れ 見る目も哀れなりけり」といって都に一人帰っていくことになります。

船に乗ってる場面―行は船に乗り込みます。能というのは特別な舞台装置があるわけでなく、船頭がこの船の形をした枠と竿をもっていて、その枠の中に一行がはいることでそれを表現しています。何にもないと言えばなにもないのですが、船を極々象徴的に表しているのです。そして絵も何もありませんがこの舞台全面が海の上というふうに皆様が思って頂かないとこの能は成立しないわけで、ぜひそう思って頂きたいと思います。

最初のうちは静かな船出だったのですがだんだん波が荒くなってさどうなるかというのがこれからの展開です。義経は平家一門を滅ぼしています。その滅ぼされた安徳天皇はじめ平家の侍たちが大勢亡霊となって現れるという状況の中で、平知盛が登場してまいります。知盛の亡霊が薙刀を持って義経に再度襲いかかって参ります。義経も太刀で立ち向かいますが相手は亡霊怨霊でございますからかなわない。そのなかで武蔵坊弁慶が数珠で加持祈祷を致します。それで流石の平知盛の亡霊も退散しあとは白波ばかりになるという展開です。

前半では静御前であった役者が後半では平知盛になって登場致します。能の中では前半と後半で前半は私はこれこれの幽霊ですといって出て、後半は実際の本人になって登場するといった例が多いのですが、この曲は前半と後半で全く違う人物になっておりますし、時間も時系列で物語が展開して参りますので、ストーリー性の展開がはっきりしており、初めての方にも入り易い曲ではないかと思います。それではまた舞台に戻ってご覧いただこうと思います。

―船頭が竿を操って船を漕いでいますがここでお囃しのテンポが速くなってきて盛り上がってきますね。これで大きな波が押し寄せてきたという感じが」表現されているのです。

―ここで平知盛の亡霊が登場しました。「そもそもこれは 桓武天皇九代の後胤 平知盛 幽霊なり」と謡い始めます。ちょっと私が謡ってみますのでお聞きください。
(朗朗と大音上で青木先生が謡う)

皆さん。今日は皆さんも実際に謡ってみてください。椅子に座ったままでいいですから足を組んでいる人は正して腰を立てて、姿勢正しくして両手は膝の上に置き、ひと区切りづつ私の後について大きな声で謡ってみてください。これから平知盛が自分のことを名乗る場面です。よろしいですか?

青木講師「そもそもこれはー」はいどうぞ。「そもそもこれはー」。はい結構です。もうちょっと大きな声で「かうんむてんのう−くだいのこおういんー」はいどうぞ。「かうんむてんのう−くだいのこおういんー」良くお聞きください。
「たーいらのーとももりー」どうぞ。「たーいらのーとももりー」もっと大きな声で。「いーうーれいなーあーりー」はいどうぞ。「ゆーうーれいなーあーりー」

はい良く出来ました。幽霊はいうれいと発音するのです。なかなかお腹から大きな声を出すのは気持ちが良いものでしょう?

―それではここから先はお話しするよりもずっとご覧になって頂いた方が分かりやすいので、知盛と義経一行の戦いをご覧ください。ここが後半の圧巻の舞台です。

―ここで地謡が「その時義経少しも騒がず 打物抜き持ち現の人に向ふが如く 言葉を交はし 戦ひ給へば 弁慶押し隔て打ち物業にては叶ふまじと 数珠さらさらと押し揉んで・・・」というところになってきます。加持祈祷された知盛の怨霊は橋がかりへ引いて遠くに引き上げますが、再度義経に挑みます。そこを義経が太刀で一撃致しますと知盛は波に流れて行って最後は「跡白波とぞなりにける」と言って終わってしまいます。最後は知盛が掻き消えてしまうところで終わるのです。それでは最後までご覧ください。

太刀を持った義経―知盛がいなくなりました。これで能としては終わっているのですが、それでもまだ舞台には義経も弁慶も船頭たちもいますね。能はここで終わっているのですが、義経が太刀を納めて船から降りて一行も全部船から降りて、船頭が船を持って、役の人たちが引き揚げ、それからお囃しも地謡も全部引いて退場するまでが能というものです。芝居のように幕が降りて終わるということはありませんので、はしがかりの5色のあげ幕に登場人物が退場し、お囃しも幕をくぐって退場し、地謡は端にあります切戸口と申しますがそこに退場して行くまでが能の中でございます。

―船弁慶という曲はたびたび演じられる曲で義経は本当は成人の男性なのですがこのように子供が致します。なぜこうなるのかということを少し話したいと思います。能の中ではあまり写実的になりすぎることを嫌うことがありまして、大人が致しますと最初の静御前との対面の場面もリアルになりすぎてしまうということもあり、静御前の方に焦点を当てたかったんだと思います。それと後半の知盛との対決でも義経の存在が子供ですから小さく。知盛は大きく見えますね。そういう視覚的な効果も狙っているんだと思います。

そして知盛に向かっていく義経が哀れといいますか健気に見えるという効果もあるのかもしれません。この辺は能の演劇的な工夫というか面白さだと常日頃思います。私ももう61歳になりますが、この船弁慶の子方は何回も舞台で務めてきましたし、息子も勤めてまいりました。今回息子は初めてシテを務めることになりました。先ほど申し上げましたように12月5日にその舞台を息子が務めることになっておりますので是非ご覧になってください。

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5.終わりに

神田雑学大学での講演も三回目になりました。
船弁慶という曲はわりに展開が分かりやすい曲でありますから、能を始めてご覧になる方にも分かりやすい能ということだと考えて今回取り上げさせて頂きました。能というのは実際に能楽堂に足を運んでいただいて、先ほど申し上げましたように、ある時は舞台全部が大海原だなと思ってご覧になって頂きたく思います。自分が入り込むことが一番だと思います。舞台照明が変わるわけでもなく、小道具があるわけでもありませんが、ご覧になる方のイメージはいくらでもふくらませてご覧になることは出来ますので、それぞれの方が違った感覚で楽しめるものだと思います。ですから600数十年もずっと能は途絶えることなく今に生きているのだと私は思います。

(拍手)





文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


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