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平成21年11月13日 神田雑学大学定例講座No.481



私とカウンセリング  企業カウンセリング一筋30年   講師 カウンセラー 佐々木正子



目次

イラスト画像の画像
メニューの先頭です 講師プロフィール
1.はじめに
2.カウンセラー以前
3.軽井沢のエンカウンターグループ
4.ラホイヤプログラムへの参加
5.カウンセラーへの道
6.企業内カウンセリング
7.カウンセリング事例
8.これから
9.おわりに
10.質疑応答



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講師プロフィール

佐々木講師
現在大手放送会社カウンセラー
資格(社)日本産業カウンセラ―協会シニア産業カウンセラー



 
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1.はじめに

こんばんは。佐々木正子です。
今日は自分の半生を振り返ってお話しできる機会を与えてくださった神田雑学大学の皆さんに感謝しております。せっかくいただいた時間ですから楽しく乗って過ごしたいので、皆さんも話が面白かったら大いに笑っていただいたり、あいづちを打ったり、あるいは質問したりしていただけたらと思います。お互いに乗ったり乗せられたりしながらこの時間が過ごせればいいと思います。コミュニケーションですね。
私はいつもそうなのですが、そんなすごい話は出来ないんですね。自分が実際やってきたことしか話せないのですが、この会が終わったときに一つでも二つでも心に残るものがあれば嬉しく思っています。
現在までふたつの会社でカウンセラーをやっておりました。ひとつは放送関係の大手です。もうひとつは印刷関係の化学会社です。化学会社の方は今年の6月30日で辞めております。
私のカウンセリング活動の30年間はこのふたつの会社での活動でした。
カウンセラーには守秘義務があります。今までのクライアントさんにご迷惑がかからないように注意して、しかしなるべく具体的に今日はお話をさせていただこうと思っております。

今までは放送会社が週二回火曜と木曜日、化学会社が週2回水曜と金曜日、そして月一回ほど財団法人の毎日新聞社の電話相談をしておりました。
かたやマスコミ業界で華やかな秒単位の仕事をしている会社、かたや地味で堅実で時間がゆったりと流れている会社という対照的なふたつの会社を見させていただいたわけです。
放送会社の方には最初からカウンセリングルームがありまして、私が二代目でした。
化学会社の方は全く未経験でのカウンセリング導入でしたので、カウンセリング制度を新たに作ることから始めました。
業種も違いスタート時の体制も違い、そういう意味では苦労もありましたが、面白くもありました。共通していたことは社員に対して会社が大変温かいということです。ですからカウンセリング制度があるのかもしれません。
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2.カウンセラー以前

佐々木講師 1970年代は官公庁には職員の相談制度はあったのですが、民間企業でカウンセリングを導入されていたのは、NTTとか大手銀行グループとか大手生命保険会社等まだまだ少なかったのです。
私は最初からカウンセラーを目指したわけではないのです。
フリーのカウンセラーになる前は、時計の第二精工舎という亀戸にあった会社、現在のSII、セイコー電子工業株式会社の人事で働いていました。この経験はその後の人生でまた企業内カウンセラーをする上で大変役立っています。

人事の色々な仕事を経験した後、辞める前の10年くらいは採用の仕事をしていました。オリンピックが終わり万博があり、高度成長期で会社にも大変勢いがあり、スイスを追い越せ、追い抜けと求人に求人を重ねていました。人を採用しても辞めていく時代だったのです。
1972年くらいまではセイコーは時計の部品の加工と時計の組み立てを手動で行っていたのです。中学を卒業して入ってきた人も大勢おりまして金の卵と言われていました。採用試験にも新聞社やテレビ局が取材にきたりして私も新聞に載ったりいたしました。

地方からの高校生や大学生を受け入れて、独身寮に入ってもらい、そのフォローをするのも採用担当の仕事でした。苦労して採用した大切な社員が辞めないように、「定着指導」をしてほしいと言われ、辞めたいという人の面接を始めました。
私はそのころカウンセリングの勉強もしていなかったので、ただただ辞めたいという人の話と今の気持ちを聴きました。
若い人たちの表現はすごく生き生きとしていて面白いのです。上司のことを「石が頭にのっているよう」とか「あのメガネサルが」とか同僚の悪口とか愚痴や不満を伝えてくれるんですが、聴いていると本当におもしろいのです。
「辞めないよう説得してくれ」という会社の方針でしたが、私は「辞めないで欲しい」ということは言いませんでした。
「むしろそこまで真剣に考えて出した結果なら止めないけど、セイコーを辞めて良かったという人生を送ってねー、がんばって!」と言って送り出そうとすると、「辞める辞める」と言っていた人が辞めないんですよね。
上司に「佐々木さんうまく説得したね。成果が上がっているよ」なんて言われるのですが、私は「何もしていないのに」と思っていました。その人は若気の勢いで「辞める」なんて言ってしまったものの、いい会社でしたし、不満や愚痴を聴いてもらえるだけでよかったのです。
当時は知りませんでしたが、カウンセリングの言葉で言う「浄化作用」「カタルシス」だったのです。思えば私は体験が先で、カウンセリング理論は後付けだったのです。

採用で学校訪問もしておりました。先生や父兄からも「なにかあったら『佐々木さんのところに相談にいきなさい』と言ってありますからよろしくおねがいします」なんて言われて、まあ女性で年齢も上になっていたこともあって、相談の仕事、前は苦情処理と言っていたのですが、それを引き受けたのでした。そしてその仕事は増えていく一方だったのです。

そのうち上司からカウンセリングの勉強をしてカウンセラーになりなさいと言われました。
「将来あなたのためにもなるし、会社で今後、年長者の女性として生きていくためにもカウンセラーになった方がいいよ」なんて言われて、わたしは「何で私をまたいじめるの?」と実は心では思ったのです。
1970年代というのは女性の採用担当者が学校訪問するということは、他企業の採用担当者からも学校の先生方からも大変珍しがられたのです。
さまざまな研修にも行かされて、女性は一人というケースが多かったのですが、あなたは女性のパイオニアなんだから、あなたが失敗したら後輩の女性は続かないなんて励まされたり、すごいプレッシャーをかけられて仕事をしていました。
ですから「カウンセラーになりなさい。ためになるよ」という声も素直にはきけなかったのです。
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3.軽井沢のエンカウンターグループ

それで上司から軽井沢のエンカウンターグループ研修に行ってきなさいと言われました。4泊5日の合宿コースでした。案の定事務局の女性以外は女性は私だけで、全部で8人のグループ合宿でした。
講座風景
ここから私のカウンセラーへの道のりが始まったのですが、私は研修を受けるときはいつも、準備をしないで白紙で臨むことが多いのです。その時も白紙で臨みました。
白紙で臨むと沢山の失敗もし、恥もかき大笑いもされるんですけれど、学びも多くもらえるような気がするのです。
私が分からなことがあって聞くとあとで周りの人が「佐々木さん、あれは聞いてくれてよかった」なんていわれることがありました。
エンカウンターグループというのは知らなかった人たちと知り合う、出会いのグループです。当日の参加者は全員一つの部屋に集まって車座になっていました。私もおとなしくそっと座りました。
みんな黙っているので、私もわけもわからず窓から見える軽井沢の青い空や緑を見ていましたら、ファシリテーターというグループを促進する人が佐々木さんは今どんな気持ちでそこに座っていらっしゃいますか?」って聞かれたんです。
それで私は正直に「天気もいいし緑も奇麗でせっかく軽井沢に来たんだからサイクリングにでも行けたらいいなと思っていました」と言ってしまったんです。
そうしたらファシリテーターの人が「佐々木さんは今こんな気持ちだそうですが」ってメンバーに聞いてくれたのです。そうしたらメンバーは「それはいいですね。そうしましょう。」ということになって、早速自転車を借りてサイクリングに出かけたのです。
気持のよい風、青い空、目に優しい若葉の中で最初は一人で自転車に乗っていたんですが、隣を見ると二人乗りの自転車に一人でぎこちなく乗っているちょっと頭が禿げた中年の男性がいました。それで生来のお節介屋の私が頭をもたげまして、「一緒に乗りましょう」と言ってしまったのです。
二人で調子よく乗っていたのですが急に坂になりまして、それで私の長いスカートが「バー」っと私の顔にかかってしまうような事態になりました。私は「ワ―!」とか「怖い!」とかすごい声を出したんですが、メンバーは「大丈夫か」なんて言って面白がってわざわざ近寄ってくるのです。
こちらは怖いやら恥ずかしいやらで両手は離せないし、必死でようやく自転車は止まったのですが、それから大笑いになってすごい楽しいサイクリングになりました。

夜のグループはメンバーが心を開いた感じで、楽になりました。メンバーのKさんは「僕はサイクリングとあの笑いで救われた」とおっしゃいました。山形の方でした。

佐々木講師 「今日は自分のことを話す気になりました」と言って話し始めました。
「実は会社を辞めようと思っていた。そしたら参加申し込みをしているこのエンカウンターに参加してからでも遅くないだろうと上司に言われて嫌々参加した」って言うんです。
そして今の自分の置かれている立場とか想いとかを率直にずっとずっと本当に沢山話されました。

メンバーも静かに耳を傾け、時には関わったのですが、ほとんどその方のお話を聴いていました。
そしてしばらくたって「僕はこれから帰ります。もう一度頑張ります。ありがとうございました。」とすっきりした顔で、研修を一日残して帰られたのがとても印象的でした。
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4.ラホイヤプログラグへの参加

その軽井沢のファシリテーターから「カール・ロジャースのエンカウンターグループがあり100人くらいの人たちが世界中から集まるラホイヤプログラムというのがあるから行きませんか」と誘われたんです。
私は英語も出来ないし、ロジャースも知らないし、「参加なんて考えられない」と聞いたときは思ったのですが、なにかとっても面白そうなんですね。
二人のファシリテーターがこもごも「楽しいでー」とか「いい体験出来るでー」とか目を輝かせて話をするのです。ファシリテーターの一人は日本語もそんなに流暢ではないんです。
大阪弁で「そやなあ」とか「ほんまやあ」とか「ええなあ」とぽつぽつと話すだけなんです。私はそこで思ったのです「そうか、この人は私より日本語はうまくなさそう。それなのにそんなに素晴らしい体験が出来るのなら、私はもっとすごい体験が出来るに違いない!」とものすごい錯覚と誤解をしてしまい、「ようし私も30歳、人生の節目をつけなくては、よし行くぞ」と思ったのです。

そして勇んで会社に行って話すと、しっかり者の後輩たちが「やめたほうがいい、佐々木さんは英語も出来ないし、方向音痴だから、日本だって危ないのにアメリカに行ってどうするの」と大反対されました。それでも私は「絶対に行くんだ」と言って気持ちを変えなかったんです。
なんで頑張れたのか今思うと不思議なんですが不思議な力が働いたとしか思えません。
その時私は結婚をしており子供もいたのですが、夫も子供も母も行くことを賛成してくれ、会社の上司にも話しましたら、休みはあげるけど費用は自分持ちでということでOKしていただいたんです。30歳の決心です。

1974年の8月1日から本当に素晴らしい、夢のような体験をしました。
カリフォルニア大学ラホイヤプログラム 自分の人生の中にこの1カ月があったことが大きな心の宝物になり、今も心の中心にしっかり残っています。
カリフォルニア大学のラホイヤプログラムは、日本とはまた違う、ほんとにほんとに青い空、広大な芝生、図書館とかプールとかカフェテリアなんかもすごく素敵で、ステーキの大きさにも圧倒され、カルチャーショックを受けました。

1974年の8月8日、ウオーターゲート事件が報道されまして、ニクソンが国民にテレビで辞任発表をしたのです。その時にアメリカ人はみな一室に集まったんです。
アメリカ人でないメンバーには、恥ずかしいから入らないでほしいというのです。本当に恥ずかしいと話すのです。
私はそれまで国とか首相についてそんな真剣に関心を持ったことはなかったので考えさせられました。
黒人やインディアンの人たちからは人種差別の話が出ました。
グループの中ではは全く感じなかったんですが、黒人の女性メンバーがプールに入って行ったとき、白人が全員プールから出たんです。
わたしはこのような人間との出会いを求めている人たちでさえ、差別はあるんだとショックを受けました。2009年1月オバマが大統領になって、今日、日本に来ているのですね。
あれから35年たって、なにか歴史が大きく変わったということと、今日こんな話が出来るということにまた感動してしまいました。

エンカウンターグループの仲間たち またカリフォルニアにはブラックスビーチというのがあって、みんな全裸で泳ぐというビーチがあったんです。
私はニックネームがマーですからみんなに「マーも行こうよ」と誘われたのですが30歳だったので今思えば行けば良かったなとも思うのですが(笑い)行けませんでした。
参加した人たちは自分の殻を破ろうとか、価値観を変えようとか、自分の限界にチャレンジしていました。
私も戸惑いながら色々頑張ってみようとも思いましたが、出来ることと出来ないことがやはりありました。それはそれで良かったんだろうと思います。

当時オープンマリッジの傾向がありまして、グループの中でも夫婦間とかパートナーとか離婚だとか親友に妻をとられたとか、人間関係のことを感情を激しく出して、メンバーも率直にかかわる感情のぶつかり合いが沢山ありました。
泣いたり笑ったり呻いたり叫んだりとするかと思うと静かに深い優しい時間が流れたりということで、ともかくダイナミックなので圧倒されました。

あの有名なカール・ロジャースは72歳でした。とっても若々しくて朝のコミュニティにいらっしゃると、みんな「ハーイ カール」と呼ぶんです。
すごい存在の人が私たちと同じ土俵にいる、日本では考えられないことでした。そこにいるみんながカールに受け入れられ受容されているように思いました。カールはそれほど大きかったです。

私は英語が出来ないので相変わらず白紙で臨んでいました。 見るもの聞くもの珍しくて好奇心いっぱいで、目はきょろきょろ、耳はダンボで毎日大変なのですが、ちっともめげることなく過ごしていました。
日本人の中でも有名な大学の先生方で今は有名な方々が参加なさっていました。特に男性は言葉で理解しようと一生懸命だったので苦しんで、疲れているようでした。
それで私のことを「マアは何でめげないんだ。何でおまえは元気なんだ。おまえはおもろいやつだなあ」なんてからかわれていました。

私はここで多くの体験と気付きをしました。その中から4つお話しようと思います。

●これはカウンセラーとしてやっていくときの大きな基礎になった経験です。
たしかに私は言葉が分からなかったのですが、あまり不自由はなかったような気がするのです。呑気なのですね。あとで紹介しますがみんなが助けてくれているんです。
言葉に頼っていない分言葉の裏にある感情がものすごく伝わってくるのです。顔・目・声・体全体からその人の悲しさとか怒りとか淋しさが、いまカウンセリングをやっていてもそうなのですが、その人の言葉の裏にある感情が伝わってきて、その大切さを実感を持って学ぶことが出来たような気がします。

●二つ目ですがものの見方、価値観とか人を認める、人を許せる物差しがとても拡がったような気がします。
先程のブラックスビーチのように自分は出来ないことでも他人の体験は許せるしいいなと思いました。

●三番目なのですがS神父さんと言う方がグループの中にいまして「自分はグループで疎外されている」と言うのです。
自分が入り込めないのではなくて、グループのみんなが冷たいんだと言うのです。自分に関心を持ってもらえない。さびしい思いをしていると訴えたんです。
目が鋭くて顔もごつくて、堅くて怖い感じの人なんです。みんな関わっているのですが、頑固で他人を受け入れようとしないんです。でもさびしいと言うんですね。
そしたらある人が「それはもうあなたの問題だ」と言ったんです。その後に沈黙が続きました。
私はS神父とは散歩していたりして比較的知っていたので、またお節介の気持ちが出て、S神父の隣にちょこんと座ってしまったのです。
そしたらS神父は、私を払いのけるようにして、強い口調で「No!」と言ったんです。
私も驚きましたがみんなも驚くほどの剣幕でした。
でもこれは私の課題なんです。困っている人とか悩んでいる人がいると側に行きたくなってしまう。小さな親切大きなお世話かもしれないのだとも思いました。
それ以後気になるけれど行けない。だんだん身動きがとれなくなって不自由でした。
カウンセリングの習い始めってそういうことを体験する人が多いのですが、私は最初のラホイヤでそれを感じ、またその時これは本来の自分ではないと思ったのです。
そしてその時「やっぱり私は私らしく生きよう」って思ったのです。
気になったら「いかがされました?」と聞いて「助けて」とか「関わって」と言われたら関わる。「大丈夫ですよ」とか「No」と言われたら引き下がって、そしてめげなければ良いと思いました。
私は関わりたいのだからお節介は続けようってそう思ったのです。

●四つ目は必ず出番は回ってくるということを体験したことです。
私は言葉が出来なかったので、特にみんなにお世話になりました。でも最後にお役にたてることがあったのです。
ジャパニーズカルチャーを紹介しようということになり、日本から持って行った花火とか折り紙とか着物を着てお茶をたてた人もいました。すき焼きもご馳走しました。
私はすき焼きも作れましたし、それから折り紙のところで私の出番があったのです。
私が折って、男性が通訳してくれたのです。色々な物を折りました。鶴とか船とか百合とかいろいろな折り方を知っていましたので折りました。
そうしたらその通訳をしてくれた男性が終わった後で私に「マア良かったなあ 出番があって」と言ったのです。
私はこれでちょっとみんなに恩返しが出来たと思いました。
「苦手なところで変に頑張らなくても、人生には必ず出番が来るものだから、それまであせらずにめげないでいることが必要だ」としみじみ思ったのです。
ちょっと得意なところで頑張ればいいと思ったのです。
頂いたメンバー紹介表
またみんなから「マアは今まで無事によく生きてこられたね」と言われましたし「マアが頑張っているからこっちも頑張れたよ」ともしみじみと言われ、駄目は駄目なりの効用があるんだと気がつかされました。

別れの日にインディアンのデルから素晴らしい贈り物をもらいました。こころです。
デルはラホイヤプログラムの中で私と一緒に写真が写っているんですが、彼が「あなたのSmileはBigです。そしてHartもbigです。」と書いたものをもらったのです。「あなたは体は小さいが大きいね」と言われてすごい嬉しかったのです。

帰ってきてからも興奮状態が続きまして、自分がばらばらになったようで、統合するまでに2年くらいかかりました。
何度も言いますが私は私の人生の中でこのラホイヤプログラムがあって本当に良かったと心底思えるのです。今でも鮮やかによみがえり自分の目が輝くことに気づかされるのです。
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5.カウンセラーへの道

ラホイヤから帰ってきて「なんか面白い。この勉強をやってみよう。」と思い東京カウンセリングスクールに通い始めました。
あの頃はあまりカウンセリングの学校もなくて、友田不二男先生がいらっしゃいました。
夜通い始めたのですけれども、この時ラホイヤに参加していた人から日本産業カウンセラー協会を紹介していただきました。
そしてそれ以来日本産業カウンセラー協会の月例会(会員の勉強会)を手伝って来ました。

私は人との出会いによって自分の人生が全く変わってしまう体験をしました。
上司によってカウンセリングの道に入りました。
そしてアメリカまで連れて行ってくれたのが日本語の下手な教授でした。この人の日本語が上手だったら私は絶対に行っていなかったと思います。
そしてフリーになってカウンセラーとして会社に入るきっかけを作ってくださったのも、勉強会でたまたま知り合った方々でした。
うつで苦しんでいた大手商事会社の人事部長さんから「佐々木さんはカウンセラーにむいています。カウンセラーになってください。」というお手紙と河合隼雄先生の本「カウンセリングの実際問題」を頂きましたのもその頃でした。

折々に色々な人との出会いが私の背中を押して下さり、ここまで私を導いてくださいました。
もう故人になられましたが、社団法人日本産業カウンセラー協会を紹介してくださった山口平治さんを思い出してはありがとうと言っているのですが、へいさんはきっと「マアそれはSay thank you to yourself だよ」言ってくれるのではないかと思っています。
これは山口さんがラホイヤで、最後に皆にありがとうと言ったときに貰った言葉だそうです。
それを私たちに伝えてくれたんです。
私もよく「佐々木さんありがとう」と言われた時「気づけたあなた自身にありがとうって」言ってあげてと言っています。ステキな言葉です。
1978年の6月に私は第二精工舎を辞めてフリーになりました。セイコー時代のしっかり者の後輩から、後日困ったことがあると「佐々木さんならどうしたかなあと思うのよ」と聞いてちょっと嬉しかったです。

会社を辞めて出版関係の会社に入る予定だったのですが、橋渡しをしてくれた人が亡くなってしまって、スタートから頓挫してしまいました。
宙ぶらりんになって生活のリズムも取れなくなって時間が有り余るほどにあるのに何にも出来ないんです。
涙がはらはらと流れてきて家事をやっていてもなんか「ぼー」っとしていて、「あっ危ない!」と私は思ったのです。
カウンセリングを学んで色々な体験もしたのに人間って脆いなーとその時思ったのです。
ですからそう人生体験をしていない年下の人たちの悩みには、絶対に力になってあげようと思いました。
それから、定年になり職業を失った人たちの気持ちが痛いほど分かりました。今派遣やフリーターで仕事を失う若い人たちはなおのこと支援してあげたい気持ちでいっぱいです。
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6.企業内カウンセリング

佐々木講師 その時神谷美恵子さんの本『人間をみつめて』救われました。
そのうち「佐々木さん会社辞めたんだって、だったらうちの仕事手伝って」とある放送会社の人事の方にケースをふたつ頼まれました。
そのケースは長い間かかっても上手くいかずお医者様も困り果てていたケースでした。
女性で私と年齢も同じだったということもあって、話が合って、運よくその人が会社復帰出来たんです。
それが採用試験のようなことで採用されたんですが、私って本当にラッキーだとつくづく思います。
この方は横浜の病院に入院していまして、私は千葉県に住んでいましたから、彼女に言わせますと「まあ遠くから毎週通ってくれたことと、本当にあなたは私を大事にしてくれたこと」それだけだったのです。
それで私に心を許し社会復帰までこぎつけられたのです。昭和55年1980年4月のことでした。

もうひとつの化学会社とのご縁は1981年の日本産業カウンセラー協会の勉強会で知り合った臼井さんから、カウンセリング制度の導入を考えているのでどのように開設準備をしたらよいのかを教えてほしいと言われ、話しているうちに、ところでカウンセラーとして是非来てほしいと言われたんです。
「えっ私でいいんですか?」と思わず聞いてしまいました。
後日なんで私を選んでくれたんですかと聞いたんです。
そしたら「カウンセリングの知識とか技術が優れているとかいう理由ではなく、とにかく明るくて安心感があって、警戒心なく社員が行ってくれそうな方だったから」と話してくれたんです。
で嬉しいやら「私だってちょっとは知識や技術も持っているのよ」とも思ったのですが、カウンセラーとして大切な、自由にして安全な保護された空間を私から感じてもらえたんだな―と一人納得して帰りました。

皆様はすでにお感じかと思いますが、セイコー時代は後輩からサザエさんと呼ばれてまして、放送会社で一緒に働いた人は笑い観音と言われているんです。
友達や知り合いからはマアちゃんとかマアさんとか、蔭ではマチャ子先生と呼んでいる人もいるのです。
私の楽天的で呑気で、ゆるゆるとかまあまあ人生というのを言い当てていると思います。
「今回化学会社をやめた記念に自分の半生を神田雑学大学の講座で話してみない。自分のことを話せばいいんですよ」と今は神田雑学大学で活動なさっている臼井さんに言われて軽くお引き受けしたんですが、事前に配布されているレジメを見てあまりに立派なカウンセラー像が紹介されているのでびっくり、こんなずっこけカウンセラーなのにどうしようと思って眠れなくなりました。
実は今日の「私とカウンセリング」というテーマの副題に「笑いと涙のずっこけカウンセラー」にしようと考えていましたので、悩みました。今日の私が実態ですのでお許しください。

1980年にフリーのカウンセラーになりました。それからが私が本当に試される時でした。
今まではセイコーと言う看板を背負っていましたし、社内のキャリアーもありましたし、知っている人が殆どで、上司とか同輩とか後輩のバックアップもありました。
これからは何もない、佐々木正子個人としてやっていかなくてはならない、これは大変なことになったと思うと同時に、それならばとことん試して貰おうというファイトも湧きました。

ところで産業カウンセラーって何をするのかということを良く聞かれます。私はいま所属する会社のホームページでこんな風に紹介しております。
こんな問い合わせがあります。「私は病気ではないんですが、母親が倒れたことで、両親の介護と老後のことを考えると夜も眠れなくなってしまって、頭が混乱してきてしまって、仕事が手につかなくなっているんです。こんなことでも相談してよろしいのでしょうか?」
カウンセリングといいますと、心の病とか、鬱が毎日のように新聞に出ていて、大変な問題を解決していくように思いがちですが、実は「なんでも相談」なんです。
私の友達のカウンセラーは電話をかけると「はい何でも相談です」と出られます。
もちろん、メンタルヘルス、心の健康の一環として鬱病とパニック障害等の早期発見とか、対処の仕方、復職の相談までさせていただきます。
佐々木講師
ほかにも日常生活の中で問題を抱えることが結構多いのです。職場では人間関係、性格の問題、セクハラ、パワハラなどがあり、仕事にまつわる問題、異性問題とか家庭問題、人生問題などをご一緒に考えさせていただくということなんです。

人間と言うのは誰でも悩みを抱えるものだと思います。ですがそれを抱えたとき、自分だけが悩んでいるんじゃないかという風に思ってしまうんです。
そして色々なことが見えなくなってしまって、周りの人たちが非常に生き生きしているように見えてますます自分に自信がなくなってしまいます。
一人で考えていてもなかなか考えがまとまらないのです。
堂々巡りになったり、時間があると悪い方ばっかりに考えが行ってしまうのです。
そのうち眠れない、食べれない、頭が回転しないということが起こってきます。それが続くと不安イライラが起こって心身の異常をきたす。 こういう問題は誰にでも打ち明けられる問題でもないしと言う段階の時に、私たちのところに来てみませんかという問いかけをしているのです。

一人で考えるより二人で考える方が、色々な角度からも見えるし、他人に話を聴いてもらうことで、すごくすっきりするし問題が整理される体験をすると思うんです。
カウンセラーには守秘義務もありますので、私たちに話されたことは本人の了解がない限り会社に話したり他人に話したりしないんです。ですからどうぞあまり難しく考えず来てくださいと言うのです。

放送会社の方は私は2代目でしたし、精神科のお医者様も専属でいらっしゃいましたから良かったのですが、初めてカウンセリング制度を入れた化学会社の方は大変でした。
まず啓蒙活動から始めました。各工場を回ったり管理者研修で話をしたり、新人研修で話をしたり、社内報とかいろいろな機会をとらえて啓蒙活動をしました。
最初はすでに顕在化している人、病気で休んでいる人、問題を抱えている人たちが職場からまわされてきました。
ときどき抵抗する人もいまして、「なんで私がここに来なくてはいけなんだ」というようなことを言われたこともあります。「そうねー」と私は聴いて「職場で行けっていわれたの?」と返しますと「そうなんだよ」って言って、入口に立って全然入ってこないんです。
「そう、でもせっかく来たんだから少しくらい話していったら?」と言っても「いやいいんです」と抵抗するんですけれども、「そう、残念だわー」というと「いや、まだ時間はあるんでいいんですけれど」みたいにして徐々に徐々に入ってくるんですね。私を試しているんですね。
大変に面白い体験をしたんです。

社員は「誰が行ってるんだろう?」と何か精神的な病気の人が行くみたいに非常に関心を持っているんです。
ですから私と会う時も「今日は誰か来られましたか?」ってみんな聞くんです。守秘義務があるし、来てるんだけれど来ているとは言えないし、「なーんだカウンセラーなんて役に立たないんじゃないか」と思われているんじゃないかなーとすごく孤独になってしまう時もありましたが、そういった評価の目にも耐えることがカウンセラーの資質の一つかとも思います。
私も笑ってごまかしていますと、そのうち社員が自発的に来てくれるようになってきました。自発的に来た人が、「あそこは大丈夫、秘密を守ってくれるよ」と言ってくれるようになりました。
たとえば介護の問題で相談に来た人に、私が知っている老人ホームに両親を入居させてもらったり、当時はサラ金問題が多かったものですから、弁護士さんを紹介して解決したり、具合の悪い人をメンタルクリニックへ一緒に連れて行ったりして、先生とも知り合いになるということを心がけました。
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7.カウンセリング事例

会社には全く関知されずに悩んだ問題が解決していくということが分かると、その人たちが口コミで広げてくれるんですね。
「カウンセリングルームへ行ってみたら」と。それで電話がかかってきて「実は私の同期がこんなことで悩んでいるんだけれどいっていいですか?」なんていう風にどんどん広がって行きました。
佐々木講師 あそこへ行けば何かはしてくれる。今よりはよくなるよ。」そういう思いで来られる社員に私もなるべく応えようと思いました。
幸い私は大変恵まれていて、精神科医の先生とか弁護士さん、老人ホームの施設長さん、社労士、税理士、やケースワーカーやカウンセラーとかが友人だったり知人だったろしていて、またその方たちに紹介していただいたりして、相談室にとどまらずに動きのある仕事をしています。

病院・介護施設等の情報提供をするだけで、それがご本人の安心につながるということも多いのです。必要なら一緒に病院も行きますし、家族に面接もします。
特に鬱の人の家族には面接をします。休んでいる人の見舞いや連絡、特に一人暮らしで長期に休んでいる人は気にかけるようにします。家族がいれば安心なのです。長期に休む人は食べることもままならなくなって動けなくなってしまうケースもあるので、こちらからなるべく連絡をとるようにしますが、実家に帰れる人はできるだけ帰ってもらうようにしています。
こんな風に言っていますと私って何でもやれそうに聞こえますけれど、そんなことはなくて、会社内問題、たとえば休職とか異動とか配置転換とかは本人が上司と話すことが一番いいんですけれど、もうエネルギーがなくて「佐々木さんお願い」みたいにして託されてしまうことがあります。
その場合は「じゃこんな風に話すけれどいい?」と言って本人の了解を得て人事や職場の上司と相談をします。

本当に辛いんです。嫌な職場に毎朝、「嫌だなー嫌だなー」と思って行かなければならないというのは、本当に辛いと思います。早く配置転換をしてあげなくてはと思います。
ですけれど今日明日ですぐ異動なんて出来るものではないものですから、まず会社には本人の気持ちが分かってもらえるように一生懸命話をしますし、本人には会社の方もこんな都合があって、でも希望があるから大丈夫ということを伝えます。
真っ暗だったトンネルに光が見えると人間は頑張れるんです。またすぐ異動すると目立つんです。ああ精神的におかしいから異動させられたんではないかなんて思われてしまうので、1日とか21日とか発令日が決まっていますから、そこにちりばめながら異動をさせてもらったりしています。

病気の件は診療所の先生と相談をして、先生方が動けないところをカウンセラーが動くのです。
カウンセラーは自分の限界を知って、やれることはやるというのが必要です。
そして人事関係の方や先生方や診療所のスタッフが大変理解があり、認めてくださって、私が自由に動き回ることを許してくれて、それを良しとして見守って、必要な時は援助してくださるので安心して頑張られるのです。
こういう支えがあってこそ産業カウンセラーの力が発揮出来るので、会社のバックアップが非常に大きいです。

いま鬱は確かに増えています。1999年から2005年までの6年間で鬱患者は2倍になっているというデータが出ています。
社会的背景としては沢山ありますが、そんな評論家みたいなことを話してもしょうがないので、長引く不況ということを一つ取ってお話したいと思います。
どこの企業も不況ということで、私から見ていると国も会社も社会もみんな不安であせっていて、なんか余裕がないんですね。
疲れているな―と思っても、みんな残っているから残業したり、普通に遊びに行ったり、パソコンやゲームに夢中になって眠らなかったりと、何かしていないと落ち着かないみたいな状態になっていますね。
それに会社をなかなか休まないのです。そのうちなんかおかしい、朝起きられない。寝ようと思っても眠れない。ということで会社に来ても「ぼー」っとしていて、ミスをしてしまうのです。
そんな時は早く休みを取ることを勧めます。
人間はそんなに弱くなくて一つの問題や一つの悩みでは倒れないです。ところが二つ、三つと重なると動けなくなるのです。

例えば昇進して本当は喜ぶべきところなのに、なんか管理職になんかなりたくないという人もいるわけです。
でも管理職になっちゃった。
マネージメントは苦手なんだけれど一生懸命やっているところに親が亡くなったり介護の問題が起きるとか、子供の問題が突然出てきたりします。
そうすると悩みが一つ二つと重なってきて、眠れなくなってしまうわけです。
早期発見や早期治療はもちろん大事なんですが、私はともかく風邪も鬱もこじらせなければ大丈夫だと思っています。
風邪だってこじらせると肺炎になって死んでしまいますよね。鬱もこじらせなければそんなに大変ではないのです。
鬱をこじらせると大事になる。知ってほしいのははじめは死にたくなり、自ら死んでしまうこともあるからです。
「死にたい」と言われるとふつうはビビりますよね。
ですから眠れない、食べれない、他人の目が気になってしようがないとか、笑えなくなったというのが一週間続いたら、危ないなあと思ってほしいし、それ以上続いたら休みを取ってお医者さんに行ってみてください。
とにかく休んで良く眠ることをお勧めします。会社でも家でも動いている、何かをするのではなく「それこそボーット」一人で静かに過ごす時間を持ち。「心」と「頭」に栄養を与える時間をとってほしいのです。

「前は上司がよく部下の健康状態を見ていたのですけれどしかし自分が部長になって初めて分かった。今は部下と一緒に自分も体を動かしていないと仕事をしているように思われない」というのです。上や周りの目が気になるのです。
だから部長も毎日動いていて、部下が鬱になっていることさえ分からなくなっているのです。
かなりひどくならないと本人も周りも気づかないのです。
外科的な病気と言うのは分かりやすいですが、心の傷というのは気付かないものです。
「本当に傷ついて心が血だらけになっているのね」と私が言うと泣くんです。こんなに辛かったのにどうして誰も気づいてあげられなかったんだろうと共感するとワーッと泣くんです。
鬱になった人の第一声ってなんだかわかりますか?「自分だけは鬱になると思わなかった」と言うのです。ほとんどの人はそう言うのです。ですが誰にでも鬱の可能性はあるのです。
佐々木講師
また職場では評価者である上司との関係がうまくいっていないというケースが結構あります。
上司の何気ない一言が、そういったエネルギーのない時には特に応えるのです。
例えばみんなの前で叱る。「同じことを何度も聞くな」。「教えるのはこれが最後だ」とか。「おまえは本当に馬鹿だ、こんなことも出来ないのか」。「あやまれば済むと思っているのか」。「替わりはいくらでもいる」。「明日から出てこなくてよい」。なんてことを言われたり、情報をくれないというのがあって、これは無視につながるんですね。
エネルギーがないところにきつい一言で、倒れてしまうんです。
これも日ごろの人間関係が全てなんです。良いコミュニケーションが取れていれば「馬鹿」と言われてもそれが愛情になることもあります。
ちょっと触られても、いい人だったらOK、嫌いな人だったらパワハラ、セクハラで訴えるというようなものです。

「休みなさい」と上司に言われた女性の26歳の人なんですが、職場でブルブルブルブル震えだしたと言うので私のところに連れてこられました。
最初はブルブル震えて泣いてばかりいました。
私が背中をなでてあげて話を聴きますと、父親が早く亡くなったそうなんです。母親は田舎で一人で暮らしていて、2つ違いの弟と自分が仕送りして生計を立てていると言うのです。
だから絶対会社を辞められない。「助けて」。と言うのです。
それで「大丈夫、大丈夫、辞めさせるなんていうことは絶対ないのよ、私が守ってあげるから」みたいなことをすぐ言ってしまうのです。まあ、就労規則を知っているからなんですがね。
「眠れるの?」と聴きますと殆ど眠れていない、食べても吐いている。
「いつ頃から?」と聞きますと「徐々にですが半年ほど前から」と言います。
「なにかその頃あった?」と聞きますと「仕事を立ち上げて忙しくて、残業が続いて、そのうち仕事が進まなくなった。能率が上がらない。それを見ていた上司が、替えは幾らでもいるんだから休みなさい」と言ったんだそうです。

後で考えると上司は全然悪くはないのです。
替えはあるから休みなさいと言ってくれているんですけれども、彼女のこういう事情を知らないから、ついつい普通に言ってしまった。
それで彼女は「辞めさせられる」、「職業がなくなる」、「仕送りどうしよう」みたいになってしまったのです。またそんなに人間関係のよい上司でもなかったせいもあったでしょう。

私はその時の彼女の気持ちの方に立って「そう、そんなことまで言われたの」と彼女につくわけです。
あとから元気になれば上司には悪気が無かったことは分かりますが、この時点では彼女の立場に立って、彼女が受けとめたように受けとめてあげることが大前提です。
「つらかったね」というとまたワーッと泣くんですよね。戦力にならないと言われた思ったわけですから。
「大丈夫。元気になるまで一緒にいるから。ともかく先生に治療してもらおうね」と。
薬とカウンセリングを続け4カ月休みましたがもう元気で働いています。

彼女がよくなったときにこんな話をしてくれたんです。
テレビを見ていたらフリーターで仕事が無くなって路上生活をしている若者にインタビューをしていた。インタビュアーがそのフリーターに「夢は何ですか?」と聞いたんだそうです。
なんてひどいことを言うんだろうと彼女は感じたそうです。
そうしたらその若者は「セレブな生活です」と答えたんですって。セレブってどんな生活ですか」ってまた聞いたら、その若者は「毎日行く仕事があって、雨露しのげる自分の部屋があって、寝れる布団があって、自分の稼いだお金でビールを飲むことです」と話したんだそうです。
彼女はそれを見ていて「私は仕事も部屋もそれ以上にいろんなものもあって、私をこんなに心配してくれる先生や佐々木さんもいてくれて、職場の人たちも受け入れてくれていて、こんなに恵まれているのに休んでしまった自分が情けなかった。でもこれを見て幸せって本人が感じるものなんだってつくづく感じました」と言いました。
よくなると周りへの感謝が出てくるのです。本当に人間ってすごいなーとその時も感じましたね。

生きにくい人っているのです。自己評価が高くて他者評価が低い人です。
自分はこんなに出来ると思うわけですよね。だけれど会社や上司はこのくらいしか出来ないと思っている。
そのギャップがあればあるほど生きにくいのです。
そういう人はプライドが高くて全部他人が悪い、会社が悪い、上司が悪いと言うのです。他人を許せないんです。
自分はこんなに許されて生活しているのに他人のことは許さない、こういう人は難しいです。

それから頑張りすぎる人、NOを言えない人が鬱になりやすいのです。
「甘えも自立よ」って私はよく言うのです。自分が出来ないときは他人に助けてもらう。他人が出来ないときあなたは助けるでしょう?助けるんです。その人たちは優しいですから。
NOを言えない人もそうなんです。NOを言えなくて、仕事をなんでも引き受けてしまって、そして体を壊してしまう。
早めに、「ごめん助けて」といえば誰でも助けてくれるのに、でもそれが言えないというのもその人なんです。
佐々木講師 ですからそういう人たちには「あなたが休んだらかえってみんなに迷惑をかけることになる詩時間とお金をかけて、あなたも辛い思いをして健康を取り戻すことになるのよ。そんなことを良く考えて、なるべく早く言ってね。甘えても自立。甘えていいんじゃない」と言うんです。
すると「佐々木さんには甘えられるよ」なんて言うのですが、私以外にも甘えられるように練習して」と言ったりします。
2回目に具合が悪くなった時はさすがに早めに気づいて「少しおかしい」と上司に言えたそうです。「学習したね」「良かった」なんて言って笑います。

「死にたい」と言われた時は「親より早く死んでは絶対だめだ」と言います。
親にそんなことをしてしまうほど、あなたはひどいことを受けたの?」って聞きます。すると大概の人は受けていないのです。
親は無条件で心配してくれるし無償の愛なんです。
「そして私も悲しむから」とも言います。「どうしても死にたいなら私が許可を出してあげるから私が許可するまでは死んではいけない」と大層なことを言うんです。
そうやって関わってきた人は今のところ誰もまだ死んではいません。

留守電に「佐々木先生、永いことありがとうございました。もう疲れましたので死にます」とか「もらった薬を全部飲んでしまった」とかいうメッセージが入ることがあります。
すぐ電話して「どこにいるの!」「家」。
こういう危機の時はもう物理的に、行けるときはタクシーでも飛ばしてどこへでも行くのです。
間に合いそうな時はです。
私にわざわざ電話をしてきてくれているんです。「助けて!」と言っているんです。ですから出来る限りのことはしなくてはと思うのです。
行けないときはどうするか。居住地の救急車を手配したり、名乗って警察に行ってもらったりします。
私の電話は会社のホームページに公開されていて、社員の方から危機の時にはかけてくることがあります
。そんなことをしていたらたいへんでしょうと思われるでしょうが、そんなことはめったにないんです。
それに私のところへきてくれている人は私を大事に思ってくれていて、よほどのことでない限りそんなことはしないのです。信じられるのです。

不幸にして会社を辞める場合もあります。本人はともかく、家族や周りの人から、ここまでしていただいてありがとうと言われるようなそんな関わりをしたいと思います。

そして一人の人間が元気になって行く様子、変わっていくのを見させてもらえるのもカウンセラーの大きな喜びです。
それがご褒美なんです。それがあるので続けられるのかなあって思っています。
わたしのカウンセリングは私を見ていてくださって分かると思うんですが、あまり技法とか知識にとらわれていません。
ともかくいま、目の前にいる人を大切にしたいと思う、それだけなんです。いまこの人にとって何が必要か、同じ土俵にいると、それが分かるような気がするんです。

いままでやれなかったことが少しでも出来るようになった社員がいます。そしたらすごいねーって、私は一生懸命褒めます。ですが本人はいやまだまだなんて遠慮するのです。
私が「褒めてあげているんだから、ありがとうってもらってよ」と言うんです。
「去年の今頃どうしていた」と聞きますと「家で布団かぶって寝てた」。「いま会社にいるじゃない。自分のことを褒めてあげてもいいんじゃない」といいますと「そうだよね」と少し気が付いてきて「私すごいよね」と変わってくるのです。

カウンセリングに来ても、もうカウンセリングにならないような人もいるんです。
椅子に座って眠りそうなんです。「眠い?」と聞いて「眠い」と答えたら、もうカウンセリングルームのソファーで寝かせるんです。
30分くらい出かけてくるから寝ていなさいと言って鍵をかけて出てしまうのです。
ちょっとうろうろして「はいコーヒー」なんて言って差し入れをするんです。
それから食べていない人が来ます。なんだかやせ細って貧相な顔になってきちゃっているので、そういう人には温かいスープなんかをご馳走したりすることもあります。

130kgくらいの体重の人が来たことがあります。それがブルブル震えているのです。
私が「大丈夫ですよ大丈夫ですよ」と背中をなでてあげていると、だんだん収まってきます。

すっかり良くなって、私のカウンセリングルームから去る時に、「佐々木さん、背中なでてくれたよね。もう一回なでて」って催促されたんです。その人とお別れに撫でてあげたこともあります。
佐々木講師 私は女性で、年長者ですから、撫でてあげてもスキンシップになりますが、男性の方がこれを女性にしますと問題になることがありますから気を付けてください。
私はまず来られた人の存在をしっかり受け止めて、抱きしめていく、その感覚を大事にしようと思っています。「抱きしめているよ」、「一緒にいるよ」というメッセージを出すことです。
「一緒に泣く」、「一緒にわめく」、「一緒に叫ぶ」、「一緒に笑う」、「一緒にいるよ」等いつもこういうメッセージを伝えたいと思っています。

「ここはいいなー、空気が違う」を言って入ってこられる人もいます。
私は笑い学会に入っています。笑うとニュートラルキラー細胞と言うのがあるんですが、それが増えて自然治癒の能力が高まるので皆さんもぜひ笑ってほしいと思います。
私の部屋に来る前より、少しでも気持ちがなごめばいい、少しでもいい方向へいってくれればいいと帰ったあと祈ります。
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8.これから

これからはカウンセリングをしながら社会還元を、というと聞こえはいいのですが、私はただただお節介なのです。
喜んでもらえるならそれでもいいんではないか。お節介を貫こうと思っています。
会社に頼んでおいた老人ホームのパンフレットを、わざわざ届けてくださった親切な女性がいました。
ひとしきり話が終わると「佐々木さん実は」ということで話したんです。
一人娘さんで独身で51歳の方です。お母さんが81歳で認知症でもう娘さんのことも分からないんだそうです。
毎週お見舞いに行くんだけれど、なんのお話をするんでもないから空しいと言うのです。
でもなんか口をパクパクするというので、「それだったら唇に蜂蜜を塗ってみたらどうかしら」ということになって、そうしたらそれをとってもおいしそうに舐めるんだそうです。
彼女が塗る、お母さんが舐める、また塗る、舐めると、なにかコミュニケーションが出来たようで嬉しくなったというのです。行く甲斐があると言うのです。

その方が知りあって2年くらいの時、「佐々木さん、私、健康診断で乳がんでそれも末期なの」と言うんです。
「まあがん保険に入っていますから何とかなるんですが」と淡々と話すのですが、認知症の母を残して彼女が去る気持ちを考えると、私も胸が張り裂けそうでした。
存命中に母親の今後を考えて、成年後見制度(リーガルサポート)を利用し、老人ホームの費用とか今後のことを一切面倒を見てもらおうということで、リーガルサポートの司法書士さんに会いました。

彼女は手術もしましたが7カ月しかもちませんで、最後は彼女の希望で入ったホスピスで息を引き取ったのですが、葬儀ほか一切のことをそのリーガルサポートの方と後で述べるエンジェル隊の方々と一緒にやったんですが、こういった社員以外の人を私がカウンセリングしたときに支援してくれるのがエンジェル部隊です。
今日あちらにも何人か来てくれているんですが、「少し太めのエンジェルでごめんね。羽がふたつじゃ足りない」なんて笑っていますが、この人たちには本当に感謝です。

私の夢は東京の真ん中に、なんでも相談出来るセンターを作って、このエンジェル隊の方々と一緒に、悩んでいる人、愛情に飢えた人、優しさを求める人たちにお茶の一杯も差し上げて話を聴く活動をしたいということです。

そう思って40年来宝くじを買っているのですけれどもまだ順番が回ってこないのです。
ですからそれまで自分のやれることを、ささやかながらやり続けたいと思っています。
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9.おわりに

話の終わりにちょっと私がよく口ずさんでいる詩を配ります。読ませていただこうと思います。
吉野弘さんの詩です。一緒に目を通して頂ければと思います。
これは人間関係に役に立つ詩で私がちょっとまいった時などによく読む詩です。

二人がうまくやっていくために       吉野 弘

二人がむつまじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときには
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

私は長く人と関わってきまして「人間っていいなあー」、「人間ってすごいなー」、「人間っていとしいなー」と自分も含めて思います。 生かされて生きてきて本当に良かったと。

今日はわたしのつたない話を聴いていただきまして本当にありがとうございました。
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10.質疑応答

●質問
今までの佐々木先生の活躍をうかがっていて、特に皆さんから愛される明るい前向きな性格が成功なさっているベースになっているように思ったのですが、その人柄・性格はどこからかもしだされたのでしょうか?

●答え
今日は私の生い立ちの話はしませんでしたので少しさせていただきます。
私は生まれたときから小学校時代まではものすごいいたずらで、学校でも落ち着きのない子だったんですね。
なにしろ黙って静かにしていられなくて、いたずらをしてしまう子供でした。ですから学校ではしょっちゅう立たされていました。
それでもめげないで授業に廊下から手をあげたりして参加しちゃうんです。また怒られるとかで、懲りない人というか目出度い人だったのです。
姉の先生が来て「また立たされているのか、職員室に来い」なんて言われて、ついていってそこでまた遊んでしまうのです。
幸せなことに逆に面白がられて先生たちにも可愛がられもしましたね。
教頭先生にもものすごく怒られた時も、教頭先生の怒っている顔がおかしいから笑っちゃって、また怒られたことを覚えています。
多分母がものすごく自由に育ててくれたのかなーと思います。
それと周りの人たちが、面白い子だなーという風に見て、よしとして許してくれていた、という風におもいます。
ですが私は小学校を転校するのが嫌で、5年生の時から下宿をしていたのです
ですから他人の家で育っていて、それなりにストレスがあったのでしょうか、小学校の卒業式で倒れたんです。そして中学の1学期終わりまで、学校に行っていないのです。本ばかり読んでいました。
そんなこともあったりして、中学になると生意気にもちょっと厭世的になって、死というものを真剣に考えていたんです。死んでみようかとおもったこともありました。
元気になってきたときに、野原に横たわって、空を見ながら、「やはり生きてみようかな、私は生きているというより生かされているのかも知れないし」というようなことを思って、それからは自然に吹っ切れて、今のようになりました。
ですから本来の自分がそのまま出ていると思います。

●質問
カウンセラーというのは資格があってそれを取るには、どういう学校でどういうコースがあり、どういう試験があるのですか。
それから一般的な独立したカウンセラーで、この先生は時間幾らだけれど、この先生は幾らとかあると思うのですね。そういう大雑把な目安はあるのですか?

●応え
私はもともとカウンセラーになる気がなかったのですが、ラホイヤでご一緒した三菱商事の山口平治さんに紹介され、当時1974年労働省の認可であった(社)日本産業カウンセラー協会やカウンセリングスクール等で学習し、資格もとりました。
佐々木講師 今はシニア産業カウンセラーといいます。
それからカウンセラー費用のことですが、私は企業からいただいていますので他の方のことは分かりませんが、高名な先生達の中には一回一万円とか二万円とかいろいろいらっしゃるそうです。

●会場から関連として
私は臼井と言って実は会社時代に佐々木先生にカウンセラーをお願いしていた会社にいた者です。
私はある時人事部に配属になり、なにか寄って立つ技術基盤のようなものが欲しくて、カウンセリングの勉強に日本産業カウンセリング協会に行きました。そこに先生として佐々木さんがいらしたのです。
日本カウンセラー協会と言うのは、そういう会社から勉強に来る人に教育して、カウンセリングを社内でする人間を養成するのです。
ところがその勉強をすればするほど、素人の中途半端な気持ちで、「死にたい」なんて言う悩んでいる人に対することが出来ないということが分かってくるのです。
また高名な先生やものすごいカウンセリングの知識のある先生にカウンセリングを実習で受けると、すごい嫌な気持ちになったり、なんでこんなことを言わされるのかというような抵抗が気持ちの中にどんどん出てきます。
そのなかで「クライアントのサイドに立つ」という筋を一貫して貫いていらした佐々木先生の実習はすごく居心地がよく、自由に自分をさらけ出して話すことが出来たのです。
それで私はカウンセラーになることはあきらめ、本当に適性のある専門のカウンセラーを会社は雇うべきだという結論を出しました。
私は今でもそう思っていますが、お医者さんや弁護士さんは、うまい下手はあるでしょうが誰でも盲腸を直したり離婚調停したりすることが出来ます。
ところがカウンセラーは有名だからとか講演をしょっちゅうなさっているとかいっても、会社のようなところで不特定多数の社員に対応出来るかと言うと全然対応出来ない、場合によっては中途半端に心の中をかき回されておかしくなってしまうケースが沢山あると思います。
そういう意味で企業内カウンセラーは「その仕事が出来る人」と「向いていない人」のどちらかになると思います。
私の会社は幸いにも大変優れたカウンセラーに巡り合えたから、30年もお願いし続けられたという風に思っています。
カウンセラーにかかるというのは本当はどんな先生にかかるかということで結果ががらりと変わってきますから、注意が必要だと思います。

●質問
私はミステリーが大好きで今日の話を聴いていましたらシャーロックホームズを思い出しました。
彼は探偵の探偵と呼ばれ、迷宮入りした事件について刑事とか探偵が相談に来るのです。
すごいかっこよい仕事のように見えるのですが、でもすごく重い仕事ですよね。一人一人のケースをまともに受け止めていかないと解決できないわけでしょう。
そうすると、カウンセラー自身がものすごく重い荷物を詰め込まれているようなものではないですか。それをどっかに吐きだす必要はないんですか?

●答え
私はとにかくよく寝るんです。だんだん年をとると眠れないと言われますが、8時間は寝ます。
寝ないと頭が働かないんですね。眠ると全部忘れることが出来ます。それとよくボーっとしています。
歌を歌います。ちょっと詰まってくると「あっ、私、歌っていないな」と思って家で歌っています。
そしてとにかく楽観的に考えるようにしています。なんとかなるって思うのです。
カウンセラーの悩みは、生死にかかわることではないんだからと思います。また社員さんの生死にかかわる問題の時は必死になりますが、そんなケースはそう多くはありません。
ですから水先案内人みたいま感じで、悩まないでやっています。
それと私は周りに助けてくれる人がいっぱいいっぱいいるのです。
私はカウンセラーには楽観的な人がいいと思います。
とにかくカウンセリングを一生懸命やっていたら、あまり色々な事には手を出せないです。欲ばらないことだと思います。
講演会ばかりやっていますと聴けなくなるんです。私は一度失敗したことがあります。
あるところに行ったとき、せっかく来たのだから講演の前にカウンセリングをやってくださいと言われて、聴いちゃったんです。
そしたら講演会で言葉が全く出ないんです。これは一時に一事で、両方をやってはいけないなーと思いましたね。
一つで十分です。あくまで自分のことですが。

●質問
我が家の恥をさらすようですが、実は身内に鬱になった者がおりまして、カウンセラーの方に相談に行きました。
ところがそのカウンセラーは心配を増幅するようなことばかり言って、「高学歴でこういうことなら娘さんはこれからもっと悪化しますよ」と何度も言われて、何度か行って辞めました。
悪く言えば心配を増幅してお金をどんどんとるという気がしました。
娘は神経質で頑張り屋で、臨床心理士を目指しているのですが、すごい勉強家ですごい知識も持っているのです。
しかし私は今日のお話を聞いてますます思うのですが、性格的にカウンセラーのような仕事には向いていないのではないかと思うのですが、ともかくやりたいと一生懸命なんです。私たちはどうしたらよいでしょうかね?

●答え
そういう自分を克服して、すごく素敵なカウンセラーになっていらっしゃる方もいます。
しかし真面目な方は気をつけなければならないことが多いのは事実です。例えば「もらっちゃう」と私たちが言っている言葉があります。
ものすごく大変なケースに出会ったときに、自分が真面目な方ですから一生懸命取り組むと思うのです。
ところが取り組んでいるうちに人の悩みや苦しみを「もらっちゃう」のです。
よく鬱がよくなってきた社員さんから「同期で鬱の人がいるから私の経験で相談に乗ってあげようかと思うんだけれどどうしたらいい?」と聞かれることがあります。
私は「やめなさい」と言います。それは冷たいということでなく、いま自分がせっかく治ってきたのに、聞いてしまうとまた引きずりこまれていくということがあるので、完全に治って、もう3,4年たって、大丈夫だったら相談に乗ると言うくらいを考えたらいいと思うのです。
でも娘さんはいまは、言えば言うほど、もしかしたらやると言うかもしれません。
またそうやって悩みつつ素晴らしいカウンセラーになるかも知れません。ですから何とも言えません。
何かあったら私たちの勉強会もありますし、お話させていただいてもいいので、どうぞ来てください。

●司会
そろそろ時間が来ました。この辺で今日の話は終わりにさせていただきます。

どうもお聴きいただいてありがとうございました。(拍手)


文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:臼井良雄


本文はここまでです


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