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2009年11月27日 神田雑学大学定例講座No483

千代田図書館トークイベント

 古書販売目録の面白さ、中野三敏(なかのみつとし)講師



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講師プロフィール
1.千代田図書館企画河合さんから講師紹介
2.はじめに
3.松本書店の古書販売目録から
4.海野書店の目録から
5.終りに当たって「和本リテラシーの回復」ということ
6.質疑応答




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中野みつとし講師

講師プロフィール

1935年11月、福岡県出身
九州大学名誉教授。江戸の小説、戯作研究の第一人者。「新日本古典文学大系」(岩波書店 全100巻)の編集委員。

著書:
『戯作研究』
(中央公論社 角川源義賞・サントリー学芸賞)、

『近世子どもの絵本集』
(岩波書店 毎日出版文化賞)

『江戸狂者伝』(中央公論新社)、『写楽 江戸人としての実像』(中公新書)、
『江戸名物評判記案内』(岩波新書) 、『近世新畸人伝』(岩波現代文庫)、
『本道楽』(講談社)、『和本の海へ 豊饒の江戸文化』(角川選書)

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1.千代田図書館企画河合さんから講師紹介

まず、古書販売目録って何?そういう方も多いと思います。古書販売目録とは大雑把に言うと、古書店が通信販売を行う時のカタログです。千代田図書館には、反町茂雄さんのご遺族から寄贈を受けた、明治から昭和中期にかけての古書の通信販売のカタログが7000点ありまして、これはとても特殊なコレクションです。

笑顔で講師を紹介する河合さん特殊ということと貴重ということは必ずしもイコールではありません。古書販売目録は、古書店がお客様に配るためのカタログですから、一点一点そのものが世の中に稀な資料と言うわけではありません。ただ、通信販売のカタログは、普通は手元に残しておくものでないので、そういう点で、古いものがまとまって保存されていることは、全国的にみてもとても貴重で特殊なコレクションだということなのです。

次に、古い通信販売のカタログがたくさんあって、それが何の役に立つの?という疑問があると思います。どのような書物が存在して、どのくらいの価格で取引されていたのか、という点で、日本における和書・古典籍・洋書がどのように取引され移動したのか、ということを辿ることができる資料として意義のあるコレクションなのです。また、それだけでないたくさんの魅力や活用方法を持った資料です。

本日は九州大学名誉教授の中野三敏先生を講師にお迎えしております。古書販売目録の面白さについて色々具体的なお話がお聞きできると期待しております。中野先生からは、約2500点の古書販売目録をご寄贈いただいております。現在整理を行っている最中で、先生からご寄贈いただいたものを加えて将来は9500点のコレクションとなります。来年度には皆さまにもご利用いただけるように整理を進めておりますので、楽しみにお待ちいただければと思います。

お配りしております資料について説明させていただきます。
ひとつは、雑誌「日本近代文学館」の第202号に中野先生が「背文字のない書物」という題名で古書販売目録のことをお書きになったもののコピーです。そしてもう一つは東京古典会が発行している「和本」という冊子に中野先生が「死児の齢 抄」という題名でお書きになったもののコピーです。本日のお話の補足資料になります。それでは中野先生よろしくお願いいたします。

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2.はじめに

ただいまご紹介いただきました中野でございます。こちらの図書館さんに私の持っておりました古書販売目録を寄贈したということで、わざわざこういうところでお話をすることをお許し頂いて大変光栄であります。それにしても、私のようなものが古書販売目録のことでお話をするということにこれだけの方々が御集りになるということは、誠に東京と言うところは恐ろしいところではないか、またお暇な方が多いとつくづく感じいっております。(笑)

講義の様子


古書販売目録というものは只今ご紹介あった通りで、ほとんどが捨てられる運命にあるものなんですね。私もごく最近のものは役に立つものだけを置いておいて、捨てると言うと申し訳ないのですが、どうしても処分をせざるを得ないというのが実情です。
ただしここでは戦前の古書目録と言うことで、私もそれがなんか役に立つんじゃないかという思いで持っておりましたものが、2000点とか3000点と言う数になってしまいまして、いよいよどうにもならないなと思っておりましたら、反町茂雄さんがここ千代田図書館にご自分の手元にあった古書目録コレクションをご寄贈になったということを伺って、ああそれはいいことだなと思っておりましたら、八木書店の八木さんからそういうお話をいただくことが出来ました。
実はお手元に配りましたように日本近代文学館の発行している冊子の202号(2004年11月15日)に「背文字のない書物」という題で書かせていただいていたものを多分八木さんがご覧頂いて、古書目録のコレクションなら何といっても千代田図書館だから、そこに寄贈したらどうかというお話を頂いたのです。

実際のところこの“背文字のない書物”は、我々にとっては本当は大変役に立つ資料です。しかし、いざ探すとなるとどこで探していいか分からないのです。図書館で調べることが出来るのは、それこそ“背文字のあるれっきとした書物”でありまして、そうではないものは、しばらくたつと捨てられてしまっているというようなものなんです。それは仕方がないことなのですが、それをなんとか生かせないものかということを考えるのも我々のひとつの責任でもあろうかと思っております。

私が持っていた戦前の古書目録、これは僕が実際に一冊一冊古書店さんから貰ったわけでは当然ないわけでありまして、色々本屋さんに行って色々な話をしているうちに本屋さんの方で「もう邪魔だから持って行ってくれ」というようなことで頂いたものが大半であるわけです。ですから戦前も戦前、明治や大正のものから蓄積されてきてしまうことになったのです。

そういうものの必要性をなぜ考えたかと言いますと、古本屋さんの目録と言うのは「確実にその本があった」ということの証拠なんです。「あったことが間違いない」それは非常に大きな意味を我々にとっては持つわけであります。普通何か図書目録みたいなもので、例えばこういう人物についてこういう本を出しているというようなことが記録があったとしても、それは本当にその本が出版されたのかということになるともうひとつ疑問なわけです。すぐにでも目に入るような本であれば、それはもちろんそれがあると言うことが確実なわけですけれども、そうでない場合はそれが本当に世の中に出たものなのかどうなのかは分かりません。
昔の本には最後に蔵版目録、いまでも単行本の後ろのところに、同じ版元のそれに関連した本の名前が幾つか挙がっていますね。そういうことが実は江戸時代に享保を過ぎるころから当たり前のようになってきまして、大きな版元ですと10ページも20ページにもなるような自分のところの出版物目録を出しているものが結構あります。そういうものが我々には貴重な資料になるわけですが、ただそこには本当に出版されたものだけが書かれているわけではなくて、これから出版しますという本も入っているのです。そしてそれが本当に出版されたかどうかということは現物を見ない限りまず分からない。

したがって、そういう資料を使って、この著者はこういう本を出版したようだという推論を我々の研究ではしばしばするのですが、それが実際に出版されたものかどうかはもう一つ分からないのが悩みなのです。ところが古本屋さんの目録は現物があっての目録です。目の前にない本にわざわざ値段をつけて書くはずがないわけです。そういう意味で特に戦前の和本屋さんの目録は我々にとって、そういう意味で宝の山になり得るのです。そういったことが動機になってこういったものを集め始めたのです。

神田の古書組合の方々が、自分たちの仲間内での雑誌としてお作りになっている「和本」という雑誌がありまして、それに何か書けと言われましたものですから、そんなら、僕が戦前の古本屋さんの目録で見た本、しかもそれが現在ではどこにあるか分からない、あるいは、『国書総目録』という便利なものが出来ていますが、『国書総目録』をいくら引いてみても、そんな本の名前は影も形もないというような本が続々と出てくるということに気がつきまして、そういうものをピックアップして書かして頂いたのが、今日のお手元に配りました資料です。

「死児の齢抄」という題をつけました。親はいつまでも死んだ子供の齢を数えるといいますが、親は子供が若い時に亡くなったりしますと、「ああ、あの子も生きていたら今頃は20歳になったかなあ」とか「そろそろお嫁に行くころだろうに」とか、そういう想いで齢を勘定してみる。

そういうことを諺として「死児の齢を数える」と言って、取り返しのつかないことだけれども、なんとなくやってしまうということで、そういう諺があるのです。
私にとってここに挙げたような書物はみな現在ではどうにも見られないけれども、かつてこの世に存在したもので、もしこういうものが今でもどこかにあってくれたらなあという気持ちで抜き書きをしたものがこの資料であります。

古書販売目録それで本日はこの資料を元にいたしまして、このなかなかから幾つかの面白い話をピックアップしてみようかと思います。今日は古書販売目録の現物を持ってきました。
私は名古屋に6年ほどおりまして、その時に大変お世話になった古本屋さんがこの目録を出していた「松本書店」であります。

それからもう一つがここにあります「海野書店」という古書店の目録です。海野書店は私が名古屋に行った時にはもう店をやってはおらず、私が見たのは以前に出した目録だけです。この目録だけが30何冊か揃って手に入ったのです。

松本書店は当時は大変繁盛しておりましたが、その後残念ながら無くなりました。今ではその店舗跡もございません。ですけれど本当に良い本屋さんでありました。この二つの本屋さんの目録の中から拾い上げて纏めたのが、今日配布した「死児の齢抄」です。

全部で百数十点の本が並べられているわけですが、これが今、ひとつひとつ現存するかどうかは分からない。この中で幾つかは「それならあるよ」という風に教えていただいたり、自分で探しあてたりしたものもありますが、その他の殆どは現存するかどうか全く分からないのです。先程申し上げた『国書総目録』なんかを見ても影も形もないのです。そういうものが拾い上げると100点近くあったということです。そういうものの中から少しずつご紹介してみようと思います。

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3.松本書店の古書販売目録から

『傾城買指南(けいせいかいしなん)』絵人珍書 半三冊 拾五円
配布資料の1ページの一に『傾城買指南』というのがありますね。「 絵人珍書 半三冊 拾五円」という説明付きで、第一号・大正十二年とあり、これが松本書店の目録第一号の、大正12年に出た古書販売目録にあったということが分かります。

『傾城買指南』というこの本の名前は、実は洒落本という江戸時代の戯作のジャンルがありますが、その洒落本にある書名ではあります。ところが洒落本というのは小さい「小本(こぼん)」と言いまして、今の文庫本よりちょっと大きいくらいのものなのですが、その小本一冊というのが洒落本の決まった形態であります。ここにありますように、「半紙本三冊」というようなものは恐らく洒落本ではあり得ない。そうなると一体これは何なのかということになるのです。

『国書総目録』を見ますと歌舞伎の分類で同名の寛政九年板本三冊というのがあってそれだろうかとも思えるのですけれども、ところが松本目録では部立てが物語の部に入っております。そしてその前後に『つれづれ草』と『うつぼ物語』という本があり、『つれづれ草』、『傾城買指南』、『うつぼ物語』という風に並んでおりますので、そうなりますとこれは一体何なんだろうということになり分かりません。

現物も見当たらないわけですから分かりませんのですが、一応本屋さんは部立てに沿って並べて行くわけですから、これが『国書総目録』にある「歌舞伎」に分類される一書ということでは、おそらくあり得ないのではないか、そういうことがここから何となく読み取れるわけです。読み取ってみたところで現物はないんですからどう仕様もないんですけれども、しかし何となく気持ちがそそられる。そういう面白さが販売目録の醍醐味でもあろうかと思います。

その次のページの五番に『文萃帳(ぶんすいちょう)』大神社仏閣彫錦紋簿絵画初摺上本彩色、三冊12円とあります。これも全く聞いたことのない書名です。ところがこれは見当がつきます。森川竹窓という大阪の好事家がおりましたが、その人が「文華帖」という題で大きな本を前編一冊と後編二冊の合わせて三冊本を出している。中の説明文を見ますと、なにか神社仏閣の彫り物だとか文様だとか錦等を集めた画帖みたいなものだと読めますので、ああこれは多分「萃(すい)ではなくて華(か)のミスプリントであろう」というふうに見当がつくわけです。

古書店目録のミスプリントには閉口させられるのですが、我々古書目録愛読者にとっては色々連想を働かせ、類推をするところに、なんとなく我々の頭の体操のような面白さがあるとも思っています。これは間違いなく『文華帖』のミスプリントであると思います。このミスプリントということがこれからお話をすることでの非常に大きな問題点となってくるのです。

その下の八番に『准南清賞(わいなんせいしょう)』という題で中本二冊2円20銭とあります。随筆の部に入っておりますが、この書名は私ども全く聞いたことがありませんでした。
ただ『豆腐百珍』正続二編二冊という本がございます。この『豆腐百珍』の見返しのところに見返し題として「准南清賞』という題が入っております。この本は中本二冊で『豆腐百珍』と全く同じ冊数でもありますし、多分これは『豆腐百珍』の題簽(だいせん)が落ちていて外題が分からない、それで見返し題を外題だろうと考えてそのまま書名としたのだろうと思います。たぶんこれは間違いのない推量だと思います。

ところが一四番には『鬼一おうさん』『おんせう』『にしょふ』というのがあります。どう見ても奈良絵本でこんな題名のものは全く見たことがありません。一体これは何だと言うことになるのですが、多分これはひどいミスプリントであるだろうと思います。3つとも奈良絵本です。横本とか丹絵入りとか書いてありますから、まさしく奈良絵本の一つではあるだろうと思いますが、ちょっと見当がつきません。

唯一見当がつくのが真ん中の『おんせう』です。『ぶんせうの草紙』という有名な奈良絵本があります。ですからこれは多分『ぶんせうの草紙』のミスプリントではないかと考えています。あるいは本屋さんの読み違えということもあるかも知れません。

最初の『鬼一おうさん』はこれが『鬼一ほうげん』ということならば分かりますが、しかし「ほうげん」を「おうさん」と読むのはちょっと考えられないので、また別の本なのかなとも思いますが、これも『鬼一ほうげん』の読み違えかミスプリントかも知れません。
最後の『にしょふ』というのは全く分かりません。いまだにこれらの本にはぶつかりません。

その横の十五番の元禄十六年市村座源氏六十帖、鳥居画合本宝暦版とあります。元禄16年なのに宝暦版というのもなんともよく分からないところですが、『源氏六十帖云々』という洒落本は確かにあります。そしてそれは宝暦版です。ですからそれかなとも思うのですが、それにしては上の元禄十六年市村座という具体的な記述はまさしく歌舞伎絵本の題ですから、違う本である可能性が高く、これもあったら面白いだろうなと思う本の一つです。

それから次の十七番の『笑催集(しょうざいしゅう)』が随筆の部に乗っております。これは虫入りの横本で宝永八年のものだということです。なにかおかしい笑い話を集めたものだろうと思われ、これも気になる本ですが現物はまだ見あたりません。しかし存在していたことはこの目録にあるのですから間違いはないのです。

『笑催集(しょうざいしゅう)』という題名も意味があり、ミスプリントなんかではないと思います。大正12年にあったということは、その後震災や戦災で滅んだかもしれませんが、案外どこかに残っているかもしれない。そういうものを見つけてみたいものだなと思っています。

その次の十八番には『しらんづくし』とあります。これはおそらくミスプリントだろうと思いますがこれも何かが分からない。『洛風之集之(らくふうしこれをあつむ)』元文版とありますが、洛は京都、風之は著者の名前です。京都の風之という名前では軽口咄本の編者、あるいは野坡門の俳人と色々ありますので、多分その人の作品の一つではあろうと思いますけれど、中身が何なのかは分かりません。

二十四番に『江戸男色細見(えどなんしょくさいけん)』というのがあります。そして 万亀亭著、酒落本四十一種中の一冊で、御好み五円ずつと目録には書いてあります。平賀源内が有名な男色好きでありまして、かれが『男色細見』という本を書いております。
江戸には吉原に匹敵すような男色の場所がありまして、歌舞伎役者のまだ色子と言われているような連中がここでお客をとって商売をしていたわけでありますが、そこの「細見」ですからそこにどういう色子がいるかということを示したものです。

これは『吉原細見』というのが別にございまして、その時点での吉原在住の遊女の名前を全部網羅したもので、毎年春と秋と2度ずつ出ておりました。これは古いところでは享保から始まりまして、明治まで続けて出されたもので、おそらく日本の定期刊行物としては『吉原細見』と歌舞伎の方の『評判記』が最長のものと私は思っています。

その『吉原細見』のまねをして作ったのが『男色細見』で、こちらはごく少ないのです。平賀源内が作りました3種類ほどが知られているだけです。万亀亭著の 『男色細見』というのは全く聞いたことはありません。しかしこの本は昭和12年の時点でまさしくあったことは間違いない。そうするとこれが4番目の「男色細見」になるということになり、あれば貴重な資料になるはずのものです。

それから下の段の二十九番、『竹会集』という本があります。上摺鮮明、上巻のみ、寛文版、横本とあります。これは俳書の部にあるのです。俳書のひとつとして寛文版の俳書ということになりますと、これは非常に珍しいものです。どれが出てきてもみな珍本の部類に当たるものですが、その中でこの『竹会集』というものは聞いたことがない。

これは一体何だということになるわけですが、実は北村季吟という芭蕉の先生でもありました方の俳書に寛文十二年で『季吟十會集』というのがあります。これは寛文十二年の本として天理図書館とかに何点かが残っております。まずはそれかなとまずは思うんですが、しかし十會集が竹会集になると言うのはちょっと待てよと思うのです。

ところが更に調べますと実は季吟にはこの寛文十二年の『十會集』の続編として延宝4年版の『季吟廿會集』というものがあります。この廿という字なら竹という字と間違いやすいです。これはたぶん『季吟廿會集』をミスプリントしてしまったものでありましょう。それなら分かるのです。こうやってこの類推は落ち着きました。

それから三十六番、『木刀勘暖(ぼくとうかんだん)の巻』というのがあります。これも全く分からない。これは戯作のところに並んでおりましてこの木刀勘暖の巻の下に、仝(どう)、同じと書いてありますが、これはこのすぐ前の項目が「麻疹戯言三馬作酒落本」と書いてあります。麻疹とははしかですね。はしかが流行りましたので、はしかのことを戯作に作りました。そうなるとこの仝(どう)は三馬のことを指していると考えられ、これも三馬の作品なのです。

そして仝(どう)の下には「白ヌキ字」とあります。「白ヌキ字」というのは書道のお手本を法帖といいますが、これはだいたい地色は墨一色で文字を白ヌキにしております。
そうなるとこれは三馬の作品で法帖のようなもので、しかも書名は『木刀勘暖の巻』という、こういう本があったというのです。これはミスプリントがあったとしても全然見当がつかないのです。三馬の作品でそういうものがあるということは知られていないのです。しかしあったことは間違いないということになります。

それから四十番に、『猿の尾の振りまわし』古版 上本、というものがあります。これも全く聞いたことがありません。古版というのはだいたい元禄以前の版本のことをいいますが、そうなるとこれは元禄以前のしかも上本ですから大変奇麗ないい摺りの本であるということです。題名からいうと「狂歌」の本ではなかろうかとは思いますが、これ以上は見当がつきません。しかしこれもあったことは間違いないのです。

それから四十二番に『ねさの草紙』横本絵入奈良絵本ニ類スル本 平出本とあります。
これは多分『ねこの草紙』のミスプリントでしょう。「こ」を「さ」と読み間違えたか、ミスプリントかどちらかだと思います。こういう風にミスプリントであれば見当がつくものが殆どなのですが、見当のつかないものが沢山あり、現在は実物が無くなってしまったということで分からぬままになって行くのだろうと思います。

ここには平出本とあります。これは平出鏗二郎(こうじろう)という有名な蔵書家の蔵書で、それを名古屋で扱ったのがこの松本書店であったわけです。これは平出のどなたかが、つい間違って屑屋に払いだしてしまったというものが、そのまま市場に出てしまいまして、そこで扱ったのが松本書店なのですが、松本書店には平出の家から苦情が入りまして、「うちから出た本ということになっては困る」ということになって、慌てて平出蔵書印の平出というところを指に唾をつけて消したということを、松本書店のご主人から直接伺いました。そのまさに指で消した跡のある平出本を私どもも何度かみたことがございます。

その平出本がその後売りに出され、まとまって市場に出たのですが、その時に反町さんが書かれた『業界人』という本にはこの売りたてのいきさつと若干の高価なものの落札価格が書かれています。ところが不思議なのはその値段付けでありまして、例えば『風流四方屏風』という有名な元禄以前の絵本がありますが、これが反町さんの本には落札値2250円とありますけれども、この松本目録では1700円と付いています。

落札価格よりも安い値段で売るということはちょっとあり得ないことですので、おそらく反町さんの間違いであると思われ、反町さんのお書きになったものにも中には間違いがあるのではないかということがこれで分かります。松本書店の1700円は販売目録ですからこれは間違えようがないのです。

そのあとの四十四番、四十五番はまさに平出本の面白いものが出されていますが、これらは私どもは今までに見たことがございません。こういうものは現在どこかに残っていてくれればありがたいなと思っています。

そして次は四十九番『翠釜亭戯画譜(すいふていぎがふ)』です。
これは本そのものは幾つかございます。実は私自身もこれは持っている本であります。この本は一時写楽その人が翠釜亭ではないかと言われたように、ちょっと写楽のような絵の芝居絵本の一つです。この翠釜亭が誰かということはいまでもはっきり分かっておりません。
これは現在では非常に高価な本です。この『翠釜亭戯画譜』の奇麗なものが出ればたぶん四、五十万は楽に付けられるのではないかと思っていますが、それがこの時には1円50銭だったのです。前の『風流四方屏風』が1700円だったことに比べるといかにも安いです。まだこの頃はこの程度の評価だったということが分かって面白い資料だと思います。

その下の五十番『絵入当物知恵の深山(えいりあてものちえのみやま)』、これはミスプリントではなくて、この通りの題名だろうと思いますが、さてこういう本も見たことも聞いたこともありません。明和版とありますから確かに出版されていたのです。「当物」というのは一種の占いのもので、画を見て中の色々な問題を当てる、そういうちょっとした遊びの本でもあるのです。こういうものが、もし現在もあってくれれば大変面白いと思います。それから五十二番『八代集(はちだいしゅう)』文明版とあります。文明版の『八代集』があればこれは大変なことなのですが、これはいくらなんでもミスプリントに違いないと思います。

次の五十五番『心職帖』、これも全く聞いたことが無い題名ですが、そのすぐ後に『続石五松韻』桃隣次会宝永三年一冊とあります。「桃隣」というのは芭蕉系の俳人で有名な人ですが、その人の『続石五松韻』なんていう本は聞いたことがありません。類推するとこれはなんのことはないので、『続百五拾韻』という本がありますので、そのミスプリ、「百」を「石」に、「拾」が「松」にミスプリントされてしまったものだろうということが分かります。

その下の五十九番『草書千字文』細井平洲先生自筆若書折本先生落款其他種々奥書有 桐箱イリ 一百円とあります。大正時代に百円というのはずいぶん高いですね。現在この細井平洲自筆『草書千字文』が出ましたらたぶん10000円くらいは付けられると思いますが、ほとんど話題にならないと思います。しかし大正時代に名古屋で細井平洲の自筆ということになると、こういう扱いだったということです。隔世の感があるというのはこういうことです。
そういうことも古書目録を見ていると分かってきます。

それから六十三番『名古屋露顕』市街町屋地図写八文字屋記入有。これなどももしあれば大変面白いものだろうと思いますが名古屋叢書などにも全く採られておりません。

それから六十五番の『我かしこ』、これも名古屋の伊勢屋源兵衛板安永版とありますので間違いなく出版された名古屋本の一つですが、これも見たことがありません。

それから次の六十六番の『秋日照(あきのひでり)』ですか、これも絵入古版とありまして、随筆でありますが、これも聞いたことがありません。
六十八番の『乗合あった船』これも名古屋本でしょうけれども聞いたことがありません。

それから七十二番の『渡江春(とこうしゅん)』、これはこの題名から判断して歳旦詩歌集でしょう。お正月に有名人や文化人が集まって自分の歳旦の詩集や歌集を作ります。そのなかの一つだろうとおもいますが、これも全く見たことも聞いたこともないものです。

そして七十七番『俳諧狂主』鬼貫著 享保版上下二冊合本です。
実はこれは大変苦労して色々推量に推量を重ねた結果、なんだ、ということになった本です。この鬼貫というのは有名な伊丹の俳人で、西鶴のちょっと後になりますが有名な人です。しかもこの鬼貫という人は自分の著書の名前に非常に凝った人でありまして、例えば『仏兄七久留万』ですとか『三人蛸』ですとか、こういうなんとも珍妙な名前を付けるのがこの人の趣味でもありました。

従いまして『俳諧狂主』なんていうのはいかにも鬼貫らしい名前で、最初は「たぶんこういう名前の本があったのだろうな」と考えましてちょっと色めきたったわけですけれど、よくよく考えますと享保版でこういう題名に当たるようなものは聞いたことが無いのです。その時ふっと気がつきましたのは鬼貫には有名な本で『獨言(ひとりごと)』享保3年版、という本があります。たぶんご主人読み違われたんではないかと思います。つまり「獨言」を草書体の漢字で書きますと、まさに「狂主」と読み違えてもまあそれほどおかしくはないような類似なのです。

はじめはこれはたいへんだ、なんとかこの本を探さなくてはと思ったのですが、これは松本書店の読み違えと考えるのが一番落ち着きやすいと今は思っております。そして八十番の『独笑妄言』西福精舎自筆とありますから、これは司馬江漢の自筆ということでこれも現在残っていれば古書の価値としては大変な高値になるであろうというものです。

それから次の八十二番も『柳亭漫録』柳亭種彦草稿本、ただしこれはちょっと遠慮して「ナラン」と付記してあります。もし草稿本であればやはり大変な珍本の一つだろうと思います。

桂川恋仇浪その次の八十三番『桂川恋仇浪』天明版 は読み本の部に分類されています。お半長右ヱ門の丸本や合巻はありますが、読本のこの書は意外に見ないものです。

実はこれの改題後印本『新桂川実録』(文化二年)というのがあって、こちらは国会図書館等にも収まっていますが、『国書総目録』には合巻という分類でとられており、案外読本研究の方の網の目からは洩れているものらしいのです。

改題本を見ますと、題簽と序題だけは「新桂川実録」に改められていますが、見返し題、内題(五巻とも)尾題ともに「桂川恋仇浪」のままで、初めの遊蝶序の年記を削り、代りに二番目の序末に「文化二年九月」と彫り入れているのです。
これは初版本かと思ったのですが、半世紀以上前の目録にあったと言うだけで、実物が出てこないのでどうしようもないという悔しい思いをしたものです。
改題本の見返しはどうも元のままなようなので、その写真(講演者蔵)だけでも付けておきましょう。

次の八十五番『艶女怪談覗南佐留奈(えんじょかいだんのぞきなさるな)』京伝作極上本。
これもちょっと色めき立つような内容でありまして、京伝の作で「えんじょかいだんのぞきなさるな」とくれば覗いてみたくなりますね。こういう題の本は見たことも聞いたこともない。いったいこれは何なんだと思いました。

お手元の資料の原稿を書きました時にはまだまったく見当がつきませんでした。
その後実はこういうものを手に入れまして、これがまさに『艶女怪談覗南佐留奈』という本です。これは「読みわ」と言いまして、わ印、要するに春本なのですが、画のない春本です。文章だけの春本なのです。

春本ですから「覗きなさるな」という題はいかにもそれらしくて面白い題名だということになりますが、ところがこの本のどこを見ても京伝の名前が全く出てこないのです。なんでこれが京伝作ということになるのかが分かりません。しかしこういう本があったことは間違いないのですから、もしかすると京伝の名前の入った「覗きなさるな」という本があるのかもしれません。

まさか本屋さんは勝手に京伝だろうと思って書くわけもなく、目録にここまではっきり「京伝作極上本」と書いてあるのを見ますと、たぶん京伝作を示す何かがあったものと思われ、いよいよ見てみたい不思議な存在になってくるのです。

それから次の5ページ目ですが、僕が見たことがない珍しい本が続々と出てきます。
例えば八十九番の『福寿斎画譜』は『副善斎画譜』のミスプリントだったろうと推量出来ました。それから九十二番の『猿猴菴高力自筆稀本(えんこうあんこうりきじひつきほん)』、七帙入写本 大11冊2500円。

これは現在残っていれば、名古屋本として第一級の珍本に指定されてしかるべきものと思います。現在のところ11冊のうち1と7が残っておりまして、2,3,4,5,6これいずれも高力猿猴菴の自筆本としては全く所在が知れないものです。たぶんこれは震災か戦災で無くなってしまったのかと思います。もし現存していれば誰かが見て報告しているに違いないと思うので、それが無いということはおそらく無くなってしまっていると考えております。

同じようなものはその次の九十三番『齢斎亀章日記(れいさいきしょうにっき)』38冊、でもあります。 亀章という人は名古屋では有名な千代倉こと下郷家の人で、鳴海宿一の素封家と言ってよい家の人です。西鶴もこの家に泊まったことがありますし、芭蕉も泊まったことがあります。とにかく有名な文人墨客でこの千代倉のお世話にならなかった人の方が珍しいというくらいに大抵の人がこの千代倉に世話になっています。千代倉本家は名古屋のちょっと先の鳴海というところの作り酒屋さんでありました。

この人の千代倉本家の日記は現在も千代倉家に残っておりまして、これは東大の森川先生がずっとその翻刻を続けていらっしゃいまして、現在で20冊くらいにはなっています。そしてその中に出てくる人間はとても興味深く、我々が知っている人物が続々と出てきます。それの分家の方で「亀章の日記」ということで38冊、これも現存しておりましたら当然色めき立たれる存在ですが、これも残っているということを聞いたことはありませんね。大正のこの時点では間違いなく38冊の貴重な日記があったのでしょうが、おそらく戦災か震災で無くなったというものに当たるのだろうと思います。

それから九十五番目の『絵入二十人集』、菱河師宣全葉画入、少し痛み、元禄版。
三十六歌仙か百歌仙なら分かりますが、二十人というのはいくらなんでも中途半端でありまして、それを師宣が描いたものがあるということですが、これはおそらく何かの間違いであるだろうと思います。

本を片手に説明する講師それから百四番の『いなりあんどう』。これは僕は2回だけ見たことがあります。文久三年版で20部限定本とありますから大変少ないものですが、これは名古屋本、尾張本の代表的なものの一つと言っていいでしょう。

実は大石眞虎という人に全く同じ名前の本がありますが、こちらは幾らでもあると言ってもいい本です。それに対して大本二冊の『いなりあんどう』というのは本当に少ない。しかも富岡鉄斎の奥書が入っているというので、非常な珍書です。確か僕が学生時代に三都古典会に一度出たことがあったと記憶しています。

それにやはり富岡鉄斎の奥書があったと思いますので、まさにこの本だったのでしょうね。ですから間違いなく現存していると思います。

その前の百三番に『易原』皆川淇園(みながわきえん)、寛政、木活本(もっかつほん)とあります。皆川淇園の木活は確かに円光寺活字という活字を使いまして2つほどは私も知っていますが、『易原』で木活というのは見たことはありません。しかしこれもあってもおかしくはありません。ですからきっとこういうものがあったのでしょう。

次は百七番です。『匙加減見立医 若目鑑紅毛細工(さじかげんみたてい、わかめがねこうもうざいく)』とありますが、これはおそらく『虫目鑑紅毛細工』のミスプリントであるだろうと思います。それにしてもこういう題名のもので洒落浄瑠璃本とありまして、見たことがございません。

その次百八番の「おんえい」と読むのでしょうか。「おん」は「音」、エイは「ごんべん」に英国の「英」の字を書くのですが、木字活字本文化版。これも全く見たことがありません。第一この「えい」という漢字が本当にあるのかどうかこれも怪しい。これもミスプリントだろうと思いますが、なにか僕らが見たものでこれに似通ったものがあれば見当がつきやすいのですが、まずこういう名前のものを見たことはないんです。

それから百十番の『一雫(ひとしづく)』これは老俳仙清秋撰とあります。
清秋は伊勢神戸藩の藩主本多氏のことで、本多の殿様が出した追善集であるということですが、これはさぞかし大名俳書の立派な書物であったに違いないと思いますけれど、これもこれまで見かけたことはありません。

そしてその後もずっとそういうものが続きますが、百十九番、『岩井半四郎』東洲斎写楽画、蔦屋重三郎きら摺板 大首。これはもちろん写楽の画として有名なものですが、大錦一枚四百五十円と書かれております。これがその当時の写楽の画に対するものだという意味で貴重な資料です。現在では写楽の版画が一枚でてきますと状態が良いものであれば2000万というような値段が付けられております。

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4.海野書店の目録から

ここまでで松本書店の目録を終わりましてこれからは海野書店の目録になります。これにも大変面白いものが並んでおります。海野書店目録の二番『桃花詩箋』南宮彌六輯、稀本。これは南宮大湫という有名な漢詩人ですが、この人の『桃花詩箋』なんていう本は見たことがありません。まさしく稀本です。

それから五番の『白湯集』大窪天民詩集。これまた大窪詩仏という有名な漢詩人ですけれど、『白湯集』というのは大田錦城という人の詩集なら幾らもある本なのですが、大窪詩仏の『白湯集』というのは見たことがありません。これが大田錦城の間違いなら問題ないのですが、もしかして天民、詩仏のこういうものがあったのかもしれません。

その次の六番、これがまことに変で『紫商會』俳書。こんな名前の俳書があるはずがないと思うのですが、ちゃんとこれ載っておりますのであったのかもしれません。全く見当がつきません。

その次の一三番『障子の舌かし切様伝』とあります。
ミスプリントがどこかにあるんだろうと思いますが、しかしよく分かりません。障子紙を貼った時余った紙を、障子の舌といって、それをどういう風に切れば良いかを書いた本かなと類推しますが、そんなことまで本にするかなという思いもあります。しかし江戸時代の本というものは、とにかくないものはないと言っていいぐらいで、人間のあらゆる生活、思想、風俗からあらゆることに関して書物になっています。ですから障子紙の切り方なんていう本があってもおかしくはないのです。あればぜひ買いたいです。

それから二〇番の『虫供養』折本淡彩、これもその通りだろうと思いますが、これも本を見たことがありません。しかしあればさぞかし感じのよい俳書ではなかろうかと思います。
折本でしかも淡彩ですから。ぜひ見つけたい一冊です。

それからその下の段の二十二番『八人藝おしへ草』。
これもさっきの障子の舌と同じで、八人藝というものが元禄の前から流行り、西鶴の作品にも出てきます。街中での辻立ちの芸能です。古版とありますので、おそらくは元禄頃のものでしょう。これも出来れば是非探したい本です。

それから二十四番に『按』、「あん」と書いて「クサミ」とルビが振ってあります。
くしゃみという意味でしょうか?こんなものが教訓物で慶安版で大本三冊とありますから、さぞかし立派な本であるわけですが、それにしては名前がクサミというのはおかしいなという気がいたします。

それから二十五番の『明朝生動画園』。
これは『明朝紫硯』という名前で、色摺りの絵本では大名代と言ってもよい大変有名なものなんですけれど、これも初版は非常に珍しい。三冊そろいのものは後摺りのものもあるのですが、大本一冊と言うあたりに惹かれます。なぜなら最初はこれは上中の二巻二冊だけが刊行されておりまして、後に下を付け加えて三冊本になるわけです。したがって二巻二冊というのが一番の初板と言いますか非常に珍しいものです。ここに合本一冊とありますので、ちょっと気になるのです。

そしてその横の二六番『画譜』。
これも彩色入南画天明版上本、半紙本四冊とあります。こういう説明がありますが、天明頃で色摺りの南画の本で半紙本で四冊、というのはちょっと見当がつかない。大本四冊であれば、色々と気がつきますが、半紙本で四冊とは見当がつきません。しかしあったことは間違いないでしょう。

それから二八番に『法乃絵草紙(のりのえぞうし)』関通上人銅板絵入とあります。
関通の『法乃絵草紙』はよく知られている本です。そのなかに銅板の絵が入っている、これは見逃せませんね。『一宵話(いっしょうわ)』という本がありまして、これは牧墨仙という江戸後期の人ですけれど、この人の銅板の絵が入ったものが確かにあります。これは随筆です。これには木版の絵もあります。ですから同じ絵が、ある本では木版、ある本では銅板になっているというような、不思議な本です。ですからこの『法乃絵草紙』も僕らが知っているものはみな木版なのですが、もしかすると銅版のものもあったのかもしれません。

それから二九番の『双六帖』。
これもあればすごい値段になるだろうと思います。古版の双六を二十六枚貼りこんだということですから、これは垂涎の本だろうと思います。これもどこにあるのか今は分かりません。

それから三十六番の『花子袋』とありますが、実はこれは「こじきぶくろ」と読むのです。花子(かし)と書きますと中国では乞食の意味です。尾張名家合作画とありますが、「秦鼎、豪潮戒律ノ事、画ハ月樵・清等名古屋名物」とありますが、こういうものも全くこれまで見たことがございません。これも名古屋本の名物でしょう。

そして三十九番の『浪花懐古二首』龍公美、『行書滕王閣叙』浪華調古菴佚山肉筆。
これは実はふたつを一緒にして、私が名古屋にいるときに手に入れたものであります。
自筆本ですから他に幾つもあるはずがないので、まさにここに出ているものが震災や戦災をくぐりぬけて、戦後私が参りました時までちゃんと残っていてくれた、そういう意味で僕にとっては大変嬉しい本の一つであります。

それから四十四番の『盆石桂のまき』があります。
盆石の本というのは結構色々あるのですが『桂のまき』というこの本は一回も見たことがありません。盆石の本は結構あるのです。盆石というのはお盆の上に珍しい石をおいて、その周りに白い砂を撒いて景色をそこに作り出すというものです。これには細川流盆石であるとかいろいろと流派もありまして、それを版本にしたものもあるのです。

また色々な植物、例えば「万年青(おもと)」でありますとか「朝顔」でありますとか、そういう物を栽培してそれを図録にしたものも沢山ございます。ただ唯一僕が見たことがないものが盆栽の本なのです。先程、江戸時代には、ないものはないくらい色々なものが本になっていると言いましたが、盆栽の本だけは、僕は今まで一度も見たことがないのです。

写本でも僕は見たことがありません。盆栽の仕立て方とか、作った盆栽の図録だとか、そういうものが江戸時代にあって当たり前と思っているのですが、この50年間一度も見たことがないのです。もしそういうものがあれば、これは大珍品に違いありませんからどうぞお気になさってください。明治以降は腐るほどあるのになんで江戸時代のものが無いのか分かりません。

それから一番最後のページで四十六番『解体新書』杉田玄白訳 大五冊 7円。『重訂解体新書』杉田玄白。大槻玄訳 大十三冊 十円。『解体新書』が7円で『重訂解体新書』が10円です。『重訂解体新書』というのは、銅板の絵が入ったまことに立派な本です。比較のために挙げますと、同じ目録に岡本一抱子という人の『和語本草』10冊8円20銭、それから貝原益軒の『大和本草』11冊10円、ですからこの頃は『解体新書』という本は『和語本草』や『大和本草』なんかと殆ど同じ程度の本だと考えられていたということがこれでよく分かります。

今ですと『解体新書』なんかは250万円とか300万とかいう、とんでもない貴重本ということになってしまっているわけですが、この頃まではまだこういう扱いだったということが分かるのです。そういうことが分かるのも目録の面白さであるわけです。

本にも時代の波がありまして、かつては安い本だった『解体新書』のように戦後になって大変な貴重な本になったり、逆に大正の頃までは非常に貴重な本としてあったのに戦後は安くなってしまった本もあります。考古学的な図録、例えば最初に話した古代模様を扱った
『文華帖』。あるいは銅器だとか鏡などを木版で奇麗に摺りあげて図録にしたもの、そういったものは大正初めまでは非常に高くて、当時200円とか300円とかしています。

ところがその手のものは今では非常に安いものになっております。これは当然写真版の図録などが続々と出ましたので、そういうものでは学問的な資料にはならないということで、安くなってしまったものであると思います。また直江山城守の自筆書状なんかは今高値を呼んでいますが、これはNHK相場とでも申しましょうかそういうものもあるのです。

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5.終りに当たって「和本リテラシーの回復」ということ

ちょうど時間になりましたのでこの辺で止めますが、実は私がこういう機会をいただいてお話させていただく時には必ず付け加えることが一つだけございます。

それは「和本リテラシー」という言葉を私は使っておりますけれども、要するにこういう和本を読む能力、力が、いま猛烈な勢いで減少の一途をたどっている。こういうものを読める人はまさに絶滅危惧種の筆頭にあげてもいいような現状であります。たぶん一般の方は例えば大学の文学部の先生ならば、まあ読めるんじゃないかと思っておられると思いますが、これがとんでもない話でございまして、例えば僕はQ大学に勤めておりまして、そこの文学部には60人近く先生がいます。その中でこういう和本を出されてすぐ読める人はどう考えても4人しかいないのです。それが実情です。

勿論他の先生方は英語は出来る、フランス語は出来る、ギリシャ語は出来る、ラテン語は出来ると、外国語はとにかくお上手で本も自由にお読みになる。ところが日本のこういうものは殆ど読めなくなってきています。僕は日本全体でこういうものが読める人は5000人位と言っていますが、人によっては3000人という方もいらっしゃいます。

一方日本の知識人は「古典が大事だ」ということは皆さんおっしゃいます。そういう方々はみんな源氏物語は良い、奥の細道は素晴らしいと皆さんおっしゃる。ではどういうもので奥の細道や源氏をお読みになっているかと言うと、皆活字でお読みになるのです。活字で十分だと皆さんお考えになっているようです。

大学の先生も大学の学問自体が明治以降西洋の学問がベースになりましたので、文学部の講座名にしましてもみな西洋の学問の名前、たとえば哲学だとか社会学だとか心理学だとかの西洋の学問をベースにしているわけです。そういう意味では外国語が読めないではベースの勉強が出来ない。それで皆さん外国語の勉強は一生懸命なさるのです。こういう和本の類はそういう学問には読む必要がないんです。ですから読まれない。

しかし一方で「古典は大事だ」という。「古典を読まなければ」と言って活字本を読むのです。活字本が一体どのくらい古典を網羅しているとお思いでしょうか?殆ど必要な古典ものは全部活字になっていると思い込んでしまっているのです。先程申しました『国書総目録』、これに登録されているものが大体50万点と言われています。

要するに江戸時代までに日本で作られた書物は全部集めて50万点、それが『国書総目録』なのですが、実際は、僕はその倍あると思っています。今日申し上げた本は殆んど全部『国書総目録』には入っていない本ばかりです。そういうものがまだまだあって、おそらく私は100万点というふうに見当をつけております。

100万点の本があって、その中で活字になっている本がどのくらいだとお思いになりますか?これが1万点ないのです。どう逆立ちしてもおそらく1万点ないと思います。要するに江戸時代までに本になったもののわずか1%しか活字になっていない。そしてそれを大半の知識人が読めなくなってしまっている。それが現状なんです。おそらく5千人としても1億3千万の人口の0.00004%くらいだろうと思います。

しかしこれはつい戦争前までは、我々の父親も母親も問題なく読んでいたのです。手紙なんかにも変体仮名なんかが、ふんだんに使われていました。ですから読めなくなったというのはまさにこの50年なんです。その間にここまで完璧に我々は文字を読めなくなってしまったということは本当にもったいないことだと思います。

100万点もある中のわずか1%しか読めないというのは、幾らなんでももったいないことだと思いますので、「和本リテラシー」を回復させるということをなんとかやらなくてはならないと思います。50年前まではみな読んでいた文字です。ちょっとした志さえあれば、簡単に読めるようになるのです。

そのためのいいテキストがなかったので、僕は今テキスト作りをやって、普及していくようにしたいものだと思っております。これは私たち研究者の怠慢ともいえますが、まさかそんなになるとは思っていなかったというのも実情なので、それにやっと気がついたわけです。

お年寄りの方々がそういうことに興味を持っていただくことはそれはそれで結構なことですが、本当のことを言えば子供の時に教えるべきなんです。小学生の時に英語の勉強と一緒に変体仮名の勉強をさせると言うことです。簡単に覚えるわけですから。それを是非心にとめていただきたいとお願いする次第です。今日こういう機会を与えていただきましたので、また「あいつあんなことを言っている」と思われる方もいると思いますが、話を聞いて頂きましてありがとうございました。(拍手)

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6.質疑応答

質問:今日のお話で江戸時代の文学ということを私たちは知らないということを、気がつかされたのですが、江戸時代の文学とは何かを3分間で言えますか?

答え:それはまたの機会にさせてください。
しかし江戸時代の文化というのは明治以降誤解されていたということは言えます。それが和本リテラシーをなくしてしまったということに強く関係してきます。つまり江戸時代の文化というのは今の言葉で言いますと、ハイカルチャーとサブカルチャーの両方が江戸の現代文化として江戸時代人にとっては存在したのです。そしてハイカルチャーは雅の文学、サブカルチャーは俗です。戯作とか何とかいうのはまさにサブカルチャー、俗の領域の文学なのです。

我々は現代文化というと、俗のところばかりを考えてしまう。しかし実際は雅の方の文化というものがあって、それが江戸時代の人にとっては上位にあった。俗の文化が存在するためには、雅の文化の存在がないとこれは存在しない。そしてその両方を現代文化として享受し、作り上げた、それが江戸の文化の偽らざるところです。
それを誤解して俗文化だけを江戸文化だと、戦後考えてきてしまったというのが一番大きな間違いだったと思います。

司会:先生のお書きになった本『和本の海へ』のご紹介をお願いします。
答え:宣伝をしなさいと言われたようで恐縮ですが、和本リテラシーを付けるためには、まず活字になっていないものでどんな面白い本があるかということに目が行かないと、和本リテラシーなんていくら言ってみても仕様がないわけです。そこで「活字になっていない本でこんな面白い本がありますよ」というサンプルとして、私が書きました本をここに何冊かお持ちしましたので、ご覧になってください。




文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


本文はここまでです


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