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2009年12月25日 神田雑学大学定例講座No487
  アメリカミュージカル映画の話、講師、坂田純治



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1.はじめに
2.1933年RKO製作「空中レビュー時代」
3.1939年の作品「白雪姫」
4.1939年の製作、メトロの「オズの魔法使い」
5.メトロの1948年作「イースターパレード」
6.1946年「夜も昼も」
7.1949年メトロ製作「水着の女王」
8.1952年メトロ製作「雨に唄えば」
9.1952年メトロ製作「略奪された7人の花嫁」
10.「パリのアメリカ人」
11.1956年「王様と私」
12.「南太平洋」
13.1961年ユナイト製作「ウェストサイドストーリー」
14.1964年W・B「マイ フェア レディ」
15.1964年「サウンド オブ ミュージック」
16.1971年「屋根の上のバイオリン弾き」
17.1985年「コーラスライン」



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マイク片手に映画の説明をする坂田講師1.はじめに

坂田です。神田雑学大学の本年最後の講座を承りまして大変光栄に存じます。司会の吉田理事さんがただいまご自身おっしゃられましたが、ウハウハムードで楽しくて、感動的なシーンだけを選んで見せろと言うご要望には大変苦労しまして、私なりに考慮して編集いたしました。

一口にミュージカルと申しますが二通りあるのです。いわいる映画、映像主体に語られているミュージカルをシネマミュージカル、略してシネミュージカルと言っています。特にハリウッド8社の間ではメトロの作品が代表的であります。それからブロードウェイミュージカルと呼称していますが、これはブロードウェイの色々な劇場で上演しヒットした作品を、スターも代わります、背景も変わります、もちろん監督も代わるわけですが、それを映画化したものをブロードウェイミュージカルと言うのです。シネミュージカルとブロードウェイミュージカルそれぞれの代表的な作品を今日は16本ほど見て頂こうと思います。では早速シネミュージカルから見て行くことにしましょう。

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ダンスシーン2.1933年RKO製作「空中レビュー時代」

1927年にトーキーが世に出まして、映画各社はいわいるダンス、歌ということでミュージカルの製作に躍起になったのです。これは1933年、と言いますと昭和8年、RKOという映画会社の作品です。「空中レビュー時代」という大ヒットした作品です。この映画には当時の大スター、ドローレス・デル・リオという人とジーン・レイモンドという人が主役で出ています。脇役にはいま踊っております、フレッド・アスティア、それと名コンビのジンジャー・ロジャース。歌っている曲目は「キャリオカ」です。

ブラジルのリオデジャネイロに巡業に行きましたアメリカの一座がなかなかヒットしない。それで飛行機の翼の上にダンサーを載せまして、リオの上空で見せる。当時としては現実離れしたセンセーショナルなシーンでした。この映画でいま踊っていますフレッド・アスティアとジンジャー・ロジャースのコンビが誕生いたしました。この二人はこの映画によって大スターになって先程のドローレス・デル・リオは目ではなくなってしまったのです。いま歌っているこの映画の主題歌「キャビリカ」はエッタン・モートンという人が歌っています。これは約17分くらいの場面なんですがその一部です。だんだんレビューの人が増えていきます。

フレッド・アスティアという人はお姉さんと舞台で踊っていたのですがこの映画に抜擢されます。私の知る限りアスティアは生涯で12、3人のコンビと踊っていますが、いま踊っているジンジャー・ロジャースとは一番うまが合いまして、この二人のコンビで9作映画を撮っています。アスティアもジンジャー・ロジャースも晩年はダンスは抜いて普通の演技者になります。

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小人たちが橋を渡るシーン3.1939年の作品「白雪姫」

場面はパッと変わりました。「白雪姫」1939年の作品です。ウォルト・デイズニーの製作です。ディズニ―はミッキーマウスから始まって色々なキャラクターを創造してきましたが、この作品に4年間の時間をかけまして、この「白雪姫」を長編アニメの世界第一作として上映いたします。全部で7曲がこの映画には作曲されていますが、一番ヒットしたのがこの7人の小人が歌う「ハイホー」という歌です。「ハイホー、ハイホー、仕事が好き・・・」という歌でお聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。

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4.1939年の製作、メトロの「オズの魔法使い」

次は1939年の製作、メトロの「オズの魔法使い」です。昭和13年の製作ですが日本で公開されましたのは戦後の昭和29年ですから、15年たって日本人は始めて劇場で見たわけです。これはライマン・フランク・ボームという人の世界的なベストセラーズになりました童話を映画化したもので、2回目の映画化でした。

オズの魔法使い、ジュディ・ガーランド一回目はまだトーキーが出来ていない時代に作られていました。メトロではこの映画の主役「ドロシー」を演ずる、歌えて踊れてという少女を探して、大変な数のオーディションをしました。例えばあのディアナ・ダービンもその一人でした。数多い応募者から抜擢されましたのがジュディ・ガーランド、16歳でありました。この映画がジュディ・ガーランドのデビュー作で出世作になりました。

特にこの映画で有名な曲は7曲作曲されていますが、そのうちの「オーバーザレインボー」日本では「虹のかなたに」と訳されましたが、これをガーランドはドリーミィに熱唱しました。
この年のアカデミー賞でアカデミー子役賞を取りました。こんな賞は本来はなかったのですが、ガーランドのために作られたような賞でありました。それと「オーバーザレインボー」は主題歌賞という名前で受賞いたしました。

この「オズの魔法使い」に中に、「案山子」とか「ライオン」とか「ブリキ人形」とか面白いキャラクターが出てくるのですが、「ドロシー」の夢が覚めてみるとこの3人のキャラクター達は自分の家の近所で自分をよく可愛がってくれたおじさん達だったという夢物語でございます。
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5.メトロの1948年作「イースターパレード」

ジュディ・ガーランド、可愛かったですね。先程トップで見て頂いたフレッド・アスティアのその後はどうなったか、いま見た可愛らしいガーランドが11年たってどんなふうに変わっていったか、その二人のコンビの場面を見ていただきましょう。作品はメトロの1948年作「イースターパレード」の一場面であります。戦争が終わって我国に輸入された色々な作品がありますが、その最初の豪華絢爛たるテクニカラーのシネマミュージカルの傑作であります。

フレッド・アスティアとジュディ・ガーランドのダンスシーン

ダンスのN0ー1であった「ダン」これはアスティアが演じますが、パートナーに振られてしまいます。パートナーがいなくなったということでジュディ・ガーランドが演ずる「ハナ」、これが歌も踊りも全く様にならないというのをアスティアが鍛え上げまして、晴れてイースターの大舞台にカメラマンが殺到するというストーリーでした。これはオーディションの場面です。フレッド・アスティアとジュディ・ガーランドの達者なダンスをお楽しみください。「クウ、クウ・リーブス・フォー・アラバマ」というステージです。

この映画には全部で13曲、全部アービング・バーリンの作曲でメトロはこの豪華なミュージカル映画を作りました。

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ダンスシーン6.1946年「夜も昼も」

ただいまメトロ、メトロと続きましたが、たまにはワーナー・ブラザーズの作品も見ることにしましょう。そもそも1927年のアル・ジョンソンを使いまして映画のトーキー化の第一作がワーナーブラザーズが実行しているわけです。そのワーナーも負けてはおられません。1946年コール・ポーターという作曲家の伝記映画を作りまた。「ナイト アンド デェイ(夜も昼も)」という歌、あるいはこれから見ていただきます「ビギン ザ ビギン」、コール・ポーターに扮するのはケーリー・グラントです。では見ていただきましょう。

どこかメトロのミュージカルとワーナー・ブラザーズのミュージカルと違うと皆さんお感じになりませんか?なんていうかなー、ワーナーのはちょっと上品なんですね。「コール・ポーター」という主人公の性格にもよると思うのですが、メトロのシネミュージカルのように華やかではないでしょう。まあ品が良いと言えばそうも言えますかね。この開幕の日のシーン、コール・ポーターは身体を悪くして入院しておりました。当時は通信が電話だけでしたから、彼はベッドの上で自分の作曲したショーを電話で聞いているという場面です。

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7.1949年メトロ製作「水着の女王」

プールのシーン水上バレー映画の第2作です。第一作は「世紀の女王」と言う作品でした。「世紀の女王」もこの「水着の女王」も主演はエスター・ウィリアムスです。この人は南カリフォルニア大学生の頃に、全米大学水泳選手権で1938年に880ヤードリレーで世界記録を作ったうちの一人です。また100mのフリースタイルでも世界記録を作りまして、東京オリンピックが昭和15年、中止されずに行われていれば全米の候補として挙げられていた人です。

相手役はレット・スケルトンという喜劇役者です。その恋敵でエスター・ウィリアムスと結ばれるのがリカルド・モンタルバンです。この「水着の女王」の主題歌になりました「ベイビー イッツ コールド アウトサイド」はアカデミー主題歌賞を取りました。、5、6年前当雑学大学に歌手の市川加代子さんがおられました。カコちゃん、カコちゃんと人気者でしたが、そのカコちゃんが某クラブでこの歌を歌うのに「坂田さん手伝ってよ」というわけで、デュエットで私も歌った思い出があります。外は寒いよ、という意味の歌です。

ではエスター・ウィリアムスを見ていただきましょう。これはシンクロナイズドスイミングの原型ですね。

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8.1952年メトロ製作「雨に唄えば」

踊るジーン・ケリーの画面を説明する坂田講師さて次も同じメトロで1952年ですから昭和27年の作品です。「雨に唄えば」。主演はジーン・ケリーというポスト フレッド・アスティアと言われた人です。アスティアと共演したこともありますが、非常にアクロバティックなダンスをする人ですね。このジーン・ケリーがスタンリー・ドーネンという監督と共同監督をして、そして主役をはりましたのがこの「雨に唄えば」です。

雨に唄えば4枚の写真

ハリウッドがトーキーに転換した1927年ころを背景にした楽屋話です。調子っぱずれの、そして鼻っぱしが人一倍強い、頭は空っぽという当時の大スター、これをジーン・ヘーゲンという喜劇女優が演じていますが、その彼女が「トーキーなんて使い物にならない!」とごねるので、ジーン・ケリー達が推薦したのがデビー・レイノルズ演じます新人女優が見事に、その鼻っ柱の強い女優の代役で映画をヒットさせるというストーリーです。そしてデビー・レイノルズとの恋も獲得したジーン・ケリーが嬉しさ一杯に雨の中で踊ります。私が興奮してはいけないんですが、これはジーン・ケリーの踊の中でも傑作中の傑作だと思います。

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9.1952年メトロ製作「略奪された7人の花嫁」

笑顔のカップル写真この映画では8曲が作曲されていますが、ジーン、デ・ポールが作曲しています。シネミュージカルの中でも傑作中の傑作と言われております。スティーブン・ベネという人が1926年に発表しました「すすり泣く女達」という短編小説が原作になっています。

7人兄弟の長男が結婚しました。残りの6人が街に出て若い娘を山小屋まで攫ってきてしまうのです。それを追いかけてきた街の青年達が山小屋の6人の兄弟たちとダンス合戦をするのです。いま踊っているのはラス・タンブリンという若手の俳優です。後ほど出てきますウエストサイドストーリーでも活躍していますね。こういう野性味あふれるきこりの青年が勝つか、あるいはダンディな街の青年が勝つか、さて乙女たちはどちらにつくでしょうか。

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10.「パリのアメリカ人」

シネミュージカルの最後は1951年MGMメトロの製作で「パリのアメリカ人」をご覧いただきましょう。監督がジュディ・ガーランドのご主人でありました、ビンセント・ミネリという古い監督です。パリのアメリカ人の原型というのは戦後ロードショーという形で始めて日本に公開されました「アメリカ交響楽」という映画です。それのストーリーはジョージ・ガーシュインという作曲家についてのストーリーでした。

パリのアメリカ人3枚の写真

ガーシュインが色々作曲に苦心している時にパリを訪れます。パリで見たパリのアメリカ人のガーシュインどんな風な印象を持って作曲したか、そんなストーリーなのですが、それをミュージカル映画にしたのがこのビンセント・ミネリによる「パリのアメリカ人」です。
主演はジーン・ケリーです。この作品は単にシネミュージカルとして良いというばかりではなくて、色々な点で、例えば演出力、あるいは脚本、音楽関係はもちろんで8個のアカデミー賞を取ったということで評判になりました。

ジーン・ケリーはこの映画では特にクラシックダンス、モダンバレー、これを融合させた新しいダンス芸術を引き出しております。このジーン・ケリーの相手役になりますのが、当時フランスのまだ可愛いバレリーナだったレスリン・キャロンが抜擢されました。レスリン・キャロンのデビュー作です。

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ユル・ブリンナーとデボラ・カー11.1956年「王様と私」

今まで見ていただいた9本は所謂シネミュージカルであります。これからいよいよブロードウェイミュージカルに入ります。最初は1956年の「王様と私」。これは「アンナとシャム王」というミュージカルではない映画で、レックス・ハリソンとアイリーン・ダンの作品の評判がよく、それをブロードウェイがミュージカルに直しました。

特に申し上げておきたいのは、この「王様と私」もそうですが、後から出てくる「南太平洋」とか「サウンドオブミュージック」など有名なミュージカルを9作も作りましたのが、作詞はオスカー・ハーマンスタイン2世、作曲がリチャード・ロジャースのコンビです。この二人のブロードウェイの作品はもう殆どヒットしないことはないというくらいのヒットメーカーでした。

「王様と私」などはセント・ジェームス劇場で1246回、約3年7カ月連続講演しております。
まずはロジャースとハーマスタインの力量を見てください。このデボラ・カーが演じておりますアンナは舞台では名女優ガートルート・ローレンスという人が演じています。それからシャム王ユル・ブリンナーは舞台でも彼がブロードウェイに抜擢されて出ました。

デボラ・カーはこうは歌えませんので、これからも度々出てくるマーニ・ニクソンという吹き替えの歌の上手な女性が歌っています。このミュージカルには15曲のリチャード・ロジャースの名曲が流れてくるのですが、そのうち一番評判がよかったのがこの「シャル ウィ ダンス」でした。

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南太平洋12.「南太平洋」

次は「南太平洋」ですが私は欲張って「バリハイ」という歌と「ワンダフルガイ」というダンスシーンを2場面録りました。これもオスカー・ハーマスタイン2世とリチャード・ロジャースのヒット作です。「バリハイ」で歌っているのはジャニタ・ホールです。舞台も同役です。舞台ではメリー・マーチンというブロードウェイの大スターが演じております。ブロードウェイはこの作品を5年3カ月続演しまして、それでフォックスが映画化に乗り出したのです。日本では1966年(昭和41年)越路吹雪がやっています。

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13.1961年ユナイト製作「ウェストサイドストーリー」

次は1961年ユナイト製作「ウェストサイドストーリー」、監督はロバート・ワイズです。
この方は硬派の監督でミュージカルなんかを演出するようなタイプではなかったのですが、起用されました。この映画で有名になったのはジョージ・チャキリスですね。ナタリー・ウッド、リチャード・メイマー、リタ・モレなどが映画に出ております。

ジョージ・チャキリス、ダンスシーン他2枚の画像

これは申すまでもなくロミオとジュリエットの現代版ミュージカル版ですね。ジェット団というのが白人の不良少年グループ、シャーク団というのがプエリトルコ出身の移民の少年達、この両派が非常に仲が悪くて争っているわけです。それでロミオとジュリエットのような悲劇が生まれてくるのです。これはブロードウェイでは732回、2年1カ月の続演でした。アメリカの移民問題、人種差別問題、そういう社会問題を含んだブロードウェイとしても問題作、また映画もロバート・ワイズは上手に映画化しておりますね。

日本では1968年昭和43年に宝塚の月組雪組が合同でこの「ウェストサイドストーリー」を上演しております。この「ウェストサイドストーリー」には14曲が作曲されておりますが、私は2曲を選びました。いま踊っているのは「アメリカ」という曲です。プエリトルコの移民から見ると決してアメリカはいい国じゃない。否定する人間もいるし肯定する人間もいる。複雑な国ですね。そんなことを思わせる歌と踊りです。

画面を食い入るように見つめている受講生

いま踊っている女性はリタ・ボレです。この作品でアカデミー助演女優賞を獲得しました。
4人のスターが出ているのですが日本ではジョージ・チャキリスが圧倒的に若い女性の人気をさらいました。これはナタリー・ウッドですね。このリチャード・ベイマーという相手役もナタリー・ウッドもどちらも子役出身です。子供の時から鍛えられていますね。

このナタリー・ウッドの声も先程「王様と私」で申し上げましたマーニ・ニクソンという人が吹き替えで歌っています。このナンバーは「トゥ ナイト」です。ちょうどこれはロミオとジュリエットのオリジナルのバルコニーの場面ですね。ロバート・ワイズという監督はこれですっかりミュージカルづきまして、この後見ていただくサウンド オブ ミュージックなども彼の演出です。

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14.1964年W・B「マイ フェア レディ」

マイフェアレディ、オードリー・ヘップバーン1964年ジョージ・キューカーの監督作品です。
ブロードウェイではジュリー・アンドリューズが名演技で、なんと7年間続演をしました。ところが映画ではジュリー・アンドリューズはもうひとつ有名ではないということで、オードリー・ヘップバーンがイライザの役を取られてしまいます。これはイライザのお父さん、16曲この作品には作曲されているのですが、これは「運がよけりゃー」という歌です。このお父さん、イギリスの俳優でスタンリー・ホロウェイという人ですね。この演技でアカデミー助演男優賞を獲得しています。

度々出てきましてくどいようですが、このヘップバーンの歌っている曲、これもマーニ・ニクソンの吹き替えです。ヘップバーンはこの映画で大変名演技をしたんですが、歌っている声が本人の声ではないということで主演女優賞を取ることが出来ませんでした。この年はなんと皮肉なことにこの作品の主役に選ばれなかったジュリー・アンドリューズがウォルト・ディズニーの「メリー・ポピンズ」という作品に出たのですが、その演技が認められましてなんと主演女優賞を取ったのです。

マーニ・ニクソンは「王様と私」でデボラ・カー、「ウェストサイドストーリー」ではナタリー・ウッド、そして「マイ フェア レディ」ではオードリー・ヘップバーンの代役で歌ったのですが、この後出てくる「サウンドオブ ミュージック」では本人が尼さん役で出演しているのです。
ところが私にはどうしてもどの尼さんがマーニ・ニクソンなのか分からずじまいで今日に至っています。

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15.1964年「サウンド オブ ミュージック」

これは「ウェストサイドストーリー」と同じロバート・ワイズ監督。彼は2年連続でアカデミー監督賞を取っております。演ずるはジュリー・アンドリュース。今はもう押しも押されもしない大スターになったのですね。1956年のドイツ映画で「菩提樹」という作品が公開されたのですが、この「菩提樹」を原型に作成されましたブロードウェイミュージカルです。1443回続演といいますから、3年半ですね。

ジュリー・アンドリュース歌ってる場面2枚

このジュリー・アンドリュースが扮している「マリア」、これはブロードウェイの場合、メリー・マーチン、先程「南太平洋」の主役だったと申し上げたメリー・マーチンが演じています。
日本では1965年に淀かおると高島忠夫のコンビ、68年には越路吹雪と宝田明のコンビで、そしてこの後出てきます有名な「ドレミの歌」はペギー葉山がレコーディングしてヒットしましたね。オーストリアのトラップ一家の物語でありますが、この一家はヒットラーの手から逃れてアルプス越えをしてスイスに亡命しそしてアメリカに渡ります。そしてトラップファミリーコーラスということで、成功した一家の話です。

このジュリー・アンドリュースは本人が歌っています。くどいと言えばこの「サウンド オブ ミュージック」も作詞はオスカー・ハマースタイン2世。作曲リチャード・ロジャースの名コンビの9作目です。ところがブロードウェイでこの「サウンド オブ ミュージック」を上演中にオスカー・ハマースタイン2世が急死いたしまして、名コンビは亡くなってしまったのですが、映画化に際してはもう出来あがっていましたので何の問題もなかったと言われます。
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16.1971年「屋根の上のバイオリン弾き」

笑顔で解説する坂田講師帝政ロシア時代圧政に苦しむロシア在住のユダヤ人の悲しみを描いた作品であります。
このブロードウェイの作品が1964年の9月に開演されたんですが、なんと2845回の続演ということは約8年間ブロードウェイを沸かせたんですね。この記録は未だに破られておりません。この舞台はブロードウェイばかりではなくてロンドンや世界20カ国で上演され、約3000万人の観客を動員したということです。ゼロ・オステルという俳優がずっと主役を演じておりました。

この主役と言いますと皆さん11月10日亡くなりました森繁久弥さんを思い出すと思います。日本では帝劇で「屋根の上のバイオリン弾き」というと森繁久弥をおいてはないと思います。あの人は900回「テデイェ」という主人公を演じて、自分のライフワークであったということを述懐しております。森繁の身体が動かなくなって上条恒彦、あるいは西田敏行などが「テデイェ」の役を受け継いだのですが、どうも二人は森繁久弥の域には達しなかったようで、森繁の「テデイェ」ということで終わっています。では見ましょう。

花嫁、他1枚

これは長女の結婚式の場面で、ここで歌われる「サンライズ サンセット(日は昇り日は沈む)」がこの劇では最高に評判になった歌でしょうね。この人が「テデイェ」というお父さんです。舞台の方は先程申しましたゼロ・モステルという名の俳優ですが、映画の方はトボルという舞台俳優がやっています。映画俳優としては寡作の人ですね。
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コーラスライン17.1985年「コーラスライン」

今日の最後の作品になりました。1985年ですから昭和60年製作の「コーラスライン」を見ていただきましょう。監督はリチャード・アッテンボローと言いましてイギリスの俳優です。それが監督に転じまして、インドのガンジーの伝記などを作っています。スターというスターは殆ど出ていません。ブロードウェイを目指して人生の全てをかけたダンサーが数百人の応募者の中から選ばれますオーディションに駆けつける。そして17人が最終的に選ばれる。そういうステージの裏話、楽屋話を劇化したものであります。

楽屋裏にこそ人生があるんだという物語です。それをフォックスが映画化をいたしました。
17人の新人を発掘するという楽屋裏の話でありますが、17人の新人を囲んで多くのダンサーがステージに出てきます。この人たちは前からキャリアーのある方々が混ざって踊っているのです。これはいま劇団四季が上演中ですね。では「コーラスライン」を見ていただきましょう。

大変時間を超過してごめんなさい。これにて2009年度の神田雑学大学の最終講座を終わらせて頂きます。本日はまことにありがとうございました。皆さまどうそ良いお年をお迎えください。(拍手)

上映作品、参考文献の輸入会社
【上映作品の制作会社】 【参考文献】
M.G.M キネマ旬報社
R.K.O 近代映画社
W.B 中央公論社
20C.FOX 白水社
ユナイト −−−  
W.ディズニー −−−  



文責:臼井良雄
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田節子


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